学位論文要旨



No 120552
著者(漢字) 芝原,真紀
著者(英字)
著者(カナ) シバハラ,マキ
標題(和) 世帯による野生動植物採集の社会経済的位置づけ : タイ王国東北部ロイエット県の平地天水稲作農村を事例に
標題(洋)
報告番号 120552
報告番号 甲20552
学位授与日 2005.04.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2918号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 教授 白石,則彦
 東京大学 助教授 石橋,整司
 京都大学 助教授 竹田,晋也
 東京農工大学 助教授 土屋,俊幸
内容要旨 要旨を表示する

本研究はタイ王国東北部の平地天水稲作農村を事例に、森林産物を含む野生動植物の採集に着目し、1950年以降の変化に留意しつつ、現在、野生動植物採集が地域住民の社会と経済においてどのような位置にあるかを明らかすることを研究課題とした。全体は8章で構成されている。

序章では、研究の背景と課題の設定、方法、調査対象村と世帯の選定方法を述べた。背景として1)森林減少と「伝統的」森林利用、2)森林利用段階論、3)世帯にとっての非木材森林産物の価値論、4)商業化による森林保全論、5)公共地論を再検討した。そしてそれらから生じる疑問に基づいて研究課題を設定した。資料は農学、地域研究、人類学、社会学、開発学という複数分野の技法を応用して収集した。長期調査期間は1997〜1999年である。2001年に補足調査を行っている。対象村に断続的に住み込み、参与観察、一部で質問票も用いた聞き取り、日誌帳を用いた調査(以下、日誌調査)、薪炭と採集物の計量、計測をした。調査は筆者が単独で行った。99世帯聞き取り調査対象は選挙人名簿から無作為抽出した。日誌調査対象はその99世帯からを有意に抽出した。日誌調査は1998年の乾季かつ農閑期(およそ1〜4月)、雨季かつ農繁期(同5〜8月)、雨季かつ農閑期(同10月)の各季節に30日間ずつ実施した。農繁期は田植え時期である。日誌記入項目は全世帯員の生活時間、野生動植物採集活動、現金と物品の出納である。日誌帳は調査対象14世帯に留め置き、各世帯の世帯員に記入を依頼した。記録内容は筆者が一日に一度必ず記録者と面接し、想記法を用いて確認した。

1章では、調査対象村の概略を述べた。対象はロイエット県の同一区内にある6村である。コラート高原中央の標高150m前後に各々接して位置する。6村は平地天水稲作農村で、土地の高みに林野が点在して残る。林野では野生動植物採集と放牧目的の利用が続いている。県庁所在地や近隣郡の市場まで野生茸を村人が売りに通い、地元の人に知られている。6村は行政上6つに分けられているが、もとは一つの自生村とその派生村である。1998年時点の世帯数は695、人口は3,249、うち男1,559、女1,690、総面積は9,421ライ(15.1km2)である。村人は主として稲作を生業とし、日雇いや自営の農村内雑業、サトウキビ収穫などの国内出稼ぎに従事しつつ、日々野生動植物を採集している。

2章では、住民による木材としての樹木の利用を明らかにした。住民は調理用エネルギーは薪炭、つまり樹木で賄い、一部を電気とガスで代替補完している。建築用材は樹木以外の建材による代替が進んだ。樹木の入手先は広域化した。建築用材確保を主な目的に私有地への植林が始まった。木材利用の現状と変遷からは地域住民が用材用樹木を必要としているといえた。

3章では、樹木を含む野生動植物採集場所、採集活動、採集者を明らかにした。住民は森林産物を含めて野生動植物を活発に行っている。しかし採集場所は土地利用形態別にみると田が突出して多い。林野は2番目である。林野からの採集物のほとんどは茸である。土地所有形態別にみると採集者本人や親族、特に親しい友人ではなく、その他の個人の私有地が最も多い。採集野生動植物はオープン・アクセスである。採集自由である慣習が住民の生存維持と社会関係の形成維持に役立っていると考え得る。樹木を含む野生動植物を以前はよく採集していたと住民が言う公共林野は現在は官主導の公共事業用地になっていた。

4章では、生活時間構造における採集活動の位置づけ検討した。地域住民の欲求充足過程が社会構造に規制されつつもその価値体系に則って表現されたものとしての生活時間構造においては、野生動植物採集は季節と世帯によって多様な構造の安定化に寄与しているといえた。季節変化に伴って時間配分が大きく変化する農業、世帯のライフサイクル段階によって世帯間差異が大きい家事とは特に異なり、野生動植物採集は季節変動も世帯間差異も小さいからである。野生動植物採集にかける時間量は農閑期に農業より多く、雨季かつ農閑期には家畜家禽飼育よりも多く、農村世帯の社会生活行動時間の中で大きな一部を占めている。その反面、副次行動率が高く、野生動植物採集以外の社会生活行動に大きく規定されていて、産業構造の変化の影響を受けやすいといえた。

5章では、採集物の量と利用方法を明らかにした。野生動植物は最も多い飼料用植物で世帯あたり一日あたり10.1kg、最も少ない哺乳類で0.001kg採集されていた。その利用方法は自家消費、譲渡、販売に分類できた。自家消費、譲渡、販売量の均衡は村内現物価値と村外現金価値によって季節毎に変わると考え得た。林野から主に採集される茸を始めとして、採集野生動植物の商業化は定着した。村内採集販売者世帯も仲買人世帯も純益を得ている。栽培品種の茸栽培が始まっている。

6章では、就業と家計構造における野生動植物採集の位置づけを検討した。農村経済において採集野生動植物は「実体的」経済よりも「形式的」経済としての性質を強く持っているといえる。採集物は、互酬制、再配分、交換の中では交換の対象になる場合が圧倒的に多い。またさらに、採集野生動植物販売は粳米作り、月給制雇用、その他自営業に次いで在村で現金収入を得られる手段になっている。仲買人世帯にとっては農業に匹敵する高額の収入をもたらす職業である。現物支出入、つまり贈答や物々交換はその絶対量が非常に少ない。互酬制や再配分において何らかの役割を果たしているとはいえない。

終章では、まず、森林産物を含む野生動植物採集の社会経済的位置づけを2〜6章をふまえてまとめた。次に、野生動植物採集を自然資源の供給源の変化という視点から捉え直した。最後に、序章において再検討した5つの論点に従って総合的な考察をして結論を述べた。

世帯による、森林産物を含む野生動植物採集は平地天水稲作農村の経済においては採集物そのものが現金収入源、現物所得として貴重である。多様性が増し、急激に変化している農村社会においては採集「活動」は生活構造の安定化と人間関係の形成維持に大きな役割を果たしている。

林野は、野生動植物商業化の始まりとなった野生茸が主に採集される場である。そして林野のうち公共林野は官主導の公共事業用地になった。この二点に留意しつつ、本研究の結果を自然資源供給源の変化という視点から捉え直すと、自然資源の供給源は「公」「私」「外」という三つに分けられた。「公」は村内の公共地、「私」は村内の私有地、「外」は自然村と派生村から成る社会的経済的政治的結びつきが強い調査対象6村の外である 。現在、自然資源供給源の選択は「公」から「私」、「外」から「私」へ変化しつつある。供給源の選択は、「公」においては国家との、「外」においては市場経済との関わり方の選択と同義である。自然資源供給源の「私」への集中は国家と市場経済からの住民の一時的な自衛といえる。

タイ王国東北部の森林面積急減と「伝統的」森林利用の見直しの調査対象村への影響は小さい。主要な利用林野が公共地から私有地に平穏に移行したからである。また、採集に最も利用する土地は林野ではなく田であった。

現在の野生動植物採集が森林利用段階論にどのように位置づけられるかは今しばらく見守る必要があろう。これまでに、共用林依存度と農林業、雇用機会の関係を論じて現金と非現金所得源として共用林に過度に依存する利用形態の増大の指摘がある。本研究の調査対象世帯の野生動植物採集は副次行動率が高く主要な生業である農畜産業に規定されている可能性が高かった。また採集活動は採集野生動植物の販売、仲買業が成立継続しているからこそ活発に続いているとも考え得る。

非木材森林産物を含めて採集野生動植物の価値は相対的に高い。採集は全ての土地利用形態の場所で行われており、採集数は林野よりも田が圧倒的に多い。世帯にとっての非木材森林産物の価値について議論する際に森林のみではなく全ての土地利用形態に目を向ける必要があろう。非木材森林産物を栄養や経済価値からのみではなく社会的価値も含めて総合的に捉えるべきである。

商業化による保全論は本研究の調査対象村にはなじまない。住民は薪炭材、建築用材不足には代替補完材利用と入手先広域化、私有地植林で対応し、仲買人住民は商品である野生動植物確保に仕入先拡大で対応し、茸の採集下手な住民と茸を確保したい仲買人住民は茸栽培を始めた。用材の入手先拡大は他地域の森林減少につながっている可能性がある。他方、私有地植林も現時点では森林保全につながるとはいえない。現在の住民による林野利用は、森林保全につながるほどに大きな動機に基づいてはいない。

公共地は野生動植物採集場所としての利用が少ない官主導の公共事業用地になった。公共林野を公共地にある共用林として森林保全に活用するためには今後工夫を凝らした方策が要る。これまでの経緯はどうあれやはり、公共林野や国有保全林、国立公園等こそを森林の保全と再生の要所としてゆかざるを得ないであろう。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はタイ王国東北部の平地天水稲作農村を事例に、森林産物を含む野生動植物の採集に着目し、1950年以降の変化に留意しつつ、現在、野生動植物採集が地域住民の社会と経済においてどのような位置にあるかを明らかしたものである。

序章では、研究の背景と課題の設定、方法、調査対象村と世帯の選定方法を述べた。長期調査期間は1997〜1999年、2001年に補足調査を行った。99世帯聞き取り調査対象は選挙人名簿から無作為抽出した。日誌調査対象14世帯はその99世帯から有意に選定し、1998年の乾季かつ農閑期、雨季かつ農繁期、雨季かつ農閑期の各季節に30日間ずつ実施した。記録内容は筆者が一日に一度必ず記録者と面接し、想記法を用いて確認した。

1章では、調査対象村の概略を述べ、2章では、住民による木材としての樹木の利用を明らかにした。住民は調理用エネルギーは薪炭で賄い、一部を電気とガスで代替補完している。建築用材は樹木以外の建材による代替が進んでいた。樹木の入手先は広域化し、建築用材確保を主な目的に私有地への植林も始まった。木材利用の現状と変遷からは地域住民が用材用樹木を必要としているといえた。

3章では、樹木を含む野生動植物採集場所、採集活動、採集者を明らかにした。住民は森林産物を含めて野生動植物を活発に行っている。採集場所は土地利用形態別にみると田が突出して多い。林野は2番目である。土地所有形態別にみると採集者本人や親族、特に親しい友人ではなく、その他の個人の私有地が最も多い。採集野生動植物はオープン・アクセスである。採集自由である慣習が住民の生存維持と社会関係の形成維持に役立っていると考え得る。樹木を含む野生動植物を以前はよく採集していたと住民が言う公共林野は現在は官主導の公共事業用地になっていた。

4章では、生活時間構造における採集活動の位置づけ検討した。季節変化に伴って時間配分が大きく変化する農業、世帯のライフサイクル段階によって世帯間差異が大きい家事とは特に異なり、野生動植物採集は季節変動も世帯間差異も小さい。野生動植物採集にかける時間量は農村世帯の社会生活行動時間の中で大きな一部を占めている。その反面、副次行動率が高く、野生動植物採集以外の社会生活行動に大きく規定されていて、産業構造の変化の影響を受けやすいといえた。

5章では、採集物の量と利用方法を明らかにした。野生動植物は最も多い飼料用植物で世帯あたり一日あたり10.1kg、最も少ない哺乳類で0.001kg採集されていた。自家消費、譲渡、販売量の均衡は村内現物価値と村外現金価値によって季節毎に変わると考え得た。林野から主に採集される茸を始めとして、採集野生動植物の商業化は定着した。村内採集販売者世帯も仲買人世帯も純益を得ている。栽培品種の茸栽培が始まっていた。

6章では、就業と家計構造における野生動植物採集の位置づけを検討した。農村経済において採集野生動植物は、互酬制、再配分、交換の中では交換の対象になる場合が圧倒的に多い。またさらに、採集野生動植物販売は粳米作り、月給制雇用、その他自営業に次いで在村で現金収入を得られる手段であった。

終章では、結論を述べた。世帯による森林産物を含む野生動植物採集は現金収入源として貴重であり、急激に変化する農村社会においては採集「活動」が人間関係の形成維持に大きな役割を果たしていた。タイ東北部の森林面積急減の調査対象村への影響は小さかった。主要な利用林野が公共地から私有地に平穏に移行したからである。本研究の調査対象世帯の野生動植物採集は副次行動率が高く主要な生業である農畜産業に規定されている可能性が高かった。また採集活動は採集野生動植物の販売、仲買業が成立しているからこそ活発に続いているとも考え得られた。

林野は、野生動植物商業化の始まりとなった野生茸が主に採集される場である。そして林野のうち公共林野は官主導の公共事業用地になった。この二点に留意しつつ、本研究の結果を自然資源供給源から検討してみると、村内の公共地の「公」、村内の私有地の「私」、そして調査対象6村の外を意味する「外」という三の関連で捉え得る 現在、自然資源供給源が「私」へ集中しているのは「公」からの締め出しと市場経済などの「外」との関連を構築するまでの一時的な自衛といえるかもしれない。

以上、本研究は、世帯による野生動植物採集の社会経済的位置づけを、タイ王国東北部ロイエット県の平地天水稲作農村を事例に99世帯聞き取り調査と綿密な14世帯日誌調査を行い、分析し、森林にとどまらず、平地天水稲作農村での野生動植物採取の重要性を極めて客観的に明らかにしたものであり、学術上応用上、貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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