学位論文要旨



No 120554
著者(漢字) 大塚,節文
著者(英字)
著者(カナ) オオツカ,タカフミ
標題(和) 分布帰還形レーザーダイオードの活性回折格子に向けたマストランスポートInAsP量子細線に関する研究
標題(洋) Study on Masstransported InAsP Quantum Wire for the Active Grating of the Distributed Feedback Laser Diodes
報告番号 120554
報告番号 甲20554
学位授与日 2005.04.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6073号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中野,義昭
 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 教授 平川,一彦
 東京大学 教授 田中,雅明
内容要旨 要旨を表示する

分布帰還形(DFB)レーザーダイオードは、その動的単一モード動作のために、光通信用の光源として重要である。DFB構造には2つの極がある[1]。すなわち、屈折率結合と利得結合である。利得結合DFBレーザーが本質的に単一モードで動作するのに対し、屈折率結合DFBレーザーは本質的に二重モードで動作する。したがって、屈折率結合DFBレーザーダイオードに対し、利得結合DFBレーザーは、本質的な単一モード動作の結果として、いくつかの利点を有する。例えば、利得結合DFBレーザーは端面反射の影響を受けることがほとんどなく、外部雑音に対しても非常に安定である[2]。一方、量子細線や量子ドットヘテロ構造における電荷キャリアの1次元より高い量子閉じ込めは、半導体レーザーにおいて、擬2次元の量子井戸素子に比べ、静的および動的な性能の向上が予想させている[3]。量子細線構造はDFB構造との集積化に適しているので、量子細線を活性回折格子とする利得結合DFBレーザーが実現すれば、優れた性能を期待することができる。

ナノ構造は一般的に格子不整合な材料で構成されるので、量子細線あるいは量子ドットの内部だけでなく、外部にもひずみを生じる。ひずみ場はバンド構造を変化し、素子性能に影響をあたえる。ナノ構造におけるひずみの分布は、その微細なサイズのために透過型電子顕微鏡(TEM)のような顕微鏡による測定を行わなければならないので、実験による方法で得ることが困難である。一方で、ひずみ分布は対象の良い場合でのみ解析的に計算できるので、一般には有限要素法のような数値計算法で計算されてきた[4-6]。

マストランスポートはInGaAsP/InPのV溝基板上に寄生構造のない高品質なInAsP量子細線列を形成するのに用いられた。本研究に先行する研究では、マストランスポートInAsP量子細線を活性回折格子とするレーザーダイオードの室温レーザー発振がパルス電流過において実現されたが[7]、再現は確認されなかった。これは高品質な量子細線の形成とV溝基板上への結晶成長の困難による。加えて、マストランスポートInAsP量子細線の特性を説明する理論的な根拠も存在しなかった。

本研究では、V溝基板上への結晶成長と高品質な量子細線の形成の方法を確立した。結果、室温で光励起発光する量子細線を常に得ることができるようになった。TEM分析によれば、典型的な量子細線は、高さが8-10nm、幅が16-20nm、As組成が80%超で均一、かつ急峻な界面を有する。これらのサイズはキャリアの十分な2次元量子閉じ込めを得ることができるサイズである。フォトルミネッセンス(PL)分光法では、0.4-0.5という大きな偏光異方性を得た。これらはキャリアのよい横方向閉じ込めを示唆する。また、正の偏光異方性は量子細線の発光が電子と重い正孔の間の光学遷移であることを示す。さらに、光学特性のマストランスポートにおけるプロセスパラメーター依存性を見出した。例えば、PLのピーク波長はマストランスポート継続時間と線形の関係があり、放射スペクトルは障壁材料のInPに対する格子不整合やV溝埋め込み材料の成長速度に敏感である。後で示す計算結果に基づいて、量子細線の光学特性の改善が試みられ、強く発光する量子細線を得ることができた。ちなみにいくつかのレーザーダイオードが試作されたが利得が足りないために発振には至らなかった。

上記のマストランスポートInAsP量子細線の光学特性を理論計算なしで説明するのは困難である。マストランスポートInAsP量子細線構造におけるひずみの分布は、等方性弾性近似の下で境界要素法で計算した。平面応力問題に対する計算結果はTEM分析の結果とよく一致した。ここで、作製したままの量子細線は平面ひずみ問題で記述されるひずみ状態にあるが、TEM観察用に薄片化したサンプルでは平面応力問題で記述されるひずみ状態にあることを注意しておく。ひずみ分布の計算結果に基づいてバンド端エネルギーと有効質量の分布の計算を行い、包絡線近似の下で直交周期関数展開法[8, 9]により量子エネルギー準位と波動関数の計算を行った。InAsP/InGaAsP界面は伝導帯不連続量が大きいが、マストランスポートInAsP量子細線構造では、細線内のInAsPの非常に大きな体積縮小の効果のために、伝導帯不連続量が非常に小さくなっていることや重い正孔バンドでは応力集中のためにポテンシャルが非常に深くなる領域が存在することが計算により示された。さらに、波動関数の計算により量子細線中には電子の量子準位は1つだけしか存在しないこと、重い正孔バンドでは応力集中による深いポテンシャルのために量子準位と波動関数は複雑になる場合があること、また、軽い正孔では材料の組み合わせによっては量子閉じ込め効果がないことが示された。このことは量子細線の発光が電子と正孔の間の遷移によるという実験結果をよく説明する。波動関数の計算から見積もられる2次元の量子閉じ込めの縦横比は0.7-0.8であり、PLスペクトルの偏光異方性から見積もられる値と非常によく一致する。

まとめとして、理論計算に基づく改良により、強く光るマストランスポートInAsP量子細線が実現された。本研究における計算結果に基づいて、量子細線の特性改善を行っていけば、レーザー発振に至るであろう。

H. Kogelnik and C. V. Shank, J. Appl. Phys. 43 (1972) 2327-2335.Y. Nakano, Y. Luo and K. Tada, Appl. Phys. Lett. 55, (1989) 1606-1608.Y. Arakawa and H. Sakaki, Appl. Phys. Lett. 40, (1982) 939-941.K. Nishi, A. A. Yamaguchi, J. Ahopelto, A. Usui and H. Sakaki, J. Appl. Phys. 76, (1994) 7437-7445.M. Grundmann, O. Stier and D. Bimberg: Phys. Rev. B 50, (1994) 14187-14192.M. Grundmann, O. Stier and D. Bimberg: Phys. Rev. B 52, (1995) 11969-11981.T. Toda and Y. Nakano: Conf. Proc. IPRM '99, 17-20.D. Gershoni et al, Appl. Phys. Lett. 53, (1988) 995-997.S. Gangopadhyay et al, J. Appl. Phys. 81, (1997) 7885-7889.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は," Study on Masstransported InAsP Quantum Wire for the Active Grating of the Distributed Feedback Laser Diodes(分布帰還形レーザーダイオードの活性回折格子に向けたマストランスポートInAsP量子細線に関する研究)"と題し,利得結合分布帰還型レーザの活性層兼回折格子として機能する1.55μm帯InAsP圧縮歪み量子細線(quantum wire; QWR)を,有機金属気相エピタキシー(MO VPE)におけるマストランスポート法で再現性よく作製する技術,および同量子細線における歪み分布を解析し最適な構造を決定する手法に関し研究を行った結果について英文で纏めたもので,6章より構成されている.

第1章は序論であって,研究の背景,動機,目的と,論文の構成が述べられている.分布帰還型(DFB)半導体レーザは,現代の最重要な光通信用光源であるが,縦モード縮退が問題である.利得結合を用いればこの問題が解消できるが,そのための利得結合回折格子の作製技術には,従来決定的なものがなかった.一方,量子細線におけるキャリアの閉じ込めは,半導体レーザに静的および動的な性能の向上をもたらすものと予想されている.もし量子細線を活性回折格子とする利得結合DFBレーザが実現すれば,利得結合と量子細線の長所を併せ持つ優れた性能を期待することができる.本研究は,そのようなDFBレーザを実現するために基盤となる知見を提供するものである.

第2章は"Fabrication of mass-transported InAsP QWR arrays"と題し,本研究で扱うInP基板上InAsP圧縮歪み量子細線の形成方法について論じている.ここでは,MOVPEリアクター中でのマストランスポート現象を利用して量子細線を形成せんとすることが大きな特徴となっている.同現象によれば,InGaAsP/InPのV溝基板上に寄生構造のない高品質なInAsP量子細線列を形成することができる.本研究で開発した,良質なV溝基板を作製するためのリソグラフィー技術,湿式/乾式エッチング技術,MOVPEリアクタ内での熱処理技術,V溝基板上再成長技術について詳述している.本研究の結果,室温で光励起発光する量子細線を再現性良く得ることが可能となった.

第3章は"Experimental analysis of mass-transported InAsP QWRs"と題し,作製したマストランスポートInAsP量子細線の性質を各種の実験的分析手法で測定・解析した結果について述べている.まず走査型電子顕微鏡(SEM)によりV溝形状,軸方向再成長断面,リッジ導波路ストライプ断面のマクロな観察評価を行った後,透過型電子顕微鏡(TEM)を用いて量子細線断面形状のミクロな観察を行った.TEMと同時にエネルギー分散X線分光により量子細線中の組成分布を調べ,またTEM格子像をフーリエ変換マッピングすることにより局所的格子定数の変化を観察している.その結果,典型的な量子細線は,高さが8-10nm,幅が16-20nm,As組成が80%超で均一,かつ急峻な界面を有することが分かり,キャリアの2次元量子閉じ込めを得るに十分なサイズのものであることが確認された.さらに,室温フォトルミネッセンス(PL)による評価では,0.4〜0.5という大きな偏光異方性が得られ,このことからも十分な横方向キャリア閉じ込めの存在が確かめられた.また,正の偏光異方性を有したことから,本量子細線の発光が電子と重い正孔の間の光学遷移であることが示された.PLピーク波長はマストランスポート継続時間と線形の関係があり,発光スペクトルは障壁材料のInPに対する格子不整合量やV溝埋め込み材料の成長速度に敏感であること等も実験的に明らかになった.

第4章は"Theoretical analysis of mass-transported InAsP QWRs"と題し,作製された量子細線の理論的解析手法および解析結果・考察に関し述べている.ここでは,3章で観測された量子細線の特性を理論的に説明し,より良い特性を得るための指針を得ることが目的である.マストランスポートInAsP量子細線構造における歪みの分布は,等方性弾性近似の下で境界要素法で計算している.平面応力問題に対する計算結果はTEM分析の結果とよく一致した.ひずみ分布の計算結果に基づいてバンド端エネルギーと有効質量の分布の計算を行い,包絡線近似の下で直交周期関数展開法により量子エネルギー準位と波動関数の計算を行っている.通常InAsP/InGaAsP界面は伝導帯不連続量が大きいが,マストランスポートInAsP量子細線構造では,細線内のInAsPの非常に強い体積縮小の効果のために,伝導帯不連続量が小さくなっていることや,重い正孔バンドでは応力集中のためにポテンシャルが極めて深くなる領域の存在することが計算により示された.さらに波動関数の計算により,量子細線中には電子の量子準位は1つだけしか存在しないこと,重い正孔バンドでは応力集中による深いポテンシャルのために量子準位と波動関数は複雑になる場合があること,また軽い正孔では材料の組み合わせによっては量子閉じ込め効果がないことが示された.これらの結果は,量子細線からの発光の実験結果をよく説明している.波動関数の計算から見積もられる2次元量子閉じ込めの縦横比は0.7〜0.8であり,PLスペクトルの偏光異方性から見積もられる値とよく一致する.

第5章は"Discussion and strategy toward laser oscillation"と題し,2〜4章で得られた結果を総合的に考察して,量子細線利得結合DFBレーザ実現へ向けた戦略を示している.まず応力分布解析の妥当性をTEM格子像のフーリエ解析との比較において考察した後,実際に形成される量子細線のバンドラインナップ,有効質量,量子化準位,波動関数,偏波依存性,量子細線組成,細線断面積のマストランスポート時間依存性,計算方法の改善策について検討している.最後にこれらの知見を元に,量子細線利得結合DFBレーザ実現のための戦略を,V溝下地材料の選択,量子細線埋め込み材料の選択,共振器長の最適化,その他の観点から論じている.

第6章は結論であって,本研究で得られた成果を総括している.

以上のように本論文は,分布帰還型半導体レーザの利得回折格子への応用を目指して,波長1.55μm帯のInAsP圧縮歪み量子細線を,有機金属気相エピタキシーにおけるマストランスポート法でInP V溝基板上に作製する技術を確立するとともに,同量子細線における歪み分布を理論的に解析しバンド構造を正しく評価することを通じて量子細線の特性改善を行って,室温での再現性の高い発光を可能にし,量子細線利得結合分布帰還型半導体レーザ実現への要件を明らかにしたもので,電子工学分野に貢献するところが少なくない.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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