学位論文要旨



No 120555
著者(漢字) 邢,嘉
著者(英字)
著者(カナ) シン,ジャワ
標題(和) アルキルペルオキシラジカルとNOの反応素過程に関する研究
標題(洋) Chemical Kinetics Studies on the Reactions of Alkylperoxy Radicals with NO
報告番号 120555
報告番号 甲20555
学位授与日 2005.04.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6074号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 三好,明
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 山下,晃一
 東京大学 助教授 引地,史郎
 東京大学 助教授 吉永,淳
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

大気中に放出された有機化合物は、その光酸化分解過程においてアルキルペルオキシラジカル(RO2)を生じる。RO2は比較的安定な化学種であり、大気中のNOやHO2との反応により分解される。RO2とNOの反応ではオゾンが生成されるため、RO2は対流圏化学において重要な化学種とされている。

RO2 + NO → NO2 + RO(1)

NO2 + h ( <420 nm) → NO + O(3P)(2)

O(3P) + O2 + M → O3 + M(3)

近年、都市域における環境問題で「光化学スモッグ」があるが、これには自動車などの排気ガス中に含まれる有機化合物から生じる種々のRO2が関係している。NOx濃度の高い汚染大気中ではRO2の反応相手は専らNOであり、身体に有毒なオゾンなどの酸化剤が大量に生成される。したがって、個々の有機物から生じるRO2とNOとの反応を理解し、排出規制などの対策を行う必要がある。また、対流圏全体のオゾン濃度を決める上でもRO2の反応は重要である。これには主に対流圏寿命の長いメタンから生成するメチルペルオキシラジカル(CH3O2)が関係しているが、NO、HO2の濃度にそれほど差のない清浄大気ではCH3O2がどちらとより反応するかによって、オゾン生成量が左右される。つまり、CH3O2とNOの反応は汚染大気だけでなく、対流圏の大気化学全体を理解においても重要である。本研究は、対流圏で重要なこれらRO2とNOとの反応について、新しい手法による反応速度測定を行い、RO2の構造による反応性の違いを系統的に理解することを目的とした。

実験および解析

本実験では、レーザー光分解/負イオン化質量分析法を用いた。これはRO2を選択的に検出して実時間測定するために新しく開発された手法である。また、イオン化法には高リュードベリ状態の希ガスからの電子移動による負イオン化の手法を用いた。この方法によるRO2のイオン化は本研究で初めて行われたが、この方法では、通常の陽イオン化による質量選別による検出が困難な炭素数の多いRO2の検出も可能であった。本研究では、4種類のアルキルペルオキシラジカル(CH3O2、C2H5O2、i-C3H7O2、t-C4H9O2)とNOとの反応速度定数を決定した。また、ラジカル生成のための前駆体を複数検討することによって、見落とされがちな前駆体によって生じる副反応による目的反応への干渉を評価し、その影響を除去した速度定数を求めることができた。

CH3O2とNOとの反応速度定数

CH3O2 + NO → Products(4)

本実験における反応(4)の速度定数は、k4 = (9.9±1.5)×10-12 cm3 molecule-1 s-1 となった。(本実験ではRO2のシグナルの減衰速度から速度定数を求めた。) この反応は対流圏全体のオゾン生成に関係する重要な反応であるため、これまでに多くの研究がなされているが、報告されている速度定数にはばらつきがある。本研究の報告値は現在の国際的な推奨値 よりも大きい値となったが、測定技術の向上した近年の既往の研究報告と合わせて考えると、やはり推奨値は実際より小さいと考えられる。推奨値の見直しにより、より正確な大気化学モデルの構築を期待する。

C2H5O2、i-C3H7O2、t-C4H9O2とNOとの反応速度定数

C2H5O2 + NO → Products

i-C3H7O2 + NO → Products

t-C4H9O2 + NO → Products

これらの小さいRO2は汚染大気中に多く存在する化学種であり、これらの反応は重要である。また、本研究では炭素級数と反応性の関連を比較するため、研究対象とした。実験・解析においては副反応による目的の反応にへの干渉に注意を払った。速度定数の導出では反応モデルを使い、以下の副反応を考慮する必要があった。 (1) 既往の多くの研究では、ハロゲン原子を使ってアルカンからの水素を引抜くことによりアルキルラジカル(R)を生成し、酸素との反応によりアルキルペルオキシラジカル(RO2)を生成している。RO2とNOの反応の後続反応から生成するOHラジカルもアルカンから水素引抜くため、RO2が再生する。前駆体のアルカンや酸素がRO2に比べて過剰量存在するこのような実験系ではこの副反応を考慮しないと、速度定数を小さく見積もる可能性がある。(2) i-C3H7O2やt-C4H9O2とNOの反応系ではRO2とNO2との反応

RO2 + NO2 → RO2NO2(7)

が干渉が大きい。NO2は目的反応の生成物であり、反応開始直後から濃度は急上昇する。RO2に対してNOが大過剰量でない限り、NO2との反応を無視すると、速度定数を大きく見積もる危険性がある。実際、NO2との反応を考慮してない既往の研究は他より大きい値を報告している。本研究における各反応の速度定数は以下のようになった。

k5 = (11.0±0.8)×10-12 cm3 molecule-1 s-1

k6 = (8.0±1.3)×10-12 cm3 molecule-1 s-1

k7 = (8.6±1.4)×10-12 cm3 molecule-1 s-1

RO2の構造と速度定数の関係

本研究では酸素の結合する炭素の級数に注目し、RO2の構造と反応性について考察した。測定結果から、級数の違いによって速度定数に差があることが示された。RO2とNOとの反応は以下のような反応経路で進行すると考えられている。この反応のポテンシャル面から考えると、本研究で測定した速度定数は入口反応であるRO2+NO→ROONOの再結合反応によって決定される。再結合エネルギーを比較したところ、炭素級数による結合エネルギーの差はほとんどなく、既往の研究 が主張するようなメチル基の電子的な効果が速度定数に影響するとは考えにくい。RO2、ROONOの構造の比較からは、R= i-C3H7、t-C4H9では、ROONOに立体障害があることが示唆された。この立体障害の大きさをさらに定量的に示すために、反応エントロピーと速度定数の比較を行ったところ、良い相関が得られた。ROONOの立体障害が大きい、つまりエントロピーが小さいほど速度定数が小さいことがわかった。ROONO構造おける立体障害の大きさと遷移状態構造の立体障害の大きさにはある程度相関があると考えられる。以上から、この系統の反応速度定数には立体障害、エントロピー的な因子が大きく影響していると示唆された。

Atkinson, R.; Baulch, D. L.; Cox, R. A.; Crowley, J. N.; Hampson, R. F.; Kerr, J. A.; Rossi, M. J.; Troe, J. Summary of Evaluated Kinetic and Photochemical Data for Atmospheric Chemistry, IUPAC, 2002. http://www.iupac-kinetic.ch.cam.ac.uk/.King, M. D.; Thompson, K. C. Amos. Environ. 2003, 37, 4517.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は「Chemical Kinetics Studies on the Reactions of Alkylperoxy Radicals with NO(アルキルペルオキシラジカルとNOの反応素過程に関する研究)」と題し、大気化学において重要な役割を果たす表題の反応について、反応速度定数を実験的に測定し、反応性を系統的に理解することを目的としたものである。論文は全7章から成り、第1章では研究の背景および目的、第2章では本研究におけるペルオキシラジカルの測定手法、第3章ではメチルペルオキシラジカルと一酸化窒素 (NO) の反応に関する測定について述べている。第4章では一連の炭素級数の異なるアルキルペルオキシラジカルに関する測定結果、第5章ではペルオキシラジカルの構造と反応性の関係についての考察を示し、第6章で研究成果をまとめている。続く第7章は付録であり、ヒドロペルオキシラジカル−水錯体の検出を試みた実験について記したものであるが、成功には至らなかったもので、以下では省略する。

第1章は、研究の背景について述べたものであり、対流圏大気中でアルキルペルオキシラジカルを生成する有機化合物の光酸化過程、対流圏オゾン生成におけるペルオキシラジカルとNOの反応の重要性、そして、その反応速度定数を測定する意義について述べている。

第2章では、本研究の実験手法について述べている。第1節では、アルキルペルオキシラジカルの速度論的研究における既往の測定法と、新たに開発された本研究における手法の比較を行っている。測定手法であるレーザー光分解/負イオン化質量分析法では、ペルオキシラジカルを選択的に検出しながら実時間測定が可能であること、炭素数の多いアルキルペルオキシラジカルを親質量数で検出できることがこの手法の独自性であり、長所であるとしている。第2節以降は、実験装置、実験手法の詳細について述べている。

第3章は、メチルペルオキシラジカルとNOの反応の測定結果をまとめたものである。この反応については既に多くの速度定数の測定が行われているが、新たな手法による測定によって既往の研究結果に見られる不一致を解決することが重要であることを述べ、得られた速度定数の妥当性に関する考察が行われている。2種類のラジカル前駆体を用いた実験では、見かけ上異なった結果が得られたが、前駆体による副反応の影響の違いを適切に考慮した解析では、測定結果が一致することを示している。

第4章では、炭素級数の異なるアルキルペルオキシラジカル(エチル-、イソプロピル-、およびtert-ブチルペルオキシラジカル)とNOとの反応速度定数についての測定および解析結果について述べている。得られた速度定数と既往の研究結果との比較を行い、異なる種類のアルキルペルオキシラジカルでは、考慮すべき副反応にも違いがあることが指摘されている。

第5章では、反応速度定数を決定する物理化学的要因について考察している。本研究で測定された反応の速度定数を支配するのは、反応物のアルキルペルオキシラジカル (RO2) とNOが再結合して、過酸化亜硝酸エステル中間体 (ROONO) を生成する反応の入口のポテンシャル面であるとし、量子化学計算を用いた解析では、この反応の反応物と中間体の構造およびエネルギーに関する議論を行っている。第3節では、反応物と中間体の構造の比較から、アルキルペルオキシラジカルの炭素級数の違いによる反応速度定数の違いと、立体因子の関係を定性的に示している。第4節では、速度定数と反応のエントロピー変化の関係から、立体因子の影響のより定量的な説明を試みている。反応物と中間体のエネルギー差には有意な変化は認められないのに対し、測定された速度定数と反応エントロピー変化との間にはよい相関関係が見いだされ、この反応の速度定数においては、エントロピー的要素が重要であることを述べている。

第6章は本論文のまとめであり、研究の成果として、(1) 新しい手法によって4種のアルキルペルオキシラジカルとNOとの反応速度定数を測定したこと、(2) この反応の速度定数を決定している因子をある程度定量的に説明できたことを挙げている。また今後の展望として、類似の反応において、大気化学モデルで必要とする未知のアルキルペルオキシラジカルとNOとの反応速度定数の予測の手段になる可能性を示している。

以上要するに、本論文は、アルキルペルオキシラジカルとNOとの反応について、実験と考察により、その速度定数と反応性の系統的な理解に新しい知見を与えるものであり、大気化学および化学システム工学の発展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士 (工学) の学位請求論文として合格と認められる。

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