学位論文要旨



No 120557
著者(漢字) 寒河江,光徳
著者(英字)
著者(カナ) サガエ,ミツノリ
標題(和) コンスタンチン・バリモントの前期作品における抒情的「私」の研究 : 間テクスト性という視点から
標題(洋)
報告番号 120557
報告番号 甲20557
学位授与日 2005.04.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第480号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長谷見,一雄
 東京大学 教授 金澤,美知子
 東京大学 教授 沼野,充義
 東京大学 教授 西中村,浩
 九州大学 助教授 西野,常夫
内容要旨 要旨を表示する

この博士論文は、バリモントの前期作品における「抒情的『私』」について研究するものであるが、バリモントの「私」の考察に「翻訳者・詩人」という観点を盛り込み、バリモントが「超人」と仰いだ詩人たちの綴るテクストとの関係性を考察し、作品分析をおこなった。また、バリモント以降に活躍したロシアの詩人のテクストにおける「抒情的『私』」とバリモントの作品における「私」を比較考察した。

バリモントの「私」は単なる「詩人のイメージ」ではなくて、「非・人格」化された形象にまで、発展する。そのような現象をバリモントの「私」の超人化と表現していいのであるならば、その現象は、『太陽のようになろう』と言う作品以降に現れはじめる、といってよい。バリモントの超人的「私」を考察するために、バリモントが超人と呼んだ「詩人」たちとの間テクスト的な視点から、分析をおこなう。そして、その上で、バリモントの「抒情的『私』」の特徴について、考察する。

序章において分析のための視点を語り、第2章から第5章まで、バリモントが最も敬愛した詩人たちの中で、レールモントフ、ボードレール、ポー、ゲーテ4人の作品を選び、それらの詩人に見られる創作手法を詩人バリモントがどのように自身の作品に生かしているか、創作手法を比較した。

抒情詩における登場人物としての「私」について述べる際、ユーリー・トゥィニャーノフによって「抒情的主人公」という語がはじめて使用された。この「抒情的主人公」は「ブローク」と題する一文の中に用いられた概念であり、バリモントの作品における「抒情的主人公」という研究も既になされている。

トゥイニャーノフの指摘によると「ブローク」の「抒情的主人公」は常に「詩人」という擬人化されたイメージに集約される。それに対して、ギンズブルク、コールマンは、「私」と「詩人」(作者)は切り離されるべきであるとし、「抒情的主人公」に別な解釈を与えた。

イノケンティー・アンネンスキーによって論じられたバリモントの「抒情的『私』」について考えると、ギンズブルクやコールマンのいう「抒情的主人公」とも違っている。アンネンスキーによると、バリモントの「私」の特徴は私そのものが詩行に一体化する。「私」が「詩人」というイメージから独立するのみならず、「詩行」という非・擬人化されたイメージにまで発展するところに、バリモントの「私」の特徴があるのではないだろうか。

本論では、バリモントの「私」の研究に新しい解釈を加えるために、「間テクスト性」という視点を導入する。

「あるテクストが別のテクストとの関係を作り上げる仕方にはさまざまなものがある。パロディー、文体模倣、主題模倣、間接的言及、直接的引用、構造的平行関係、など。理論家の中には、間テクスト性こそ文学の条件であり、作者が意識しようがしまいが、すべてのテクストは別のテクストの繊維で織り成されていると信じているものもある」(デヴィッド・ロッジ『小説の技法』白水社)

バリモントによって織り成されたテクストが、詩人が自ら読み親しんだ作品群の複数の糸によって紡がれた織物であり、そこにはさまざまな作品のパラフレーズ、引用、暗喩があり、さまざまな詩人や作家の読後追想の表象であることは、否定するものはいない。

バリモントは詩人であると同時に、詩の翻訳家でもある。バリモントが無類の旅行家であり、多言語使用者であり、翻訳であると同時に詩人であることは、周囲に認められた事実である。問題は旅行であり、翻訳家であるという事実が、バリモントが詩人であるという事実と、どのような相関性をもっていることなのか?

バリモントが最も敬愛した詩人たちの中で、レールモントフ、ボードレール、ポー、ゲーテ4人の作品をピックアップし、それらの詩人に見られる創作手法を詩人バリモントがどのように自身の作品に生かしているか、つまり、創作者「書き手」であると同時に、「読み手」の「私」を分析した。

レールモントフとバリモント

レールモントフの代表作「帆」についてのロートマンの注釈を元に、バリモントの「倦怠の丸木舟」と比較考察した。ロートマンは、「帆」の空間構造を垂直軸と水平軸で捉えているが、バリモントの作品にも類似した構造が見て取れる。また、「沼の睡蓮」という作品の中にも似た空間構造がある。両者の作品に共通する特徴として、「私」がテクストの表面上にはあらわれていないことである。しかし、いつしか、描写する対象と詩人の気持ちが一体化しているという点で共通点がある。また、レールモントフの「太陽」とバリモントの「ベアトリーチェ」との比較考察を行った。

ボードレールとバリモント

ボードレールの詩学ともいうべきコレスポンダンスの2つの要素、「普遍的類推」と「共感覚」という視点からバリモントの作品を分析した。ボードレールの「照応」における「匂い」の増幅するイメージは、バリモントの「太陽の香り」と類似している。ボードレールの「猫たち」をヒントに、バリモントは、「私の猛獣たち」を書き上げ、「猫たち」に見られる隠喩、換喩の技法を駆使している。

ポーとバリモント

ポーの作品「大鴉」、「構成の原理」をバリモントはロシア語に翻訳している。「構成の原理」とはポーがどのように「大鴉」を作ったか、その創作技法を自ら明かした論文である。この論文に書かれてある視点からバリモントの「雨」を読んでみると、バリモントは、「構成の原理」に述べられた手法を用いて、作品を綴っているのが分かる。また、同じくバリモントによって翻訳が手がけられた「鐘のさまざま」と「炎への賛歌」の作品構成上の類似点を明らかにした。

ゲーテとバリモント

バリモントは自らの散文の中で、「超人」と言う語は、ニーチェ以前に、ゲーテや他のロマン主義者たちによって使用されていたことを述べている。バリモントがニーチェの作品に親しんでいたことは否定する余地がないが、もしかすると、ゲーテの作品の中に、すでに超人思想の兆候を見出していたのかもしれない。ゲーテの詩とバリモントの詩を比較し、ゲーテの「見ること」についてのバフチンの言説を紐解きながら、「空間的限界」の中に「時間的無限」を見出す詩学を、ゲーテとバリモントそれぞれの作品の中に見出した。

バリモントの作品における抒情的「私」と他の詩人の作品における「私」との比較考察

終章において、ロシア詩学において、そのようなバリモントの「抒情的『私』」がどのような意味を持つかについて、パステルナーク、ヴォズネセンスキーの代表的な作品と比較して、考察した。最後に何が言えたか?バリモントの「私」といえど、それは一言で論じられるものではない。アンネンスキーが述べた、バリモントの「私」の特性は、その「私」がバリモント個人とは独立したイメージであり、単なる擬人化された「詩人」というイメージにとどまるものではない、ということである。しかし、それは「詩人」というイメージが全く消えてしまったということにならないと筆者は思う。むしろ、バリモントの「私」は詩行ごとに形を変えていく。時折、「詩人」の姿を見せたかと思うと、「四大」との交感によって、「詩行」といつしか一体となり、非擬人化された形象に変わることも有る、ということである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,20世紀初頭に世評ではニーチェ風の生の喜びの賛美,自我称揚を歌い上げたとされ,「デカダン派詩人」として人気を博したロシアの詩人コンスタンチン・バリモント(1867-1942)の前期作品テクストに現れる,自然と交感する自我,ないし「私」,超人のイメージの源泉を,ニーチェよりはむしろ,バリモントが「ニーチェ主義」の流行のはるか以前から愛読していたレールモントフ,ボードレール,ポー,ゲーテの4人の詩人の作品テクストとの関係の中に求めようとする試みである。その主な理由のひとつは,第1章で述べられているように,バリモントが「詩を翻訳する詩人」であったことであり,その経験を抜きにしては「超人」という語が登場する比較的初期の彼の詩は理解できないとされる。

続く第2章では,ロシアのロマン派詩人レールモントフ(1814-1841)の詩に触発されたとおぼしいバリモントの数編の詩が,作中に登場する「自然と自我」のイメージを中心に比較されまた詳細に分析される。その結果,両者には類似した自然の「空間構造」があり,また「自我=詩人」と描写対象との共通した関係が見いだされるとされる。

第3章では,ボードレールの詩学の基本概念であるとされるコレスポンダンス(照応)の2つの要素「普遍的類推」「共感覚」が,バリモントの詩にどのように生かされているかが分析され,メタファーの技法の類似が指摘される。なお,かつてバリモントのものとされていたボードレールの詩「コレスポンダンス」のロシア語訳が,別人によるものだという指摘は貴重である。

第4章では,バリモントがロシア語に翻訳したポーの詩「大鴉」「鐘のさまざま」,評論「構成の原理」のテクストとバリモントの詩「雨」「炎への賛歌」のテクストとの間の類似点が具体的に明確に示されている。本章は論文中の白眉と言える。

最後に第5章では,「超人」という語をバリモントが用いる直接のきっかけとなった詩人ゲーテの作品との関連が論じられ,「永遠の生命」の象徴としての太陽のイメージの類似が指摘される。

以上4つの章にわたって詳細に展開される4人の詩人の作品テクストとバリモントの作品テクストとの間の関係の分析・記述から導かれる,様々な詩人のテクストが,バリモントの作品の「生成のためのテクスト」として機能しているという結論は概ね納得できるものであり,本論文はバリモント理解に重要な貢献をもたらしたと判断できる。ただし,シェリー,ホイットマン等々,バリモントとの関連で論じられるべき詩人はまだ数多い,「間テクスト性」という概念の理解が浅い,各章の分析の深度に差がある等々の問題点も指摘された。しかしこれらの欠点も本論文の価値を損なうまでには至っていない。

よって本審査委員会は,本論文が博士(文学)の学位に十分値するものと判断する。

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