学位論文要旨



No 120563
著者(漢字) 佐久間,龍太
著者(英字)
著者(カナ) サクマ,リュウタ
標題(和) 1型ヒト免疫不全ウイルスベクター(HXN)の特性の解析に関する研究
標題(洋)
報告番号 120563
報告番号 甲20563
学位授与日 2005.04.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2560号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 教授 河岡,義裕
 東京大学 講師 中岡,隆志
 東京大学 講師 内丸,薫
内容要旨 要旨を表示する

1型ヒト免疫不全ウイルス(human immunodeficiency virus type1:HIV-1)は後天性免疫不全症候群(acquired immunodeficiency syndrome:AIDS)の原因ウイルスである。HIV-1は一本鎖のプラス鎖RNAをゲノムとして持つ。感染後、ゲノムRNAはHIV-1の逆転写酵素によって二本鎖cDNAと変換されながら核侵入する。このcDNAはHIV-1のインテグレースによって宿主の染色体に組み込まれる。ゲノムcDNAの両端に繰り返し配列LTRとパッケージングシグナル(Ψ)を持ち、内部にウイルス粒子形成に必須のタンパク質をコードする構造還伝子(gag,pol,env)などを持つ。このHIV-1を遺伝子導入用のベクターとして利用したものがHIV-1ベクターである。

本研究で使用したHIV-1ベクター(HXN)は、HIV-1のゲノムcDNAを基に構築されており、両端のLTRとΨは持つが、遺伝子のほぼ全てを欠損しているHXNからHIV-1のタンパク質が発現することはない。HXNはネオマイシン耐性遺伝子とhybrid TKプロモーターを(hTK)持つ。hTKはミニマムTKプロモーターとポリオーマウイルスのエンハンサーで構成されている。粒子形成に必要なタンパク質はヘルパープラスミドを用いて供給した。ヘルパープラスミドとして、Env以外のHIV-1タンパク質の発現プラスミドを用いた。またEnvはほかのウイルスのエンベロープタンパク質で置換可能であるので、vesicular stomatitis virus (VSV)Gタンパク質発現プラスミドを2つめのヘルパープラスミドとして使用した。ベクタープラスミドとヘルパープラスミドを293FT細胞へco-transfectionすると、内部にHXNのRNAを持ち、エンベロープにVSV Gタンパク質を持つベクター粒子が培養上清中に放出される。

HXNをAIDSの遺伝子治療に利用できないかと考えた。HXNを用いて導入した外来遺伝子発現カセットは宿主の染色体に組み込まれて長期間発現することが期待できる。また、開発されたベクターのエンベロープをHIV-1 Envに戻せばHIV-1と同じ宿主特異性を持つベクターとなり、これは増殖しないHIV-1であるのでワクチン効果も期待できる。一方で、HXNの遺伝子導入効率はHIV-1の感染効率と比較して低い事が欠点としてあげられる。これは、HXNが自己増殖できないように、遺伝子のほぼ全てを削ったことで、効率の良い感染に関与する領域も失ったことが原因だと考えられている。そこで遺伝子導入効率を上げるためには、 HIV-1由来の配列を戻せば良いのではないかと考えた。本研究ではHXNに戻すfflV-1の塩基配列としてcentral polypurine tract and central termination sequence(cPPT/CTS)に注目した。cPPT/CTSに変異を入れたHIV-1の感染性が低下することが報告され、 cPPT/CTSはHIV-1の効率の良い感染に必要と考えられている。このcPPT/CTSをHXNベクターに挿入することで遺伝子導入効率が上昇するかを調べた。

HXNのプロモーターの上流に178塩基のcPPT/CTSを含む断片(SCC、図1)を挿入してHXN-SCCを作製した。ベクターの遺伝子導入効率は、 HeLa細胞を指示細胞としG418耐性をマーカーとして調べた。各ベクターの遺伝子導入効率はHXNの遺伝子導入効率を1としたときの相対値として計算し、有意差の有無を判断した。その結果、 HXNとHXN-SCCの遺伝子導入効率に有意差はなかった。挿入した領域が短すぎたために差が出なかったのかと考え、282ntの断片(LCC、図1)を挿入することとしたLCCはSCCよりも5側に104nt長い領域であるHXNのプロモーターの上流にLCCを挿入してHXN-LCCを作製し、遺伝子導入効率を調べた。その結果、予想に反してHXN-LCCの遺伝子導入効率はHXNと比較して有意に低下した(約15%)。LCCはベクター感染を阻害する因子の標的になっていることが考えられたLCCを標的とするベクター感染を阻害する因子が存在するならば、それはHIV-1の感染も阻害できるのではないかと考えたLCCはHIV-1のゲノムの一部だからである。そこで、HXN-LCCの感染がどの段階で阻害されているのかを調べた。

ベクター感染の段階のうち,核-侵入したcDNA量、インテグレーションしたcDNA量、内部プロモーターからの遺伝子発現の3点を調べた。核へ侵入したcDNA量を調べるために核内のcDNA量の指標として広く用いられている2LTR環状DNA量を特異的なPCRによって検出した。その結果、HXN感染細胞とHXN-LCC感染細胞の核内の2LTR環状DNA量に差がなく、HXNとHXN-LCCのベクターRNA/cDNAの核の侵入は同程度だと考えられる。次にインテグレーションしたcDNA量をAlu-LTR PCR法を用いて解析した。Alu-LTR PCR法はLTRとヒト染色体上の繰り返し配列(Alu配列)との間の領域をPCRで増幅することで、染色体にインテグレーションしたベクターDNAのみが増幅されるPCRである。その結果、HXN-LCCのインテグレーション量はHXNと比較して低下していることが分かった。以上よりHXNベクターにLCCを挿入することで、核へ侵入した後インテグレーションまでのいずれかの段階が阻害されていることが分かった。

インテグレーションしたcDNA量は低下していたが、一部のcDNAはインテグレーションしていた。そこで、内部プロモーターからの遺伝子発現についても調べた。そのために、HXNの構造を模したレポータープラスミドを作製した。このLTRとhTKプロモーターを持ち、レポーター遺伝子としてルシフェラーゼ遺伝子を持つ。このプロモーターの上流にLCCを挿入し、LCCがルシフェラーゼ活性に与える影響を調べた。その結果、LCCの挿入によってルシフェラーゼ活性は20-30%程度に低下した。このレポータープラスミドからLTRを除いても、hTKプロモーターをTKプロモーターに置換してもルシフェラーゼ活性の低下は認められなかった。TKプロモーターはミニマムTKプロモーター(hTKと共通)とチミジンキナーゼのエンハンサー領域で構成されていることから、ルシフェラーゼ活性の低下にはLTRとhTKプロモーターに含まれるポリオーマウイルスのエンハンサーが必要だと推測された。更に、LCCを5'側から13塩基ずつ削った欠損変異を作製し,ルシフェラーゼアッセイを行ったところ、LCCの5'側の13塩基(図1)が重要であることが示された。遺伝子発現を抑制する塩基配列の多くは何らかのタンパク質の結合によって転写を抑制するので、LCCに対する何らかのタンパク質の結合が推測された。

HXN-LCCの遺伝子導入効率が低下した一方で、HXN-SCCのインテグレーションはHXNと同程度起こっていた。そのため、短いcPPT/CTS(SCC)と長いcPPT/CTS(LCC)の差の領域に原因があることが予想された。そこでLCCとSCCの差の104塩基の領域(dZ、図1)をHXNベクターに挿入してHXN-dZを作製し、遺伝子導入効率が低下するかを調べたHXN-dZの遺伝子導入効率が低下すれば、LCCの挿入による遺伝子導入効率の低下の原因はdZ領域にあることになり、HXN-dZの遺伝子導入効率が低下しなければLCC全長が必要ということになるHXN-dZでも培養上清中にべクタ一粒子は形成された。この粒子からRNAを抽出しRT-PCRを行ったところ、驚いたことにこの粒子内にべクタ-RNAは含まれていなかった。そこで、ベクター産生細胞の細胞質と核におけるベクターRNA量をRT-PCR法にて調べたところ、 HXN-dZのRNAはベクター産生細胞の核内からは検出できたが、細胞質からは検出されなかったoこのことから、 HXNベクターにdZを挿入することで、ベクターRNAが細胞質に輸送されなくなったことが示唆されたHXN-dZのRNAはベクター産生細胞の細胞質から検出されなかったにも関わらず、 dZをその一部として含むLCCを挿入したHXN-LCCベクターRNAは細胞質から検出されたoこのことから、 HXNベクターにdZを挿入したことによる核から細胞質への輸送の阻害はSCCにより打ち消されると推察された。

以上の結果から、 HXN-dZはウイルス増殖の複製の段階で阻害されているベクターとなる。このHXN-dZがドミナントネガティブとしてHIV-1の増殖を抑制できないかを調べた。そのために、HXN-dZのDNAをコードしているプラスミドとHIV- LLAIの感染性クローンをコードしているプラスミド( PLAI)を293T細胞にco-transfectionして培養上清中に放出される粒子童を測定したo粒子形成に必要なタンパク質はpLAIから発現するので、粒子量が少ないと言うことはpLAIからのタンパク質発現、つまりHIV-1の複製が阻害されたと言うことを示唆する。その結果、 HXNのプラスミドとpLAIをco-transfectionした場合でも粒子量の低下が見られたが、 HXN-dZのプラスミドを¢o-transfectionに用いた場合,より大きく粒子量が減少した.よってHXNベクターでもウイルス複製を抑制する効果があるが、 dZを挿入したことで更に強い抑制が可能になることがわかった。以上より、HXN-dZを利用することでHIV-1の増殖を制御できる可能性が示唆された。dZ領域に関する報告は今のところ無く、本研究では新しい現象を観察したと考えられる。

図1使用したcPPT/CTS、dZの領域

HIV-1LAIのpol遺伝子の3'端にcPPT(4367-4390)とCTS(4470-4380)が存在する(ともにオレンジの楕円)。LCCとして用いた282ntの領域は4230-4511番の塩基を、 SCCとして用いた178ntの領域は4334-4511番の塩基をSCCとLCCの差となる104ntの領域をdZと名付け、PCRにて増幅して使用した。ルシフェラーゼアツセイから導かれたhTKプロモーターからの転写を抑制する責任領域を青四角で示した。図はpLAI上のHIV-1LAIゲノムcDNAの一部を示し、番号は5'LTR中のR領域の始点を1としたときの塩基番号を表す。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は後天性免疫不全症候群(AIDS)に対する遺伝子治療用ベクターの開発を念頭に、1型ヒト免疫不全ウイルス(HIV-1)ベクターのプロトタイプであるHXNベクターにレンチウイルスに特徴的な効率の良い感染に関わる塩基配列central polypurine tract and central termination sequence(cPPT/CTS)を挿入し、その性状を解析し、HIV-1ベクター開発のための基礎的な知見を得ることを目的としたものであり、以下の結果を得ている。

HXNにHIV-1の塩基配列cPPT/CTSを含む178塩基の断片(SCC)を挿入しHXNの遺伝子導入効率にどのような影響が出るかを、HeLa細胞を指示細胞としてG418耐性をマーカーとして調べた結果、SCCを挿入した場合、遺伝子導入効率が変わらないことが示された。更に、cPPT/CTSを含む282塩基の断片(SCCよりも5'に104塩基長い領域、LCC)をHXNに挿入した場合、ベクター粒子の産生はHXNと同程度であったにもかかわらず、遺伝子導入効率が低下することが示された。

HXNにLCCを挿入したベクターのcDNAが核へ侵入した後のインテグレーションまでのいずれかの段階で阻害されていることが示された。LCCを挿入したHXNのベクターRNA/cDNAの核への侵入量を、2LTR環状cDNA量を指標としてPCR法で調べた結果、LCCを挿入したベクターcDNAもHXNと同程度に核へ侵入していることが示された。インテグレーションしたベクターcDNA量をAlu-PCR法を用いて調べた結果、HXNにLCCを挿入したことでインテグレーションしたcDNA量が減少したことが示された。SCCを挿入したHXNのcDNAのインテグレーション量はHXNと同程度であることが示された。

一部のインテグレーションしたcDNAからのマーカー遺伝子発現をベクターの構造を模したレポータープラスミドにLCCを挿入して調べた結果、LCCを挿入したことで内部プロモーターからの遺伝子発現が低下することが示され、LCCを挿入したHXNでも遺伝子発現が抑制された可能性があることが示された。レポータープラスミドは[LTR-hTK-ルシフェラーゼ]の構造を持つ。この構造からLTRを除いても、hTKプロモーターの代わりにTKプロモーターを用いてもルシフェラーゼ活性は変わらず、ルシフェラーゼ活性の低下は[LTR-LCC-hTK]の構造に特異的であることが示された。LCCの欠損変異体を挿入したレポーターアッセイの結果、ルシフェラーゼ活性の低下にはLCCの5'側の13塩基(HIV-1LAIのゲノム上で4256-4268番目の塩基)が関与していると考えられた。

LCCとSCCの差の104塩基の領域(dZ)をHXNに挿入したベクターの産生実験を行った結果、ベクターRNAを含まない粒子が得られた。ベクター産生細胞を核分画と細胞質分画に分けて、それぞれからRNAを抽出しベクター特異的なRT-PCRでRNAを検出した結果、細胞質分画にはベクターRNAは検出されず、細胞質分画からは検出されることを示した。よって、HXNベクターにdZを挿入することで、ベクターRNAが細胞質に輸送されなくなったことが示唆された。

HXNをコードするプラスミドとHIV-1の感染性クローンを293T細胞にco-transfectionして培養上清中に放出される粒子量を測定した結果、粒子量がベクタープラスミドの量依存的に低下することが示された。dZを挿入したHXNをコードするプラスミドをco-transfectionに用いた結果、HXNをコードするプラスミドを用いた結果よりも粒子量が減少したことが示され、dZを挿入したHXNがHIV-1の増殖を抑制できる可能性が示された。

以上、本論文はAIDS治療に利用可能なHIV-1ベクター開発において、cPPT/CTSを挿入した事による遺伝子導入効率への影響の解析から、HIV-1の感染を抑制する標的としての塩基配列dZの発見に至った。HIV-1の感染、増殖を抑制するHIV-1ゲノム内在塩基配列の報告は現在まで無く、本論文で報告された知見は全く新しいものである。dZはベクターの感染を阻害する配列であると同時に、HIV-1の内在配列でもある。従って、ベクター感染阻害のメカニズムが明らかになれば、HIV-1の感染を阻害する研究に発展することが期待できる。よって、本論文は学位の授与に値するものと考えられる。

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