学位論文要旨



No 120564
著者(漢字) 谷澤,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) ヤザワ,ケンタロウ
標題(和) 新生血管内皮細胞および大腸癌細胞に及ぼす選択的Cyclooxygenase(COX)-2阻害薬の影響
標題(洋)
報告番号 120564
報告番号 甲20564
学位授与日 2005.04.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2561号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,洋史
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 助教授 矢富,裕
 東京大学 助教授 宮田,哲郎
 東京大学 助教授 川口,浩
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景と目的

Cyclooxygenase (COX)活性を抑制することによって抗炎症作用を示すNon-steroidal anti-inflammatory drugs(NSAIDs)の長期常用は、大腸癌の死亡率を40-50%低下させることが疫学的調査などから明らかとなってきた。COXにはCOX-1、COX-2という2つのisoformが存在し、COX-1は体内のほとんど全ての細胞や組織に発現する構成酵素であり、各種生理機能の恒常性を司っていると考えられている。他方、COX-2は通常の正常細胞には発現しておらず、炎症性サイトカイン、増殖因子、発癌、などの刺激によって誘導される誘導酵素の性質を有する。従来のNSAIDsはCOX-1、COX-2とも阻害する薬剤であり、NSAIDの使用によって生じ得る副作用は主にCOX-1の阻害に起因するとされてきた。その結果、近年、副作用の少ない選択的COX-2阻害薬が開発され、抗炎症、抗腫瘍効果について研究が進んでいる。

COX-2は様々な癌種に発現することが確認されている。大腸癌では約80-90%の症例に発現が認められており、COX-2の発現が癌の血行性転移に関与すると考えられている。また、選択的COX-2阻害薬が大腸癌の増殖や転移に対して抑制的効果を示すという報告が多く存在する。一方、癌細胞だけでなく、腫瘍に栄養と酸素を供給する新生血管の内皮細胞にもCOX-2が発現することが明らかになっており、選択的COX-2阻害薬が内皮細胞のアポトーシスを誘導する結果、血管新生を抑制するという報告も存在する。

今回の研究では、選択的COX-2阻害薬の抗腫瘍効果のメカニズムの解明を目的として、第一に選択的COX-2阻害薬の大腸癌細胞に対する作用を検討し、第二に腫瘍血管新生への効果を見るために新生血管内皮細胞に対する作用について検討した。すなわち、第一章では、COX-2高発現と低発現の大腸癌細胞株を用いて、癌の転移・浸潤に重要なステップである、大腸癌と細胞外基質の相互作用に及ぼす選択的COX-2阻害薬の影響を主に検討した。また、第二章では、ヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)を新生血管内皮細胞のモデルとして、血管新生に及ぼす影響について検討した。

方法・結果

選択的COX-2阻害薬の大腸癌細胞株に対する影響

COX-2を高発現するHT-29大腸癌細胞株およびCOX-2低発現のDLD-1について検討した。選択的COX-2阻害薬であるJTE-522は、癌細胞のCOX-2発現に相関して、濃度依存性に大腸癌細胞の増殖を抑制した。増殖抑制のメカニズムを検討したところ、アポトーシス誘導によるものではなく、細胞周期のG1期からS期へのprogressionの阻害によるものであることが判明した。次に、大腸癌と細胞外基質の相互作用に注目し、基底膜および間質を構成する主な細胞外基質であるコラーゲン、フィブロネクチンおよびラミニンに対する接着能を検討した。JTE-522は、癌細胞のCOX-2発現に相関して、濃度依存性に大腸癌のコラーゲンおよびラミニンに対する接着性を低下させた。フィブロネクチンに対する接着性は非常に弱く、JTE-522の作用機序の検討には不適であった。これらの細胞外基質との接着に関係する接着因子であるβ1-インテグリン(β1,α2,α6)の細胞表面上の発現をフローサイトメトリーにより検討したところ、JTE-522はHT-29における各インテグリンの発現を低下させていた。他方、細胞内を含むインテグリンの発現総量は、JTE-522処理によっても不変であった。以上より、JTE-522による細胞表面上のインテグリンの発現低下は転写段階での阻害ではなく、細胞内から細胞表面への輸送の阻害機序によるものと考えられた。なお、フィブロネクチン受容体であるα5はいずれの細胞にも発現を認めなかった。以上の結果は、細胞外基質に対する接着性の変化と一致するものであった。また、prostaglandin(PG)-E2の添加によって、JTE-522の接着抑制効果およびβ-1インテグリン発現減少効果はともに消失し、両効果ともCOX-2を介した作用であることが確認された。β1-インテグリンの発現低下とそれに伴う細胞外基質に対する接着性の低下という以上の実験結果を踏まえ、細胞外基質上での大腸癌細胞の遊走能(migration)に及ぼすJTE-522の作用ついても、wound closure assayを用いて検討を加えた。その結果、JTE-522が、癌細胞のCOX-2発現に相関して大腸癌の遊走能を抑制することが明らかとなった。

選択的COX-2阻害薬の血管新生に及ぼす影響

新生血管に及ぼすJTE-522およびEtodolacの影響についての検討の結果、両者とも内皮細胞の増殖を濃度依存性に抑制した。いずれの内皮細胞増殖抑制効果も、PGE2の添加によって消失したことから、COX-2を介する作用であると考えられた。JTE-522に比べEtodolacの抑制効果はより弱かったため、その後の検討にはJTE-522のみを用いた。内皮細胞増殖抑制効果はアポトーシス誘導によるものではなく、大腸癌細胞と同様に細胞周期のG1期からS期へのprogressionの阻害に起因していた。G1→S期への移行の重要な調節因子であるRetinoblastoma-sensitive(Rb)蛋白についてWestern blotにて検討したところ、JTE-522作用によるリン酸化Rbの発現低下を確認した。次いで、細胞外基質に対する内皮細胞の接着性を検討した結果、JTE-522の影響を認めず、マトリックスメタロプロテナーゼ(MMP)の産生も変化しなかった。さらに、内皮細胞による管腔形成能に及ぼす影響について検討したところ、JTE-522の濃度依存性に管腔形成が抑制されることが確認された。

考察

COX-2を発現する様々な癌種に対する、選択的COX-2阻害薬の抗腫瘍効果が近年注目されている。大腸癌の多くがCOX-2を発現しており、選択的COX-2阻害薬が大腸癌の増殖・転移を抑制することが報告されている。選択的COX-2阻害薬の抗腫瘍効果のメカニズムについては、未だコンセンサスが得られていないが、1)細胞増殖抑制効果、2)アポトーシス誘導、3)浸潤能の抑制、などが報告されている。

今回の私の検討では、選択的COX-2阻害薬であるJTE-522は、COX-2高発現の大腸癌細胞であるHT-29および低発現株であるDLD-1の増殖を濃度依存性に、またCOX-2発現に相関して抑制したが、その抑制効果は10%未満であった。増殖抑制効果のメカニズムは、アポトーシス誘導ではなく、細胞周期のG1期からS期へのprogressionの阻害によるものであり、癌細胞増殖抑制はJTE-522の抗腫瘍効果の主要なメカニズムでないことを確認した。以上の結果は、マウス皮下移植モデルを用いた検討による、癌の増殖がJTE-522の投与によって抑制されないという山内らの報告と一致する。

癌転移過程における重要なステップである、癌細胞と細胞外基質の相互作用に及ぼすJTE-522の影響についても検討した。癌細胞の転移の際には、まず周囲の細胞外基質を分解しつつ血管内に浸潤する。そして,遠隔臓器に到着すると血管の内皮細胞およびその基底膜に接着し、臓器内の間質に浸潤して転移巣を形成する。以上のように、細胞外基質との相互作用は癌転移が成立するために重要不可欠なものである。

本研究では、細胞基底膜や間質の主成分であるコラーゲンおよびラミニンに対する大腸癌の接着性について検討し、いずれもJTE-522の濃度依存性に、そして大腸癌のCOX-2発現に相関して抑制されることを確認した。そして、コラーゲンおよびラミニンに対する接着因子であるβ1-,α2-,およびα6-インテグリンの大腸癌細胞表面上の発現低下に起因する効果によるものであり、インテグリンの転写段階での阻害ではなく、細胞内から細胞表面へのインテグリンの輸送の抑制が原因であると考えられた。また、COX-2経路の主な産物であるprostaglandin(PG)-E2の添加によって、JTE-522による細胞表面におけるインテグリン発現減少効果とそれに起因する細胞外基質に対する接着能の低下は全て消失したことから、COX-2を介する作用であることが判明した。さらに、細胞外基質上での癌細胞の遊走能(migration)もJTE-522処理によって抑制され、β1-インテグリンの発現低下および接着低下の結果と一致する結果を得た。

これまで、選択的cox-2阻害薬によって内皮細胞におけるインテグリン発現を変化させることなく、レセプター後の細胞内伝達系を阻害するという報告はあるが、上皮系の腫瘍細胞におけるインテグリン発現・機能に関する報告は、私が検索した限りでは存在しない。したがって、本研究は、選択的COX-2阻害薬の抗腫瘍作用の別経路である細胞外基質との相互作用の阻害という重要なメカニズムを実証した初めての報告であると考える。

一方、新生血管内皮細胞に対する選択的COX-2阻害薬の影響については、内皮細胞のアポトーシス誘導によって血管新生抑制効果を示すという報告、また内皮細胞においてはCOX-2ではなく、COX-1が重要な役割を果たしているという報告などが存在する。今回の検討では、選択的COX-2阻害薬であるJTE-522の内皮細胞の増殖抑制がアポトーシス誘導によるものではなく、細胞周期のG1期からS期への移行の阻害であることを確認した。増殖抑制に関しては、2種の選択的COX-2阻害薬(JTE-522およびEtodolac)で同様の結果が得られたこと、またPG-E2の添加によって抑制効果が消失したことから、COX-2を介する作用であることを確認している。血管新生は、内皮細胞の増殖、浸潤、細胞外基質との相互作用、管腔形成などのステップによって成立する。そのうち、内皮細胞の浸潤に重要なマトリックスメタロプロテナーゼ(MMP)産生、細胞外基質に対する接着能への選択的COX-2阻害薬の影響を検討したが、変化は見られなかった。しかし、内皮細胞による管腔形成は選択的COX-2阻害薬の濃度依存性に抑制されていた。以上の結果は、大腸癌細胞とのco-cultureによって誘導される内皮細胞の管腔形成をCOX-2阻害薬であるNS398が阻害するという報告や、Rofecoxibがヒト微小血管内皮細胞による管腔形成を阻害するという報告と一致した。したがって、ヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)を用いた検討により、内皮細胞の増殖抑制および管腔形成の抑制という、血管新生における重要な2つのステップを抑制することが示唆されたことから、選択的COX-2阻害薬が抗血管新生薬としての臨床的意義を有すると考えられた。結語

選択的COX-2阻害薬は、COX-2を発現する大腸癌に対して、細胞外基質との相互作用を抑制することによる抗腫瘍効果とともに血管新生に対する抑制効果も有することから、COX-2を発現しない大腸癌の治療薬としても効果が期待できる。したがって、選択的COX-2阻害薬は大腸癌に対する複合的な効果を期待し得る治療薬として有望なものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

COX-2は大腸癌では約80-90%の症例に発現が認められており、選択的COX-2阻害薬が大腸癌の増殖や転移に対して抑制的効果を示すという報告が多く存在する。一方、癌細胞だけでなく、腫瘍新生血管の内皮細胞にもCOX-2が発現することが明らかになっており、選択的COX-2阻害薬が血管新生を抑制するという報告も存在する。本研究では、選択的COX-2阻害薬の抗腫癌効果のメカニズムの解明を目的として、第一にCOX-2高発現と低発現の大腸癌細胞株を用いて選択的COX-2阻害薬の大腸癌細胞に対する作用を検討し、第二にヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)を新生血管内皮細胞のモデルとして腫瘍血管新生に対する作用について検討したものであり、下記の結果を得ている。

選択的COX-2阻害薬の大腸癌細胞株に対する影響

COX-2を高発現するHT-29大腸癌細胞株およびCOX-2低発現のDLD-1を用いて検討した。選択的COX-2阻害薬であるJTE-522は、癌細胞のCOX-2発現に相関して、濃度依存性に大腸癌細胞の増殖を抑制した。増殖抑制のメカニズムを検討したところ、アポトーシス誘導によるものではなく、細胞周期のG1期からS期へのprogressionの阻害によるものであることが判明した。次に、大腸癌と細胞外基質の相互作用に注目し、基底膜および間質を構成する主な細胞外基質であるコラーゲン、フィブロネクチンおよびラミニンに対する接着能を検討したところ、JTE-522は、癌細胞のCOX-2発現に相関して、濃度依存性に大腸癌のコラーゲンおよびラミニンに対する接着性を低下させた。これらの細胞外基質との接着に関係する接着因子であるβ1-インテグリン(β1,α2,α6)の細胞表面上の発現をフローサイトメトリーにより検討したところ、JTE-522はHT-29における各インテグリンの発現を低下させていた。他方、細胞内を含むインテグリンの発現総量は、JTE-522処理によっても不変であった。以上より、JTE-522による細胞表面上のインテグリンの発現低下は転写段階での阻害ではなく、細胞内から細胞表面への輸送の阻害機序またはインテグリンのendocytosisによるものと考えられた。また、prostaglandin(PG)-E2の添加によって、JTE-522の接着抑制効果およびβ-1インテグリン発現減少効果はともに消失し、両効果ともCOX-2を介した作用であることが確認された。β1-インテグリンの発現低下とそれに伴う細胞外基質に対する接着性の低下という上記の実験結果を踏まえ、細胞外基質上での大腸癌細胞の遊走能(migration)に及ぼすJTE-522の作用ついても、woundclosureassayを用いて検討を加えた。その結果、JTE-522が、癌細胞のCOX-2発現に相関して大腸癌の遊走能を抑制することが確認された。

選択的COX-2阻害薬の血管新生に及ぼす影響

新生血管に及ぼす選択的COX-2阻害薬であるJTE-522およびEtodolacの影響についての検討を行った結果、両者とも内皮細胞の増殖を濃度依存性に抑制した。いずれの内皮細胞増殖抑制効果も、PGE2の添加によって消失したことから、COX-2を介する作用であると考えられた。JTE-522に比べEtodolacの抑制効果はより弱かったため、その後の検討にはJTE-522のみを用いた。内皮細胞増殖抑制効果はアポトーシス誘導によるものではなく、大腸癌細胞と同様に細胞周期のG1期からS期へのprogressionの阻害に起因していた。G1-S期への移行の重要な調節因子であるRetinoblastoma-susceptibility(Rb)蛋白についてWestern blotにて検討したところ、JTE-522作用によるリン酸化Rbの発現低下を確認した。次いで、細胞外基質に対する内皮細胞の接着性を検討した結果、JTE-522の影響を認めず、マトリックスメタロプロテナーゼ(MMP)の産生も変化しなかった。さらに、内皮細胞によるマトリゲル上での管腔形成能に及ぼす影響について検討したところ、JTE-522の濃度依存性に管腔形成が抑制されることが確認された。

以上、本論文では、HT-29およびDLD-1細胞を用いることにより、選択的COX-2阻害薬がCOX-2を発現する大腸癌に対して、細胞外基質との相互作用の抑制効果を有するという新たな作用機序を見出した。この結果は、選択的COX-2阻害薬の抗腫瘍効果の重要なメカニズムを示唆するものと考えられた。さらには、ヒト腰帯静脈内皮細胞(HUVEC)を用いることにより、細胞周期のG1期arrest誘導による内皮細胞の細胞増殖抑制を見出し、COX-2阻害薬が血管新生抑制効果を有する可能性を示唆することができた。

さらに一般化が必要ではあるが、これらの結果は、選択的COX-2阻害薬は大腸癌細胞のみならず、血管内皮細胞に対しても抑制的な作用を示すことを示唆しており、大腸癌患者に対する複合的治療戦略となり得ることを示すことができた。さらには、血管新生を標的とすることから、COX-2を発現しない大腸癌に対しても抗腫瘍効果が得られる可能性をも示唆している。本研究はこれまで知られていなかった、選択的COX-2阻害薬の抗腫瘍効果の新たな作用機序を解明すると同時に、選択的COX-2阻害薬を用いた抗血管新生療法の可能性を明らかにしたものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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