学位論文要旨



No 120570
著者(漢字) 高橋,慎博
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ミツヒロ
標題(和) 身体運動に伴う筋タンパク質の変動に関する研究
標題(洋) Changes of muscle protein levels induced by physical exercise
報告番号 120570
報告番号 甲20570
学位授与日 2005.04.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第585号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久保田,俊一郎
 東京大学 教授 跡見,順子
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 助教授 村越,隆之
 東京大学 助教授 松田,良一
内容要旨 要旨を表示する

研究の目的

近年、組織や胚で発現しているあらゆる全長cDNAを獲得しようとする試みがなされ、機能未知の数々の遺伝子がクローニングされ[4,8,9,10]、それらの推定アミノ酸配列がデータベースに掲載された。これにより、プロテオーム解析法を活用して機能未知の仮想タンパク質(Hypothetical protein)の変動を調べることが可能となった。

そこで、本研究では運動に伴い骨格筋内で変動する新規なタンパク質を見い出すことを目的とし、Zhou M. らによるマウス水泳運動モデル[11]を用いて、腓腹筋由来の総タンパク質についてプロテオーム解析法により探索を行った。

研究の結果と考察

運動に伴って変動するC2H2型zinc finger転写因子AI854635

プロテオーム解析の結果、2次元電気泳動ゲル上で、水泳運動(150分間)後に顕著な量的減少がみられたスポットの1つがexpressed sequence AI854635タンパク質と同定された(別紙1/2図1を参照)。さらに、mRNAレベルでの変動を半定量的RT-PCRによって調べた。水泳運動前後のマウスから個体別に腓腹筋を採取し、個々についてTotal RNAを抽出してAI854635 mRNAの変動を調べた。その結果、水泳運動(150分間)後にAI854635 mRNAが23%減少することが確認された(別紙1/2図2を参照)。

AI854635の機能の推定

AI854635は推定アミノ酸配列から、497アミノ酸から成る分子量56 kDaのC2H2型zinc finger転写因子と考えられた。しかし、その細胞内機能はこれまで明らかでなかった。そこで、AI854635の細胞内機能を推定するために、AI854635の推定アミノ酸配列をNCBIドメイン検索プログラムに供したところ、AI854635は12個のC2H2型zinc fingerドメインのほかに、LIMドメイン、SIP 1(Smad-interacting protein 1)ホメオボックス、リプレッサー型転写因子SALMドメイン等が高度に保存されていた(別紙2/2図3を参照)。これらを有する既知タンパク質に共通する細胞内機能として、発生と分化への関与が示唆された。

in vitroにおけるAI854635の機能の検証

そこで、次にマウス筋原細胞C2C12を用い、in vitroでAI854635と細胞分化との関連について調べた。C2C12に細胞分化を誘導し、時間を追って位相差顕微鏡で観察しつつ、細胞内mRNA変動を半定量的RT-PCRによって調べた。形態観察の結果、本実験条件では分化誘導20時間後からC2C12は筋管を形成し始めた。筋原細胞分化の指標となるmyogenin mRNAもそれに伴い顕著に増加した。また、AI854635 mRNAはmyogenin mRNAに先立ち、分化誘導6時間後から徐々に増加した(別紙2/2図4を参照)。このことから、AI854635は筋原細胞分化に関与していることが示唆された。AI854635の推定アミノ酸配列全長としては既知タンパク質と相同性がないことから、AI854635は筋原細胞分化に関与する新しい転写因子であると考えられた。

AI854635は成体内で特定の臓器で発現量が多く認められるが、ユビキタスな発現であり、embryogenesisに関与することが推測される

運動を実施していないマウス成体を用いて各臓器におけるAI854635 mRNAの発現量を半定量的RT-PCRで調べたところ、骨格筋(腓腹筋およびヒラメ筋)、全脳、胸腺、腎臓におけるmRNA発現量は多かったが、他の臓器でも発現しており、ユビキタスに発現している遺伝子と考えられた。また、AI854635 mRNAはデータベース情報から胚でも発現していることが明白なので、Smad-interacting protein 1 (SIP1) の研究報告[2]と同様に考えると、AI854635は単に細胞分化に関与するだけではなく、embryogenesisに関与する可能性がある。

マウス水泳運動と筋分化

運動に伴い激しい負荷が与えられた骨格筋は筋分化が誘導されると報告されている[3,7]。本研究ではZhou M. らによるマウス水泳運動モデル[11]を用いたが、マウスやラットなどの実験用小動物を用いた水泳運動モデルによって筋内で筋分化の指標となるmyogenin mRNAが誘導されたという報告はPubMedによる検索で見い出されなかった。そこで、本研究ではさらに水泳運動と筋分化制御因子のmRNA変動を調べた。その結果、水泳運動に伴い、筋分化の指標となるmyogenin mRNAが顕著に増加することを確認した。しかしながら、筋原細胞分化に関与することが示唆されたAI854635は水泳運動実験では逆に減少した。AI854635が筋分化に関与するならば、細胞分化実験と水泳運動実験においてAI854635の挙動は一致する可能性が高いはずである。この一見、相反するように見える結果はタンパク質の翻訳後修飾を仮定すると説明がつく。AI854635は筋原細胞分化に関与するので、筋分化誘導が示唆された本研究の水泳運動においてもAI854635タンパク質は活性化されるはずである。AI854635は骨格筋内ではおもに翻訳後修飾によってタンパク質レベルで活性化されると仮定すれば、AI854635 mRNAが水泳運動で顕著に増加する必要はない。むしろ150分間の水泳運動でAI854635 mRNAが減少する傾向が見られたことは、細胞分化とは別の要因がAI854635に作用し、その結果を見ている可能性も考えられる。翻訳後修飾には糖鎖による修飾[5]、リン酸化による修飾[1]、アセチル化による修飾[1]、プロテアーゼによる分解(プロテオリシス)[6]等が知られているが、AI854635が実際に翻訳後修飾を受けるか、また、どのような修飾を受けるのかは今後さらに研究が必要である。

また、AI854635が翻訳後修飾を受けないと仮定した場合には、上記の相反する結果の原因として下記1〜5の可能性を考える。

1.水泳運動時間が150分間では短く、AI854635 mRNAが増大する結果をとらえられなかった

2.運動後の回復時間が十分でなく、AI854635 mRNAが増大することを確認できなかった

3.in vitroとin vivoの実験の差異に基づく

(1) in vivoでは筋分化以外の経路が影響を及ぼしている

(2) in vitroとin vivoで筋分化の誘導経路が異なる

4.AI854635が他のタンパク質と相互作用しており、細胞分化時と運動時は異なる挙動を示す

5.AI854635は筋原細胞分化と関係はあるが、分化を誘導する役割を担うのではなく、例えば筋管形成時に起こる細胞融合等に関与する

上記可能性のいずれが正しいか、今後、各々についてさらに調べる必要がある。

図1 水泳運動群と非運動群のマウスの腓腹筋総タンパク質の2次元ゲル電気泳動像(銀染色)

矢印で示したスポットは水泳運動によって顕著に減少した。このスポットはexpressed sequence AI854635であった。

図2 水泳運動に伴うAI 854635 mRNAの減少

水泳運動(150分間)実施前後の腓腹筋内のAI854635 mRNAの発現量を半定量的RT-PCRで調べた。対照としてGAPDHを用いた。RT-PCR産物をアガロースゲル(2%)電気泳動し(図2-A)、DNAバンドをイメージアナライザー(ChemiDoc, Bio-Rad)で定量してグラフに示した(n=3)(図2-B)。また、水泳運動前後の値を比較して統計処理を行った( t-検定)。水泳運動時間150分で、AI854635 mRNAの発現量減少が認められた。* P <0.05

図3 AI854635の推定アミノ酸配列のドメイン検索結果

NCBI Conserved Domain Search Programを利用して、AI854635タンパク質の推定アミノ酸配列(497アミノ酸)のドメイン検索を行った。この図はoasis smart v.2.02データベースによる検索結果である。

図4 C2C12細胞分化誘導に伴うmRNA発現レベルの経時的推移

C2C12細胞に細胞形態分化を誘導し、細胞内で発現しているmRNA量の経時変化を半定量的RTPCRで調べた。なお、顕微鏡観察の結果、分化誘導後20時間から筋管が形成されていることが確認された。RT-PCR産物は2%アガロースゲル電気泳動を行い、DNAバンドをイメージアナライザー(ChemiDoc, Bio-Rad)で定量した。コントロールとしてGAPDH mRNAのRT-PCRを行い、各測定値をGAPDHの個々の測定値に対する比としてグラフに表した(n=3)。さらに、分化誘導後の各時間の値を、0時間の値と比較して統計処理を行った( t-検定)。図4-A はmyogenin mRNA量の推移を表す。分化誘導後20時間で顕著な増大が見られた。図4-B はAI854635 mRNA量の推移を表す。分化誘導後、徐々に発現量の増大が見られた。myogenin mRNAに先行して発現量が増えた。** P <0.01

Bode AM, Dong Z. Nat Rev Cancer 2004; 4:793-805.Cacheux V, Dastot-Le Moal F, Kaariainen H, et al. Hum Mol Genet 2001; 10:1503-1510.Cameron-Smith D. Clin Exp Pharmacol Physiol 2002; 29:209-213.Carninci P, Shibata Y, Hayatsu N, et al. Genome Res 2000; 10:1617-1630.Comer FI, Hart GW. Biochim Biophys Acta 1999; 1473:161-171.Diez E, Alvaro J, Espeso EA, et al. EMBO J 2002; 21:1350-1359.Hill M, Wernig A, Goldspink G. J Anat 2003; 203:89-99.Kawai J, Shinagawa A, Shibata K, et al. Nature 2001; 409:685-690.Okazaki Y, Furuno M, Kasukawa T, et al. Nature 2002; 420:563-573.Ota T, Suzuki Y, Nishikawa T, et al. Nat Genet 2004; 36:40-45.Zhou M, Lin BZ, Coughlin S, et al. Am J Physiol 2000; 279:E622-E629.
審査要旨 要旨を表示する

近年、種均の組織で発現している全長cDNAが網羅的にクローニングされているが、機能が未知の遺伝子がデータベース上に数多く存在する。プロテオーム解析法と機能解析を組み合わせると、データベース上に存在する機能が未知のcDNAの機能を明らかにすることができる。本研究は、運動に伴い骨格筋内で変動する新規タンパク質を見い出し、その機能を明らかにすることを目的とし、マウス水泳運動モデルを用いて、腓腹筋由来のタンパク質をプロテオーム解析法により解析した。

プロテオーム解析の結果、2次元電気泳動ゲル上で、水泳運動(150分間)後に顕著な量的減少がみられたスポットの1つを質量分析法で解析したところ、expressed sequence AI854635タンパク質と同定された。さらに、mRNAレベルでの変動を半定量的RT-PCRによって調べた結果、水泳運動(150分間)後にAI854635mRNAが23%減少することが確認された。

AI854635は推定アミノ酸配列から、497アミノ酸から成る分子量56kDaのC2H2型zinc finger転写因子と考えられた。しかし、その細胞内機能は明らかでなかった。そこで、AI854635の細胞内機能を推定するために、AI854635の推定アミノ酸配列をNCBIドメイン検索プログラムに供したところ、AI854635は12個のC2H2型zincfingerドメインのほかに、LIMドメイン、SIP1(Smad-interacting protein 1)ホメオボックス、リプレッサー型転写因子SALMドメイン等が高度に保存されていた。これらを有する既知タンパク質に共通する細胞内機能として、発生と分化への関与が示唆された。

そこで、次にマウス筋原細胞C2C12を用い、in vitroでAI854635と細胞分化との関連について、C2C12の細胞分化を誘導し、時間を追って位相差顕微鏡で観察しつつ、細胞内mRNA変動を半定量的RT-PCRによって解析した。分化誘導20時間後からC2C12は筋管を形成し始め、筋原細胞分化の指標となるmyogenin mRNAもそれに伴い顕著に増加した。AI854635 mRNAはmyogenin mRNA発現に先立ち、分化誘導6時間後から徐々に増加した。この結果、AI854635は筋原細胞分化に密接に関与していることが示唆された。AI854635の推定アミノ酸配列全長としては既知タンパク質と相同性がないことから、AI854635は筋原細胞分化に関与する新しい転写因子であると考えられた。

マウス成体を用いて各臓器におけるAI854635mRNAの発現量を半定量的RT-PCRで調べたところ、骨格筋(腓腹筋およびヒラメ筋)、全脳、胸腺、腎臓などユビキタスに発現していた。

運動に伴い激しい負荷が与えられた骨格筋は筋分化が誘導されると報告されている。本研究ではマウス水泳運動モデルを用いたが、齧歯類の水泳運動モデルによって筋内で筋分化の指標となるmyogenin mRNAが誘導されたという報告はPubMedによる検索で見い出されなかった。そこで、本研究ではさらに水泳運動と筋分化制御因子のmRNA変動を調べた。その結果、水泳運動に伴い、筋分化の指標となるmyogenin mRNAが顕著に増加することを確認した。しかしながら、筋原細胞分化に関与することが示唆されたAI854635は水泳運動実験では逆に減少した。この理由は不明であるため、タンパク質の翻訳後修飾を含めて今後の解析が必要である。しかし、運動に伴い骨格筋内で変動する新規タンパク質を見い出し、それが、筋分化に密接に関与することを始めて明らかにした本研究は新規性があり、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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