学位論文要旨



No 120574
著者(漢字) 祐成,保志
著者(英字)
著者(カナ) スケナリ,ヤスシ
標題(和) 近代日本における住居空間の歴史社会学的研究
標題(洋)
報告番号 120574
報告番号 甲20574
学位授与日 2005.05.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人第482号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐藤,健二
 一橋大学 教授 町村,敬志
 東京大学 教授 似田貝,香門
 東京大学 教授 上野,千鶴子
 東京大学 教授 武川,正吾
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的は、近代日本における住居空間の社会的形成過程を、「言説」の作用に焦点をあてて明らかにすることにある。住居という空間は、生活する身体の根拠地であると同時に、家族と呼ばれてきた関係の容器としても、また社会関係の物質的な基盤としても重要な領域を形づくっている。そこに孕まれている問題を明らかにし、その再編成の可能性と条件を描きだすために、形成史に遡る歴史社会学的な研究が要請される。

第1章では、住居空間という対象へ意匠や工学の立場からではなく、社会学の立場からアプローチするための基礎的な視角を示し、研究の意義と方法論的な立場を明らかにした。それは居住する身体を軸としつつ、自然と社会の臨界に位置するマテリアルな過程、身体の複数性とその相互交渉があらわになるミクロな社会過程、そして産業や市場や政策などマクロ社会的な構造編成の過程、という三つの局面で住居空間を捉えるというものである。まず、文化研究の対象として大きな魅力をもった題材であるはずの住居空間が日本の社会学ではほとんど研究されてこなかった背景を、日本の社会学的文化研究(受容)のなかに潜む偏向に求めた。そして、メディア研究における家庭空間への接近、マテリアル・カルチャー研究における商品化の再検討、フェミニズム研究におけるテクノロジー批判といった近年の英語圏における議論の蓄積を概観し、そのなかに本論文を位置づけた。

本論文では、モノを作り上げるテクノロジーそのものというよりは、それに関わる言説の展開に着目する。このことは、実際の住宅や経験の「代理」として言説を用いるという以上の意味を持っている。言説か/現実か、という二分法ではなく、言説が生み出され、流通し、読解され、引用されること、それぞれが社会的現実を形作ると考える。このとき、「居住者」に向けられた言説と供給者の内部で流通する言説を分ける必然性はない。

また、言説の「内容」もさることながら、さまざまな主体による住居の「言説化」というダイナミックな実践に照準しなければならない。具体的には、日本において住居言説がはじめて大量に出現する1910年代から、近代的住居空間の成熟が急激に進んだ1940年代までに、(1)家政学と生活改良運動(啓蒙・教育)、(2)都市住宅政策と住宅調査(調査・計画)、(3)広義の住宅産業(商品化・消費)、という三つの領域にあらわれた住居言説を資料とした。2〜4章の記述は、(1)〜(3)の領域に沿って構成されている。

第2章で扱ったのは、1920年代に、文部省や内務省の主導で都市において開始され、農村部へと拡大されていった生活改良(改善)運動を中心とする言説である。大正期の都市中間層向けメディアに広く現れた「文化生活」というイメージの核に文化住宅が存在したように、住生活は生活改良の中心的な課題であった。次第にその対象は拡大され、都市住宅政策が実行に移されるとともに、農村でも、「住」領域の確立という課題が、家庭生活という新しい儀礼の形成を伴いながら、1930年代には台所と寝室の改善を中心に運動化された。こうした動きのなかで、「危機」「改良」という論理のもとで実行されようとしたのは、住居空間それ自体の発見と形成である。それらの言説は、核家族が形成する住居を「家庭」の同義語として設定し、改良の実行者として、「主婦」の責務を挙げた。また、生活様式の選択が「文化」「文明」の条件として捉えられ、身体の振る舞いが、日本社会における階層構成のなかでの自己の位置付けとともに、世界のなかでの国家の位置付けをめぐる議論に接続されていた。

第3章の主題は、戦時期から戦後に至る都市住宅調査、住宅政策を主導した論理と方法である。住宅調査はそれ自体として何らかの主張を展開するものではないが、それらがどのような主題で実施され、どのようなサンプルが選ばれ、何が記録され、計測されたか、というそれぞれの局面において住居言説としての実質を持つ。家族の生活を、家計調査が金銭と商品の動きから把握したように、住宅調査は身体と空間を通して把握しようとした。限界的な居住から一般的なそれへと次第に対象を拡大されながら住宅という調査対象が定まり、計画と供給の方法が模索される。そのなかでも、1930年代から西山が実行した都市住宅の「住み方研究」は、他を圧倒する内容を持っている。また、彼は同時代において最も包括的に住宅政策の構想を描いた人物でもあった。戦時期には盛んに「国民住宅」論が闘わされたが、西山は独特の総合的・俯瞰的な位置を占めることができた。こうした調査・立案活動は、住居を労働力の再生産という視点から抽象化することによって可能となったものである。

第4章では、1930年代前半を中心に建築家団体や鉄道会社によって盛んに行われた住宅設計競技と住宅展覧会、婦人雑誌の住宅関連記事、同潤会による労働者向け住宅供給事業などを手がかりに、住宅を商品化する産業と、住宅を消費する態度の形成について論じた。そこから明らかになったのは、住宅という特異な商品を成り立たせる、政治・経済・アイデンティティが重層的にからんだ構造が確立しつつあった状況である。この構造のことを、「近代住居空間」と名付けた。

この「近代住居空間」という視点から見れば、1945年の敗戦という断絶はそれほど大きなものではない1920年代に提出されたブルジョア的家庭生活の理想は戦後を生きながらえ、それが多くの人々にとって手の届くものとなったのは1970年代であった。それまでの数十年間は、「現実」を「理想」に近づけることに多大なエネルギーが注がれたのであり、「理想」そのものが問い直されることはまれであった。

第5章では、結論部として、近代住居空間の社会的な条件と、その効果について論じた。住居言説のなかで、住居は「抽象的」な空間として把握された。その論理を直裁な形で体現したのが戦時期における西山の調査・構想群である。それらは、住居という概念によって、大邸宅からスラムまでを抽象しなければなされえない作業であった。一方で住居は言説のなかで「親密性」をもってあらわれる。居住者の内面が、住居やそこに配置されるモノに投影され、また内面が、それらから説明される。住居は、そのなかで居住者同士が親密な関係を結ぶ場であると同時に、それ自体、居住者と親密な関係を結ぶ。

こうした住居と居住者、そして住居と言説の強い結びつきは、住居の形成に関わる実践-私的空間への金銭と感情の投資-が、近代化そのものと深い関わりを持っていることに由来する。言説の展開のなかで注目すべきは、住宅の意匠もさることながら、そうした意匠が競い合われ、比較の視線にさらされ、「良い住宅」をめぐる論争の場が成立するという事態である。その「内容」(意匠)はどうであれ、論争という「形式」そのものは、大正期から戦後まで絶えることがなかった。建築専門家は論争することで住産業のなかに自らの位置を定めようとした。調査と改良案の提示は、労働者の身体の馴致を通じて都市空間のセキュリティを確保するための住宅政策の模索と軌を一にしていた。

ただし、このような論争的な場に参入していたのは専門家だけではない。消費者もまた、これに深く関与している。体験記の投稿、素人設計競技への応募、そして手引書や体験記を読み、展覧会を観ることそれぞれが、この場への参加である。さらに、住宅取得に関わる経済的実践と美学的実践が織り合わされたプロセスは、「友愛家族」のイデオロギーによって促進される。そして、細部の入り組んだ「消費」の過程は、それ自体、家族関係の内実を「生産」する実践でもある。こうした論争と交渉の前提にあるのは、現状に対する絶え間ない違和感と際限のない改良(=形成)への指向である。

以上の考察をふまえて、「近代家族」の特徴として、「専用住宅の所有を志向する」という点を付け加えることを提唱した。家族という集団の形態・関係における特徴だけでなく、貨幣を媒介とした生活の把握と計画化という技術的な特徴を考えた場合、長期にわたる家庭の再帰的運営とコスト感覚を錬磨する上で、住居費は重要な戦略目標となる。近代住宅と近代家族は、互いに他を前提とする関係にある。

ここで重要なのは、住居の改良に関わる言説のなかでは、技術的なものが単に技術的なものとして現れるだけでなく、「美的なもの」「道徳的なもの」「能率的なもの」が不可分な形で登場するということである。合理性の名の下に目指されたのが道徳であり、道徳の名の下に追求されたのが合理性であり、合理性の名の下に涵養されたのがある種の美的感覚である、というような自家撞着的な循環こそが、改良言説の原動力になっている。

住居形成の前提になっているのは現状に対する欠如の意識である。ただし、それは近代住居空間の内部での相対的剥奪感である限り、「技術的回避」(technological fix)によって当面の解決を与えられる。エネルギー供給、家電製品、衛生設備、遮音、採光、セキュリティ、インテリア、エクステリアといった技術の断片化と精緻化を通じて、近代住居空間の量的規模や成立可能性が拡大されてきた。欠如の認識と充足を繰り返すことは、近代住居空間へのより深い定着を意味する。そのことがもたらす負の効果は、しだいに明白となりつつある。

では、近代住居空間を技術的回避によって再生産するのではなく、「再編成」するとは、どのようなことだろうか。構想すべき新しいテクノロジーは、単なる形態のモデルチェンジではない。住居言説の歴史社会学的検討が教えるのは、住宅単体の改変が問題の解決をもたらすという、多くの専門家、消費者を虜にしてきた発想こそが「技術的回避」を呼び込む、という厄介な構図である。性急な解決を求める前に必要なのは、こうした慣習から距離を置いて住居空間を作り上げるテクノロジーを解読する試みである。本論文が目指した「歴史社会学」とは、その距離と自由を確保するための方法に他ならない。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、近代日本において住居空間がいかに社会的に生産されてきたのかを、「言説」の作用に着目しながら綿密に描きだした労作である。住居は、日常生活の物質的・空間的基盤ともいうべき領域を構成しているが、これまでの社会学の家族研究や地域研究では、積極的に論じられてこなかった。物的な諸要素によって構築される空間であると同時に、社会的交渉のプロセスであるととらえることで、祐成氏は住居を社会学にふさわしい研究対象としている。すなわち居住する身体を軸としつつ、水(洗濯や炊事)などの自然との交渉、家族という複数の身体の交渉、政策や産業がかかわる外部的なマクロな交渉の場という、三つの局面から重層的に論ずることが必要であるという。それらを貫いてとりわけ重視されているのが、広い意味での住居言説である。そこに孕まれた問題と再編成の可能性についての考察が、本論文のもっともオリジナルな貢献である。

第1章では、上述のような問題意識を整理して述べるとともに、メディア研究におけるドメスティケーション概念、マテリアル・カルチャー研究における商品化論、フェミニズム研究におけるテクノロジー批判といった近年の試みの蓄積を概観し、本論文において分析の対象とする「知」「政策」「産業」という言説の作用領域を浮かびあがらせる。この三つの領域は、第2章の家政学と生活改良運動における啓蒙・教育の分析、第3章の都市住宅政策と住宅調査における住居空間への計画的な関与の分析、そして第4章の広義の住宅産業の形成をめぐる商品化と消費の分析と対応している。祐成氏が注目する「言説」は、実際の住宅の存在形態や経験の代理表象ではなく、むしろ住宅に対する考え方や感じ方を社会的に構築するものとして存在している。注目すべきは住宅の意匠・デザインの変容という以上に、意匠が競い合われ、比較の視線にさらされ、「良い住宅」や「理想の家庭」をめぐる論議の場として成立するという事態である。そして住宅計画の専門家だけでなく、日常的に住まう身体もまた、その言説の場に巻き込まれ、さまざまな表象を生み出していく。そのような住居言説が日本においてはじめて大量に出現する1910年代から、住宅市場の成熟が急激に進んだ1940年代までの展開を、さまざまな資料を駆使して明らかにし、政策、市場、アイデンティティ、改良に向かう欠如感等々が重層的にからんだ、住宅という特異な商品を成り立たせている構造、すなわち「近代住居空間」が成立してくるプロセスを丹念に描き出している。

今和次郎等の著作集未収録の論文や、都市自治体の埋もれた調査の発掘、民間の住宅手引書の利用など、祐成氏の資料探索は綿密で独創的である。構成されたテーマや検証結果等をつなぐ理論的枠組みにはまだ発展させるべき余地があるとの指摘もあった。しかし、本論文は社会学の新たな領域の開拓において意欲的な論考であり、博士(社会学)の学位にふさわしい内容と水準を十分に有すると本審査委員会は判断した。

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