学位論文要旨



No 120582
著者(漢字) 南條,創
著者(英字)
著者(カナ) ナンジョウ,ハジメ
標題(和) 重心系エネルギー130GeVから209GeVの電子陽電子衝突に於けるb,cクォーク前後方非対称性の測定
標題(洋) Measurement of the Forward-Backward Asymmetries for b and c Quarks in e+e- Collisions at √8 between 130GeV and 209GeV
報告番号 120582
報告番号 甲20582
学位授与日 2005.05.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4732号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相原,博昭
 東京大学 教授 中畑,雅行
 東京大学 助教授 久野,純治
 東京大学 助教授 浜垣,秀樹
 東京大学 助教授 徳宿,克夫
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、130GeVから209GeVの、最高エネルギー電子陽電子衝突に於ける、bクォーク反bクォーク、およびcクォーク反cクォーク生成での、前後方非対称性(〓)の測定について示す。この前後方非対称性は、標準理論の枠組みで、Zボソンおよび光子を媒介する反応として記述される。以前の重心系エネルギーが、Zボソンの質量以下での前後方非対称性の測定結果は、標準理論の予言を良く再現している。Zボソンの質量を上回る重心系エネルギーでの、前後方非対称性では、媒介するZボソンと光子の干渉効果の寄与が大きく、大きな非対称性が予言されている。本稿での測定の目的は、電子陽電子衝突の最高エネルギー領域での標準理論の検証である。新たにこの干渉に寄与する未知の粒子が存在すると、標準理論の予言する非対称性を変化させる可能性があり、標準理論を越える物理探索にも利用でき、この意味でも重要である。

実験データは、重心系エネルギー130GeVから209GeVでの、LEP加速器運転時、OPAL検出器を用い、取得された。この中から、クォーク反クォーク対生成事象を約98%の効率で選択する。各事象につき、始状態または終状態からの光子放出を除いた、実効重心系エネルギーを評価し、これが、重心系エネルギーの0.85倍より大きい事象を、選択する。さらに、スラスト軸の角度のコサインの絶対値が0.9以下の事象を選択する。さらに、主にWボソンまたはZボソン対生成事象からのバックグラウンドの排除を行うが、最終的にこれが約6%含まれる。b又はcクォーク対事象の選択効率は80%弱である。

前後方非対称性は、クォークの放出方向分布から決定される。クォーク、反クォークの放出方向は、スラスト軸を用いて評価する。このスラスト軸に垂直であり、原点を含む平面で分割された2つの空間を、それぞれ"半球"と呼ぶ。スラスト軸上、どちらにクォークが放出されたかは、半球に含まれる電荷の情報を用い、評価する。これに関連して、以下の2つの手法を用いる。

1つは、電荷の評価に、各半球中の飛跡の電荷を、その飛跡の運動量のスラスト軸方向成分を用いて重み付けし、足し合わせた、"半球電荷"を用いる。これは次のように定義される。

〓は運動量のスラスト軸方向成分で、和は半球中の全ての飛跡に対して行われる。kにより、運動量による重みを調節する。bクォークについては、k=0.4で、約70%の最大の電荷識別能力を得る。これを用いる手法を、半球電荷手法と呼ぶ。この手法は、基本的に全ての事象に対して適用可能であるため、包括的手法とも呼ぶ。この場合、bクォークの識別に、bハドロンの長寿命性、準レプトン崩壊の特徴、及び質量の大きいbハドロン崩壊の運動学的特徴などの情報を、ニューラルネットや、ライクリフッドを用い、総合的に利用した、高性能bタグを用いる。これにはcクォーク識別能力もあり、 bクォーク、cクォーク、その他のd、u、s事象、それぞれを多く含むサンプルを生成出来る。これちを用い、ライクリフッドを定義し、これを最大化することで、 b.cクォークの非対称性を同時に測定する。

もう一つは、準レプトン崩壊からのレプトンを用いて、b,cクォ-クを識別し、同時に、そのレプトンの電荷を用いて、クォークか.反クォークかを評価する。これをレプトン電荷手法と呼ぶ。ここで用いられる準レプトン崩壊は、主に、 bハドロンから直接レプトンへ崩壊するb→l、cハドロンを経由した後、準レプトン崩壊するb→c→l、cハドロンからの直接崩壊のc→lに分けられる。この3つについて、弁別を行うニューラルネットを構築し、b、cクォークの識別および、各準レプトン崩壊の弁別を行う。これを用い、各準プトン崩壊をする事象を多く含むサンプルを生成し、ライクリフッドを定義し、b,cクォークの非対称性を同時に測定する。準レプトン崩壊の比率が20%程度であるため、前述の半球電荷手法に比べ、適用できる事象が少ない。その反面、レプトン電荷の識別能力は、中性B中間子混合により低下するが、それでも90%近くであり、半球電荷手法に勝る。また、cクォークの前後方非対称性の測定には、ほぼこの手法が寄与している。

最終的に、この2つの独立な手法を総合して、b、c、クォークの前後方非対称性を同時に測定し、各重心系エネルギーで、以下のような、標準理論と矛盾しない結果を得ている。

189GeVまでの結果は以前行われた結果と同等の結果である。 189GeVを越えるエネルギーでは、これが最初の結果である。Zボソン質量での測定は、同時期に取得された、較正用のデータを用い、同一の手法により前後方非対称性を測定し、手法の正しさの確認を行ったものである。さらに、183GeV以上のデー夕を総合し、以下の結果を得ている(図中赤丸)。

これは、LEP2での最も精度の高い結果で、標準理論の予測、0.58、0.65とよく一致する。LEP2の最高エネルギー電子陽電子衝突に於ける、b、cクォークの前後方非対称性の測定を行い、標準理論の検証を行った。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章から成る.第1章は,論文の概要であり,第2章は本論文の理論的背景を記述している.第3章は実験装置の記述,第4章はデータ解析の詳細な記述と結果の考察にあてられている.第5章に,本論文の結論が述べられている.本論文は,最高エネルギーの電子陽電子衝突型加速器LEPにおけるOPAL(オパール)測定器を用い,bクォーク反bクォーク対,cクォーク反cクォーク対生成反応において,クォークが生成される方向の角分布を精密に測定し,bクォーク,cクォークそれぞれついて前後方非対称性を決定したものである.このクォークの前後方非対称性は,素粒子の標準理論の中核を成す電弱統一理論から,正確に予言できる物理量であり,本論文の測定は標準理論の精密な検証となる.本論文の精密測定の結果が標準理論の予言値とずれることがあれば,標準理論の枠組みでは説明できない新しい物理の存在を示すことになり,本測定の物理的意義は大きい.

本論文に記述されている研究成果が,これまでの他者による研究と比べて著しく優れている点は二つある.第一は,重心系エネルギーで130GeVから209GeVという現在最高のエネルギー領域でなされた測定である点である.前後方非対称性は,クォーク対生成の中間状態で,Zボゾン(弱い相互作用の3つの伝達ボゾンのうち電荷を持たないボゾン)とフォトン(電磁相互作用の伝達ボゾン)とが量子干渉を起こすことによって生ずる.この干渉の大きさは,重心系エネルギーに依存し,その振る舞いは,標準理論によって厳密に予言される.一方で,標準理論が破れ,新しい物理が出現するとすれば,高いエネルギー領域で,前後方非対称性が標準理論の予言値からずれてくる.従って,標準理論の検証はより高いエネルギー領域で行うことに意味がある.本論文は現在,最高のエネルギー領域での標準理論の精密検証であり,測定結果が,標準理論の予言値と一致を見たことから,contact interaction,レプトクォークモデル,余剰次元におけるグラビトンモデルなどを例にとって,期待されている新しい物理に厳しい制限を与えることに成功した.

本論文の優れた点の第二は,前後方非対称性の測定をcクォークとbクォークのそれぞれについて行ったことにある.標準理論は,前後方非対称性のクォークの種類(フレーバー)に対する依存性(フレーバー依存性)についても正確に予言する.このフレーバー依存性の検証は,標準理論におけるZボゾンとクォークの結合定数の直接測定に対応し,素粒子物理において非常に重要な意味を持つ.本研究では,高性能シリコン半導体検出器を用いて他のクォークよりも寿命の長いbクォークを識別し,さらに,他の力学的情報と組み合わせて構築したニューラルネットワークをフレーバー識別に適応するなど,きわめて斬新な解析手法を取り入れることによって,純度の高いフレーバー識別を実現している.この独自の手法によって,cクォーク,bクォークそれぞれの前後方非対称性の測定に成功したことは,高く評価されるべきである.

以上のような本論文内容の高い物理的意義とともに,博士論文としての完成度の高さは,特記に値する.

なお,本論文に述べられている実験は,国際共同実験グループであるOPALグループによる共同研究であるが,本論文テーマの選定,データ解析と物理結果の考察は,論文提出者のみによるものであり,本研究に対する寄与は十分であると判断する.

よって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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