学位論文要旨



No 120587
著者(漢字) 清水,史子
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,フミコ
標題(和) ニワトリ松果体の概日時計細胞におけるカルシウム情報伝達分子と転写制御機構
標題(洋) Calcium Signaling Molecules and Transcriptional Regulation in the Chick Pineal Clock Cells
報告番号 120587
報告番号 甲20587
学位授与日 2005.06.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4733号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 坂野,仁
 東京大学 助教授 堀越,正美
 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 教授 深田,吉孝
内容要旨 要旨を表示する

約24時間周期の概日リズムを生み出す概日時計は、体温調節をはじめ睡眠・覚醒など多くの周期的な生理現象を支配している。概日時計のリズム発生機構として、「時計遺伝子(Periodなど)の転写の活性化と抑制に基づく負のフィードバックループモデル」が提唱されているが、時計の位相制御を担う入力系については未だ不明な点が多い。ニワトリ松果体細胞においては時計発振系、光入力系およびメラトニン出力系が同一細胞内に局在しており、個体から単離した培養条件下でも自律的なメラトニンの分泌リズムが継続することから、概日時計研究の優れた実験材料として用いられてきた。本研究では、ニワトリの松果体における細胞内シグナル伝達機構を解析することにより、時計入力系の分子メカニズムに迫ろうと試みた。

ニワトリ松果体の培養細胞を用いた研究により、細胞内カルシウムイオン(Ca2+)の動員が、光による位相同調機構に関与する可能性が示唆されている。そこで申請者はまず、ニワトリ松果体においてCa2+シグナルの伝達を担う、Ca2+結合蛋白質の分子実体を生化学的に解析しようと試みた。カルシウム結合蛋白質の多くは、phenyl基などの疎水基とCa2+濃度依存的に結合すると考えられる。そこで、約2,000個のヒヨコ松果体の抽出液をCa2+依存的phenyl-Sepharoseカラムクロマトグラフィーに供したところ、分子量20K,21K,22K,24K,34Kおよび35Kの蛋白質を単離することができた。これらの蛋白質に対し、マイクロシークエンシングまたは抗体染色を行ったところ、それぞれcalmodulin(CaM),sorcin,neurocalcin,visinin,annexin IIおよびannexin V(いずれもCa2+結合蛋白質として知られる)と同定できた(図1)。このなかで、CaM,sorcinおよびneurocalcinは、Ca2+シグナルの伝達に関わる「Ca2+センサー蛋白質」として知られていたものの、松果体における発現パターンは未知であった。そこで、これらCa2+結合蛋白質の抗体を作製し、松果体切片の抗体染色を行なったところ、CaMとsorcinは松果体においてメラトニン合成を行う時計細胞に発現していた。これに対しneurocalcinは、神経細胞様の形態を示す少数の細胞においてのみ見られた。以上からCaMとsorcinが、松果体細胞において光位相制御など、Ca2+依存的な生理応答を担う分子の候補であると考えられた。

時計の位相制御においては、Period遺伝子の転写誘導が重要な役割を果たすことが幅広い動物種において知られている。そのなかでもマウスの視交叉上核におけるPeriod(Per)の転写誘導機構については、とりわけ解析が進んでいる。視交叉上核は網膜からの神経投射を受け、神経伝達物質を介して位相同調を行う時計細胞であり、NMDA型ならびにAMPA/KA型グルタミン酸受容体の支配下に位相同調機構が働く。この場合、「Ca2+→CaM→CaM-dependent protein kinase →CREB→Per1の転写誘導」という経路が働くと考えられている。CREB/ATF転写因子ファミリーはCRE(Ca2+/CAMP-responsive element)配列に結合するpZip型転写因子群として見出され、なかでもCREB、ATF-1およびATF-2は、細胞内Ca2+の上昇を引き起こす外来刺激を核へ伝える転写活性化因子として知られている。CRE配列はいくつかの時計関連遺伝子のプロモーター領域に見られ、とりわけ、Per1とPer2のプロモーター領域においては種を超えて保存されている。ニワトリにおいては、Per1遺伝子は存在しないと考えられているが、Per2遺伝子(cPer2)のmRNA量は松果体において明期に高く暗期に低いという概日リズムを示し、光によって転写が誘導されることが知られている。そこで申請者は、CREB、ATF-1およびATF-2がcPer2遺伝子上流のCRE配列を介して光応答や概日リズムの形成に関与する可能性を、次に検証した。

明暗周期下で飼育したヒヨコから松果体を4時間おきに摘出し、懸濁液を作製した。これら懸濁液に対し、CREBとATF-1の活性をそれぞれ反映する、リン酸化Ser133とリン酸化Ser63を特異的に認識する共通抗体を用いてイムノブロット解析を行った。その結果、CREBとATF-1のリン酸化レベルは、いずれもZT14にピークをもつ日内変動を示した。次に、ATF-2の活性を反映するリン酸化Thr53(ヒトATF-2のThr71に相当)を認識する特異的抗体を用いてイムノブロット解析を行ったところ、ATF-2のリン酸化レベルは明期に高く暗期に低下するという日内変動を示した(図2左)。以上により、CREB、ATF-1およびATF-2のリン酸化レベルはいずれも時刻依存的に変動することが判明した。次に、これらの変動が概日リズムであるか否かを調べるため、恒暗条件下で飼育したヒヨコから松果体を4時間おきに摘出し、同様の解析を行った。その結果、CREBとATF-1のリン酸化レベルに明確な日周変動は見られなかった。これに対し、ATF-2のリン酸化レベルのリズムは恒暗条件下においても継続したことから、概日時計の支配を受けていると考えられた(図2右)。CREBとATF-1のリン酸化リズムが明暗下においては見られたのに対し、恒暗下においては見られなかったことから、CREBとATF-1のリン酸化は外界の光に依存して変化するのではないかと考え、次に夜の時間帯に光照射を行ったヒヨコの松果体を用いて実験を行った。その結果、予想した通り、いずれの因子も光によって急速にリン酸化レベルが低下した(図3)。一方、ATF-2のリン酸化は光に対しては応答しなかった(図3)。つまり、ATF-2のリン酸化は概日時計の支配を受けているのに対し、CREBとATF-1のリン酸化は光によって制御されていることが判明した。ニワトリの松果体は内在性の時計機能と光感受性を持つが、他の組織からの時刻や光の情報が、神経や血液などを介して入力する可能性も考えられる。そこで次に、生体内において観察されたCREB、ATF-1およびATF-2のリン酸化制御が、単離培養した松果体において見られるか否か調べた。その結果、培養松果体に光を直接照射した場合においてもCREBおよびATF-1のリン酸化レベルの低下が見られた。したがって、これらの因子のリン酸化制御は松果体に内在する光受容体の支配下に働くことがわかった。一方、興味深いことに、ATF-2のリン酸化リズムは培養条件下では消失した。つまり、松果体におけるATF-2のリン酸化リズムは内因性のものではなく、他の時計器官からの入力に起因すると考えられた。

次に、CREB、ATF-1およびATF-2が松果体の時計に入力する可能性を検証するために、cPer2遺伝子プロモーターにCREB/ATF-1(CREBまたはATF-1、または両者)とATF-2が結合するか否か、クロマチン免疫沈降法を用いて調べた。その結果、CREB/ATF-1とATF-2はいずれも、生体内においてcPer2遺伝子プロモーターに結合することが判明した。

そこで次に、CREBまたはATF-2がcPer2プロモーターのCRE配列を介して転写を活性化する可能性を、ルシフェラーゼレポーターアツセイにより検討した。その結果、HEK293EBNA細胞においてCREBはcPer2プロモーターを弱いながら活性化したものの、これと同程度の活性化はCREBのリン酸化部位に変異(Ser133-Ala)を導入した場合、またはcPer2プロモーターのCRE配列に変異を導入した場合にも見られた。ATF-2もcPer2プロモーターを活性化したが、この活性化はATF-2のリン酸化部位(Thr69,Thr71,Ser91-Ala)およびCRE配列に依存していた。以上から、ATF-2はCRE配列を介してcPer2プロモーターを活性化できるのに対し、このプロモーターに対するCREBの効果は弱いと考えられた。

以上の解析を通じて本研究により、ニワトリ松果体においてCREB Ser133とATF-1 Ser63のリン酸化は光によって制御されるのに対し、ATF-2 Thr53のリン酸化は概日時計の支配を受けることを明らかにした。また、これらの転写因子はいずれもcPer2プロモーターに生体内において結合していることを示した。さらに、ルシフェラーゼレポーターアッセイの結果、ATF-2がcPer2プロモーターのCRE配列を介して転写を活性化する可能性を示すことができた。ATF-2については時計機能への寄与はこれまで報告がなく、時計の新たなコンポーネントとしてATF-2を本研究により始めて見出した。松果体においてATF-2のリン酸化は外因性の時計制御を受けることから、本研究の結果は時計組織間の同調についての新たな理解につながると考えられる。

図1 ニワトリ松果体に発現するCa2+結合蛋白質の精製

ニワトリ松果体から水溶性蛋白質を抽出し、高Ca2+条件下(白いバー)においてPhenyl-Sepharoseカラムに吸着した。カラムをよく洗浄した後、低Ca2+条件下(黒いバー)にて蛋白質を溶出した。

図2 ニワトリ松果体におけるATF-2 Thr53のリン酸化リズム

明暗周期下(左)および恒暗条件下(右)において、ATF-2のリン酸化レベルは、主観的夜に低く主観的昼に高いというリズムを示した。

図3 ニワトリ松果体におけるCREB/ATF転写因子の光応答

夜の時刻(ZT14)におけるヒヨコ個体への光照射により、CREB Ser133とATF-1 Ser63のリン酸化レベルは急速に低下した。一方、ATF-2Thr53のリン酸化レベルには光による変化は見られなかった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は9章からなる。第1章および2章には、それぞれ要旨と略語が記されている。第3章は序論であり、概日時計の生物学的意義の説明からその分子機構に関する最新の知見まで、詳しくまとめられている。概日時計のリズム発生機構として現在、「時計遺伝子periodの転写の活性化と抑制に基づく負のフィードバックループモデル」が提唱されているが、時計の位相制御を担う分子機構については未だ不明な点が多い。ニワトリ松果体は時計の3要素である時計発振系・光入力系・メラトニン出力系を併せ持つことから、概日時計研究の優れた実験材料である。論文提出者は、ニワトリの松果体における細胞内シグナル伝達機構を解析することにより、時計入力系の分子機構に迫ろうと試みた。第4章では本論文で用いた実験手法が記されている。第5章の実験結果は2部構成となっており、第1部には、ニワトリ松果体に存在するカルシウム(Ca2+)結合蛋白質を単離・同定した結果が記されている。このうえに立ち、第2部ではニワトリ松果体におけるCREB/ATF転写因子の機能解析が行われ、時計機能に関与する新たな分子としてATF-2を見出している。第6章では、第5章に記された結果に対する総合的な考察がなされている。第7章、8章および9章には、それぞれ謝辞、引用文献および発表論文の目録が記されている。

ニワトリ松果体を用いた先行研究により、細胞内Ca2+の動員が光位相制御に関与する可能性が示唆されている。そこで論文申請者はまず、ニワトリ松果体においてCa2+シグナルの伝達を担う、Ca2+結合蛋白質の分子実体を生化学的に解析しようと試みた。まず約2,000羽のヒヨコから松果体を摘出し、その抽出液からCa2+依存的phenyl-SepharoseクロマトグラフィーによってCa2+結合蛋白質の網羅的な単離を試みた。そしてマイクロシークエンシングという手法により、単離された蛋白質はcalmodulin,sorcin,neurocalcin,annexin IIおよびannexin Vと同定された。これらCa2+結合蛋白質の抗体を作製し、松果体切片の抗体染色を行なったところ、calmodulinとsorcinは松果体においてメラトニン合成を行う時計細胞に発現していた。以上からcalmodulinとsorcinが、松果体細胞においてCa2+依存的な生理応答を担う分子である可能性が示された。

先行研究においてcalmodulinはとPeriod遺伝子の転写誘導に関与することが哺乳類の時計細胞において示されている。このPeriod遺伝子の上流にはCa2+/cAMP-responsive element(CRE)配列が動物種を超えて保存されている。CREB、ATF-1およびATF-2は、CRE配列に結合するpZip型転写因子群として見出され、細胞内Ca2+の上昇を引き起こす外来刺激を核へ伝える転写活性化因子として知られている。論文申請者は、これら転写因子がニワトリ松果体における光応答や概日リズムの形成に関与する可能性を、次に検証した。その結果、ATF-2の活性を反映するThr53のリン酸化は概日時計の支配を受けていること、そしてCREBとATF-1の活性をそれぞれ反映するSer133とSer63のリン酸化が光により負に制御されているという、新たな現象を見出した。さらに、培養した松果体に光を直接照射した場合においてもCREBおよびATF-1のリン酸化レベルの低下が見られたことから、これらの因子のリン酸化制御は松果体に内在する光受容体の支配下に働くことを示した。一方、ATF-2のリン酸化リズムは培養条件下では消失したことから、松果体におけるATF-2のリン酸化リズムは内因性のものではなく、他の時計器官からの入力に起因する可能性が示された。さらに、クロマチン免疫沈降法により、これらの転写因子がいずれも生体内においてchicken Period2(cPer2)プロモーターに結合していることを示した。ルシフェラーゼレポーターアッセイの結果、ATF-2がcPer2プロモーターのCRE配列を介して転写を活性化する可能性が示された。

以上の解析を通じて、ニワトリ松果体の概日時計システムの新たなコンポーネントとして、論文申請者はATF-2を見出した。松果体においてATF-2のリン酸化は外因性の時計制御を受けることから、本研究の結果は時計組織間の同調についての新たな理解につながると考えられる。なお、本論文は真田佳門氏・深田吉孝氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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