学位論文要旨



No 120591
著者(漢字) 金,賢旭
著者(英字) Kim,Hyeon Wook
著者(カナ) キム,ヒョンウク
標題(和) 翁信仰の生成と渡来文化
標題(洋)
報告番号 120591
報告番号 甲20591
学位授与日 2005.06.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第588号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松岡,心平
 聖徳大学 教授 石光,泰夫
 聖徳大学 教授 三角,洋一
 慶応義塾大学 教授 野村,伸一
 立教大学 教授 小峯,和明
内容要旨 要旨を表示する

日本文化には、古代韓半島からの渡来文化の影響が大きいことは、いろいろな側面ですでに論じられてきている。しかしながら、能楽のルーツである翁猿楽にみられる、神としての翁生成については、渡来文化からの影響という視覚から十分に考えられてきたとはいいがたい。本稿は、その点を論じるものである。

渡来文化の諸相は多岐にわたるが、そのなかでも、韓半島の道教的シャーマニズムのような古代文化は、日本文化の根底にある宗教思想と深く関わっている。近年、日本文化の基盤として、修験道や陰陽道の世界がクローズアップされているが、この文化を生み出す母体となるのが、韓半島の道教的シャーマニズムだったと考えられる。韓半島からの渡来文化は、中世の縁起成立に影響を与え、日本固有のものとは異なる信仰伝承世界をつくりあげた。渡来集団が奉祀していた八幡神や走湯権現の顕現譚には、シャーマン的な独特の託宣が見えるが、日本在来のものにはみえないものである。そこには、韓半島の信仰伝承、とりわけ、渡来の人々が担ってきたと思われるシャーマン的宗教性が強力に入り込んでいるように思われる。そして、そうした縁起の言説のなかで、翁の形象をもつ神が活躍していることが注目される。

翁の形象をもつ神々は、八幡神、稲荷明神、走湯山権現、松尾明神、住吉明神、三尾明神、新羅明神、赤山明神、摩多羅神、白鬚明神などがあげられる。これらのなかで、八幡・稲荷・松尾・走湯山信仰などには、祭祀氏族として渡来集団が深く関わっており、その縁起伝承には渡来文化の色合いが濃い。また、新羅明神や赤山明神、摩多羅神などは、外から渡ってきた渡来神なのである。こうみてくると、日本において翁の伝承をもつ神というのは、ほとんどが日本固有の神ではなく、渡来神であると言っても過言ではない。そして、渡来神の大部分は、秦氏系の渡来集団が祭っていた、韓半島経由の神であることが特に注目されるのである。このように、翁神の多数が渡来集団によって奉祀され、渡来の神々が翁の形象をとってあらわれる以上、日本中世の翁信仰の生成を渡来文化との交渉の中からとらえなおすことは欠かせない視点である。翁の問題を渡来神の視角から読み直してみる必要があるのだろう。

一方、日本に流れ込んだ渡来文化は、必ずしも土着の文化と習合していく場合だけでなく、幻術のように排除されてしまうものもある。本稿では、そのような排除の側面も考えにいれながら、中世の翁の生成を中心に渡来文化の日本の基層文化への影響について考察した。

第一部では、古代から中世においての様々な翁について考察した。そのなかでも、一章で論じる塩土老翁は、渡来の翁神信仰が成立する以前から日本にいた翁であり、翁の起源にあたるといえる。古代の翁神を代表する塩土老翁は、天神に土地を譲ったり、道案内をする土着の地主神・国つ神である。そのなかでも、天神を海宮へと導き、天界と海界を結び付けている点が注目される。古代に、塩土老翁のような媒介者としての翁神がいて、こうした翁像を踏まえたうえで、中世に集中的に翁があらわれたのである。さらに、塩土老翁と類似する古代の土着神は、椎根津彦である。椎根津彦は、神武天皇の東征の時に、軍船を導き、道案内をする。土着神が道案内をするという点で、塩土老翁と共通するのである。椎根津彦がはじめから翁の姿をとって出てくるのではないが、醜い老翁と変身することによって、翁性を獲得している。

二章では、こうした古代の翁と大いに共通点をもつ住吉神について述べた。住吉神は、海路の案内をする海の守護神であるということなどから、しばしば塩土老翁に重ねられてきた。一方、神功皇后外征に従い、軍船を導いていたという点では、椎根津彦とも共通点がある。このように住吉神は、海路の守護神であり、戦の神であったが、さらに、和歌の守護神とされ、多様な面をもっている。住吉神が人の前に姿をあらわすという伝承は、『万葉集』や『伊勢物語』にも書かれているが、特に、翁として形象化されるのは、十一位紀半ばに成立した『赤染衛門集』のなかである。住吉明神の翁の形象化をめぐっては、いくつかの要因が考えられる。まず、塩土老翁の投影という点があげられる。また、白楽天の老人図の影響を受けて成立した人丸画像や、白楽天をはじめて神仙文学や神仙思想との関連も見逃すことはできない。実際、住吉明神像のなかには、 「寿老図」をはじめ、神仙図と同類のものが多く、文学作品のなかでも、神仙図に描かれた老人のように描写されていることがある。一方、渡来の神である赤山明神は、船の軸に赤衣の装束であらわれるが、住吉明神の出現譚のなかには、こうした赤山明神の示現譚と似通っている例もあり、渡来神の顕現伝承と緊密に関わっている。古代から中世にかけて、住吉明神ほど多様なあらわれ方をする神はほとんどないが、こうした住吉明神の多様性は、金春禅竹の翁論が説かれた『明宿集』のなかで、総合的にとらえ直され、猿楽の翁との同体説が語られた。

中世に入ると、翁神が集中してあらわれ、中世的な神の変容が起こる。土着的な信仰と仏教が習合する際に、神仏が翁の姿をとってあらわれるのあり、それの多くの場合地主神の翁としてあらわれる。その地主神としての翁についての考察である。土着信仰のメッカである山々には、長い年月を守護神として住んでいた土着の地主神が翁として出てくる。時間的長さの象徴として翁があらわれるのである。翁の地主神は、新来の仏や法師に、伽藍地として土地を譲ったり、伽藍地へ導いたりし、後には、伽藍神となる。このように、地主神の化現である翁は、土着の神と仏を結び付ける存在であった。土地を譲り、道案内し、さらには神と仏の媒介者であった中世の翁は、古代の塩土老翁のような国つ神の変容である。古代に、媒介者としての翁伝承が用意されており、それを踏まえて中世の翁が出てきたのである。

第二部は、中世に集中する翁現象を韓半島経由の渡来文化との関連から探ろうとする試みである。まず、四章では、韓半島の山岳信仰を中心にした渡来文化が、日本で土着化される過程をたどり、日本の信仰、特に翁神をめぐる信仰伝承が韓半島の信仰習俗を基礎として成立していることを述べた。日本を代表する八幡や稲荷、松尾神は、渡来の秦氏集団によって祭られた翁神であり、外からやってきた新羅明神や赤山明神、摩多羅神などの翁神は、すべて韓半島経由の渡来神である。こうした渡来系の翁神をめぐる信仰伝承のなかには、韓半島のそれと共通するものが少なくない。

重要な点は、八幡神や稲荷神の発生を説く縁起において翁と童子が互換する形で登場してくるということである。これは、「翁猿楽」で老体の翁と童子の千歳がペアとなって登場することとも重なるが、中世の信仰伝承のなかには、翁と童子のペアで語られるものが少なくない。このような、翁と童子の交流というモチーフをもつ信仰伝承は、花郎の習俗と共通するものである。特に、『走湯山縁起』にみられる穀断ちをして神鏡を祭っていた仙童は、まさに修行する花郎の習俗と一致する。このような縁起のなかで具象化された道教的シャーマン的世界、さらに、能の「翁」に近似するあり方は、古代韓国のそれと共通する。古代韓国の山岳信仰にみられる道教的シャーマニズムが渡来集団により移入され、それを保持しつづける秦氏によっていくつかの秦氏関係の山岳信仰や神社信仰の縁起が日本古来の縁起とは異なった形で生成してきているのではないだろうか。渡来系が担って来た道教的シャーマン的な要素が稲荷信仰をはじめ、日本中世のいろいろな縁起のなかで色濃く出てきているし、その流れの中で翁も活躍していると思われるのである。

一方、葛城を中心にして修験の文化を担っているのが渡来人であったということには十分注意をはらうべきであろう。また、新羅明神のように、異域から渡来した翁の形象をもつ神の鎮座地は、ほぼ修験道の発達した地域に集中しているといえるが、修験道の形成と、その場に渡来神が来臨するという二つの出来事が無縁ではない。

中世の翁信仰成立は、渡来文化との交渉のなかに求めることができるのであったが、日本に流れ込んだ渡来文化が常に土着の文化と習合したわけではない。五章では、渡来文化が生み出した中世翁信仰とは対照的で、渡来文化の排除とその原理について追求した。幻術には、散楽系統に含まれた芸能的なものと、道教の方術的なものの二種がある。幻術は、中央権力からは、反仏法とされ、早くから切り捨てられてしまった。一方、権力の届きにくい裏の文化において、修験道として土着信仰と習合していたのである。

本稿は、中世に集中する翁神顕現伝承の解明をめざす論考である。中世の翁神信仰は、翁猿楽の成立につながる問題でもあり、古代から中世かけての翁の諸相をさぐることは、猿楽の翁を考えるうえで大事な作業である。

審査要旨 要旨を表示する

金賢旭氏の博士論文「翁信仰の生成と渡来文化」は、能のルーツである翁猿楽に結実するべく、12世紀(院政期)頃から頻繁に現れるようになる翁神とこれをめぐる翁信仰について、韓半島からの渡来文化との関わりで捉えようとした比較文化論的考察である。

この論文は、二部構成となっている。

第一部「古代から中世における翁の諸相」では、塩土老翁を中心とする古代の翁から、住吉神の平安時代中頃からの翁としての現れを論じて中世に及び、中世での多様な翁神の姿が語られる。

第二部「渡来文化と翁」では、渡来氏である秦氏の氏族信仰とオーバーラップする形で日本の山岳信仰を捉えながら、八幡神、稲荷神、松尾神、走湯山権現等々の信仰に見られる翁の現れが述べられ、それが、新羅時代の花郎(ファラン)文化にさかのぼる韓半島の山岳信仰に類似することが指摘され、韓半島からの山岳信仰の日本への流入という視点から、翁の多出現象が説明される。最終章では、逆に、韓半島の山岳宗教的呪術文化が日本で排除された例として「幻術(マジック)」が取りあげられている。

第一部、第一章の「古代の翁」では、塩土老翁譚や椎根津彦の翁への変身譚を通して、中世の翁へと濃厚に流れてくる、翁の媒介者あるいは芸能者としての性格が分析されており、今までにない翁の芸能史的整理として有益であった。また、第二章「翁と住吉明神」では、住吉神の現世への現れの歴史的変遷を丹念に追い、塩土老翁の影を負いながら、11世紀頃から住吉神が翁神として現れることに対して、白楽天の老人図の換骨奪胎である柿本人丸の老翁像を視野に入れ、院政期の神仙思想の強力な影響下において、住吉神の翁としての現れが恒常化していったと論じたところはユニークであった。

第二部の特色は、院政期から中世にかけて多く現れる翁神について、渡来性という光源から強いライトをあてて考察するところにある。

住吉神とならんで、早くからその信仰領域に翁の姿を現出させる八幡神、さらには稲荷神や松尾神もまた、渡来系の秦氏集団によって祭られた神であり、中国からの渡来の翁として姿を現す新羅明神、赤山明神、摩多羅神などもじつは韓半島と関わりの深い神々であった。

ことに八幡神、稲荷神、走湯山権現に見られる翁と童の互換構造に金氏は注目する。翁猿楽における翁/千歳、父の尉/延命冠者という翁童のペアーの原型がそこに存在すると考えられるからである。

さらに金氏は、八幡神などに見られる翁童信仰の源流を、古代新羅時代のシャーマニスティックな山岳宗教であり稚児文化でもある「花郎(ファラン)」文化に見て、両者の共通性を指摘する。この韓半島の山岳信仰が日本に流入し、彦山修験に典型的に見られるように、日本の山岳信仰に決定的な影響を及ぼし、そのような土壌から、翁と童が互換しつつ神のかたどりとなって現れはじめ、翁が活躍する中世を迎える、とするのである。このような歴史の記憶が集約されたものとして、世阿弥や金春禅竹が書き残した秦河勝伝承を捉えるのが金氏の立場である。

中世の翁信仰について語った書として、すでに山折哲雄氏の『神から翁へ』(青土社、1989年)があり、巨視的な視点から宗教上の翁神が論じられているが、そこには、渡来性という金氏が論じた視点は欠けている。

金氏によって、渡来という視点から、翁神の出現現象を見ることで、翁信仰の本質的一側面がよりはっきりと見えてきたことは確かであり、この論文は、日本の芸能史・宗教史上で大きな意味をもつだけでなく、韓国語に翻訳されたあかつきには、韓国の日本学・古典学を引っ張っていくリーダー的論文となることは疑いのないところである。

資料の取り扱い方の未熟な面への指摘や、論文全体が翁猿楽の成立の解明への果敢な挑戦を保留したこと、視座が日韓間の基軸に限られたこと(中国を含めなかったこと)への注意がなされたものの、本論文が全体として、先駆的・独創的な研究となっていることについては審査員全員の間で意見の一致を見た。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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