学位論文要旨



No 120596
著者(漢字) 酒井,俊元
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,トシモト
標題(和) 金融市場の時系列解析 : 経済物理学への新たなアプローチ
標題(洋) Time Series Analysis of Financial Markets : A New Approach foward Econophysics
報告番号 120596
報告番号 甲20596
学位授与日 2005.06.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第140号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鳥海,光弘
 東京大学 助教授 伊藤,伸寿
 東京大学 助教授 村重,淳
 東京大学 教授 神谷,和也
 東京大学 助教授 杉田,精司
内容要旨 要旨を表示する

株式を売買している人はもちろん経済に関与している人も皆市場の変動の関心がある。市場の変動に伴い、景気も左右され経済に関与していない人にも影響を与える。それ故、市場の価格変動を理解することは非常に重要である。市場の変動の大きな例としてバブルがある。バブルは市場の不安定さによる株価の高騰であり、経済学では一般にアノマリーとして認識されている。一方、経済物理学では、市場の安定・不安定さは相転移の一種として認識されている。市場の安定・不安定さを相転移と捉らえると理解は容易いが現時点で価格変動の性質が十分明らかになっているとは言えない。それ故、市場の価格変動の性質を見直すことは大いに価値がある。

経済物理学では価格変動の統計的な三つの特質(fat-tail分布・価格差の短期自己相関・ボラティリティの長期相関)を見出だした。最近では統計力学の磁性体モデルを用いて上記の三つの特質を再現出来る市場モデルを構築するのが今の流行りである。だが、これらモデルはパラメータ数を増やすことにより、現実の市場の現象に合わせようとしており、その結果様々なモデルが乱立し首尾一貫していないのが現状である。一方、経済学においては価格変動の性質を調べる為に、市場の基盤である「効率性」を検証するアプローチが100年以上も前から実践されている。これも実に様々な検証が行われてきているが未だ決定的なものはない。それ故、市場の効率性を、経済物理学という視点から市場の性質(価格変動など)を理解することは必要不可欠である。

効率的な市場とは、極限までに裁定取引が行われている市場を仮定している。裁定取引とは、価格変動において、同一の性格を持つ2つの商品の間で、割安な方を買い、割高な方を売ることにより、理論上リスクなしに収益を確定させる取引のことをいう。市場の効率性の概念はRobert(1967)により以下の三つに分類された。

・weak form

現在及び過去の株価(p1,p1-1,p1-2・・・)からアブノーマル・リターンを得ることが不可能な場合を「weak formで効率的」という。逆に、「weak formで非効率的」とは、それが可能であることを指す。

・semi-strong form

t時点において公開されている情報全てを用いて、アブノーマル・リターンを得ることが不可能な場合を「semi-strong formで効率的」であるという。逆に、「semi-strong formで非効率的」とは、それが可能であることを指す。

・strong form

t時点において未公開の情報を含めた全ての情報を用いて、アブノーマル・リターンを得ることが不可能な場合を「strong formで効率的」という。逆に、「strong formで非効率的」とは、それが可能であることを指す。

三つの効率性について様々な検証が行われてきた。米国株式市場の実証研究の結論は、1969年のFamaのレビューによると、「weak formで効率的、semi-strongでほぼ効率的(但し、いくつかの反証もある)、strong formにおいて非効率的」である。しかし、数多くの検証がなされてきたが未だに明快な結論が出たとは言い難い。特に、「strong form」における未公開の情報の一つとして、インサイダー情報がある。一般にインサイダー取引が禁止されていることから市場は「strong formで非効率的」と言える。このことから、本論文では「weak formの効率性」と「semi-strongの効率性」についてのみ検証を行う。「weak formの効率性」においては、株価変動に決定性があるか、そして「semi-strong formの効率性」に関してはあるイベント(株式分割、IPOなど)が生じた時、情報伝播に異常な動きがないかを調べることにより判断を行う。本論文で用いる検証方法は、数学的に厳密に構築されたKM2O-ランジュバン方程式論を用いて効率性についての客観的な議論を目指す。扱うデータは、アメリカのS&P500指標、日本の日経平均225、香港のハンセン指標、イギリスのFT-100指数、及び円ドルの為替レートを対象とし、それぞれ日単位・時間単位・分単位のデータに対して検証を行った。

KM2O-ランジュバン方程式論とは、統計物理学での揺動散逸原理を数学的に表現したものである。与えられた時系列を揺動部分(混沌)と散逸部分(秩序)に直和分解し、両者の間にある関係式を数学的にまとめたものがKM2O-ランジュバン方程式である。このKM2O-ランジュバン方程式論において、時系列の定常性・非定常性解析(異常性解析とも呼ばれる)、因果性解析、決定性解析、予測解析が可能である。まず、経済学で広く認知されている線形・非線形モデルとの比較をし、KM2O-ランジュバン方程式は金融時系列データ解析に適しているか検証した。線形モデルとしてARMAモデルを、非線形モデルとしてGARCHモデルを用いた。指標及び代表的な会社の株価の日単位及び分単位での比較の結果、KM2O-ランジュバン方程式によるモデルは従来のモデルに比べて平均二乗誤差が平均で30%小さくなる結果を得た。このことから、KM2O-ランジュバン方程式は、従来のモデルに比べて金融市時系列データ解析に適していると言える。

これらの結果を踏まえ、時系列の定常性・非定常性分析を行い、市場の時系列の性質について調べた。まず、定常部分の決定性を調べ「weak formの効率性」の検証を行った。次に、「semi-strong formの効率性」については、株式分割を行った時点を基点にKM2O-ランジュバン方程式論の予測解析を行い、実際の時系列との相対誤差に異常な動きがないか検証を行った。株式分割を利用した「semi-strong formの効率性」の検証はFamaが過去に行っており、実践的な手法の一つである。

検証の結果、市場の時系列には定常部分と非定常部分が共存しており、定常部分は「weak formで効率的」であることが分かった。図1は、アメリカのS&P500指数の1971年から2004年までのの終値の価格変位を表している。上段の緑色の部分は、非定常解析により非定常と判断された部分である。中段はS&P500指標の連続複利収益率p1を表したものであり、P1=log(P1)-log(P1-1)と定義される。下段は定常解析において全部で171通りある定常検定の通過した数である。この定常部分に対してランダムウォークの検定を行い、時間単位のデータは正規ランダムウオーク、日単位のデータは弱ランダムウオークを呈しているのが分かった。定常部分に限定されるものの、この結果はLo and MacKinlay(1988)により提示された価格変動のランダム・ウォーク説棄却の結果を否定するものとなった。定常部分・非定常部分に分けて分析した手法は従来の検証になかったものであり、それぞれ理解を深めることは重要なことである。また、図1の矢印はアメリカのバブルが崩壊した1987年を指しており、崩壊の後暫くの間非定常部分が現れている。日本の1989年のバブル崩壊において同様の現象が起こっており、バブルの崩壊と非定常性は何らかの関連があると思われる。

次に「semi-strong form」においては、米国約1,100社の株式分割後10日間の予測を行い実際の価格変動とモデルの予測との差異を調べた。もし、市場が「semi-strong formで効率的」なら株式分割直後には株式分割の情報が市場に行き渡っているはずである。しかし、逆に市場が「semi-strong formで非効率的」なら、何らかの異常な振る舞いが見えるはずである。その予測と実際の価格変動との相対誤差を取ったところ、分割一日後の分散のみが異常に大きいことが分かった。このことは、市場は「semi-strongで非効率」であることを示唆している。 本論文では、数学的に厳密に構築されたKM2O-ランジュバン方程式論の性能を従来の線形・非線形モデルと比較し、その応用として市場の効率性について客観的な時系列解析を行った。その結果、KM2O-ランジュバン方程式論によるモデルは従来のモデルに比べ平均二乗誤差が平均で30%小さくなることが分かり、時系列解析としての機能を十分果たしていることを分かった。KM2O-ランジュバン方程式によるモデルの金融時系列に対するパフォーマンステストは行われておらず、この結果はこのモデルを適用する際の貴重の基盤となるであろう。また、その応用として市場の効率性の検証を行ったが、市場は「weak formで効率的」で「semi-strong formで非効率」であることが分かった。但し、「weak formで効率的」なのは、時系列が定常的である部分に対してのみである。非定常に関しては効率的・非効率的かは現時点ではKM20ランジュバン方程式によるモデルを用いて検証を行えないため、時系列全体を通しての効率性についてはこれからの課題である。経済物理学への新たなアプローチとしてのKM2Oランジュバン方程式論は金融時系列に効果的であることは本研究により実証された。

図1 上段はS&P500指数の価格の変位及び定常・非定常解析の結果である。緑色の部分は非定常であり、それ以外は定常の部分である。中段はS&P500指標の連続複利収益率の図である。下段は定常性検定の通過具合(全部通過すると171通りになる)の変位を表したものである。矢印の部分は1987年10月19日に起こったバブルの崩壊を指している。その大きな変位が中段の図にも現れておりその後非定常状態が暫く続くのが分かる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は8章からなり、第1章は序論であり、2章と3章で数理経済学におけるマーケットの時系列解析結果及び経済物理学におけるマーケットの特徴について従来の結果を論じ、第4章でランジェバン方程式にもとづく時間変動物理量の統計力学的解析法とKM20ランジェバン方程式にもとづいた時系列解析法、第5章では、KM20ランジェバン法を株式および為替マーケット現象に適用し、新たにマーケットの時系列予測法を確立、従来の予測モデルとのブオング法による統計学的直接比較を行った。第6章ではこの新しい方法により、マーケットの株価および為替変動が日変動および分変動において時系列は定常変動と非定常変動を含んでおり、その変化の仕方は非周期であること、定常変動期のランダム性は弱形式を含むことを明らかにした。また、価格変動の確率分布が中心部分はガウス型に近いが尾の大きなファトテイルを持つことは非定常時間変動部分が担っていることが示された。第7章ではバブル崩壊期の時系列の特徴が個別部門でも、日経平均でも定常変動から非定常変動へ変化することを示し、この解析手法がバブル変化を特徴付けられる可能性を指摘した。さらに第7章ではマーケットの基本である効率性についても、株分割による市場変動に着目して、前後における時系列の解析を行い、ファウマによる弱効率性を明らかにした。第8章では全体的な議論を展開し、従来の統計学にもとづく時系列解析とはことなり、力学過程をふくむ数理的過程を市場変動に適用したときの市場の経済物理学的な特徴があらたに導かれることを議論した。今後このような手法による経済物理学の進展が期待されることが指摘された。これらの研究内容は複雑理工学の分野で十分に独創的であり、論文提出者が当該分野で十分に博士の資格を有するものと判断される。

したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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