学位論文要旨



No 120597
著者(漢字) 仲川,喬雄
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,タカオ
標題(和) カイコガにおける性フェロモン受容機構に関する研究
標題(洋) Studies on molecular mechanisms underlying sex-pheromone reception in the silkmoth Bombyx mori
報告番号 120597
報告番号 甲20597
学位授与日 2005.06.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第141号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 東原,和成
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 教授 藤原,晴彦
 東京大学 教授 神崎,亮平
 東京大学 教授 片岡,宏誌
内容要旨 要旨を表示する

序論

嗅覚は様々な種の生物にとって、外界の化学物質を認識する重要な感覚である。特に、昆虫は食物、交尾相手、産卵場所の探索などの行動を化学受容に強く依存しており、様々な匂いの中から特定の匂いを感度よく認知する。また、昆虫は一般的な匂い物質を認識する機構とは別に非常に高い感受性と選択性を備えたフェロモン受容機構を持つ。カイコガ性フェロモン(bombykol)は1956年フェロモン物質として初めて構造決定された物質であり、メスカイコガフェロモン腺から空気中へと微量放出され、受容したオスカイコガに対して婚礼ダンスを引き起こす(図1a)。混合物として活性を示す他の鱗翅目昆虫の性フェロモンと異なり、bombykolは単一化合物で種特異的かつ高感度な生理的効果を示すことから、フェロモン受容機構解明のモデルとしてこれまで多くの研究がなされてきた。

昆虫の触角には、一般的な匂いを感知する繊毛とフェロモンを感知する繊毛の2種類が存在し、それぞれの繊毛には1対の嗅神経細胞からの樹状突起が伸びている(図1b)。これら嗅神経細胞の樹状突起上に局在している受容体によって外界からの化学物質が受容されると考えられている。

近年、ショウジョウバエのゲノム解析によって昆虫喚覚受容体遺伝子が同定され、哺乳類喚覚受容体と同じくGタンパク質共役型受容体ファミリー(GPCR)に属することが報告された。昆虫嗅覚受容体は、特定の匂いリガンド特異性を有し、嗅神経の応答性は発現している嗅覚受容体リガンド特異性に依存していることが示されている。このように、一般的な匂い受容機構については分子レベルでの知見が集まりつつあるが、フェロモン受容における高い感受性と選択性を生み出す分子メカニズムについては不明である。

本研究では、アフリカツメガエル卵母細胞発現系を利用し、カイコガ性フェロモン受容体候補遺伝子の機能解析を行うことを目的とした。

結果

アフリカツメガエル卵母細胞発現系の構築とカイコガ性フェロモン受容体の機能解析

昆虫喚覚受容体がGPCRファミリーに属すること、およびフェロモン刺激によってセカンドメッセンジャーが産生されるという知見から、カイコガ性フェロモン受容体もGPCRファミリーに属すると推測された。そこで、GPCRを機能的に発現可能なアフリカツメガエル卵母細胞発現系を用い、様々なシグナル経路を検出可能な系を構築した。マウス嗅覚受容体をモデルシステムとして、cystic fibrosis transmembraneconductance regulator(CFTR),Gα15を卵母細胞に共発現させることで、匂いリガンド刺激による応答をCl電流として検出することに成功した。

この発現系を用いて、京都大学との共同研究により同定されたオス触角特異的に発現するカイコガ性フェロモン受容体候補遺伝子BmOR1(Bombyx mori olfactory receptor 1)の機能解析を試みた。カイコガ触角内在性Gαqタンパク質であるBmGαを共発現させることで、bombykol刺激に対して、Ca2+依存性Clチャネルを介した電流が発生することを確認した(図2)。BmOR1はbombykolに対してのみ反応を示し、メスカイコガからbombykolと同時に放出されるbombykal(図1a)に対しては反応を示さなかった。しかし、BmOR1の反応にはin vivoで報告されているよりも高濃度のbombykol(数+uM)が必要であり、応答率も低かった。これらの結果は、BmOR1がbombykol受容体であることを示唆すると同時に、ヘテロな系で効率良くフェロモンシグナル伝達を再構成するためにはさらに何らかの因子が必要であることを示唆した。

Or83bfamily 遺伝子(BmOR2)の共発現系

哺乳類では1つの喚神経細胞には1種類の嗅覚受容体のみを発現していることが知られている。一方、ショウジョウバエの嗅神経細胞でも1種類の喚覚受容体遺伝子が発現していることが報告されているが、例外としてOr83b喚覚受容体はほぼすべての喚神経細胞で他の嗅覚受容体と共発現していることが知られており、さらに、他の嗅覚受容体とは異なり昆虫種間を越えて高い配列保存性を有している。このことから、Or83bはリガンド認識ではなく、嗅覚受容システムに不可欠な機能を担うことが示唆されていた。そこで、Or83b familyの種間での高い配列保存性を利用し、保存配列を基に縮重プライマーを設計し、カイコガのOr83b orthologueであるBmOR2をクローニングした。

次にin situ hybridization法により触角嗅神経細胞でのBmOR1との発現分布を比較した(図3a)。BmOR2は多数の嗅神経細胞に発現しており、すべてのBmOR1発現細胞はBmOR2を共発現していた。この結果は、触角でのフェロモン受容においてもBmOR2がBmOR1と共役して機能していることを示唆した。そこで、卵母細胞発現系において、BmOR2をBmOR1と共発現させ、bombykol刺激に対するBmOR1応答測定を行った。その結果、BmOR2の導入により卵母細胞膜画分におけるBmOR1発現量の増加が観察され(図3b)、bombykol刺激に対して応答する卵母細胞の割合の飛躍的な増加および応答闘値濃度の減少が確認された。また、BmGαq共発現で見られたCa2+-Cl-電流と異なる非選択性カチオン電流がbombykol濃度依存的に検出された(図3c)。同様に、他昆虫のOr83b orthologueもbombykolに対する応答率の上昇と膜画分におけるBmOR1発現量の増加を引き起こすことがわかった。また、bombykol刺激で生じるカチオン電流がフェロモン受容だけでなく匂い受容でも起きているのかを検証するため、匂いリガンドの同定されているショウジョウバエ嗅覚受容体(Or47a)を用いてアッセイを行った。その結果、フェロモン刺激と同様に匂い刺激によっても非選択性カチオン電流が生じた。これらの結果は、Or83bfamilyが昆虫の嗅覚システムにおいて、フェロモン受容および匂い受容に必須の機能を持つことを強く示唆するものである。

次に、bombykol刺激によって活性化されるシグナル伝達経路を解析するために、Gタンパク質阻害剤であるGDPβSおよび4種類のイオンチャネルブロッカーの投与下において、bombykol刺激に対するBmOR1応答に対する影響を調べた。その結果、transient receptor potential(TRP)チャネルの阻害剤で応答の消失が確認されたが、GDPβSでは応答の消失は見られなかった。この結果は、bombykol刺激によるカチオン電流の発生には、Gタンパク質が関与しないことを示唆するものであった。Or83bfamilyは昆虫喚覚受容体の膜移行を促進するだけでなく、リガンド刺激に対して、新規シグナル伝達経路の活性化を誘導することが明らかとなった。

カイコガ触角でのフェロモン受容機構

カイコゲノムデータベースを用いて、新たに4つのオス特異的あるいはオスで優位に発現する喚覚受容体を同定し、フェロモンに対する反応を検証した。4つの受容体のうち、BmOR3はbombykalに強く反応を示した。この反応はbombykal濃度依存的に起こり、BmOR1のbombykolに対する応答よりも闘値が低かった(図4a)。しかし、構造類似物質であるセチルアルコール(C16-OH)および、他の匂い物質41種には反応を示さなかった。BmOR3のオス触角における発現をin situ hybridizationで確かめたところ、BmOR3はBmOR2と共発現しており、BmOR1とはそれぞれ隣り合った細胞で排他的に発現していることが示された(図4b)。さらに、BmOR1,BmOR3を発現する喚神経細胞がフェロモン受容細胞であるのかを確かめるためフェロモン結合タンパク質(PBP)との発現比較を行った。PBPのmRNAは触角のフェロモン感受性繊毛内の喚神経細胞を取り巻く支持細胞に発現していることが知られている。その結果、BmOR1,BmOR3発現細胞は共にPBP発現細胞に囲まれるように局在していた。これらの結果は、BmOR1,BmOR3がフェロモン感受性繊毛内の二対の細胞にそれぞれ対になるように発現していることを示唆する。このことは、bombykalがオスカイコガのフェロモン感受性繊毛に内在する二対の嗅神経細胞のうち、bombykolに反応を示さない細胞を活性化するという電気生理実験の結果と一致しており、カイコガフェロモン受容システムにおいて、BmOR1がbombykol受容体として、BmOR3がbombykal受容体として機能していることを強く示唆する結果である(図4c)。

結論

本研究では、アフリカツメガエル卵母細胞を用いた電気生理学的応答を指標にして、オス特異的に発現している喚覚受容体がこれまで数十年間未知であった性フェロモンの受容体であることを見出した。この2種の受容体(BmOR1,BmOR3)はオスフェロモン感受性繊毛内の隣同士の喚神経細胞に発現しており、それぞれがカイコガ性フェロモンbombykol,bombykalに反応することを明らかにした。さらに、Or83bfamily遺伝子が様々な昆虫の匂い受容およびフェロモン受容に共通の機能を有し、7回膜貫通型受容体としてこれまで知られている機能以外の役割を担うことが示唆された。高感度、高選択性を備えた究極の分子認識システムといえる昆虫の性フェロモン認識機構について、受容体レベルでの知見を与えた初めての結果である。

図1 カイコガの性フェロモンと触覚の構造

図2 BmOR1とBmαq共発現卵母細胞のbombykolに対する応答

図3 BmOR1とBmOR2の共発現とbombykol応答

図4 BmOR3のbombykol応答と触角での局在

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、これまで数十年間未知であったカイコガの性誘引フェロモンであるボンビコールの受容体の機能解析に成功している。論文提出者は、アフリカツメガエル卵母細胞を用いた電気生理学的応答を指標にして、オス特異的に発現している喚覚受容体が性フェロモンの受容体であることを見出した。この2種の受容体(BmOR1,BmOR3)はオスフェロモン感受性繊毛内の隣同士の喚神経細胞に発現しており、カイコガ性フェロモンボンビコールと、その酸化体であるボンビカルに、それぞれが特異的に反応することを明らかにした。さらに、嗅覚受容体のひとつと考えられていたOr83b family遺伝子が様々な昆虫の匂い受容およびフェロモン受容に共通の機能を有し、7回膜貫通型受容体としてこれまで知られている機能以外の役割を担うことを示した。高感度、高選択性を備えた究極の分子認識システムといえる昆虫の性フェロモン認識機構について、受容体レベルでの知見を与えた初めての結果である。

本論文は、大きくわけて二章立てになっていて、一章では、ボンビコール受容体であるBmOR1の機能解析、およびカイコガのOr83b family遺伝子であるBmOR2との共発現解析についての結果が述べられている。二章では、もうひとつのオス特異的な受容体であるBmOR3がボンビカル受容体である実証結果を示し、BmORlとBmOR3が一感覚毛の一対の神経細胞に発現していることを明らかにしている。この発現様式は、昆虫におけるフェロモンブレンドの識別機構を綺麗に説明できる発見である。全体を通して、結論を導き出すのに十分な実験データが報告されている。研究成果そのものはScience誌に掲載されたことからわかるように、世界的にもインパクトのあるものである。

本審査における、論文提出者の口頭発表は、非常にわかりやすく、明快に研究成果が説明された。審査の質疑で集中した点は、BmOR2が7回膜貫通型受容体としての新規の機能をもつという点である。非選択性カチオンチャネル活性への情報伝達機構がまだ明らかになっていないので今後の課題として残されている。また、英語で書かれた博士論文は、審査員全員の共通コメントとして、大変わかりやすく、理路整然と説得力ある形で書かれているという評価があった。

なお、本論文は、京都大学の西岡孝明、桜井健志両博士との共同研究である。BmORlおよびBmOR3の同定に関しては桜井博士が行ったが、それ以外の結果は、論文提出者が全て行った結果であるので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上の結果、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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