学位論文要旨



No 120601
著者(漢字) 野村,親義
著者(英字)
著者(カナ) ノムラ,チカヨシ
標題(和) 植民地期インドにおけるタタ鉄鋼所の発展と企業組織 : 1900年代-1920年代
標題(洋) Corporate Oraganization Matters: a case study of the Tata Iron and Steel Company in India under colonial regime in the 1900s-1920s
報告番号 120601
報告番号 甲20601
学位授与日 2005.07.04
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2921号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 原,洋之介
 東京大学 教授 中里,成章
 東京大学 教授 池本,幸生
 一橋大学 教授 谷口,晋吉
 東京大学 助教授 万木,孝雄
内容要旨 要旨を表示する

研究の目的

本稿の目的は、(1)植民地期インドの工業化を牽引した最大の要因のひとつとして、「企業組織」の発展が挙げられることを、植民地期インドの最大の近代的重化学工場、タタ鉄鋼所を舞台に考察することである。その上で、(2)近代的企業の企業組織はどのように発展し、(3)発展した企業組織は企業そのものの発展にどのような影響をもたらしたのかを、企業内部資料に依拠しつつ明らかにする。

また本稿では、(1)植民地期経済政策(特に1920年代の保護関税導入と為替切り上げ)、(2)生産財・生産要素・資本市場における情報の非対称性の存在が、企業組織の発展、もしくは企業そのものの発展に対しどのような影響を及ぼしたのかにも十分配慮しつつ、考察を行う。

研究の意義

近代的経済発展に際し、市場に代わり企業組織が資源配分の調整に大きな役割を果たしてきたことは、欧米・日本を中心とした多くの経営史家によって指摘されている。ところが、既存のインド史研究は、近代的経済発展とともに出現したTataやBirlaなど大ビジネス・グループの支配下にある近代的大企業を論じるさい、創業者の人物像や彼らの独立運動との関係にのみ多く関心を払う傾向が強かった。インド史研究において、彼らの支配下で、資源配分の効率化を目的に実際どのような近代的企業組織が形成され、20世紀のインドに強い影響力を有することとなる巨大企業がどのように出現・発展したかを明らかにしようとする研究はあまりない。

もちろんこのことは、近代的大企業の発展そのもの論じる研究が皆無であることを意味しない。しかし、これら近代的大企業の発展そのものを論じる時でさえ、(1)植民地政策もしくは、(2)要素賦存比率・市場情報の不確実性、のみに焦点を当てて大企業の発展が議論されることが多い。これら外的環境の下、大企業がいかに、市場に代わり生産財・生産要素・資金の需給調整を行う近代的企業組織を発展させ、後の経済発展の基礎を築いたのかを議論した研究は極めて少ない。

これらに関する研究の希薄さは、本研究で明らかにするように、市場に代わり需給の調整を行う企業組織の発展如何がインドの近代的経済発展・工業化の進展に大きな影響を及ぼしたと考えられることから、インドの経済発展を考える際、深刻な研究の欠如である1。また、これらに関する研究の希薄さは、植民地期・独立後インドの政治・経済の表舞台で活躍したTataやBirlaなどのインド人資本家が、どのように彼らの政治・経済力の基盤である近代的工業経営に成功したのかに関し、有効な説明ができない、という点でも深刻な問題である。

本稿の目的はこの研究の空白を埋めようとするものである。なお、インドの企業組織の発展に関する本研究は、植民地期に形成された企業組織を基礎に形成された独立後の企業発展、特に1991年の自由化後、活発な活動が見られるようになったインド民間企業組織もしくは企業そのものの発展を考える際、歴史的な展望を提供するという意味で、現代的意義もある。

本稿は、インド初の本格的重工業タタ鉄鋼所(創業1907年)の創業期(1900年代から1920年代まで)に注目しつつ、企業組織の発展を考察する。タタ鉄鋼所のこの創業期は、それまでインドに存在しなかったほどの規模の巨大企業組織が、タタ鉄鋼所を舞台に始めて形成された時期である。(資本規模がそれ以前の平均的な軽工業の20倍ほど)その為この時期、生産財・生産要素・資本の需給調整を目的にタタ鉄鋼所が企業組織をいかに形成したかを明らかにしようとする本研究は、インドの、特に重工業部門に属する企業の企業組織の生成とその企業そのものの発展との関係を考える上で貴重な事例を提供するものと考えられる。その際、本稿では特に、この時期大きく変貌を遂げた、長期資本、生産財、労働力の需給調整を目的とした各種企業組織の発展に注目する。

なお本稿は、考察対象をタタ鉄鋼所に限定するため、先述の、植民地期インド工業化をめぐるインド経済史研究の限界を克服するという学問的意義とともに、従来のタタ鉄鋼所発展史に対する学問的意義も有するものと期待される。従来のタタ鉄鋼所研究史では、植民地期インドにおけるタタ鉄鋼所の例外的とも言える成長の多くを、植民地政府との良好な関係とそれに由来する政府のタタ鉄鋼所製品の優先的買い付け契約の締結(1910年代)や例外的保護関税の付与(1920年代)に帰すものが多かった。こうした論者のうち、一部のものは、このことを理由に、タタ鉄鋼所を事実上支配するタタ家を、植民地支配側の資本家ととらえ、植民地支配に抵抗するその他資本家とは一線を画する、と解釈してきた。なお、これら植民地政府との良好な関係がタタ鉄鋼所の成長主因であるとする考えは、タタ鉄鋼所の成長をその需要側面に注目するものと考えることができよう。一方、タタ鉄鋼所の供給側面に成長原因を求める論者もいる。彼らは、タタ家メンバーを中心とするタタ鉄鋼所経営陣の旺盛な企業化精神やインドの豊富な天然資源などの供給要因が、タタ鉄鋼所の例外的な発展を支えた、と考えている。

本研究は、まず、タタ鉄鋼所と政府との良好な関係に起因する需要保障、もしくは企業家精神や豊富な天然資源などの供給側のアドヴァンテッジは、これらだけではタタ鉄鋼所の主要な成長要因を構成するとは考えられないことを明らかにする。このことは、従来一部の研究者によって強調されてきた、タタ鉄鋼所と植民地政府との密接な関係とタタ鉄鋼所の成長を強く結びつける見解に再考を促すという点で、インド経済史において特に意義のある見解であると考える。その上で、本稿は、こうした政府による需要保障や供給面でのアドヴァンテッジのもと、タタ鉄鋼所が生産性向上を目的に企業組織の継続的な革新を行い、かつ一定の成果を挙げたことこそが、インド経済史において例外的成長を遂げたタタ鉄鋼所の成長の主因と考えられることを示す。

研究の結論

1. 考察期間を通じ、重工業の進展に必要な生産財・投入財・資本の需給調整を市場が十分に行い得ないとき、市場に代わる「企業組織」の発展如何が、インド近代的経済発展・工業化の進展に大きな影響を及ぼしていた。はじめに本稿では、成長会計分析を通じ、このことを示す。分析では、1913/14年から1939/40年にかけてのタタ鉄鋼所の主たる成長原因として、TFPと固定資本の成長がほぼ同じ比率の高い寄与度を示していることを示す。(両者あわせて90%弱)その上で、本稿では、TFP、固定資本の成長がタタ鉄鋼所の成長に大きく貢献した時期において、タタ鉄鋼所内部で大きな企業組織改革が行われていたことを示し、TFP、固定資本の成長の双方にとって、企業組織改革が重要な役割を果たしていたと考えられることを簡単に示す。以下、具体的に考察を行う。

2. まず、操業初期の1900年代まで、タタ鉄鋼所は単なる銑鉄生産会社であり、綿紡績工場のほんの2,3倍規模の工場に過ぎなかったことを示す。またこの時期、タタ鉄鋼所の発展にとって本質的に有効な経済政策は皆無であったことも示す。これらの主張は、インド・ナショナリズム運動初期段階の1つの象徴的な事件であるスワデシ運動の元、タタ鉄鋼所は操業当初、インド人から豊富な資金提供と政府からの譲歩を引き出し、創業まもない時期から鉄「鋼」生産において、良好な成果を上げていたとする従来の見解と大きく異なる。本稿は、政府の譲歩もインド民衆の資金提供も、この時期ほとんどタタ鉄鋼所の生産に寄与せず、結果としてタタ鉄鋼所は鋼材生産に失敗していたことを明らかにする。

3. その上で、インドにおいて本格的な重工業鉄鋼会社が誕生するには、既存の銑鉄会社、綿紡績会社などの20倍近くの莫大な固定資本の投下を必要としたことを明らかにする。また、その固定資本投下の実現には、長期資本取引と生産財・生産要素取引を安定させる企業組織を「ほぼ同時期に」整備する必要があったことも、あわせて明らかにする。

4. 第1次大戦期、長期資金取引を安定化させる仕組み「内部金融制度」(戦略)が戦時利潤を基礎に発達し、この内部金融制度(戦略)の発展が莫大な固定資本の投下を可能としたことを示す。なお、この内部金融制度(戦略)は、外部金融「市場」の未整備や政府の緊縮財政政策に基づく実質金利高による不利益の克服を目的に発達した。このことは、長期資金市場が未整備であるとき、内部金融制度の発達が工業化を促すとする、1990年代以降のインド自由化を念頭に置きながら内部資金充実の重要性を主張するMukherjee Reed2らの主張と符合する。

5. 第1次大戦後、増加した固定資本に基づく生産を有効に機能させるため、生産財・生産要素(特に労働力)取引を安定化させる必要が出てきた。

6. タタ鉄鋼所は、従来伝統的な「市場」取引に多くを依存してきたこれら生産財・生産要素(特に労働力)の需給調整を安定化させるため、企業組織(販売部門と労務管理部門)を強化し、問題の解決を試みた。

7. これら企業組織の発達に対し、1924年の為替の切り上げは負の影響を持った。ただし、タタ鉄鋼所は、企業組織を発展させることで(科学的労務管理制度の導入)などで、その負の影響の緩和に成功した。(他の近代的インド製造業が、同様の会社組織の発展に必ずしも成功しなかったことは注目に値する)

8. また、1924年6月の保護関税導入は正のpositive影響を持った。ただし、なぜpositiveな影響をもったかは、従来インド経済史で強く信じられていたように、鉄鋼に対し与えられた関税率がほかの財に比し十分高かったからではなく、関税は必要最低限の保護のみを与えるもので生産効率改善のインセンティブをそぐものでなかったからである。

9. このように、企業組織の発展は、インドにおける重化学工業化を大きく後押しした。事実、1910年代初頭から1920年代末にかけて、インドの鋼材自給率はほぼ0%から50%近くへと急速に上昇した。その過程で、タタ鉄鋼所の政治・経済の各舞台における全インド的影響力も増加した。

10. しかし、こうした企業組織変化とそれを基礎とするタタ鉄鋼所の成長の増加率は、1930年代に入ると陰りを見せ始める。この原因の考察は、今後の課題である。

1本文第1章の注8に記すように、本稿は、伝統的な生産組織は近代的企業組織に比し、いかなる産業においても常に非効率であり、伝統的な生産組織は近代的な企業組織に取って代わられると主張するものではない。しかし本稿では、本稿の舞台であるタタ鉄鋼所のような多くの固定資本を有する重工業の場合、近代的な企業組織が有効であった、と考える。しかし、タタ鉄鋼所のような近代的企業組織を必要とする企業にとっても、特に操業当初は伝統的な生産組織がその成長に多く貢献していた。(本稿3章、7章で述べるようにタタ鉄鋼所において、操業当初資本・労働取引の多くは伝統的な取引形態を通じ需給調整が行われていた。)また、本文注16で示すように、発展した近代的企業組織の多くは伝統的な生産組織を基礎に、もしくはそれと融合しながら成長したという点で、伝統的な生産組織が近代的な企業組織形成にきわめて重要な影響を与え、その意味で近代的企業組織の中に、伝統的な生産組織は息づいている、と考える

2Mukherjee Reed,A.[2001], Perspectives on the Indian corporate economy : exploring the paradox of profits, Basingstoke, Hampshire ; New York : Palgrave, Mukherjee Reed,A.[2003], Corporate Capitalism in Contemporary South Asia, Conventional Wisdoms and South Asian Realities, Basingstoke, Hampshire ; New York : Palgrave.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、1900年代から1920年代にかけてのタタ鉄鋼所に注目して、重工業の進展に必要な生産財・労働・資本の需給調整を市場が十分に行いえないとき、このような市場の欠陥を克服させるどのような企業の内部組織が発展してきたのかを、制度経済学という理論的枠組みのもとで、解明することを試みたものである。その主要な結論は次の通りである。

1900年代まで、タタ鉄鋼所は単なる銑鉄生産会社であり、綿紡績工場のほんの2,3倍規模の工場に過ぎなかった。このタタ鉄鋼所が、世界的に需要が高まる鋼材生産において競争力を有する企業に成長するには、資本規模の増強など、多様な課題の克服が必要であった。

特にインドにおいて本格的な重工業鉄鋼会社が誕生するには、既存の銑鉄会社、綿紡績会社などの10倍近くの莫大な固定資本の投下を必要とした。その固定資本投下の実現には、長期資本取引と生産財・生産要素取引を安定させる企業組織を「ほぼ同時期に」整備する必要があった。第1次大戦期、長期資金取引を安定化させる仕組み「内部金融」(戦略)が、戦時利潤を基礎に発達し、莫大な固定資本の投下を可能とした。この内部金融(戦略)は、外部金融「市場」の未整備による不利益克服を目的に発達した。

第1次大戦後、増加した固定資本に基づく生産を有効に機能させるため、生産財・生産要素(特に労働力)取引を安定化させる必要が出てきた。タタ鉄鋼所は、従来市場に多くを依存してきたこれら生産財・生産要素(特に労働力)の需給調整を安定化させるため、企業組織(販売部門と労務管理部門)を強化し、問題の解決を試みた。

以上のような企業組織の発達に対し、為替の切り上げは、国際市場で決定される鋼材価格のルピー建て価格を下落させ、タタ鉄鋼所に負の影響を持った。しかし、他の多くの近代的インド製造業が同様の商品価格下落で困難に直面し続けたのに比して、タタ鉄鋼所は科学的労務管理制度の導入などで、その負の影響の緩和に成功したのである。また、鉄鋼への保護関税はタタ鉄鋼所に対して正の 影響を持った。それは、鉄鋼への関税率がほかの財に比し十分高かったからではなく、必要最低限の保護のみを与える水準でしかなかったためにタタ鉄鋼所は生産効率の改善をやらざるをえなかったからであった。

このように、企業組織の発展は、インドにおける重化学工業化を大きく後押しした。事実、1910年代初頭から1920年代末にかけて、インドの鋼材自給率はほぼ0%から50%近くへと急速に上昇した。その過程で、タタ鉄鋼所の政治・経済の各舞台における全インド的影響力も増加した。

タタ鉄鋼所が持っていた政府との良好な関係に保証された需要の確保や、豊富な天然資源などの供給側のアドヴァンテッジは、タタ鉄鋼所の主要な成長要因ではなかった。政府による需要保障や供給面での優位という条件のなかで、タタ鉄鋼所が生産性向上を目的に企業組織の継続的な革新を行い、かつ一定の成果を挙げたことこそが、インド経済史において例外的成長を遂げたタタ鉄鋼所の成長の主因であった。以上が本論文の結論である。

近代的経済発展に際し、市場に代わり企業組織が資源配分の調整に大きな役割を果たしてきたことは、欧米・日本の経済史研究で最近注目されはじめている。しかし既存のインド史研究では、近代的経済発展とともに出現したタタなど大ビジネス・グループの支配下にある近代的大企業を論じるさい、創業者の人物像や彼らの独立運動との関係にのみ多く関心が払われることが多く、資源配分の効率化を目的に実際どのような企業の内部組織が形成され、20世紀のインドに強い影響力を有することとなる巨大企業がどのように出現・発展したかを明らかにしようとする研究はほとんどない。

本論文は、インド経済史研究におけるこのような空白を埋めることに成功している。また、インドの企業組織の発展に関する本研究は、植民地期に形成された企業組織を基礎に形成された独立後の企業発展、特に1991年の自由化後、活発な活動が見られるようになったインド民間企業組織もしくは企業そのものの発展を考える際、歴史的な展望を提供するという意味で、現代的意義もある。タタ鉄鋼所の成長は1930年代に入ると陰りを見せ始めるが、その原因が本格的に考察されていないなど問題も残る。しかし、膨大な企業資料の現地での収集作業によって完成された本論分が、膨大な余剰労働力をかかえる農村を背景にした国での工業化の問題を解明した点で、博士(農学)に十分に値するものであることを審査委員全員で確認した。

UTokyo Repositoryリンク