学位論文要旨



No 120603
著者(漢字) 西村,明
著者(英字)
著者(カナ) ニシムラ,アキラ
標題(和) 戦争死者慰霊の宗教学的研究
標題(洋)
報告番号 120603
報告番号 甲20603
学位授与日 2005.07.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人第484号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 島薗,進
 東京大学 教授 池澤,優
 駒沢大学 教授 池上,良正
 九州大学 教授 関,一敏
 名古屋大学 教授 羽賀,祥二
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、戦争死者の慰霊に対する問いを宗教学的アプローチによって解明することを目指したものである。

これまでの戦死者慰霊や原爆慰霊研究の動向からうかがえることは、戦死者と戦災死者の慰霊は別個のものとして、異なる問題関心に基づいて研究されてきたという経緯がある。戦後の原爆慰霊は、反核・平和運動とのつながりをもつという観点から国際的に注目されるものであるため、国内外の空間的・地域的関係性に焦点が当てられ、その構造の分析が中心になってきたといえる。そこでは複数の行為主体によって織り成されるダイナミックな歴史的展開はあまり考慮されてこなかった。したがって、戦死者の慰霊との関係性などもほとんど考慮に入れられることはなかったのである。

そのような近視眼的傾向は、戦死者慰霊の研究についてもある程度当てはまるだろう。近年、戦死者慰霊の国家的制度や地域における具体相の短期的展開に焦点を絞った、詳細な事実の掘り起しがさかんにおこなわれ、多くの成果が上がってきたわけだが、逆にそれらがどのような展開の中に位置づけられるべき事柄であるのかが、とらえにくくなってきたように思われる。そこで、本論文は近代の戦死者慰霊と戦後の戦災死者慰霊をそれぞれ別個に論じるのではなく、戦争死者慰霊という視点を導入することで、近現代日本における戦争死者に対する生者の態度としての「慰霊」の現象を、宗教学的に分析しようとしたわけである。その際、より広いパースペクティブを確保するために、前近代からの死者儀礼の系譜的展開を、時代ごとの暴力連関のあり方に基づいて位置づけていった。とりわけ、そこにある暴力性そのものや、暴力を被った結果死亡した者が現世にたいして残していたであろう想いなどを鎮静化させたり、逆に喚起することで新たなアクションを起こす契機とするような事態を、「シズメ」と「フルイ」の対概念によってとらえることで、それぞれの場面の暴力連関に働く力学を的確にとらえようとした。また、戦争死者をめぐって展開される人々の相関性を把握するために、「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」という人称態によって死者への態度を整理した。これらのもろもろのアプローチを併用することによって、「慰霊」を構成する複数的な行為主体の動態的な関係性が浮き彫りになる。

論文の構成に関していえば、本論は、主に戦死者の慰霊に焦点を当てた第1部「戦争死者への態度理解の視角」と、長崎の原爆慰霊に関わる事例に即して展開する第2部「戦後慰霊における戦争死者への態度―長崎原爆慰霊を事例として」の2部構成で展開する。

第1部の1章から3章は、その議論の展開において互いの章のあいだに線形的つながりは確保しておらず、むしろ、3つのテーマをそれぞれ別の角度から論じることによって、第2部の議論に生かすことを目的とした章立てとなっている。したがって、第1部は、第2部の議論の前提になるという意味では、むしろ長い序論ととらえることも可能である。

1章の「慰霊と暴力連関−戦争死者儀礼の系譜的理解」では、中世以来の戦死者儀礼のあり方の変遷を、各時代における暴力連関のもとで複線的に織り成されるさまざまな死者儀礼の系譜的展開のうちでとらえようと試みた。そこでは、黒田俊雄の議論を出発点としながらも、たんに戦死者を「シズメ」、飼いならすような体制的な戦死者儀礼の展開にとどまらず、民衆レベルで見られる、御霊信仰や無縁仏供養、さらには具体的な暴力に対する組織的対応としての一揆なども視野に入れて、近現代の戦争死者慰霊を複数的な歴史的系譜のうちに位置づけようとしたものである。

2章の「ウチの死者とヨソの死者と―戦死者表象の集合化と戦死者儀礼の集団化」は、近代の戦死者慰霊に焦点をしぼり、遺族などによる個別的関係性にもとづく二人称的死への対応と、死者と直接の関係性を持たない共同体構成員による三人称的死への対応とがどのように関係づけられていったかということを、戦死者像が集合化してとらえられるようになるプロセスと、生者の側の儀礼参加者の集団化・組織化のプロセスをとおして理解したものである。

3章の「慰霊における死者の位置−戦争死者の記憶とたましい」は、慰霊における「霊魂(たましい)」が果たす機能について考察したものである。とくに「霊魂」と「記憶」との関係性を軸として、死者のたましい=記憶をなだめる「タマシズメ」と、死者との対面をとおして生者の能動的実践を喚起する「タマフルイ」という概念を用いて、近代の国家的慰霊システムの中核をなすと思われる招魂システムの系譜的理解を試みたものである。

第2部「戦後慰霊における戦争死者への態度―長崎原爆慰霊を事例として」では、戦後の戦災死者慰霊の具体例として長崎の原爆慰霊をとり上げ、第1部で展開した議論のマトリクスのうえで、個々の慰霊実践や原爆死者への態度を位置づけた。その際、とくに戦死者慰霊との関係性は重要な指標となっている。戦後に始まる原爆慰霊の展開は、それまでの戦死者慰霊とどの程度の連続性を持ち、またどの程度不連続なものであるかということをひとつの切り口とすることによって、先行研究ではとらえられなかった原爆慰霊のもつ性格を照射しようとした。

4章「戦後慰霊の展開とその二源泉―長崎における全市的原爆慰霊の公共性を軸に」では、長崎の全市的な規模で行なわれている原爆慰霊を取り上げ、複数の行為主体が相互に複雑に絡みながら実践している慰霊行為の展開過程を、第1部の議論を参照しながら概観した。とくに、国家的慰霊システムの戦前における公的(official)性格と、無縁死没者や原爆死者一般への態度に見られる二人称的=私的関係を越えた、三人称的=公共的・公開的(public)性格という二つの公共性の様態とそれらの相関性の把握が議論の中心である。

5章「永井隆と原爆死者−浦上燔祭説と「シズメ」の平和主義」では、戦後長崎における原爆をめぐる言説空間において大きな影響を与えた長崎医科大学の医師永井隆の原爆死者に対する態度の理解を試みた。原爆死者を神への燔祭(犠牲)としてとらえた永井の思想をめぐっては、これまでさまざまな論争を起こしているが、本章では、まずその論争の要点を整理したうえで、その思想の淵源を直接カトリック思想に求めるのではなく、彼の人生史における死者体験のうちで理解することを試みた。最後に、彼の思想のもつ志向性を「シズメ」の平和主義として抽出した。

6章「岡正治における慰霊と追悼―「二様の死者」のはざまで」は、「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」の建立にたずさわり、「長崎忠魂碑訴訟」の原告でもあった日本福音ルーテル教会の牧師で長崎市議会議員も努めた岡正治の言動をとり上げたものである。彼の朝鮮人原爆死者へのまなざしと、忠魂碑等の戦争死者碑への公金支出を糾弾する姿勢から、法的・イデオロギー的レベルではとらえられない、戦争死者への態度の可能性を探究した。

7章「死してなお動員中の学徒たち―被爆長崎医科大生の慰霊と靖国合祀」は、長崎医科大学原爆犠牲者遺族会というひとつのアソシエーションの活動に焦点を当てたものである。遺族たちは、医科大生が軍医増産のための講義中に被爆したことを政府に訴えた結果、準軍属として認められ、靖国神社に合祀されることになった。そこには、死亡当時の国家との身分的関係に基づく補償政策が背景としてあるが、そのような国家との関係を追認しながらも、学生たちの死に意義を与えようとした遺族側の姿勢についてとくに理解を試みた。

8章「国の弔意?―広島と長崎の国立原爆死没者追悼平和祈念館をめぐって」は、2002年と2003年に広島と長崎に開館した国立の原爆死没者追悼平和祈念館をとり上げた。両館は、1994年に成立したいわゆる「被爆者援護法」を受けて、国の弔意を表すために建設されたものだが、国家や国民が被爆体験の記憶を継承し追悼するための場であるという以上に、被爆者や原爆死者の遺族たちにとって「意図せざる機能」を果たしていることを指摘した。そこから、「国が弔意を表す」という追悼主体をめぐる問題について考えている。

結論と展望では、本論文全体の議論のなかでも、とくに「シズメ」と「フルイ」の弁証法的関係性と、無縁死没者への態度に注目しながら、全体を簡潔に整理して、必要なコメントを補い、そこから今後なされるべき研究の展望を示している。

審査要旨 要旨を表示する

西村明氏の「戦争死者慰霊の宗教学的研究」は、文明史的展望の下に現代の戦争死者に対する慰霊行為の特徴を理論的に明らかにする一方、長崎の原爆被災者の慰霊を例として死者への関わりがはらむ宗教性の意義に迫る実証的調査研究をも志した、複合的で野心的な業績である。西村氏は、従来、別々に取り上げられることが多かった戦死者(戦没兵士)と戦災死者への慰霊行為を「戦争死者」へのそれとして包括的に取り上げ、身近な他者の、また生者が濃淡の関わりをもつ社会成員の、暴力による死の意味を問う行為として考察する。西村氏は世俗主義的な響きをもつ「追悼」という語をあえて避け、「慰霊」や「たましい」といった用語を分析概念として用いる。それは戦争死者に向き合おうとする生者の言葉や儀礼を、生者と死者が相互性をもって関わり合う行為としてとらえようとする方法論によっている。死者は沈黙して生者の作用を受ける客体なのではなく、暴力の中でなお生き続けている生者に、過去から痛みとともに問いかけて来る存在だという理解である。

このような理解は、日本の歴史の中で戦争死者がどのように慰霊されて来たかという展望と関連づけて導き出されている。宗教学者や歴史学者の業績を参照しながら、西村氏は死者が生者に働きかけてくるのに応答しようとする信仰が、政治的な機能を封じられるとともに、他方では大衆化していく中世から近世への歴史的過程を、各時代の「暴力連関」に対応した慰霊の形態としてとらえる。次いで暴力を国家が独占して全国民が戦争に関与することに備えようとする近代国家が、まったく新たな暴力連関を形成するというマクロ社会学的理解を踏まえて、「顕彰」に重きを置く国家主導の近代的慰霊が破綻するところから第二次世界大戦後の慰霊の新たな特徴が展開してくるさまが読み取られる。近代国家は死者を集合化させるが、そのために同国人の死者と異国人の死者が峻別され、「哀悼」の姿勢が抑圧される。戦後の慰霊は哀悼の回復とともに、なお引き続く死者の集合化の影響力を超えていくような諸形態を現出させる。

以上のような歴史的展望の下に、長崎でそれぞれに独自の慰霊を行った医師永井隆、牧師岡正治、長崎医大の戦災死者の遺族の、それぞれの死者への向き合い方が、また市や国の慰霊の姿勢とそれへの住民の対応の諸事例が分析されている。大きな構想力をもった独創的な理論的展望を携えつつ、具体的な事例研究から人間的行為の豊かな表情がくみ上げられ、現代日本の慰霊の特徴が的確にとらえられている。そうした分析を通して宗教理論・宗教史理論を更新する可能性を示すとともに、現代世界が問いかける政治的・倫理的問題に対する実存的かつ実践的な応答が試みられている。

多くの理論的道具立てが組み込まれており、まだ十分に練られていない概念があり、試論的な分析にとどまっている部分もある。しかし、大きな発展の可能性をはらみ、潜在的可能性に富んだ業績である。よって審査委員会は本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判断する。

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