学位論文要旨



No 120606
著者(漢字) 鮑,威
著者(英字)
著者(カナ) ホウ,イ
標題(和) 中国における民営高等教育機関の教育的機能 : 機関類型と進学者特性・雇用部門との対応関係の分析
標題(洋)
報告番号 120606
報告番号 甲20606
学位授与日 2005.07.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教第109号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,元久
 東京大学 教授 廣田,照幸
 東京大学 教授 矢野,眞和
 東京大学 助教授 鈴木,眞理
 東京大学 教授 金森,修
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的・意義

本論文は,中国における民営(私立)高等教育機関の教育的機能を,民営高等教育機関の類型別の教育内容とその進学者の特性および卒業生の雇用との関係を実証的に分析することによって明らかにしようとするものである。

中国においては改革開放体制のしたで,政府以外の団体や個人によって設立される民営高等教育機関が急速に拡大してきた。こうした民営高等教育機関の拡大は,中国の高等教育の規模を拡大させる上で重要な役割を果たしたことはいうまでもないが,同時に高等教育システムが提供する教育機会の質的構造をも大きく変質させてきた。そして後者の側面については一般に民営高等教育機関は,国公立の大学と比べれば進学者の選抜性においてより劣位の,代替的な教育機会を提供する,いわば周縁的なセクターとして理解されてきたにすぎない。しかしより具体的にみれば,民営高等教育機関は,その提供する進学機会の性質や学生の資質においても,また卒業生の就職においても,公立大学にみられなかった,きわめて多様な,新しい役割を果たしている。

こうした問題は必ずしも中国に固有ではない。日本を含めて各国の高等教育拡大は,伝統的な高等教育機関に新しい,いわば周縁的な高等教育機関が加わっていく過程であった。周縁的な高等教育機関は,伝統的高等教育機関に対しては選抜性や威信の上では劣位ではあるが,他方で新しい社会階層に教育機会を与え,また新しい労働市場との関係を構築していた。それが高等教育の構造自体をやがて大きく変化させていったのである。

こうした意味で,民営高等教育機関の実情を単により劣位の選択対象としてみるのではなく,むしろその教育機能の多様性の観点から明らかにすることが,高等教育全体の発展を考える上でもきわめて重要である。いいかえれば,民営高等教育機関のありかたを,高等教育システムの選抜性による垂直的な分化という視点からだけでなく,社会的な機能の多様化という水平的な分化の視点から位置づけて分析することが,中国における高等教育の現在の構造と,将来の課題を考える上でも不可欠である。

分析裸題と方法

以上のような関心から,本論文は中国の民営高等教育機関がどのような教育機能を果たしているかを,高等教育システムの垂直的分化と,水平的な分化の二つの視点を交錯させつつ分析することを課題とする。

そうした課題にアプローチするために本論文では(1)民営高等教育機関がどのような進学者を対象としているか,また学生はどのような動機をもって入学しているのか,(2)民営高等教育機関はどのような内容の教育サービスを提供しているのか,それに対して学生はどのような評価をしているのか,さらに(3)そこから送り出された卒業生が労働市場のどの部分に流入しているのか,の3点を中心的な分析の対象とすることとした。

上述の課題に応えるためにデータとして用いたのは,(1)民営高等教育機関をめぐる制度的な状況と高等教育の全体的動向を把握するためのマクロデータ, (2)教育行政部門の担当者,民営高等教育機関の学長などを対象に実施したインタビュー調査の記録,(3)筆者が2回(2001年,2003年)にわたって,中国沿海地域に立地する高等教育機関(公立・民営)の新入生(7機関,調査対象530人,回収数430,回収率81%),および卒業生(19機関,調査対象1970人回収数1624,回収率82%)を対象に行った質問紙調査の個票データ,の3つである。

なお,中国の高等教育機関は,三種(修業年限4年の「本科」,2-3年の「専科」,および学位授与権が制限された機関),二セクター(国・公立および民営)からなる。本論文の分析対象となる民営高等教育機関の類型は,本科レベルにおいては,民間資金を得て公立大学の監督下に設置される「二級学院」,また専科レベルでは「民営学院」 (現在多くが本科に昇格), 「職業技術学院」,さらに学位付与が制限されている「専修学院」,「独学試験校」である。

本論の内容

本論文は,序章,終章のほか, 6つの章から構成されている。

序章においては,高等教育機関の社会的な機能についての先行研究を概観し,日本および欧米の研究においては,非伝統的な高等教育機関についての研究が行われてきたが,その多くが高等教育の垂直的な分化を主な視点とするものであり,そこに重要な制約があったこと,中国における研究では,非伝統的な機関の社会的な機能についての実証的な分析そのものがまだ十分に蓄積されていないことを指摘した。

第一章では,中国における高等教育制度を整理し,高等教育全体および民営高等教育機関について政策および制度の変遷を跡付けるとともに,高等教育に関するマクロ統計をもとに,高等教育全体の量的拡大の推移と,その中での民営高等教育機関の発展構造を概観した。1980年代後半からの高等教育拡大においてその主力となったのは専科大学であり,特に1990年代の後半以降は民営高等教育機関が重要な担い手の一つとなったことを指摘した。また省(地域)別の民営高等教育機関在学者数と一人あたりGDPとの関係を統計分析した結果,両者の関係は必ずしも単純でなく,地域によって固有のパターンがあることを見出した。その中で本論文の研究対象となる沿海地域は,経済発展水準と民営高等教育の成長がともに高い点に特質がある。

第二章から第四章は,ミクロの視点から,民営高等教育機関への進学者の特質と,民営高等教育機関の教育的特質,両者の構造を分析した。

第二章では,進学者の社会的属性の分析を行った。公立高等教育機関とは異なり,民営高等教育機関は,中等職業技術学校出身で,県・鎮及び農村地域で台頭した自営業者・私営企業の経営者の親をもつ学生集団を中心に教育機会を提供しそいる点に特徴があることを指摘した。また分析から,機関側の多様化の傾向と並行し,民営セクターの学生は年齢層,進学経歴,学力において多彩な特徴を持つ者によって構成されていることが確認できた。ところが,こうした需要側の多様化は必ずしも民営セクター全体に一様に浸透しているわけではない。機関類型の特性を比較した結果,多様化の動きは,独学試験校をはじめとする機関群,いわば周辺的な類型からより制度の中核に近い機関へと押し寄せる形で進んでいた。

第三章では,学生の高等教育機関への進学動機を分析した。調査における進学理由への回答についての分析をもとに,高等教育への進学動機について,「状況順応志向」,「資格・技能志向」,「就職志向」という三つの次元を析出した。この三つの次元に基づいて学生を分類し,機関別学生類型の分布を分析した結果,機関類型によって,それを支える進学需要の構造が異なることが明らかになった。すなわち,二級学院と民営学院の場合,進学選択行動が非主体的で,学習目的が明確にされていない学生が多数を占める。それに対し,職業技術学院,専修学院,独学試験校の進学者の多数は高等教育機関の就職準備の役割を意識し,実践的な職業能力の獲得を目指している。彼(女)らは明確な目的意識をもち,主体的な進学選択行動をとっているのである。公立セクターと類似する進学需要に対応する前者とは対照的に,後者の機関群は新たな進学需要との間に対応関係を築いているといえよう。

第四章では,分析の焦点を民営高等教育機関内部に移した。学生による所属機関の教育への評価の分析から,機関類型によって,教育サービスの特質が明らかに異なる(と学生に認識されている)ことが示唆される。公立セクターの教育特性を踏襲し,「体系志向」に重点を置く二級学院と民営学院とは対照的に,職業技術学院,専修学院,独学試験校は,上述の職業能力の獲得を求める新たな進学需要に対応するため, 「実践志向」という新たな次元の教育サービスの創出を行っている。

第五章と第六章の分析の焦点は大卒労働市場に合わせた。第五章は学生の就業意識を,第六章は卒業生の能力の自己イメージと卒業後の初職を対象として取り上げ,卒業生がいかなる形態で,そして労働市場のどの部分によって吸収されたのかを分析した。その結果,伝統的な大卒労働市場に対応している二級学院や民営学院とは異なって,職業技術学院,専修学院,独学試験校の卒業生は自由契約方式によって,経済発展に伴い新たに成長してきた,非都市部地域に所在する,民営・郷鎮企業に就業の機会を得ていることを明らかにした。実践志向の教育特質をもつ民営高等教育機関の卒業生は,より実践力・即戦力を求める新たな労働市場で評価され,それらの間にマッチングが形成されていることを示しているものと解散される。言い換えれば,これらの機関の卒業生は従来労働市場とは大きく異なる,新しい労働需要との間に新たな労働市場を形成しているのである。

分析結果

以上に述べた分析からは,民営高等教育機関の間には大きな多様性があること,そして,伝統的高等教育機関との相対的なポジションについて,二つの異なる方向での分化が起こっていることが示唆される。

すなわち二級学院と民営学院は入口と出口のいずれにおいても公立セクターと類似しており,従来型の需要層に対応している。この意味では,これらの機関は伝統的高等教育機関の代替機能を果たすものに過ぎない。その拡大はあくまで高等教育システムのタテ方向での広がり,すなわち「垂直的分化」の部分にとどまるであろう。それとは対照に,高等教育システムの序列構造のなかで低位に置かれている職業技術学院,専修学院,独学試験校は,伝統的高等教育機関とは異なる,実践性・応用性を持つ教育サービスの提供によって,新しい労働需要に対応し,さらにそれを背景として新しい進学需要を形成している。換言すれば,これらの類型の機関は伝統的高等教育機関とは異なる社会的機能を発揮することによって,高等教育システムをヨコ方向に広げ,その中で「水平的分化」を生じさせているのである。

ただしこれは,上述の垂直的分化と水平的な分化が,相互に独立に起こっていることを意味するものではない。また将来にこうした分化の構造がそのまま持続するとは必ずしも考えられない。高等教育の拡大の過程においては,これらの二つのベクトルが交錯することによって,高等教育システムが構造的にダイナミックに変化していくのであり,本論文はその過程の一端を明らかにしたものといえる。

審査要旨 要旨を表示する

世界各国において高等教育の大衆化は、伝統的な高等教育機関の外に、周縁的な高等教育機関を加えることによって進んできた。こうした周縁的な高等教育機関は、一般には地位が低い代替的な高等教育機会として位置づけられるが、他方で新しい進学需要と労働需要に対応した教育特性を発展させ、それがやがて高等教育システム全体の機能の変質をもたらす。中国では改革開放体制の中で、既存の国公立高等教育機関に加えて、新しい制度として民営の高等教育機関を許容し、それが急速な高等教育大衆化の担い手として重要な役割を果たしてきた。しかしそうした機関は周縁的な代替機関として一括されるだけで、その社会的・教育的な機能については十分に理解されてこなかった。そうした観点から本研究は、中国の公立・民営高等教育機関のべ26機関に在籍する学生約2000人(調査票配布数約2500)に対するアンケート調査をもとに、民営高等教育機関への進学者の特性、機関の特質、そして卒業生の雇用を実証的に明らかにしようとするものである。

序章では先行研究が非伝統的な高等教育機関の階層性を強調する反面で、その独自の教育機能に十分に着目してこなかったことが指摘されている。第一章は、マクロ統計をもとに中国の高等教育拡大に民営高等教育機関が重要な役割をはたしてきたことを示している。

第二章では民営高等教育の入学者の特性に焦点をあて、公立大学の入学者と比べると、多様な社会階層の出身者が多いが、とくに都市周辺、農村の自営業者の家庭の出身者が多いことに特徴があることを見出している。第三章は進学動機を分析対象として、民営高等教育機関の中でも一部(「二級学院」と「民営学院」)においては公立大学の代替として選択されているに過ぎないが、その他(「職業技術学院」、「専修学院」、「独学試験校」)では具体的な職業能力の獲得、卒業後の就職機会の位置づけから積極的な選択が行われていることを指摘している。第四章では民営高等教育機関の教育についての学生の評価を分析し、上に述べた学生の進学動機と教育特性が対応していることを見出している。

第五章、第六章は学生自身の能力の自己評価、就業状況についての分析をつうじて、職業技術学院、専修学院などの卒業生が、自らの能力について独自のイメージを持ち、またこれまでの大卒者とは異なる労働市場で就職していることを見出している。

以上の分析を通じて本研究は、中国における民営高等教育機関が、伝統的な高等教育機関に対して劣位の代替教育機会を提供するだけでなく、教育的な特性を分化させることによってそれまでにない進学需要と労働需要に対応していることを示している。民営高等教育機関が多様である一方で調査の対象機関が限られていることから統計的推論に限界があることが指摘されたが、入手したデータについては統計的な手法を駆使して緻密な分析を行っている点、これまでの研究にない新しい実証的貢献をおこなった点は高く評価された。このような観点から博士(教育学)の論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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