学位論文要旨



No 120607
著者(漢字) 宮内,浩
著者(英字)
著者(カナ) ミヤウチ,ヒロシ
標題(和) イノシトール3リン酸受容体による細胞内カルシウムシグナル形成機構の解析
標題(洋) Analysis of the intracellular Calcium signl by mouse type 1 IP3receptor : Calcium signals generated by mouse type 1 IP3receptor in DT40 chicken B-lymphocytes
報告番号 120607
報告番号 甲20607
学位授与日 2005.07.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2568号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 助教授 郭,伸
 東京大学 講師 森島,真帆
内容要旨 要旨を表示する

多くの細胞は、ホルモン・成長因子・神経伝達物質などの様々な細胞外刺激によって、イノシトールリン脂質の代謝が活性化され、細胞内メッセンジャーとしてイノシトール3リン酸(IP3)とジアシルグリセロールを産生する。このうち、IP3は、イノシトール3リン酸受容体(IP3R)と特異的に結合・活性化し、小胞体を主とする細胞内Ca2+ストアからCa2+を細胞質内に放出させる(IP3-induced Ca2 release:IICR)機能を持つ。IP3によって放出されたCa2+は細胞内においてセカンドメッセンジャーとして作用し、様々な細胞内分子の機能を制御する事によって、受精現象・発生・開口分泌・細胞増殖・アポトーシス・感覚受容・記憶・学習などの多彩な生命活動に関与している。

外界からの刺激応答の際に、多くの細胞でスパイク状のCa2+上昇が周期的に起こるCa2+オシレーションや、Ca2+上昇が細胞質内や隣接する細胞に伝わっていくCa2+ウェーブなどのように、細胞質内・細胞間のCa2+濃度が複雑な空間的・時間的パターンをとって変化してゆくことが知られている。このようなCa2+変動のパターンは、外界からの刺激の種類や強度に依存して変化し、またそれぞれの細胞に特有のパターンがみられることから、細胞内Ca2+濃度変化の時空間パターンそのものに刺激伝達情報がコードされていると考えられている。

IP3Rは小胞体などの細胞内Ca2+ストア上に存在する細胞内Ca2+放出チャネルであり、IP3と結合することで開口し、上記のような複雑な細胞質内のCa2+上昇を引き起こす。IP3Rにはこれまで3種類のサブタイプの存在が知られており、各タイプがそれぞれ重複しつつ組織・細胞などに広く発現することから、おのおのが固有の性質を持つだけでなく、生物種・組織種に固有の発現量でそれぞれのタイプが組み合わさることによって、組織や細胞の複雑で特異的なCa2+変動パターンを形成していると考えられている。ところが、IP3Rはさまざまな細胞に広範に存在し、3種類の内在性のIP3Rを1つでも持たない細胞は報告されていない。また、遺伝子組み替え技術などで1種類でも欠損させるとその個体は成体になるまで生存できない上、IP3Rはそれぞれのサブタイプが、組織種・生物種によって発現量が決まっており、欠失しても相互に補完しあうことがないこともわかっている。そのため、細胞内の発現量の違いによる細胞機能発現の違いを知る方法も従来は無かった。以上のため、ある特定のタイプだけを単独で発現している細胞を使い、その機能や構造を解析するという実験系の開発がきわめて困難で、IP3Rの各タイプの基本的な構造・機能の違いについては未だ充分に明らかになってはいないのが現状である。

一方、ニワトリB細胞由来のDT40細胞株は、B細胞抗原レセプター(BCR)刺激によってIP3Rが産生され、Ca2+オシレーションが生じることが知られており、刺激強度によって細胞の成熟・増殖・抗体産生・アポトーシスなどの様々な生理現象が引き起こされる。また、DT40細胞株には3種類すべてのタイプのIP3Rが発現しているが、この細胞が高頻度に相同組み替えを起こす性質を利用して、遺伝子ターゲッティング法を用いて内在性の3種類のIP3Rをすべて欠失させた細胞株(R23-11細胞株)が近年作成された。このR23-11細胞株ではBCR刺激による細胞内Ca2+上昇が完全に消失しており、さらにこの刺激による細胞死が生じにくくなっていることが示されている。

そこで、本研究ではR23-11細胞株に対し、IP3R遺伝子の導入方法を確立し、マウスタイプ1IP3R(mIP3Rl)を安定に単独発現する細胞株で、発現量の異なる株を多数樹立し、単一のIP3Rによって引き起こされる細胞内Ca2+動態を測定し、mIP3R1の機能について解析を行った。

R23-11細胞株に全長のmIP3R1をコードするpBact-STneoB-Clを導入し、G418を含んだ培地でネオマイシン耐性株を選択し、144種の安定発現細胞を得た。その中で、mIP3Rlタンパク質の発現量が細胞間で比較的均一な4種類の安定発現細胞株(KMN1,13,60,107)を実験に使用した。各細胞でIP3Rの発現量を抗IP3R抗体を用いたウェスタンブロッティング法で解析したところ、得られた細胞株は、野生株のDT40細胞とほぼ同程度のIP3R1発現量を示す低発現細胞株(KMN60,107)と、野生株の10-20倍程度の発現量を持つ高発現細胞株(KMN1,13)の2種類に分けられた。それぞれの細胞株についてIP3R1と小胞体内に存在するBiPタンパク質を免疫二重染色したところ、どの細胞株でも両者の分布領域は一致し、発現させたIP3R1は発現量によらず小胞体上に存在していると考えられた。また、ウエスタンブロッティング法や免役組織染色によって、それぞれの細胞株についてBCRの発現量や局在は野生株のDT40細胞株と比べても大きな変化はなかった。さらに電子顕微鏡にて遺伝子導入・発現による細胞内微小構造の変化を観察した。細胞内の構造上の変化は見られず、一方でDT40細胞とそのMutant細胞では、原形質全体にまんべんなく存在する粗面小胞体がCalcium貯蔵の役目を担っていることが示唆された。

ついで、発現したIP3R1による細胞内Ca2+上昇濃度の変化とそれによる細胞機能発現を観察した。まず、BCR刺激による各細胞株の細胞内Ca2+濃度変化を、細胞内Ca2+イオン濃度画像解析システムARGUS-50/CAにより、Ca2+蛍光色素Fura2を用いて測定した。BCR刺激には0.002-2.0μg/mlの抗BCRIgMを使用し、それぞれの刺激強度に対する反応を観察した。

DT40細胞株では、次のようなCa2+オシレーションのパターンの変化がみられた。0.002-0.13μg/mlの範囲のBCR刺激では、高頻度で持続時間の短いCa2+スパイクからなるCa2+オシレーションが観察され、一方でより高濃度の0.5-2.μg/mlでは刺激直後から一過性の持続時間の長いCa2+上昇が観察され、その後振幅の低いCa2+上昇が低頻度でみられた。また、0.002μg/ml未満の刺激では、細胞内Ca2+濃度の上昇は観察されなかった。

低発現細胞株(KMN60, 107)では野生株のDT40細胞種とはIP3R1発現量は同程度であるが、細胞内Ca2+の動態は全く異なるパターンで観察された。0.025-0.25μg/mlの範囲のBCR刺激では、振幅が小さくきわめて低頻度なCa2+オシレーションがみられ、より高濃度の0.5-2.0μg/mlでは刺激直後に細胞内Ca2+濃度が軽度に上昇し、この状態が数十分にわたって持続し、オシレーションは観察されなかった。0.002μg/ml以下の刺激強度ではCa2+濃度の上昇は観察されなかった。低発現の2つの細胞株で、2つともほぼ同様な結果であった。

これに対し、高発現細胞株(KMN1,13)では、非常に興味深いことに野生株のDT40細胞株の10倍ものIP3Rが発現しているにもかかわらず、DT40細胞株と同様なCa2+上昇パターンを示した。また、BCRに対する感受性も類似しており、0.002μg/ml未満の刺激強度ではCa2+上昇はみられなかった。さらに発現量の差によるBCR刺激に対する感受性は明らかな差はなかった。

一方、すべてのIP3Rを欠失したR23-11細胞株では各濃度のBCR刺激にCa2+上昇はみられなかった。また、DT40細胞株,R23-11細胞株,各KMN細胞株(1,13,60,107)において、Thapsigargin(TG)0.2μMでほぼ同様なCa2+上昇がみられ、細胞内Calcium貯蔵・放出についても差はないと考えられた。

さらにBCR刺激によるApoptosis誘導実験を行った。IP3Rを全く発現していないR23-11細胞では、刺激でApoptosisが誘発される細胞は優位に少ないが、IP3R1を単独発現している細胞は野生種DT40細胞より細胞死を優位に生じやすいことがわかった。しかも、刺激強度と発現量のそれぞれが細胞死の誘導率に相関をもっている。さらに細胞内Ca2+の平均上昇量と誘導細胞死との関係から、野生種DT40細胞ではCa2+濃度上昇と細胞死誘導率が正の相関をもつことがわかったが、mIP3R単独発現細胞では発現量に関わりなく、細胞内平均Ca2+上昇量と誘導細胞死の間にも正の相関があることがわかった。このことから、3種類のIP3Rをいずれも発現している野生種と、単独発現した細胞とではCa2+シグナルのもつ意味合いが本質的に異なる可能性が示唆された。

自然界には存在しないが、mIP3R1について、単独のサブタイプのみを発現し、なおかつ発現量の異なる複数の安定発現細胞株を世界で初めて作成し、単独のmIP3R1発現による、細胞内Ca2+変動を観察した。mIP3R1単独発現でも、発現量によってその細胞内Ca2+動態は全く異なっていることが判明し、さらに野生種と比べmIP3R1単独発現細胞では誘導細胞死がより起きやすくなることから、Ca2+濃度上昇自体のもつ意味合いが異なってくることもわかった。野生株DT40細胞株からすべてのサブタイプのIP3Rを欠失させたR23-11細胞株を作成する過程で作られた、内在性の3種類のニワトリIP3Rをそれぞれ単独で残した細胞を使った、ニワトリの各IP3Rのサブタイプについて解析した報告などから、従来はCa2+の細胞内変動による細胞機能発現の違いは、主としてIP3Rの各サブタイプ間での発現量(存在量)の差とそれぞれのサブタイプに固有の性質によって説明できると考えられていた。しかし、今回の実験では、単独発現のIP3Rであっても刺激強度によって充分に多様な細胞内Ca2+動態を生じ得ること、さらに細胞の刺激条件が全く同じでも発現量が違っていれば、個々の細胞での細胞内Ca2+動態が異なることから、個々の細胞・組織における機能発現の違いが説明できることが示唆される。それはセカンドメッセンジャーとしてのCa2+動態に依存して細胞機能の発現が異なるとしたならば、単独のタイプのIP3Rでも細胞機能の多様性を説明できるだけでなく、さらにそれぞれのsubtypeが全く異なった独自の細胞機能の発現に関与している可能性があることを示している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、細胞の機能発現・apoptosisなどに重要な役割を持ち、極めて広範な組織や細胞に存在するイノシトール3リン酸受容体(IP3R)について、IP3Rを全く発現しないKnockout Cellが作製されたことを利用し、これに異なる発現量でIP3Rを発現させ、刺激によりApoptosisを誘導する系を用いて、細胞内Ca2+動態を測定し、発現量による細胞機能誘導の解析を試みたもので、下記の結果を得ている。

従来、IP3Rサブタイプの単独発現の生物種はなく(個体として生存できないため)、ようやく近年cell lineとして確立された。しかし、単独発現系でも、依然として発現量と細胞内Ca2+濃度変化や細胞機能との相関を直接観察できる実験系は存在しない。また、IP3Rはそれぞれのサブタイプが、組織・生物種によって発現量が決まっており、欠失しても相互に補完しあうことがないと言われており、発現量による機能発現の違いを知る方法もない。今回の実験系の特徴は、単独発現の系で、発現量によって細胞内Ca2+変動が変わり、その結果、Apoptosis誘導率も変わることを観察できたことにある。従って、この論文で主張したいことは、発現量の違いが細胞機能発現に関わることを初めて直接示したことである。

このことを解析するために、Ca2+signalの量的解析として、平均Ca2+上昇量を算出した。野生種のDT40細胞では、平均Ca2+上昇(=y)と刺激抗体M4の濃度(=x)とで、両対数グラフ上で直線に近似でき、これはy=axbの出力関数で表記することができると考えられる。aはCa2+signalの振幅を、bはM4濃度に依存した勾配を反映する。DT40細胞株でbest fitした時のa,b値は、a=54±10、b=0.22±0.08で、計算上b≦1であると、M4濃度と平均Ca2+上昇の関係はより非線形的になる。同様に、安定発現細胞株で係数を算出すると、a,b値はそれぞれ、高発現細胞株(KMN1,KMN13)では低発現細胞株(KMN60,KMN107)と比べ、aの値はより大きく、a(KMN1,KMN13)≧a(KMN60,KMN107)となった。これは、Ca2+signalの振幅は、発現強度に応じて大きくなることを示している。一方で、b値はいずれもb≦1と計算され、平均Ca2+上昇量とM4濃度の関係は安定発現細胞株でも線形にならないことを示し、さらにb値に有意差があることから高発現細胞株と低発現細胞株では非線形性の程度が異なることが示唆される。つまり、b値も高発現細胞株の方が低発現細胞株より大きい傾向を示すので、発現レベルは非線形性に影響する。従来の論文では、IP3Rサブタイプの組み合わせを欠如した変異DT40細胞株を用いると、IP3R1は、やや不規則なCa2+oscillationを生じ、IP3R2は、持続的で規則的なCa2+oscillationに必要で、IP3R3は、単相のCa2+上昇を生じる傾向にある、と報告されているが、それぞれのタイプの発現量については考慮されていない。本研究の実験結果からは、受容体の細胞内発現量が細胞内Ca2+動態に有意に影響し、結果的に機能発現も異なってくることを示し、Ca2+上昇とIP3Rサブタイプとの関係は発現量も考慮すべきであることを示唆した。このため、各々のIP3Rサブタイプ間の機能的な違いを解析するには、組織種や生物種による固有の発現量の違いも考慮し、各サブタイプの機能と細胞機能発現との相関を検討する必要があることを示した。

免疫電子顕微鏡の結果について、細胞内微細構造の保存性が悪く、特異抗体も受容体の存在部位である小胞体上に集積しているとは確認しがたく、曖昧なデータのため、免疫電顕の結果を論文に載せることを取りやめ、図と関連表記を削除した。

野生種のDT40細胞株において、M4抗体によるBCR刺激で誘導されるApoptosisについて知見を追加し、本文中にも最近の知見の引用を追加した。

各図において、図の表記の順を野生種(DT40)、tripleknockoutcell(R23-ll)、単独発現細胞株(KMN1,KMN13,KMN60,KMN107:前2者が高発現、後2者が低発現)の順に統一した。

免疫細胞染色について、本文と図の表現の乖離を修正し、また比較しやすい写真を使用した。

IP3Rの特異的抗体である、4C11抗体、18A10抗体につき、文献を明示し、本文中にも内容を補填した。

以上、本論文はIP3Rについて自然界には存在しない単独のサブタイプだけを発現した安定細胞株を作製し、これまで比較されたことのない発現量差による細胞内Ca2+動態の変化を解析し、細胞機能発現の多様性をもたらす可能性を明らかにするとともに、各サブタイプの混在のため今まで不可能に等しかった単独のサブタイプの機能解析に今後重要な貢献をもたらすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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