学位論文要旨



No 120611
著者(漢字) 藤井,さやか
著者(英字)
著者(カナ) フジイ,サヤカ
標題(和) マンション紛争の構造と既成市街地更新コントロール手法に関する研究
標題(洋)
報告番号 120611
報告番号 甲20611
学位授与日 2005.07.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6083号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大方,潤一郎
 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 助教授 北沢,猛
 東京大学 助教授 小泉,秀樹
内容要旨 要旨を表示する

【研究の背景と目的】

近年、大都市の既成住宅地を中心にマンション開発が活発化しており、特に超高層や大規模の物件の供給が増加している。この背景としては、不良債権処理や国有地・公有地売却等による開発タネ地の供給が続いているという状況に加え、マンション間の競争が激化する中で、共用施設を充実させ付加価値を高めた大規模物件に人気が集まっているという需要側の動向も影響しており、この傾向はしばらく続くものとみられる。しかし、臨海部での新規開発はともかく、住宅の多い既成市街地では、周辺の建物形態と著しく異なる規模・高さの建物で構成され、自己敷地内のみに良好な環境を確保する一方で、周辺の街並みの連続性を分断し、環境に多大な影響を及ぼしている大規模開発に対して違和感を持つ周辺住民は多く、一部では大きなマンション紛争が展開されている。

このような状況が生じる第一の要因としては、建築確認のよりどころとなる用途地域や建築規制が、既成市街地の建築物の更新をコントロールする基準として機能していないという点があげられる。現行の規制は、将来のまちの形を定めるような仕組みとなっておらず、市街地が成り行きで変化することを容認しているため、建築確認を経た合法的な開発であっても、実際に建つ建築物の規模・形態が、周囲の市街地の実情に照らして常軌を逸したものであれば、周辺住民の反対が起きるのである。また反対の発生に対して適切な意向調整が行われれば、紛争に発展することはないが、現行の紛争処理の仕組みは、紛争解決を当事者に委ねてしまっており、状況を根本的に解決するような役目は果たしていない。

これらの点を鑑みると、マンション紛争が頻発している状況は、単純な当事者間の問題ではなく、紛争を予防・解決できない都市計画の機能上の欠陥として捉えるべきと考えられる。このような視座から、本研究では、(1)既成住宅地においてマンション紛争が発生する都市計画の制度運用上の問題を明らかにした上で、開発コントロールの課題を整理し、(2)これらの課題に対応した既成市街地更新コントロール手法の方向性を提示することを目的としている。

【論文の構成】

本論文は2部から構成されている。第1部ではマンション紛争の実例調査から、都市計画の制度運用上の問題と現行の紛争処理の限界を明らかにし、既成市街地の更新コントロールの課題を検討している。第2部では、特に重要と考えられる地区基準の拡充と開発協議の方法について詳細な検討を行い、既成市街地で適用すべき建築物の更新コントロール手法のあり方を提示している。以下、各章の要旨を記す。

<第1部:マンション紛争の構造>

第1章では、マンション紛争の主な発生要因として、都市計画制度の限界、住民の市街地認識と規制体系の乖離、そして一方的な規制緩和が特に問題であることを指摘した。規制緩和には一般規制の緩和と緩和手法による緩和があり、それぞれに空間形成上及び制度運用上の問題があることを示し、続く第2章・第3章の事例スタディの導入とした。

第2章では、一般規制によるマンション開発に対する紛争の分析を行った。はじめに、容積率と斜線制限の規制緩和の沿革を整理し、これらの緩和によって開発可能な建築物形態が著しく変化してきたことを指摘した。そして、マンション紛争の典型事例として、新宿区神楽坂、荒川区荒川、世田谷区駒沢の超高層マンション開発を取り上げ、開発の経緯と周辺住民の反対運動の展開から、これらの開発の問題点を分析した。その結果、近年の規制緩和により、地域住民の合意を経ないまま、開発可能な建築形態が著しく拡大し、そのことが顕在化した開発地で大きな紛争が生じていることが明らかになった。また、紛争条例等による紛争処理が十分機能しておらず、紛争の根本的解決には寄与していないことが明らかになった。

第3章では、緩和手法として総合設計によるマンション開発に対する紛争の分析を行った。はじめに総合設計の仕組みや制度運用の特徴を明らかにし、次にマンション紛争の典型事例として、新宿区舟町、渋谷区恵比寿南、世田谷区用賀の開発事例を取り上げ、開発の経緯と周辺住民の反対運動の展開から、これらの開発の問題点を分析した。その結果、総合設計の制度運用では、地域特性を考慮しない一律的基準を用いた機械的審査過程による規制緩和の適用が行われており、周辺住民からは総合設計の適用が地域環境の向上に資するとは認識されていないことが明らかになった。また、このような制度運用の改善には、地域特性に応じて規制緩和の是非や割合を定めるようなきめ細かな基準の設定と、周辺住民の意向を反映した審査過程の導入が必要であることを指摘した。

<第2部:既成市街地更新コントロール手法の検討>

第4章では、第1部の事例分析から、地区特性を踏まえた基準の拡充と周辺住民の意向を反映した開発協議の実施を既成市街地の更新コントロールの課題として提示した。次に、コントロールの方式と主体に着目して、現行の既成市街地更新コントロール手法の整理を行った。方式としては、開発コントロールの重点を事前確定的な基準設定と個別の開発協議のどちらにおいているかに着目し、主体では行政と住民を設定した。用途地域などの従来の都市計画は、事前確定的な基準の設定を行政主導で用意し、その基準に従って開発を制御するものであるが、基準の内容や適用方法の限界から、市街地環境を安定的に保つ機能を十分に果たしておらず、紛争が生じていると考えられる。このような状況の改善には、事前確定的な基準の策定と運用に地域の合意を反映させる仕組み、行政が主導する開発協議、当事者間の開発協議という3つの対応が有効である。そこで本研究では、それぞれの具体例として、高度地区による地区基準の導入、条例による住民・行政・事業者の開発協議、住民と事業者の直接的な開発協議の3方式について重点的に分析することとした。

第5章では、東京都下の7区4市が新たに導入した絶対高さ型高度地区の指定状況から、地区基準拡充の可能性を検討した。比較的広い範囲を対象とした緩めの制限を導入する広域的指定では、マスタープラン等で保全すべき景観や環境水準が明確になっている市街地を対象とした「目標設定型」の指定と、周辺から著しく突出した開発のみを排除しようとする「最低環境水準確保型」の指定が行われている。前者では市街地状況に応じた高さ制限が導入されているが、後者では慣習的な制限値をとりあえず指定するに留まり、実際に発生しているマンション紛争の実態から考えると緩めの制限となっている。一方、特定の地区を対象とした「局所的指定」では、過去の紛争の経験などから、行政や地域住民の間に市街地整備の方向性について相当な合意が形成されており、比較的厳しい制限が導入されていた。以上から、地区基準の拡充には、地域の市街地イメージや環境水準についての地域住民の合意が必要であり、そのような合意が形成されていない地域では、緩めの基準設定に留まらざるを得ないことが明らかになった。

第6章では、住民・行政・事業者による開発協議を行っている国立市都市景観形成条例の分析から、開発協議の実態と成果を明らかにし、同種の協議方式の問題点と改善点を検討した。協議項目には建物形態に関わるものと、建物の利用方法やデザインに関わるものがあった。前者については、明確な基準が示されていないため、事業者側の譲歩を評価して協議を終結する傾向がみられた。後者については、事業採算性を左右しない比較的小さな変更に限って事業者の協力が得られているが、指導で意図した水準が達成されていないケースも発生していた。これらの結果から、事前に望ましい水準を明示しない開発協議では、当初案からの譲歩度合いではなく、開発計画を絶対的に評価する審議が必要であり、協議結果を確実に反映させるためには、目標イメージを具体化し、それに沿った要求の項目や水準を提示するような協議の進め方が必要であるとの示唆を得た。さらに協議によって明確になった地域特性を蓄積し、地区基準に還元することも必要であることを指摘した。

第7章では、制度にもとづかない住民と事業者の直接的な開発協議が行われた事例として、台東区谷中のライオンズガーデン谷中三崎坂と京都市中京区姉小路のアーバネックス三条を取り上げた。これらの協議では、事業者の採算性が確保できることを前提とし、白紙状態からの協議が行われている。具体的には、土地利用方針や建物ボリュームの検討から始まり、代替案の比較などを経て、最終的には建物の詳細な意匠や利用方法までもが検討されている。協議には住民と事業者のほか、建築設計の技術や都市計画の知識を持つ専門家が加わって検討を支援した。話し合いは誰でも参加できる体制をとり、結果を随時公開することで、議論の透明性と公平性の確保に努めている。実現した開発は地元にも事業者にも高く評価されたが、両地区とも隣接地で協議を経ない大規模開発が行われたことが大きな問題となった。以上から、同種の開発協議を一般化するには制度の補完が必要であることが明らかになった。また両地区ともその後、建築協定を締結しており、協議結果を地区基準に還元することの重要性も提示された。

【本論文の結論】

結章では、以上までの検討結果を踏まえて、既成市街地更新コントロール手法の方向性を検討している。はじめに、マンション紛争の問題構造として、地域住民の市街地認識と乖離した基準や仕組みを持つ都市計画の構造的な問題をあげ、法律の改変を通じた建築形態規制の緩和や特例的な許可による規制緩和がこれらの問題を助長していることを指摘した。そして、紛争状況の抜本的な解決には地域合意を踏まえた都市計画への転換が必要であるとの観点から、第4章で提示した分析枠組みを用いて、再度、現行のコントロール手法の整理を行った上で、第2部で分析した各手法の活用可能性と限界について検討した。市街地の実情に応じた基準の設定では、地域住民の相当な合意がない限り困難であるが、日本の一般的な市街地の大半にはそのような合意がなく、地区基準の拡充には地域の合意形成支援が必要である。一方、周辺住民の意向を反映した開発協議では、開発の質を絶対的に評価する審議の仕組みが必要であり、そのような審議の方法としては、住民と事業者の直接的な開発協議でみられたような、住民の立場に寄った専門家の関与と話し合いの公平性・透明性を担保するための開かれた協議プロセスが有効となる。ただし、協議の一般化には協議実施の強制力確保と、協議成果の地区基準へのフィードバックが不可欠と考えられる。以上のまとめとして、既成市街地の更新コントロールでは、地域合意を開発に反映させるための地区基準と開発協議の連携が有効であることを本論文の結論としている。

審査要旨 要旨を表示する

近年、大都市の既成市街地や郊外では中高層共同住宅(マンション)開発が活発化しており、特に超高層タワーや大規模な物件の建設が顕著である。臨海部の工場・倉庫跡地などにおける開発は別として、一般に低層住宅で構成されている既成市街地や郊外にマンションを開発する場合、景観面、居住環境面で周辺に著しい違和感・不安感を与えることになるため、各地でいわゆる「マンション紛争」が多発している。このようなマンション紛争は「違法建築」によって引き起こされているのではなく、公法的基準(都市計画法や建築基準法等により設定された基準)に適合した開発計画であるにもかかわらず、近隣住民の立場からすれば、地域の景観や環境を破壊する不適切な開発であると実感されることから引き起こされている。つまり、近隣住民の立場からすると、公法的基準自体が住民の想定する地域の景観や環境を維持保全するものとなっていないことが問題の根本原因といえるのである。

本論文は、このような現象を対象に、マンション紛争を契機として顕在化した公法的基準と近隣住民の想定する市街地像との乖離を、類型ごとに分析し、現行の公法的基準の設定や、運用の内包する問題点を明らかにするとともに、その改善の方法を論じたものである。

本論文は2部から構成されている。第1部ではマンション紛争の実例調査から、都市計画の制度運用上の問題と現行の紛争処理の限界を明らかにし、既成市街地の更新コントロールの課題を検討している。第2部では、特に重要と考えられる地区基準の拡充と開発協議の方法について詳細な検討を行い、既成市街地で適用すべき建築物の更新コントロール手法のあり方を提示している。

第1章では、マンション紛争の主な発生要因として、都市計画制度の限界、住民の市街地認識と規制体系の乖離、規制緩和が特に問題であることを指摘している。

第2章では、一般規制型のマンション開発に関する紛争の分析を行っている。まず、容積率と斜線制限の規制緩和の沿革を整理し、これらの緩和によって開発可能な建築物形態が著しく変化してきたことを指摘し、マンション紛争の典型事例として、新宿区神楽坂、荒川区荒川、世田谷区駒沢の超高層マンション開発を取り上げ、開発の経緯と周辺住民の反対運動の展開から、これらの開発の問題点を分析している。結果、近年の規制緩和により、地域住民の合意を経ないまま、開発可能な建築形態が著しく拡大し、そのことが顕在化した開発地で大きな紛争が生じていることを明らかにしている。また、紛争条例等による紛争処理が十分機能しておらず、紛争の根本的解決には寄与していないことを明らかにしている。

第3章では、総合設計によるマンション開発に関する紛争の分析を行っている。まず総合設計の仕組みや制度運用の特徴を明らかにした上で、マンション紛争の典型事例として、新宿区舟町、渋谷区恵比寿南、世田谷区用賀の開発事例を取り上げ、開発の経緯と周辺住民の反対運動の展開から、これらの開発の問題点を分析している。結果、総合設計の制度運用では、地域特性を考慮しない一律的基準を用いた機械的審査過程による規制緩和の適用が行われており、周辺住民からは総合設計の適用が地域環境の向上に資するとは認識されていないこと、また、このような制度運用の改善には、地域特性に応じて規制緩和の是非や割合を定めるようなきめ細かな基準の設定と、周辺住民の意向を反映した審査過程の導入が必要であることを指摘している。

第4章では、用途地域など地域地区による従来の規制手法は、事前確定的な基準を行政主導で設定し、その基準に従って開発を制御するものであるが、基準の内容や適用方法の限界から、市街地環境を安定的に保つ機能を十分に果たしておらず、紛争を生じさせていること、こうした状況の改善には、基準の策定に地域の合意を反映させる仕組み、行政が主導する開発協議、当事者間の開発協議という3つの対応が有効であること、それぞれの具体例として、高度地区による地区基準の導入、条例による行政・事業者・住民の開発協議、住民と事業者の直接的な開発協議の3方式があること、を指摘している。

第5章では、東京都下の7区4市が新たに導入した絶対高さ型高度地区の指定状況から、地域合意を踏まえた適切な基準の設定に関する課題を検討している。

第6章では、住民・行政・事業者による開発協議を行っている国立市都市景観形成条例の分析から、開発協議の実態と成果を明らかにし、同種の協議方式の問題点と改善点を検討している。

第7章では、住民と事業者の任意の協議が行われた事例として、台東区谷中のライオンズガーデン谷中三崎坂と京都市中京区姉小路のアーバネックス三条を取り上げ、住民・事業者の協調的な協議を通じて最適解を追求する可能性とその条件を検討している。

結章では、上記の各手法の活用可能性と限界について検討し、地域合意を踏まえた適切な基準の設定のためには地域住民の合意形成を支援する仕組が必要であること、実効性ある開発協議を実現するためには開発の影響を適正に評価する第三者的専門家の関与が必要であること、さらに、双方の手法の相互補完的運用が必要であることを指摘している。

このように本論文は、都市計画分野における今日的な課題に対し、重要かつ有用な知見を明らかにしたものといえる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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