学位論文要旨



No 120615
著者(漢字) 寺尾,隆吉
著者(英字)
著者(カナ) テラオ,リュウキチ
標題(和) ラテンアメリカの暴力小説 : フィクションと証言の間に
標題(洋) La novelistica de la violencia America Latina : entre ficcion y testimonio
報告番号 120615
報告番号 甲20615
学位授与日 2005.07.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第591号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 斎藤,文子
 京都大学 助教授 石橋,純
 京都大学 助教授 竹村,文彦
 東京外国語大学 助教授 柳原,孝敦
 慶應義塾大学 助教授 石井,康史
内容要旨 要旨を表示する

小説家は自分の生きる社会をいかにして創作に取り込むのか、これは文学と政治・社会問題が緊密に結びつくラテンアメリカ世界においては重要な問いかけとなる。現在にいたるまで武力闘争がやまず、貧困・犯罪等深刻な社会問題を抱えるラテンアメリカ諸国では、直接的に政治参加を実践する作家は多く、小説家に社会行動への積極的参加を要請する声も根強い。また、革命、内戦、独裁といった歴史に残る政治事件を文学作品の題材とし取り上げる作品は、20世紀ラテンアメリカ小説の一大潮流をなしている。

このような状況を踏まえ、本論文の目的は、ある特定の政治的事件への直接的反応として書かれた小説作品の分析から、20世紀ラテンアメリカ文学における「小説」というジャンルの構造的変質の推移過程を明らかにすることにある。具体的には、1910年に勃発したメキシコ革命に刺激された「メキシコ革命小説」、1948年に始まるコロンビア内戦を題材にした「コロンビア暴力小説」、そして1948年のクーデター以後ベネズエラを恐怖政治下においた軍事独裁制、及びそれに続く都市ゲリラを告発した「ベネズエラ暴力小説」の三つが本論考の対象であり、三者の比較対照が考察の中枢をなす。各小説群から時間軸に沿って三作品を選択し、そこに見られる政治暴力の描き方を巡る変化をとらえることで、20世紀ラテンアメリカ小説全体に共通する変遷過程と地域ごとの特色を同時に浮彫りにすることを目指す。

小説という文学ジャンルの構造変化を検証する上で中心にすえねばならない問題は、「小説の独自性」、つまり他のジャンルには還元できない小説固有の特質の確立である。この点は、ピエール・ブルデューが『芸術の規則』において提起した「場」の概念と密接に関わってくる。ブルデューも指摘するとおり、経済的基盤と社会的地位の強化により小説場の自律性が高まるに従って、小説ジャンルも隣接ジャンルとの差異化からその独自性を確立していく。ラテンアメリカにおいては、20世紀前半までは、小説は社会・経済的にジャーナリズムや国の教育政策に依存する従属ジャンルであり、当時の知識人にとっても小説とは芸術というよりは政治・教育の道具にすぎず、創作も一部の例外を除き実利的関心に従って行われていた。出版業の発展、文学賞の充実、芸術活動支援体制の確立などから1940年代以降次第に小説場はその自律性を高めていくが、その進行の度合いには国によってかなりのばらつきがある。1930年代から有力出版社が台頭し、文学賞、補助金制度などを通して芸術奨励政策が実現されたメキシコでは、1940年代からほぼ完全に創作のみに従事する専業作家が現れ始め、芸術としての小説ジャンルへの社会認識も早い段階に確立した。他方、コロンビアやベネズエラでは、出版業界の不振、文化政策の不備などから小説家の従属状態が長く続き、1960年代末になってようやく文学場の自律性が確立され始める。

政治的事件を小説創作に取り込む手法は、小説場の自律性と密接に関わっている。すなわち、自律性が低ければ低いほど事件を直接的に作品内に取り込む傾向が強まり、逆にこれが高まれば事件の取り込みに小説ジャンル固有の作法が求められることになる。小説場の自律化とそれに伴う技法的洗練がもたらす小説作法の変化は、主として作品の三つの局面に顕著に表出すると考えられる。第一に史実の再現ではなくフィクションとしての小説の確立、第二に独自のクロノトポス、すなわち時空間の構築、そして最後に未知なる領域の探求という性格の強化である。この三点に着目してテクスト分析を実現すれば、20世紀ラテンアメリカ小説の構造的変質過程を客観的かつ実証的な形で記述することが可能になる。

メキシコ革命小説の変遷は、その口火を切ったマリアノ・アスエラMariano Azuelaの『虐げられし人々』(Los de abajo, 1915)から、ホセ・レブエルタスJose Revueltasの『人間の喪』(El luto humano, 1943)による刷新を経て、カルロス・フエンテスCarlos Fuentesの『アルテミオ・クルスの死』(La muerte de Artemio Cruz, 1962)によって集大成される過程として要約することができる。出版後10年近くもたってようやく認められたアスエラの作品は革命小説のブームを引き起こし、1930年代にはルポルタージュ的記述をフィクションで脚色した小説群がメキシコ小説の主流となる。これに対して、小説のフィクション性、独自の時空間構築を掲げるレブエルタスは、ジャーナリズムと文学を混同した革命小説作家を批判し、革命小説に新たな道を開くことになる。レブエルタスによって提起された小説作法は、アグスティン・ヤニェスAgustin Yanez、フアン・ルルフォJuan Rulfoといった作家に受け継がれ、フエンテスによる「死の時空間」からのメキシコ現代史再解釈という作業において完遂される。メキシコ革命小説で特に重要となるのは、革命後様々な文化領域で勃興したアイデンティティ探求運動との結びつきであり、これが小説作品に「探求」という性格を強く刻み込むことになる。そのために、いかにして「探求」を効果的に実践するか、そのための手法的実験が繰り返されることになった。フエンテスが『アルテミオ・クルスの死』において実践した「シンボリック・リアリズム」realismo simbolicoは、小説を歴史的探求と結合させるものであり、それまでの手法的実験の頂点を極めるものであった。

コロンビアの暴力小説はメキシコ革命小説から約20年も遅れて始まったが、メキシコ小説とほぼ同じ経験を繰り返すことになった。すなわち、ダニエル・カイセードDaniel Caicedoの『空っ風』(Viento seco, 1953)の成功から、内戦下に繰り広げられた凄惨な虐殺や暴力行為を生々しく描き出すルポルタージュ風のフィクションが10年ほどの期間にわたって量産され、それが小説のフィクション性を重視する小説家の登場によって次第に沈静化していくのである。死人を羅列するカイセードの小説を厳しく批判したガブリエル・ガルシア・マルケスGabriel Garcia Marquezは、『大佐に手紙は来ない』(El coronel no tiene quien le escriba, 1957)において、死ではなく、暴力下における生活の提示に重点を置く創作作法を前面に打ち出した。時間経過は約三ヶ月、舞台は田舎部の小さな町、という限定されたこの小説の時空間のなかで、暴力時代を生き抜く主人公の緊張に満ちた生活が、ブーツや時計といった日常的所持品を効果的に用いた感覚的表現で再現されている。また、グスタボ・アルバレス・ガルデアサバルGustavo Alvarez Gardeazabalは、生活感の重視という点を継承しつつも、暴力という社会現象の起源に探求の目を向け、暴力時代の生活の再構築と歴史的探求を『コンドルは毎日埋葬しない』(Condores no entierran todos los dias, 1972)において見事に結びつけた。

ベネズエラの暴力小説では、いわゆる「ラテンアメリカ文学のブーム」に伴う小説ジャンルの急速な専門化と機を一にして勃興したため、興味深い文学現象が観察されることになった。すなわち、ルポルタージュ風フィクションの形を取ったミゲル・オテロ・シルバMiguel Otero Silvaの『オノリオの死』(La muerte de Honorio, 1963)が不評をかった後、政治的暴力を創作に取り込もうとする作家たちは、二つの正反対の傾向に分岐したのである。アドリアノ・ゴンサレス・レオンAdriano Gonzalez Leon、カルロス・ノゲラCarlos Nogueraといった文学意識の高い作家たちが小説の独自性に着目する一方、都市ゲリラや独裁制による組織的な拷問を経験した作家たちは、フィクション性を完全に排除して「ノン・フィクション」という形で自らの直接経験を記す方法を選択した。後者の代表作はホセ・ビセンテ・アブレウJose Vicente Abreuの『国家公安部隊』(Se llamaba SN, 1964)であり、そこに描かれた生々しい拷問と投獄生活の実態は、この新しいジャンルの潜在能力をまざまざと見せつけることになった。他方フィクションという小説本来の分野に目を向けると、ゴンサレス・レオンの『携帯国家』(Pais portatil, 1968)は国際的な文学賞を獲得するなどの成功を収めたものの、メキシコやコロンビアの小説作品と較べても、ベネズエラ暴力小説は不毛であったといわざるをえない。特に「探求」という小説の特質を引き出せなかったのは、ベネズエラにおける小説場の未成熟を反映する事実であったと考えられる。

以上のように、社会・文化状況の変化と連動して自律性を志向する文学場の成熟度にしたがって、小説ジャンルの構造的変化過程には国ごとにある程度までの相違が存在するが、一般的に暴力的事件を扱う小説作法の変遷にはひとつの共通する方向性が指摘できる。すなわち、歴史的事件は小説場の未成熟段階において創作の大きな刺激となって小説生産を増大させ、小説ジャンルへの社会的注目を集める。同時に、史実をフィクションという形で再構築する作業から、小説家はルポルタージュ、回想といった隣接ジャンルには欠けている小説ジャンルの独自性に着目するようになる。このような過程を経て小説ジャンルは芸術としての自律性を社会のなかに確立していくのであり、その意味では、本論文で扱った暴力小説は小説の未発展段階から成熟期への橋渡し的な役割を果たしたものと結論づけることができよう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文はラテンアメリカ20世紀前半を特徴づける革命、内戦、独裁政権による政治的暴力を背景にして書かれた小説を、暴力小説と名付け、その分析を通して、小説というジャンルが暴力小説の出現によってどのように変化してきたかを論じたものである。

具体的には、1910年に起こったメキシコ革命を題材にした「メキシコ革命小説」、1948年にはじまるコロンビア内戦を扱った「コロンビア暴力小説」、1948年のクーデター以降ベネズエラを恐怖政治下においた軍事独裁制、およびそれに続く都市ゲリラを告発した「ベネズエラ暴力小説」の三つの小説群が本論文の対象である。この三つのグループからそれぞれ三つの小説を取りあげ、合計九つの作品を比較検討することによって、20世紀ラテンアメリカにおいて小説の書かれ方がどのように成熟していったか、またこの三地域のあいだにはどのような差異が見られるかを解明した。

本論文は、序章、五章からなる本論、および結論から構成されている。

まず「序章」では、これまでのラテンアメリカ文学史を検討し、それらが作品の概要と作品の印象を並べるだけのものであり、小説の構造的変化を捉えていないこと、またラテンアメリカの地域ごとの違いを説明できていないことを指摘する。ピエール・ブルデューの「文学場」という概念を援用しつつ、社会における小説家の自律性が高まると小説の書き方も変化するという見地から、小説家が現実とどう対峙し、歴史的事件をどう小説化するのかに注目してラテンアメリカの文学史をみなおすという本論文の意義を説明する。

「第一章20世紀ラテンアメリカ小説家たちが置かれた状況」では、まず19世紀末以降、小説がナショナリズムに従属し、政治や教育の道具にすぎない作品が多く書かれた状況を分析する。そのなかで1940年代メキシコではじまった変化に注目し、小説が政治とジャーナリズムから自立していった経緯、「ブームの時代」と呼ばれる60年代にかけて、その自律性が他の国々に波及していった状況を検討する。

「第二章小説の変遷を分析するための理論的問題」では、第三章から第五章で具体的な小説の分析をするために必要な理論的問題をいくつか取りあげる。真実とフィクションの関係、小説における時空間の扱い方、シンボルを使った探求小説の登場、実験小説のテクニックについてここでは検討する。

「第三章革命とメキシコ小説」では、革命小説の出発点であるマリアノ・アスエラの『虐げられし人々』(1915)、メキシコにおける新しい小説の先駆となったホセ・レブエルタスの『人間の喪』(1943)、実験的手法を駆使し、メキシコ人のアイデンティティを問うた革命小説の集大成であるカルロス・フエンテス『アルテミオ・クルスの死』(1962)を分析する。

「第四章コロンビアにおける暴力小説」では、メキシコ革命小説のブームから20年後に、コロンビアで、メキシコ革命小説の盛衰とほぼ同じ経緯をたどった暴力小説群を扱う。そのなかでもコロンビア暴力小説の原点となったダニエル・カイセード『空っ風』(1953)、残虐な描写の多い小説への批判から生まれたガブリエル・ガルシア・マルケス『大佐に手紙は来ない』(1957)、暴力の起源を問うたグスタボ・アルバレス・ガルデアサバル『コンドルは毎日埋葬されない』(1972)の三冊が具体的分析の対象となる。

「第五章ベネズエラにおける暴力小説」では、60年代のラテンアメリカ文学の「ブーム」の時期に発表された暴力小説に目を向ける。ルポルタージュ風フィクションのミゲル・オテロ・シルバの『オノリオの死』(1963)、ノン・フィクション形式で、拷問や投獄生活を生々しく描いたホセ・ビセンテ・アブレウ『国家公安部隊』(1964)、ゴンサレス・レオンの都市ゲリラを扱った実験小説『携帯国家』(1968)の三つの小説が分析の俎上にのせられる。

「結論」では、社会・文化状況の変化と連動する文学の自律度にしたがって、小説の歴史的変遷過程は国ごとにある程度の相違が存在することを、三章から五章にかけて扱った三つの国のケースを挙げて立証する。その過程のなかで政治暴力を扱う小説が小説全体の発展、成熟に大きな役割を果たしたことを結論づける。

本論文は研究対象とするメキシコ、コロンビア、ベネズエラにそれぞれ長期滞在し、現地での調査を綿密に行った上での文学研究であり、達意のスペイン語で書かれている点は特筆に値する。

本論文の画期的な貢献は、二つの点に要約することができよう。一つは、具体的に論じられる九作品だけでなく、メキシコ、コロンビア、ベネズエラで20世紀に書かれた数多くの暴力小説を読み込んだ上で、これら三国の文学における暴力小説の性格の違いを明らかにしたことである。二つめは、従来のラテンアメリカ文学史がデータの羅列に終始する百科事典的性格のものであるという批判から、社会との関わりのなかで小説がどのように自らの領分の自律性を確立していったかを、抽象論に陥ることなく、具体的なデータおよび綿密なテキスト分析に基づいて解明したうえで、小説の歴史的変遷の理論化を試みたことである。

このように本論文は、メキシコ、コロンビア、ベネズエラの20世紀小説史、およびラテンアメリカ現代文学史の研究に新しい視座を提供する傑出した研究である。

審査では以下の弱点、問題点が指摘された。1)従来の文学理論への批判的議論が十分に行われていない。2)文学批評用語の使い方に若干の混乱、もしくは曖昧な点が見られた。3)小説は時代とともに発展・進化するという素朴な小説発展論が議論の前提となっていることに疑義がはさまれた。4)論証の過程で、さまざまに発展する可能性をもった興味深い見解が示唆されているにもかかわらず、結論を明快にまとめすぎた。

しかしながら、審査委員会は、こうした弱点は本論文の従来の研究史に対する画期的な貢献を否定するものではなく、本論文は博士論文として必要な水準を十分に達成しているものと判断した。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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