学位論文要旨



No 120626
著者(漢字) 近藤,直樹
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,ナオキ
標題(和) 半導体量子細線・リングの光物性
標題(洋)
報告番号 120626
報告番号 甲20626
学位授与日 2005.09.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6091号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 教授 平川,一彦
 東京大学 教授 中野,義昭
 東京大学 教授 田中,雅明
 東京大学 助教授 高橋,琢二
内容要旨 要旨を表示する

量子細線・量子リング等の1次元系では、電荷の運動が線上の軌道に制限される。このことに起因して、電磁的な相互作用(キャリア間クーロン相互作用、光波場−キャリア間相互作用)において、特異な性質が現れる。

本研究では、半導体1次元量子構造の光物性について、以下の研究を行なった。

量子細線中の1次元励起子に関する研究

本研究に先行して、量子細線中の1次元励起子の特異な性質(基底励起子への振動子強度集中、光強励起時でのスペクトルの安定性等)が研究されてきた。量子細線中の1次元励起子は、高次元のそれに比べて、吸収が大きく、かつ高キャリア濃度時でも安定である。

この特異性は、電荷の運動が線上の軌道に固定されているため、同じ軌道上の他の電荷を(古典的には)避けることが出来ず、電荷間のクーロン相互作用が、実効的に強まることに起因する。この時、電荷(この場合は電子と正孔)が相互に感じるクーロン力は大きく増大し、一連の励起子効果(基底励起子の束縛エネルギーの増大、振動子強度の集中等)も強化される。

弱閉じ込め細線中の1次元励起子のキャリア誘起変調

光変調器への応用を考えた場合、この安定な1次元励起子をいかに変調するかが問題となる。我々はキャリア注入による変調を考え、以下の実験を行なった。

T型量子細線構造に、変調ドーピングを施した複パーティション構造を作製し、その発光の変化を顕微フォトルミネッセンス法で評価した。結果、細線内の電子密度が増すにつれて、1次元励起子からの発光強度が最初増加した後、急激にクエンチするのを観測した。

この現象を理解するために、1次元電子密度を簡易なモデル計算から推定し、その密度領域で可能なキャリア誘起効果について検討したところ、注入した電子の斥力ポテンシャルによる電子の非局在化が主な機構であることが推定された。細線部の電子密度が上がると、その自己無撞着な斥力ポテンシャルにより、電子の細線部への閉じ込めが弱められる。このことにより励起子の1次元性が失われる結果、振動子強度を急速に失う。

T型量子細線のような、横方向閉じ込めのポテンシャルは浅いが、幅は充分狭い1次元系では、クーロン相互作用の増大の結果、励起子が大きい振動子強度を持つ。この効果を逆に利用し、弱い横方向閉じ込めを突き崩してやれば、励起子発光・吸収強度を大きく変調(減少)させることができる。本研究では、これを実験によって示し、1次元励起子状態の変調法に新しい方法を付け加えた。

強横閉じ込め細線中の1次元励起子のスペクトルとその新しい磁気分光法の開発

次に、横方向閉じ込めが非常に強く、細線の量子化準位間のエネルギー差が励起子束縛エネルギーに比べて1オーダー大きい、新しい世代の量子細線について、その励起子状態を、磁気ルミネッセンス測定で探った。

当初期待された反磁性的ブルー・シフトは観測されなかったが、高次ピークの発光強度が磁場の方向に対して、異方的な減衰をすることがわかった。特に磁場が細線に垂直に印加された時、減衰の量が基底ピークと高次ピークとで著しく異なった。理論解析の結果、これは磁気電流効果によって、1次元励起子の振動子強度が、サブバンド量子数に依存して減衰することによることがわかった。

並進運動する電荷に対して垂直に磁場を印加すると、ローレンツ力により電流と磁場双方に垂直な方向に、速度に比例した力を受ける。有限幅の細線内の電子波の場合には、細線方向の波数に依存したポテンシャルによって、断面内の波動関数がヘテロ界面の一方に押しつけられて変形する。励起子を形成するための1次元電子−正孔間クーロン散乱過程において、この機構は散乱前後の波動関数の重なりを小さくし、細線方向の波数が大きく変化するような散乱過程の起こる確率を抑える。これにより励起子波動関数の局在が阻害すれ、振動子強度が減少する。またこの効果は、サブバンド量子数が大きく、断面内波動関数の空間的な振動数が大きいほど顕著になるため、高次サブバンド状態から構成される励起子に、より強く影響を与える。

横方向閉じ込めの強い細線では、横方向閉じ込めポテンシャルを2次元的磁気励起子に対する弱い摂動と考えることは出来ないため、従来細線の磁気分光に用いられてきた、反磁性シフトから励起子有効半径の同定する方法は、もはや有効ではない。今回得られた、励起子振動子強度の垂直磁場に対する変化を測定する方法は、結晶成長技術の進歩によって得られた、強い横閉じ込めを持つ新世代の量子細線中の励起子状態を実験的に探索するための新しい道具を開発した、ということが出来る。

量子リング内の量子状態と光学遷移に関する研究

次に、新種の1次元量子構造である自己形成量子リングについて、研究を行なった。

量子リング構造は、周期境界条件を課した量子細線と考えることが出来、この系においても、キャリアの軌道運動と電磁的相互作用に特異な性質が現れることが期待される。

特に、その軌道運動が円の対称性を持つことは、円運動に起因した物理的性質、例えばよく定義された軌道角運動量を持つことを意味する。そのような電子系が量子化された時、どのような光を発するのかは興味深い。

自己形成量子リングでのリング量子状態の実現条件の検討

新種の量子構造である Type-II GaSb 自己形成量子リングについて、歪み場・ピエゾ場および量子状態の数値解析を行ない、リング状量子状態の実現に必要な条件を明示した。

自己形成量子構造では、結晶の形状にたとえ望み通りの物が得られたとしても、歪みやピエゾ場の影響のため、実際の量子状態は、ヘテロ閉じ込めから期待される形状を取るとは限らない。特に、リングのような単連結でなく、かつ高い対称性(軸対称性)を持つ構造では、基底状態の波動関数は、弱い摂動でも局在化してしまう可能性がある。

解析の結果、歪み誘起ピエゾ場によって、全ポテンシャルはその軸対称性が破られ、対称軸の回りに2回対称性を持つようになり、それに応じて、基底状態の波動関数も同じく2回対称性を持つよう変化することがわかった。原子間力顕微鏡像から推定された寸法の量子リングでは、リング内正孔の基底状態の確率密度分布には数十%の濃淡が見られ、リング外の電子はピエゾ場に引き裂かれた、複雑な分布を示す。

リングの寸法に対する依存性を調べ、歪みで誘起されるピエゾ電荷はヘテロ界面の面積に比例することから、より小さいリングでは、軸対称性破壊の効果を弱めることが出来ることがわかった。このことより、リングの寸法もしくは歪み量制御の必要性を示した。

リング量子状態を利用した多極放射制御

リング状量子状態間の遷移からどのような電磁放射が行なわれうるか、をより原理に近い立場から考えるために、電磁波源および電磁場を多極展開して理論解析を行なった。

理想的な量子リング内のキャリアの包絡関数として、動径方向にはリング半径付近に局在し、周方向に整数個の波を持つものを考え、これらの状態間の遷移を、電気多極放射について解析した。この時、遷移の始状態と終状態の方位量子数(=波の数)の差より小さい次数を持つ電気多極遷移は禁止されることがわかった。このことから、始状態と終状態を指定できれば、可能な遷移の最低次数を制御できることがわかる。しかし、現実には始状態は指定することは出来ても、遷移先の終状態は一般に複数存在し、その中ではすぐ下の準位への電気双極遷移が他を圧倒して強い。この状況をヘテロ構造を導入することで、改善することを試みた。

具体的には、量子ドットと量子リングが中心を共有する形で配置されている、いわば動径方向に並べた2重量子井戸構造を考え、ドット内の基底状態のエネルギーがリング内の小さい方位量子数の状態のエネルギーより高くなるよう、バンド間不連続量を与えた。

始状態にドット内基底準位、終状態にリング内の低方位量子数状態を考えると、バンド不連続の導入による発光波長の固定化により、高次多極放射比をリング径を大きくすることで上げられるようになり、また、方位量子数差を'反転'させたことより、低次の許容多極遷移を終状態をキャリアで充填することで禁止できるようになる。以上より、電気多極遷移の次数制御が可能になることが示された。

多重極遷移で放出される光子は、スピンの他に軌道角運動量をも持った光子である。よって、ここで提言された素子は、放射する光子の軌道角運動量を制御する機能を持つ。

本研究を貫く全体の流れは、基本的に半導体量子細線の作製技術の時系列的発展に沿ったものである。これら一連の研究に内在し、研究の進展の中で顕在化してきた新しい可能性、それは量子細線の次元性以外への可能性、形状・トポロジーの効果である。

半導体量子構造のデバイスへの応用は従来、キャリアの並進運動の自由度の減少から生じる状態空間の制限、および状態密度の先鋭化を主な原理として発想されてきた。その後、量子細線構造の作製技術の発展、およびスペクトロスコピー技術の発展に伴い、現実の量子細線の光物性への理解が飛躍的に高まったのが1990年代であり、後に否定的解決を見たが、励起子束縛エネルギーに対する 'shape effect' の是非も議論された。1次元励起子への横方向閉じ込めの破壊の効果を論じた第2章、強横閉じ込め細線での磁気励起子の特性について述べた第3章は、この実際の量子細線における形状効果の流れを組むと言える。

量子リングでは、さらに一歩進んで、細線のトポロジーに手を加えることで新しい機能性、具体的には放射光子の角運動量が制御できる可能性があることを理論的に示したが、これは今までの立体量子構造の研究の文脈とは異なる、新しい可能性の提示である。

審査要旨 要旨を表示する

10nm級の厚みの半導体ナノ薄膜構造は、その内部に閉じ込められた電子が量子力学的な波動性など独特な性質や機能を備えているため、レーザやトランジスタなど先端素子の性能向上および新機能素子の実現に広く用いられている。この可能性をさらに拡げるために、10nm級の極微の半導体細線(量子細線)や箱構造(量子ドット)を形成し、内部に閉じ込められた電子や励起子(電子正孔対)の物性を解明し、素子応用を探索する研究が活発化している。本論文は、「半導体量子細線・リングの光物性」と題し、電子閉じ込めの状況を異にする2種の量子細線を対象に、その光学特性がドーピングや印加磁場の作用で、如何に変化するかを実験・理論の両面から解明するとともに、量子細線を円環状にした量子リング構造を対象に、電子状態に対する歪の効果や電気多重極的放射の可能性を理論的に明らかにする研究を記しており、6章から成る。

第1章は、「序論」であり、本研究の背景、目的、構成について記している。

第2章は、「AlGaAs/GaAs変調ドープT型量子細線における1次元励起子の光学特性」に関わる。5nm程のGaAs量子薄膜の端面に第二の量子薄膜を堆積すると、両者の交差部には電子正孔対が閉じ込められ、1次元励起子が形成される。このT型量子細線の障壁部にドナー不純物をドーピングすることで、細線内の電子密度を系統的に制御した一連の量子細線を作成し、励起子からの蛍光線が、電子の導入に伴って如何に変調されるかを、顕微分光の手法で調べた。その結果、電子密度を増すと、励起子からの蛍光の強度が、一旦増加した後に、急激に減少することを見出した。この現象を考察・解析し、細線内に流入した電子が斥力を発生させ、細線における電子の閉じ込め機能を弱めること(非局在化)が、蛍光強度減少の主原因であることを指摘している。これにより、T字細線で、電子の導入で励起子発光過程が顕著に変調できることも示された。

第3章では、「V溝InGaAs/InP量子細線における1次元励起子とその磁気光学ルミネッセンス特性」の研究を述べている。InPのV字型溝構造に微量のInGaAsを堆積すると、その底部には10nm級の量子細線ができる。この細線は、電子と正孔を強く閉じ込め、電子の基底準位と励起準位との間隔は50meV以上にも及ぶ。この細線からの蛍光スペクトルを、磁場を加えながら系統的に計測したところ、励起準位からの蛍光強度のみが垂直磁場の下で著しく減ることを発見した。1次元励起子の磁場中での振る舞いを理論解析したところ、観測事実は、ある種の電流・磁気効果によって生じており、1次元励起子の振動子強度は、励起準位のそれに限って強く減衰することによることが判明した。また、垂直磁場下における量子細線の蛍光スペクトルの測定・解析は、1次元励起子の量子状態を解明する上で極めて有用な知見を与えることも示された。

第4章は、「量子リング構造におけるType II量子状態」と題し、GaAs基板上に自己形成手法で作られたGaSb量子リングを対象に、リング内に閉じ込められた正孔とリング外に留まる電子の量子状態に関する理論的研究を述べている。特に、リング周辺の歪み場とピエゾ場を考慮しつつ量子状態を数値解析し、正孔の量子状態がリング全体に広がるか否かを検討した。歪みに伴うピエゾ場は特定方向に沿ってより強く作用するため、正孔の基底状態は軸対称性を失い、2回対称性を示す。内径20nm外径60nm程のリングでは、基底状態の正孔の存在確率には数十%の濃淡が生じること、リング外の電子はピエゾ場の作用で複雑に分布することが示された。また、歪みやリング寸法を調整すれば、ピエゾ電荷の効果が増減できるため、正孔の量子状態をも制御できることも指摘された。

第5章では、「量子リングの幾何効果の光輻射制御への利用:電気多極放射制御」に関する理論的研究を記している。リング内の多様な量子状態を活かすと、どんな電磁放射(光学遷移)が可能となるかを解明するために、電磁波源と電磁場を多極展開し、電気多極放射を理論的に解析した。遷移の始状態と終状態の方位量子数の差がΔnの場合、Δnよりも小さな次数を持つ多極遷移は禁止されるが、可能な遷移全体を考慮すれば、双極遷移が他を圧倒して強いことを示した。さらに、多極遷移の寄与を相対的に増す試みとして、量子リングと量子ドットを同心円状に配置し、両者の間にバンド間の不連続量ΔEを付与できる複合ナノ構造を案出・解析した。この構造は、ΔEの設定によって発光波長をほぼ固定化できること、高次の多極放射の相対強度比もリング径の設定で制御できる特徴を持つことが示された。また、終状態をキャリアで充填すれば、特定の遷移を抑止できる可能性なども指摘された。多重極遷移で放出される光子は、種々の軌道角運動量をも持つ。従って、本構造は、今後は放射光子の軌道角運動量を制御する上で重要な役割を果たす可能性がある。

第6章では、本研究で得た主要知見を纏めるとともに、結論を述べている。

以上述べたように、本論文では、2種類の量子細線を対象に、1次元励起子の量子状態や蛍光特性が、電子の導入や磁場印加によって如何に変調されるかを実験理論の両面から解明するとともに、量子細線を環状にした量子リング構造を対象として、電子と正孔の量子状態に及ぼす歪の影響や電気多重極放射への応用可能性を理論的に明らかにしており、電子工学に貢献するところが少なくない。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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