学位論文要旨



No 120634
著者(漢字) 馬渕,美帆
著者(英字)
著者(カナ) マブチ,ミホ
標題(和) 日本絵画における図様の転用 : 近世絵画を中心に
標題(洋)
報告番号 120634
報告番号 甲20634
学位授与日 2005.09.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人第487号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,元昭
 東京大学 教授 小佐野,重利
 東京大学 教授 佐藤,康宏
 東京大学 名誉教授 黒田,日出男
 東京大学 助教授 坂倉,聖哲
内容要旨 要旨を表示する

日本絵画において、ある作品に見られる図様が他の作品に継承・転用される例は、時代を通じてしばしば認められる。ある作品が、それとわかる形で先行する図様を利用して制作されている場合、先行する図様の利用が作品の成立自体に深く関わる本質的な問題であることも多い。また、そのような場合の中でも、先行する図様の利用のレベルは同じではなく、様々な異なるレベルが存在する。本論文では、このような日本絵画における図様の転用という現象の諸相を分析し、その意味について考察を行う。

第一章では、図様の転用という現象について理論面から考察する。特に様々なジャンルの作品に転用されることが多い絵巻の風俗表現の図様を取り上げ、ある作品の図様が他の作品に転用される仕組みを解明する。まず、言説性と形象性の間において絵画を捉える記号論の手法を援用し、作品中の個々の事物を単位とした絵画的な記号の分類を行う。この分類に基づき、絵巻の風俗表現の構造を、図様(形象)の明示的意味と暗示的意味という考え方を用いて分析し、先の仕組みを次のように示す。転用元の作品において、中心となる言説に対して過剰な形象である風俗表現の図様とその明示的意味が、暗示的意味からの乖離を介して中心となる言説から独立する。図様の転用は、明示的意味の類似性によって行われる。この仕組みは物語絵画等、日本絵画の図様全般に当てはまる。次に、しばしば絵巻の風俗表現との比較・関連において論じられる風俗画を取り上げ、その定義と特質について再考する。従来の「風俗を主題として描く」という風俗画の定義を、言説と形象の観点からより厳密に「中心となる言説が風俗の表現であり、それをしのぐ他の言説を含まない」と捉え直す。この定義に照らして、物語絵画や歌絵、肖像画、記録画、四季絵・月次絵など、他のジャンルの絵画が風俗画と区別される理由を具体的に検討し、風俗画の構造と特質を明らかにする。

続いて、先行する図様を大幅に転用して制作された個別の日本絵画について論じる。豊かな風俗表現を伴う、十六世紀の歴博乙本〈洛中洛外図〉(国立歴史民俗博物館蔵)・狩野秀頼筆〈高雄観楓図〉(東京国立博物館蔵)、十八世紀の円山応挙筆〈難福図巻〉(相国寺承天閣美術館蔵)を取り上げ、先行する図様の転用(歴博乙本〈洛中洛外図〉については描法の継承)という観点から、それぞれの制作状況を解明する。

第二章では、初期洛中洛外図屏風の一つである歴博乙本〈洛中洛外図〉について論じる。本図における先行する図様の利用のレベルは、ほぼ同時代の狩野派の洛中洛外図の図様を比較的単純につなぎ合わせたもので、図様の転用自体は自明である。ここでは本図の筆者と制作年代の確定を目指し、図様の転用よりも細部の描法の継承に焦点を当て、初期洛中洛外図屏風の内、歴博乙本のみに特徴的な次の描法を選び出す。1、主に松を除く樹木(広葉樹)の枝や幹を強い鋭角に繰り返し屈曲させる描法。2、塔の隅を正面に据え、かつ縁・高欄を描かず、屋根の線を直線的に引く描法。3、多くの寺社の塀の土台または塀を石積みに描く傾向。これらの描法を、狩野元信・松栄・永徳・宗秀各工房による洛中洛外図諸本と比較検討した結果、宗秀の洛中洛外図のみに顕著に共通することが確認された。さらに1〜3の描法の歴史的な位置付けを考察すると、1の描法は著色の広葉樹に、松栄の水墨の広葉樹の、枝を強い鋭角に屈曲させる描法を多用する傾向を意識的に強調し、様式化して取り入れたものと考えられ、松栄より若い世代の絵師によると思われる上、永徳の上杉家本等よりも時代が下る可能性が高い。2の描法は宗秀周辺において、土佐派など大和絵の作品に見られる塔の隅を正面近くに持ってくる描法から、まず縁・高欄を省略し、さらに塔の隅を完全に正面に据え屋根の線を直線的に引く、という二段階の簡略化を経て成立したものである。3の描法は、織田信長入京・二条城築城後の京都の景観・景観認識を反映したものと捉えられる。1〜3の描法自体が宗秀世代の登場と共に初めて明確に現れたものであり、歴博乙本は宗秀工房で制作されたものといえる。さらに本図の描法の古様さや松栄周辺の洛中洛外図との共通性から、筆者は松栄工房で画法を学んだ後、宗秀工房の初期からその中で活動した絵師と想定する。制作年代は一五七〇年代半ば前後から後半頃までの間とする。歴博乙本は、粉本に強く依拠して再生産する制作姿勢の面でも、松栄工房による洛中洛外図から宗秀工房による洛中洛外図の系譜に位置するものといえる。

第三章では、遊楽風俗図屏風の先駆とされる、狩野秀頼筆〈高雄観楓図〉について論じる。初めに本図の画面が、多様な画面形式の先行作品の図様を構想から描法に渡る様々なレベルで利用し、再構成して作られたことを明らかにする。遠景には洛中洛外図の諸場面、近景には既に指摘される高雄観楓図扇面画の他、洛中洛外図屏風の渡月橋と臨川寺の場面等、その人物描写には〈酒飯論絵巻〉等の絵巻が利用される。本図ではこれら大和絵系の図様が、〈禅宗祖師図〉のような狩野派の大画面中国人物図の形式を踏まえて再構成されたため、日本の人物が大きく描かれて営為が強調され、革新的な風俗画性が生じている。次に、高雄を描く絵画には絵図を除き、愛宕山塊と神護寺・愛宕社を遠望する視点と、神護寺に至る橋周辺のクローズアップの視点の二種類があり、これらの視点が高雄の画像イメージとして定型化されていることを確認する。〈高雄観楓図〉は両者をつなぎ合わせて構成しており、その確立を受けた早い時期の作品と見なせる。さらに本図の構成の背景に、仏教絵画の画像イメージの存在を想定する。〈高雄観楓図〉と二河白道図は、近景の此岸の俗世と、川を隔てた遠景の彼岸の聖地を橋でつなぐ構造が共通するに留まらない。〈高雄観楓図〉が霊所を雲で隔てられた遠景の山の上に描き、聖地への遠さとそこに至る困難さを表すことは、二河白道図等の仏教絵画の構造との密接な関わりを示す。本図の雲の位置や形状・機能も二河白道図の霞と一致する他、此岸の俗世の内容や配置も酷似し、此岸の俗世と彼岸の聖地の強い対比も仏教絵画の構造を踏まえたと思われる。しかし本図は、俗世に祝賀の意味を与える一方聖地を縮小するなど、仏教絵画を醒めた意識で利用している。最後に本図の制作年代を再考する。本図の神護寺の場面は、2の描法の塔をはじめ、歴博乙本の系列の描法や図様を利用している。小画面の作品が多く、主に漢画系の画題に通じていたと考えられる秀頼にとって本図は異例の注文であり、大和絵風を強く意識した制作が求められたために、宗秀の洛中洛外図の図様をはじめ、大和絵系の様々な図様を集めて制作したものと思われる。2の描法や歴博乙本の系列の図様との関わりから、本図の制作年代を一五七〇年代半ばから後半頃と推定する。

第四章では、江戸時代の円山応挙筆〈難福図巻〉について論じる。『仁王経』の七難七福を現実にあることで絵画化したという本図には、注文主の祐常自身による下絵と応挙の下絵が現存する。下絵・本絵各巻の検討により、本図の構想及び制作の実態を解明する。本図は下絵・本絵共に、古い時代の古画の図様を利用して制作されている。難の図には聖衆来迎寺の〈六道絵〉や〈鳥獣戯画〉等、福の図には〈酒飯論絵巻〉や〈信貴山縁起絵巻〉等から、構図から個々の図様に至るまで様々な借用が見られる。福の図は江戸時代における古画の古典としての権威化・規範化を背景に、古画の場面を参考に内容も祐常が案出し、各場面を当世の貴族の理想生活を描くものにしている。古画の利用は、難の図を六道絵や地獄絵の伝統に連なるものと意味付け、福の図に理想性を付加する役割を果たす。鑑賞者である祐常ら皇室周辺の貴族が、原典の古画を連想して楽しむことを想定していた可能性もある。一方、刑罰の図は実際の刑罰に取材しているが、その刑罰の江戸幕府によって特殊化された形態を再現するのではなく、わかりやすく普遍的なものに変えていることを指摘する。さらに祐常の難の図の構想が、現実にある題材を描くことを基準にしつつも、経典の諸難とそれらを絵画化した絵から大きな示唆を受けたことを『観音経』を例にして明らかにする。『観音経』の諸難、及び出相観音経等観音経絵の諸難の場面を祐常の下絵・応挙の絵と比較し、これらが祐常の諸難の構想に参照されており、特に観音経絵は図の構想にまで関わっていることを示す。祐常の構想の原点はこのような経典の内容であり、そこへ古画や現実への取材等を併用したのだと思われる。〈難福図巻〉では虚構性を前提とした「それらしい」表現が追求されており、これは応挙の絵師としての特質でもある。本図は人々の教化を表向きの目的としつつ、実は難の図に武士以下の庶民のみが、福の図に貴族の生活のみが描かれるように、当時社会的に武士や町人に圧倒されていた貴族により、理想的な生活を送る敬われるべき存在としての自己確認のため、またその意に添わない庶民への不満のはけ口として制作・鑑賞されたと考えられる。

最後に、先行する図様の利用の様々なレベルについて整理し、日本絵画において図様の転用が行われる意味を考える。ある作品における先行する図様の利用のレベルは、図様の転用元の作品の、転用先の作品に対する時代・種類の距離、転用元の図様の所在(どの流派の持つ粉本かということ)の絵師に対する距離という、三要素の組み合わせではかることができる。三要素の距離がいずれも近いものから遠いものまで八通りあると図式化し、それぞれに図様の転用元の作品に対する、転用先の作品の独創性の高低を指摘できる。三要素の距離がいずれも近い歴博乙本では独創性は低く、近い時代に近い場所で同種の作品が再生産されている状態である。〈高雄観楓図〉では時代・所在の距離は近いが、種類については様々に異なる作品の図様を意識的に転用し、新たなタイプの作品を創作していた。時代の下る〈難福図巻〉では三要素の距離がいずれも遠く、あえて遠い昔の異なる種類の作品の図様を特別に入手して用いており、独創性が高い。このようなものは先行する図様の蓄積に加え、それらを客観的に把握するための時代の下降と、特別な制作事情を必要とする。日本絵画において図様の転用が行われる意味は、同種の作品の再生産のための便宜に始まり、過去の作品を踏まえて新たな枠組み・文脈を持つ作品を創出するための方法にまで広がっている。図様の転用という現象には、過去の絵画史上の達成を踏まえながら様々な方向へと新たなイメージが創出され、それがまた積み重なり次の新たなイメージを生み出すような、豊かで能動的な発展の姿がある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文はわが国近世絵画を中心に、図様の転用という現象の諸相を分析し、その意味について考察したものである。おもに取り上げられる作品は、豊かな風俗表現を伴う三つの有名な作品、つまり16世紀の歴博乙本「洛中洛外図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)および狩野秀頼筆「高雄観楓図屏風」(東京国立博物館蔵)、18世紀の円山応挙筆「難福図巻」(相国寺承天閣美術館蔵)である。その結果、ある作品に見られる図様が他の作品に継承転用される場合、さまざまな異なるレベルの存在が明かとなった。本論文のとくに優れたところとして、以下の三点を挙げることができる。

第一に堅固な理論性によって構築されている点である。三点の代表的作品をそれぞれ最もふさわしい観点から分析した論文でありながら、一つの有機体としてまとまり、充実した読後感に誘われるのは、ひとえにしっかりした論理性のゆえである。この点で決定的役割を果しているのは第一章である。論者はさまざまなジャンルの作品に転用されることの多い絵巻の風俗表現に着目し、言説性と形象性によって絵画をとらえる記号論の手法を援用する。その上で個々の事物を単位とした絵画的な記号の分類を行ない、絵巻における風俗表現の構造を図様の明示的意味と暗示的意味により分析する。そして言説と形象の観点から「風俗画」に対して新しい定義づけを行なっている。このような明快な理論に準拠して、第二章以下の考察が進められ、最後に転用元作品の時代、種類、所在からの距離という三要素によって、八つの理論的なパターンに分類される。

第二に豊かな独創性と新鮮な新知見に富む点である。図様転用の問題をこのように分析すること自体、いままでほとんどの研究者が思いつかなかった方法論なのだが、個々の作品に関し指摘された新事実には、目から鱗が落ちる思いのするものが多い。例えば歴博乙本では、細部における図様の継承に焦点を当て、特徴的な樹法や建築描写を取り上げる。これらを元信、松栄、永徳、宗秀各工房による洛中洛外図諸本と比較検討し、宗秀本とのみ共通することを見出す。歴史的考察を加え、歴博乙本が宗秀工房で制作された可能性を導き出す。さらに筆者や制作年代についても新たな推定が提出される。これらはむしろ伝統的美術史学の研究目的ともいえるが、この点においても論者がしっかりした訓練を経ていることを物語る。これらがおのずと粉本に強く依拠して再生産する歴博乙本の制作姿勢を証明し、所期の研究目的へと収斂していくのである。

第三に緻密な実証と鋭利な分析である。これによって第一、第二の点が補強され、反論の余地をほとんど残さぬ重厚な論文に仕上がる結果となった。例えばもっとも力こもる「難福図巻」の分析では、応挙および依頼主祐常門主の下絵を詳細に検討、本図巻の構想と制作の実体を白日のもとにさらしている。難の巻には聖衆来迎寺の「六道絵」や「鳥獣戯画」など、福の巻には「酒飯論」や「信貴山縁起絵巻」などから、個々の図様のみならず構図まで借用がみられるという新たな指摘も、きわめて強い実証性を伴っている。難の巻を六道絵や地獄絵の伝統につなげ、福の巻に理想性を付加する役割を古画の利用に求めるのも、鋭い分析の結果である。とくに刑罰の図について分りやすい普遍的なものに変えていること、祐常による難の巻の構想が『観音経』と密接に関係することなど、すべて確実な証明と分析により強い説得力を獲得している。

本論文には今後の考察にまつべき部分もないではないが、日本絵画における図様の転用について独創的見解をもたらし、それを実証し、研究水準をさらに高めたものである。

よって本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位を授与するにふさわしいものと判定した。

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