学位論文要旨



No 120638
著者(漢字) 五月女,肇志
著者(英字)
著者(カナ) ソウトメ,タダシ
標題(和) 中世和歌表現史論 : 藤原定家を中心に
標題(洋)
報告番号 120638
報告番号 甲20638
学位授与日 2005.09.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人第491号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 渡部,泰明
 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 教授 藤原,克巳
 東京大学 助教授 井島,正博
内容要旨 要旨を表示する

中世和歌表現の歴史は、その代表的な技法として本歌取が挙げられるように、先行作品の摂取の過程であるといえる。本論では、表現摂取を中心とした中世和歌の展開を、新古今時代を代表する歌人・藤原定家を中心に考察していく。冷泉家時雨亭叢書の刊行や、定家本の転写本である廣瀬本の公開による万葉古写本の系統分類など、近年著しい文献学的研究の進展や新資料の紹介を踏まえ、当該作品の本文はむろんのこと、摂取源となった本歌や本説の本文も再検討して、新たな解釈を導き出し、より精細な作品分析を行う。

三編からなる本論の具体的内容は、次の通りである。

第一編「中世和歌の物語摂取」は、中世の歌人達がどのように先行する王朝物語を摂取したかを中心に論じていく。俊成・定家を中心に、彼らが参看した物語本文を想定した上で、表現分析を進めていく。

第一章「藤原俊成自讃歌考」では、『千載集』秋上・二五九番歌の分析を中心にして、藤原俊成が開拓したとされる『伊勢物語』百二十三段の摂取を扱う。俊成詠の本歌となった『伊勢物語』と同じ贈答が収められる俊成本『古今和歌集』との本文比較から、俊成が物語の作中人物への共感を導き出した。本歌に対し、文献学的見地を生かした分析を加えることで、その摂取歌に新たな意義付けを示したのである。俊成自身の自詠への言及を分析した上で、他の歌人達の物語摂取の姿勢が異なることを、指摘した。具体的には物語中の人物への共感の姿勢を示す俊成歌と、物語世界を相対化する他歌人との違いである。

第二章「藤原定家と『大和物語』――百六十九段・書きさしの物語の摂取をめぐって」では、中世歌人と『大和物語』、中でも書きさしの物語で歌が見られない百六十九段の摂取を中心に論じる。ここでも現存の資料を見る限り、藤原俊成が表現の素材としての『大和物語』百六十九段を見出し、後代の歌人達が継承したという現象を指摘することができるのである。同時に逢恋を詠んだ俊成と悲恋を詠んだ他歌人との物語摂取の相違点も明確となっている。

第三章「『藤河百首』考」では、藤原定家が難題に挑んだとされる『藤河百首』の表現について、『大和物語』に関する二つの本説を中心に、この百首に対する注釈書の和歌の解釈の妥当性について検証する。その上で、草野隆氏の定家仮託書説や五味文彦氏による新資料の紹介を踏まえ、その成立について再検討した。定家は何年もかけて百首題の集成を行い。それに従って歌を詠んだが、後鳥羽院の勘気に触れた歌と同じ表現が見られるため、後代までこの百首が長く秘されたとする推測を示した。

第四章「『建仁元年仙洞五十首』恋歌考――寄物題の表現性」では『源氏物語』『狭衣物語』の積極的な摂取が見られ、『新古今和歌集』の有力な撰集資料となった『建仁元年仙洞五十首』の恋歌について分析を行う。恋歌の全てが寄物題となっているこの定数歌について、独自の題である「寄嵐恋」「寄舟恋」の用例を中心に分析し、『六百番歌合』との比較も踏まえ、激しい動きへの志向が表現に見られることを指摘した。

第二編「万葉訓読史と中世和歌」では、近年著しく進展している『万葉集』訓読史の研究を踏まえ、中世を代表する二人の歌人源俊頼と藤原定家の万葉摂取を論じた。今日の訓読と異なる『万葉集』の訓を参看して、中世の歌人達がどのような発想を生み出したかを考察していく。今日の研究状況を前提にして、『万葉集』の誤読と断じるのではなく、作品創造の源泉として次点本万葉集の本文をとらえている。

第一章「源俊頼の万葉摂取歌――『恨躬恥運雑歌百首』を中心に」では、万葉集の訓読史の研究進展を踏まえて、源俊頼の『万葉集』摂取歌について考察する。万葉摂取の傾向が著しい『恨躬恥運雑歌百首』を中心に考察した。彼の舅藤原敦忠が編んだ『類聚古集』を中心とする非仙覚本万葉集の訓読の影響を俊頼がどのように受けたかを分析した。『万葉集』の本文や解釈に必ずしも拘泥せず、創作者としての立場から歌の表現を選んでいる俊頼の独自性にも言及している。

第二章「二つの「定家本」――国立国会図書館蔵『俊頼髄脳』と廣瀬本万葉集」では、源俊頼が著わした歌論書『俊頼髄脳』所収の万葉歌の本文について考察する。定家と俊頼の万葉歌本文に対する見解の相違を示す資料といえる定家本『俊頼髄脳』について、先学の指摘にも拠りながら、廣瀬本を中心とする非仙覚本『万葉集』との本文比較を行った。定家本『俊頼髄脳』所引の万葉歌は、定家が、俊頼によって歌に付された注説を検討した上で、校訂しても支障がないと判断した際に、『万葉集』を参看して改められたことを指摘した。

第三章「藤原定家『百人一首』自撰歌考――万葉摂取を中心に――」では、定家の代表的な女人仮託歌である『百人一首』自撰歌を中心に次点本万葉歌本文から定家が何を摂取したかについて考えて行く。従来の解釈は、今日の『万葉集』自体の研究を踏まえ、新古今時代には見られない賀茂真淵提唱の万葉本文に従って、定家の方法を論じているが、本章ではこの歌を中心に定家の万葉摂取の方法を次点本本文との関わりから言及した。さらにこの自撰歌と関わりの深い順徳院への思いが、父俊成を見出した崇徳院に対する意識と重なることを、歌合判詞など現存する資料を基に示した。

第三編「藤原定家関連資料の分析――本文批判・改作」では、藤原定家の家集『拾遺愚草』・彼が単独撰者となった『新勅撰集』・彼が判者を務めた『宮河歌合』・彼が設題に大きな役割を果たし自らも出詠した『内裏名所百首』を取り上げ、現存する定家関係の資料の本文や奥書分析から見出される、和歌の改作や表現の位相差などの問題を考察した。

第一章「『宮河歌合』考」では、『宮河歌合』について稿者が把握している諸本・古筆切を挙げ、そこから生ずる解釈上の問題について考察した。一番右歌に対する判詞に中世神話を読みとるべきかを検討し、三十二番の二首に見られる西行の自負心と、判詞からうかがえる定家の崇徳院への畏怖を指摘した。

第二章「藤原定家の自詠改作」では近年国宝に指定された藤原定家自筆の冷泉家時雨亭文庫蔵『拾遺愚草』本文と定家の初出稿とも言える『千五百番歌合』本文との明らかな相違から生ずる和歌の解釈上の問題点について論じた。家集編纂に際して認められる定家の自詠への改作を扱っている。近年盛んに議論されている「女の歌」についての言及が見られる定家の自詠に対する判詞を分析し、「女の歌」とは、身近な景物へ作中主体の視線を限定する傾向を持つことを指摘した。題詠の詠みぶりが強く求められた当時の和歌において、そこから逸脱するものとして認識されていたことも指摘している。

第三章「帝の歌――『内裏名所百首』の順徳院詠をめぐって」では、藤原定家が出詠した順徳院歌壇における代表的な催事である『内裏名所百首』の「霞浦」題の順徳院詠を中心に、本文異同の問題を考察する。この百首の諸本と、順徳天皇・藤原定家・家隆の三人の歌を抄出し注釈を加えた三人本有注本所引の和歌とで異なる本文が存在することに着目し、三人本有注本の本文は、三歌人の独自の表現を和歌史における頻用表現や、本歌により近い表現に改めるという結果になっていることを、用例分析を踏まえて指摘した。さらに『後拾遺集』の後朱雀天皇詠を本歌取した順徳天皇の和歌の位相差への意識を指摘した。

第四章「『新勅撰和歌集』の本文形成――『万葉集』『散木奇歌集』『殷富門院大輔集』の改作」では、『新勅撰集』編纂にあたって出典歌集本文を定家が改作した際の表現意識を、『万葉集』『散木奇歌集』『殷富門院大輔集』を出典とする和歌について考察した。冷泉家時雨亭文庫蔵の私家集・定家の歌学書『五代簡要』、廣瀬本万葉集の影印刊行を踏まえ、他人の作品を改作するという行為について分析を加えている。『新勅撰集』入集にあたっての改作は、定家の歌人としての創作意識からくるものであることを一首一首の和歌について詳説した。定家の改作は、出典となった和歌の表現をより生かすために行われたものであることを指摘した。

附編「『明月記』写本研究では、必ずしも和歌の表現分析に直接関わる文献ではないが、歌人定家の伝記資料として重要な『明月記』六本について調査・分析した。

第一章「東京大学総合図書館蔵『明月記』の研究」では、東京大学総合図書館蔵『明月記』のうち、姉小路家旧蔵青洲文庫本及び三十三冊本の二本について考察し、その伝来について推定を加えた。姉小路家旧蔵青洲文庫本は、姉小路家の本三十一冊と、冷泉家の協力で書写されたものを補充した二十四冊からなることを指摘し、同図書館蔵野宮本の中に一冊だけ含まれる姉小路家旧蔵の本についても考察した。また、三十三冊本についての奥書を分析し、流布本として位置づけられることを述べた。

第二章「国立国会図書館所蔵『明月記』研究」では、国立国会図書館蔵『明月記』四本の書誌調査を報告し、柏原正康の書写活動、高崎藩校及び松平定信が所蔵した本の伝来、自筆本欠損部分に対する対校本としての意義が見出せる写本の存在について報告した。

以上の考察を踏まえ、文献学的知見を十二分に生かした上で、一首一首の読みに還元していく作品論を展開し、歌人の表現意図を探り出す本論独自の姿勢が示せたと考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、中世和歌成立期の古典摂取の展開を、藤原定家を中心に考察したものである。まず「はじめに」において全体の構造と執筆意図を説明したあと、本論は三つの編と一つの附編から成る。

第一編「中世和歌の物語摂取」は、藤原俊成・定家および新古今歌人の、伊勢物語・大和物語・源氏物語などの王朝物語を摂取した和歌の表現性とその意義を分析する。第一章は、俊成の書写した古今集の本文に着目することで、伊勢物語を踏まえる俊成自讃歌に新解釈を施す。第二章は、書きさしの形で終る大和物語一六九段の摂取に注目し、和歌の読みに新説を提示するとともに、新たに物語を展開させるがごとき俊成・定家の物語取りの独自性を説く。第三章は、仮託説を含め成立に諸説ある定家の藤川百首を取り上げ、物語摂取の位相など本作品を肌理細かく読み込みながら、この百首が段階的に成立したとの仮説を提示する。第四章は、新古今時代の定数歌の物に寄せた恋題の歌の物語摂取を分析し、前章までで見た俊成・定家の方法が、後続の新古今歌人たちによって、動的な表現として生かされている様を析出する。

第二編「万葉訓読史と中世和歌」は、中世の代表歌人源俊頼と藤原定家について、その万葉和歌摂取の方法を、それぞれの時代の万葉集訓読の位相を明らかにしつつ論じる。著者の研究方法の有効性がもっとも発揮された論考群である。源俊頼のいわゆる述懐百首の万葉摂取は、万葉集の厳密な本文批判よりも創作性が重視されていると結論付け(第一章)、俊頼髄脳所収の万葉歌の定家本の本文を緻密に分析して、万葉集本来の本文に拠ってこれを校訂してしまう定家の書写の姿勢を指摘し(第二章)、定家の自讃歌というべき百人一首定家歌について、その本歌である万葉集笠金村の長歌を次点本によって見直し、定家の女性仮託歌の方法をうかがう(第三章)。いずれもこれまで蔑ろにされていた万葉歌の本文に着目し、研究史を一歩進めた論である。

第三篇「藤原定家関連資料の分析」は、宮川歌合の伝本を精査し(第一章)、定家の初出稿と自筆家集本文との相違から、女性仮託歌の方法に説きおよび(第二章)、内裏名所百首伝本のうち、注を付載する伝本の本文の後代的なことを論じ(第三章)、新勅撰集の和歌本文について、定家の改作の見られることを指摘し、併せて彼の詠歌の方法を析出する(第四章)。以上の三編に、定家の日記明月記の二種の伝本の調査をまとめた附編を添えている。

本論文の扱う作品は多岐に及ぶが、作者の見た原拠の本文を忠実に復元し、それを摂取した和歌本文の微細な差異にも注意を払いつつ作者の文学的方法を考察してゆく、という研究方法において一貫している。これは極めて正当かつ有効な方法であり、特に第二篇において顕著なように、今後の中世和歌研究の方向性を示すものと評価できる。著者の示した新説には更に慎重な検討が必要なものもあるが、本審査委員会は上記のような研究史的意義を認め、本論文が博士(文学)に十分値するとの結論に至った。

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