学位論文要旨



No 120639
著者(漢字) 蔦尾,和宏
著者(英字)
著者(カナ) ツタオ,カズヒロ
標題(和) 院政期説話文学論
標題(洋)
報告番号 120639
報告番号 甲20639
学位授与日 2005.09.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人第492号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 助教授 渡部,泰明
 東京大学 助教授 安藤,宏
 東京大学 助教授 肥爪,周二
内容要旨 要旨を表示する

本学位論文は『今昔物語集』『古事談』『今鏡』、以上の三作品における説話の収載・配列に着目してその作品の構造を解き明かすとともに、いずれの作品もいわゆる院政期と呼称される時代に成立したことから、三作品を対象とする論文の総称として『院政期説話文学論』と題する。なお、本学位論文における「院政期」は、院権力が相対的にもっとも強く機能した時期を呼称するものであり、白河院政の開始(応徳三年・一〇八六)より、承久の乱による後鳥羽院政の崩壊(承久三年・一二二一)までを指すこととする。

第一部には『今昔物語集』(以下、『今昔』と略す)に関する論考を集成した。欠巻、欠話など、『今昔』を特徴付ける編纂上の諸々の振幅が最も顕著に現われるのが、巻二十二から巻三十一までの「本朝世俗部」と呼称されるまとまりである。本朝世俗部はその始まりである巻二十一から既に欠巻であった。但し、欠巻であれば、震旦部(巻八)、本朝仏法部(巻十八)にも存在するが、天竺、震旦、本朝仏法部、いずれもその後の巻々に語られ、生み出される世界の始まりを説き明かす―釈迦の誕生と涅槃(仏法の誕生)、中国への仏法伝来、本朝における仏法流布の始まり―冒頭の巻を欠くことはなかった。欠巻が位置する場所の相違は、同じ欠巻とは云え、その意味するところの重さは同列に論じられない。加えて、欠巻を除いた天竺部や震旦部、本朝仏法部の各巻は等しく三十後半から五十話を以て構成されるのに対し、本朝世俗部の巻々は、巻二十二が八話、巻二十三が二十六話、巻二十五が十四話、巻二十六が二十四話、巻三十が十四話と、世俗部十巻中、実に半分の五巻が他巻の平均的所収話数に比して著しく少なく、形式面からだけでも編纂作業の難渋が容易に推測される。さらにその具体相に目を移せば、巻二十二は巻末話が中絶、巻二十三は第一話から十二話を欠き、巻二十五は第八話と巻末話が本文欠話など、編纂上、最重要と思しき巻頭・巻末の不備が目立ち、編纂方針の揺れは明らかである。このように本朝世俗部は問題を多々孕み、内容的にもっとも興趣に富みながらも読み解くのは最も難しい一群なのである。よって、本学位論文は特に「世俗部」を中心に論考するものである。

巻二十二から巻二十五までは王権を構成する諸要素を収載するが、その中心となるのが、「大臣」と「兵」だった。しかし、中心であるが故に、その存在をいかに「公」(=王権)に位置付けるかは作品にとって重大な問題で、『今昔』は試行錯誤を繰り返した挙句、前者を扱う巻二十二、後者を扱う巻二十五はともども少話数、巻末話の途絶、欠話という結果に終わり、云わば、世俗部の傷が顕著に抉り出された巻なのである。それ故、「秩序を支えるもの―藤原氏、そして兵―」と題して、藤原氏大臣伝である巻二十二と兵を叙述する巻二十五を考察する。第一章は「藤原氏大臣伝」とされる巻二十二の性格規定を再検討し、『今昔』が大臣、藤原氏にどのような眼差しを向けていたかを考える。第二章は巻二十五の考察に宛て、巻の中核を構成する「清和源氏」という一族が何ゆえに巻の中核たり得たのか、「公」と「兵」の相関が世俗部の巻の配置にもたらした影響などを論ずるものである。

巻二十六から三十一は、王権の周縁、その秩序の構成要素の外縁にある存在を集成した巻々が並ぶが、本学位論文は「秩序の周辺」という題の下、怪異説話を編纂した巻二十七に考察を加えた。特に巻二十七を取り上げたのは、一つには『今昔』において、怪異は先に扱った「兵」と同じく王朝の暗部に蠢く存在として認識され、両者に注がれる視線は無縁ではなかった故である。さらには巻二十七が作中でも文学的に高く評価すべき出色の巻ということもその理由の一つに挙げられる。古来、種々の文献に様々な怪異が記し留められているが、日本における怪異説話の編纂は、散逸した文献を含めるならば、現在知られる限り、平安前期成立の『善家秘記』(三善清行)『紀家怪異実録』(紀長谷雄)を嚆矢とするだろう。両書の編者がともに漢学者であることを考えれば、両書は中国志怪小説を参考に編まれたものと想像されるが、一連の志怪小説は起こった事実を誤りなく記載する性格が強い。それに倣ったと思しい『善家秘記』『紀家怪異実録』も、その佚文を見る範囲においては、編者の並々ならぬ怪異への関心を窺わせつつも、史実性を重んずる乾いた筆致である。『今昔』もまた即物的な乾いた肌触りの作品であるが、編者は話中の人物の五感に基づく表現を多用することで、作中人物に入り込んで喜怒哀楽をともにし、話内の事件を追体験しながら文を綴っていく。即物的で五感に訴える筆致は、怪異説話に十分すぎるほどの効果をあげており、巻二十七を俟って初めて怪異説話は文学となったとさえ評価できるだろう。加えて、巻二十六から三十一の付題は順に、「宿報」「霊鬼」「世俗」「悪行」「雑事」「雑事」とあり、各巻異なる主題の下、説話を集成するのだが、なぜこれらの主題の下に『今昔』が一巻を宛てたのか、その理由は未だ不明な点が多く、問題を多く抱える世俗部にあっても難問の最たるものに含められる。以上を踏まえて、第一章では『今昔』の巻二十七編纂動機を考え、第二章では編纂動機を明らかにした上で、『今昔』がどのような手順・手法で怪異説話を描き出していったのか、その具体相を明らかにする。

第二部には『古事談』と『今鏡』を取り上げたが、『今鏡』は嘉応二年(一一七〇)を成立の目安とし、『古事談』は内部徴証から建暦二年(一二一二)以降、編者・源顕兼の没した建保三年(一二一五)三月以前の成立である。約四十年を隔てて成立した両書だが、ともに中世初期に成り、先行作品に見えない初出説話を多く含み、且つ、後続の説話集の有力出典となったという共通の側面を有する作品であることから、両書の論考をまとめた。

『古事談』では「勇士」の巻に絞り、立論する。『今昔』巻二十五は合戦譚を中心に武士を描いていったが、『古事談』「勇士」に合戦の現場や戦闘行為そのものが占める量はむしろ少ないと云ってよい。武士の職能を指して「弓馬の道」と云うが、馬に乗り弓を手に戦う合戦は、武士がもっとも活躍する状況でありながら、それを措いて『古事談』はいかなる視点から武士を叙述しようとしたのか、第一章では『古事談』「勇士」の中心的な編纂軸を追究する。続く第二章では、武士の反乱の始発と記憶され続けた承平・天慶の乱について考える。『今昔』巻二十五は原則として時代順に説話を配列するが、承平・天慶の乱については年次を逆転させて巻頭二話に据え、これを「兵」の濫觴と見なしたのであるが、『古事談』「勇士」も原則的に説話を時代順に配したが、『今昔』とは対照的に、承平・天慶の乱説話群にはその原則を適用せず、年次的にもっとも遡る説話群でありながら、巻頭を飾らせることをしなかった。巻の編纂と関わらせてその理由を探るとともに、抄出を専らとする『古事談』が、どのように説話群を構成したのかを問題とした。第三章は一言で云えば、『今昔』巻二十五との特徴的な差異を中心とした論考である。

『今鏡』は語り手が『大鏡』の語り手・大宅世継の孫に設定されるように、『大鏡』の衣鉢を継ぐ存在と自己規定し、その体裁に倣って構成されているが、村上源氏列伝である「村上の源氏」、賜姓源氏・皇族列伝である「みこたち」、和歌説話、源氏物語論などを収める「打聞」は『大鏡』には見えない、『今鏡』独自の章立てである。したがって、『今鏡』の独自性を考えるとき、これらの諸章から着手するのは一つの方法と云える。そして「昔語」の巻は『大鏡』の「雑々物語」に相当する部分であるが、明確な章立てと精緻な説話配列を誇り、雑纂的と評される「雑々物語」とはかなり趣を異にする構成をとる。この精緻な章立てや配列は『今鏡』の特性と見なしてよいもので、やはり『今鏡』の独自性を強く帯びた巻である。第一章では、この「昔語」の作品内における定義付け、『今鏡』の全体構造との関係性、内部の構成などを考察する。第二章は、「打聞」を取り上げ、「打聞」は和歌説話を集成する「敷島の打聞」と、万葉集成立論「奈良の御代」、源氏物語論「作り物語の行方」から成るが、従来、前一者は前巻「昔語」が収める諸芸能譚の一翼を占める、云わば、「昔語」の延長線上に位置し、雑事として歴史叙述の一端に属するのに対し、後二者は歴史叙述とは関わりを持たない付属物と見なされ、巻の中間に内容的な区分が引かれてきたが、本章では「敷島の打聞」所収説話の分析を通じ、「打聞」という巻を統一的に捉える視点を模索する。「付論」は、「打聞」論の展開上、本論にうまくはめ込めなかった「打聞」巻頭二話に絞った論考である。第三章は巻の個別的考察ではなく、『今鏡』全体にまつわる論である。『今鏡』の研究蓄積の薄さを考えると、作品そのものの魅力の薄さが要因に想定され、現代の享受者に極言すれば「つまらない」作品と認知されているのは認めざるを得ない。そこで逆説的な見地から、「つまらない」という要素にこだわり、『今鏡』の文学的特質を考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、院政期(著者の定義では、白河院政の開始した応徳3年から後鳥羽院政の崩壊した承久3年まで)に成立した説話文学作品の中から、世俗的な話題を中心に編纂された3つの作品『今昔物語集』(『今昔』と略す)『古事談』『今鏡』を取り上げ、その方法と特質を論じたものである。

第一部においては、『今昔』を取り上げる。『今昔』の全体は、天竺・震旦。本朝の三国に別れ、仏法部と世俗部とに別れるが、本朝世俗部は巻頭の巻21が欠巻であり、巻22も8話と極端に話数が少なく、しかも巻末話が中絶しており、巻23は第13話から始まるなど、『今昔』の編纂と成立の孕む最も重要な問題を含む。著者はその本朝世俗部を取り上げ、Iの第一章・第二章において、巻22と巻25を、IIの第一章・第二章では巻27を中心に詳細に分析を行う。巻22は「公」に仕え、王権を支える藤氏大臣伝として編纂されていること、巻25は「公」に仕え、反乱を鎮圧する者としての清和源氏頼信流が採り上げられたと結論する。巻27は、天皇中心の世界秩序に納まらない怪異を制圧し、秩序化するという方針で編纂されていることを論証する。

第二部のIにおいては『古事談』の「勇士」の巻を分析する。第一章ではその中心的な編纂軸を追及し、武士の本質を殺生にありと見定め、それに相応しい話柄を選択し、効果的に配列した、意識的な編纂行為の帰結と理解すべきであると説く。第二章では集中もっとも長大な説話である、承平・天慶の乱説話群を分析し、『古事談』の武士説話は清和源氏を中心に組み上げようとしており、王権と武力の関わりから、従来種々に論じられてきた武士説話の諸問題に応える。第三章では、前章までの考察を踏まえて、『今昔』巻25の武士説との特徴的な差異を論じる。

IIにおいては『今鏡』を分析の対象とする。従来『今鏡』は歴史物語とされてきたわけであるが、「昔語」「打聞」の章は説話を配列するもので、説話的な見地からこれらを読み解くことで、これまでの通説的理解を大幅に書き換える、新鮮で画期的な解釈を示す。第二章では「敷島の打聞」は、作者寂超の周辺や親近感を抱く対象に大きく依りつつ、「褻」に属する話柄を語るゆえに、作者の本音が垣間見られることを指摘し、付論では『伊勢物語』を意識的に踏まえた挿話を描きながら、『伊勢物語』とは非なる世界が現出し、「昔」の如き「みやび」は成立しない世界であることを表明しているとする。

全体として扱っている作品も範囲も、院政期の説話という範疇の一部に止まり、その全体像を描き出すには至っていないが、それぞれ採り上げられた問題点は明瞭であり、その分析、論証も着実で、説得的である。本論文で提出された新見は、今後の研究史に重要な意義を有するものとして高く評価できる。したがって、本審査委員会は上記のような研究史的意義を認め、本論文が博士(文学)に値するとの結論に至った。

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