学位論文要旨



No 120642
著者(漢字) 吉田,幹生
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,ミキオ
標題(和) 日本古代恋愛文学史の研究 : <待つ女>の誕生と展開をめぐって
標題(洋)
報告番号 120642
報告番号 甲20642
学位授与日 2005.09.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人第495号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤原,克巳
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 教授 鈴木,泰
 東京大学 助教授 安藤,宏
内容要旨 要旨を表示する

平安時代の文学作品を読んでいると、そこには男の不在や不訪を嘆く女の姿がしばしば描き込まれていることに気づく。『蜻蛉日記』などがその代表例としてすぐに想起されようが、しかしそのような女の姿は単なる現実の反映というに留まらない。例えば、『百人一首』にも採られた素性法師の有名な「いま来むといひしばかりに長月の有明けの月を待ちいでつるかな」(古今・恋4・六九一)のように、男性歌人が女性の立場に立ってその心情を詠出した和歌も少なからず見受けられるのである。この事実に鑑みれば、平安時代には男の来訪を待つ女の姿が既に一つの文学的素材として定着していたことが推測されてくる。

本学位論文は、そのような女すなわち「作中世界において男の来訪を空しく待ち続ける女」を〈待つ女〉として捉え、かかる文学的素材が日本古代文学においてどのように誕生し、またその展開に付随してそこにどのような抒情世界が切り拓かれていったのかを考察したものである。

第一篇「〈待つ女〉の誕生」では、主に七世紀後半から八世紀前半の文学を取り上げ、日本古代文学において〈待つ女〉がどのようにして誕生定着したのかを考察した。『万葉集』に載る額田王の「君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く」(4・四四八)の背後に閨怨詩の存在を認めようとする今日の通説的理解に従えば、天智朝には既に〈待つ女〉という文学的素材が誕生していたことになる。しかし、このような理解は、同歌に続いて掲載されている鏡王女の「風をだに恋ふるはともし風をだに来むとし待たば何か嘆かむ」(4・四四九)を十分に捉え得ない点、及び天智朝における漢詩文隆盛という事実と閨怨詩享受の問題をやや安易に結び付けている点で、なお再考の余地があると考える。本論ではこの点に関する疑問から始め、両歌を「君」と「風」という相異なる存在をめぐっての機知的な唱和歌と捉える新しい解釈を提起し(第一章)、加えて残存史料から推定される歌垣歌のあり方や相聞歌史・挽歌史の考察などを通して天智朝には閨怨詩を享受するのに十分な土壌が整備されていないことを示すことで(第二章)、通説的理解に異を唱えた。そして、その過程で浮上してきた呪的共感関係の相対化という視点から柿本人麻呂「石見相聞歌」を分析することを通して、持統朝頃に相聞歌史に新たな抒情が獲得された理由の一端を確認し、〈待つ女〉誕生の始発期(第一段階としての「嘆く女」誕生の時期)をこの頃に見定めた(第三章)。続けて、「嘆く女」から「恨む女」へと連続的に展開する恋愛文学史の動向を確かめつつ、〈待つ女〉誕生の完成期(第二段階としての「恨む女」誕生の時期)を、坂上郎女「怨恨歌」の詠まれた天平期に推定した(第四章)。つまり、第一篇全体としては、天智朝において既に〈待つ女〉という文学的素材があり得たとする通説的理解に対し、その誕生時期を引き下げ、持統・文武朝(六九〇年代)から天平期(七三〇年代)にかけて展開する幅を持った現象として〈待つ女〉の誕生を考えるべきことを示したのである。

第二篇「〈待つ女〉の展開」では、主に九世紀後半から十世紀の文学を取り上げ、前述のようにして誕生した〈待つ女〉という素材がどのような抒情世界を切り拓いたかを考察した。具体的に取り上げた作品は、『竹取物語』と『蜻蛉日記』である。物語文学の祖とされる『竹取物語』だが、本論ではその中心部分を占める難題求婚譚に注目し、七・八世紀の妻争い伝承からの系譜を改めて辿り直すことで、物語文学としての『竹取物語』の達成を見定めた(第一章)。具体的には、求婚者相互の争いの結果その勝者が女性を手に入れるという妻争い伝承から求婚者である男の内面を問題にしていく平安朝の求婚譚への文学史的展開を確認しつつ、『竹取物語』難題求婚譚がその傾向を一歩進め求愛の一途さに即座に共感するのではなくむしろその内面をさらに見定めようとするしていることを指摘し、そこに物語文学誕生の秘密が隠されていることを述べるとともに、そのような展開を促したものとして、男の愛情(「人の心」)への否定的な眼差しを醸成してきた八世紀後半から九・十世紀にかけての〈待つ女〉をめぐる抒情世界の進展があったことを明らかにした。『蜻蛉日記』については、そこに描かれる道綱母の関心の所在が作品を通して兼家の心から我が身・我が心へと推移していくことを指摘し、その様が「人の心」への否定的な眼差しを育んできた〈待つ女〉という文学的素材がやがて「我が心」へと関心領域を拡大していく十世紀文学史の動向に対応していることを論じた(第二章)。併せて、『蜻蛉日記』中の一首「稲荷山おほくの年ぞ越えにける祈るしるしの杉を頼みて」を取り上げ、ここに用いられている「しるしの杉」という言葉が、諸注釈書が指摘する稲荷の杉に関する俗習ではなく、古今集歌「わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」(雑歌下・九八二・読人知らず)を踏まえたものであるという近年の説を追認し、道綱母の表現基盤に〈待つ女〉という素材が深く浸透していたことを指摘した(付章)。第二篇全体としては、〈待つ女〉の展開に従い、八世紀後半から九・十世紀へと男の心を頼み難いとする観念が形成されてきたこと、及び十世紀も後半になるとそのような男と関わらざるを得ない自分自身のあり方に関心が向いてきたことを踏まえて、それらと深く関わるものとして『竹取物語』と『蜻蛉日記』を位置付けたということになる。

第三篇「『源氏物語』と〈待つ女〉」では、平安中期を代表する『源氏物語』と〈待つ女〉との関わりについて考察した。夕顔と光源氏との恋物語(第一章)・六条御息所の生霊化(第二章)・蓬生巻の末摘花(第三章)といった微視的な問題を取り上げ、それぞれの問題を論じながら、その背後に『源氏物語』の作品形成の原動力として先に述べた〈待つ女〉の展開が深く関与していることを指摘した。具体的には、貴公子が陋屋に美女を発見するという類型的な話型に従いつつも、男に迎え取られることで女が幸せになるという結末を拒否するところから、源氏と夕顔との非日常的な恋物語は生成されたことを明らかにし、それが正編の骨格をなす紫の上や明石の君の物語とも共通するところから、『源氏物語』における作品形成の根幹に関わる問題として、男の愛情への断念を伴ったある醒めた意識が認められることを指摘した(第一章)。また、六条御息所の生霊は葵の上への嫉妬や怨念の情から生じたものではなく、むしろ物語はそのような理由付けを回避しようとしているのであり、遊離魂現象と融合させることによって断ち切ろうとしても断ち切ることのできない源氏への御息所の未練を浮かび上がらせようとしているのだと捉えるところから、そのような六条御息所のあり方を、源氏への思いを封じ込めて生きた藤壺以下多くの女君の陰画をなしていると把握し、そこにこの物語の「我が心」への関与の深さを見出した(第二章)。さらに、従来肯定的に捉えられることの多かった蓬生巻の末摘花だが、彼女の美質を賞賛するために蓬生巻が書かれたとは考えず、むしろ一巻をなすにあたっては彼女の持つ非常識で滑稽なあり方が有効に活かされており、そのような末摘花がこの巻の女主人公に選ばれた点をこそ重視することを通して、肯定か否定かという二者択一的な問題ではなく、肯定的な美質が否定的な人物によってしか担われ得ないということに意味を見出し、そこに「我が心」への関心の深さが浮かび上がってくることになると論じた(第三章)。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、文学的素材としての〈待つ女〉像の形成と展開の様相を通して、7世紀の初期万葉の時代から11世紀初頭の『源氏物語』に至るまでの和歌・日記・物語を包摂するダイナミックな文学史を構想したもので、三篇に分かたれた九章から成る。

第一篇「〈待つ女〉の誕生」は、「額田王と鏡王女の唱和歌」「七世紀の日本文学と閨怨詩受容」「石見相聞歌の抒情と方法」の三章において、まず日中の古代詩歌を比較して、7世紀の日本にはまだ閨怨詩を受容しうる文学的基盤は形成されていなかったとし、男女の交感的連帯を確保しようとする相聞歌から、夫や恋人の不在の悲しみを内省的に表現する〈待つ女〉の歌が生まれてくる契機を、7世紀後半の挽歌や柿本人麻呂の石見相聞歌のうちに析出している。さらに第四章「怨恨歌の誕生とその周辺」では、8世紀・後期万葉の相聞歌に、男の心変わりを鋭く衝くような歌も詠まれるようになるなど、平安朝の恋歌や日記・物語に表現される〈待つ女〉の諸相が先駆的に現れていることを明らかにしている。

第二篇「〈待つ女〉の展開」第一章「『竹取物語』難題求婚譚の達成」は、上代から平安前期にかけての妻争い伝承の和歌・歌語りの展開を、第一篇で分析された和歌史の流れのなかで捉えなおし、そこに『竹取物語』のような難題求婚譚が胚胎されてくる様相を克明に浮かび上がらせている。第二章「〈人の心〉から〈我が心〉へ―『蜻蛉日記』試論―」は、『蜻蛉日記』の上巻から中巻にかけて、〈人の心〉(不実な男心)を嘆くことから〈我が心〉を凝視するようになるという顕著な変化が認められることを指摘し、この内省の深化が、『源氏物語』に描かれるさまざまな〈待つ女〉の形象に受け継がれてゆくのだとする。

第三篇「『源氏物語』と〈待つ女〉」第一章「夕顔造型試論」は、夕顔と光源氏の、お互いの素性も秘し合った濃密な交情が、非日常的なつかのま恋として終わるほかなかったところに、この物語の冷徹なリアリズムがあることを論ずる。第二章「六条御息所の生霊化」は、御息所の生霊化に至る心理描写を精緻に分析し、ほかの主要な女性たちにも通底する〈待つ女〉の問題がそこに集約されている様相を彫り深く浮かび上がらせている。最終章「蓬生巻の末摘花」では、須磨に退居した光源氏からまったく忘れ去られていながらも、彼の再訪を固く信じて待ち続けた蓬生巻の末摘花について、物語はけっして彼女を美化してはいず、つねに戯画化される彼女の頑迷さはこの巻にも一貫していることを指摘して、そこに〈待つ女〉の苦悩をきわめ尽くした物語作家のアイロニカルな視線を捉えている。

本論文には、中国の閨怨詩との比較が不十分であることなど、なお論を精錬する余地がないわけではないが、〈待つ女〉という普遍的にして問題集約的な文学的素材の形成と展開を通して、和歌・日記・物語をも包摂するダイナミックな文学史を構想し、それを明晰に論じた功績は、研究の細分化した今日にあってはことに高く評価されるものである。よって本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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