学位論文要旨



No 120645
著者(漢字) 渡部,良子
著者(英字)
著者(カナ) ワタベ,リョウコ
標題(和) 13-14世紀モンゴル時代におけるペルシア語インシャー術とインシャー作品 : 伝統的書簡文化とモンゴル文書行政
標題(洋)
報告番号 120645
報告番号 甲20645
学位授与日 2005.09.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人第498号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 羽田,正
 東京大学 教授 高山,博
 東京大学 教授 小松,久男
 東京大学 教授 鈴木,董
 東京大学 助教授 森本,一夫
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、13-14世紀モンゴル支配期のイラン高原を中心とするペルシア語圏における、書簡術(インシャー術)の発展とその背景について、インシャー術の指南書・技術伝達に関わる作品、インシャー作品を手がかりに考察することを試みる。

知的エリートの必須教養とされる技巧的書簡・文書起草術、インシャー術は、イラン、インド、中央アジアに広がるペルシア語文化圏(ペルシア語を文章語として共有する領域)の共通文化として、強い関心を集めていた。しかし、インシャー術が継承する規範と理念とは一体何なのか、具体的に明らかにされたことはなかった。そこで本稿では、ペルシア語インシャー術発展史の中で従来注目されてこなかったモンゴル支配期を事例に、新たに発掘したインシャー術に関わる指南書・文献=インシャー作品の分析を通して、伝統的書簡術の規範と理念が知的エリートの思想・活動をいかに規定するのか、また、モンゴル支配によりペルシア語圏に入ってきたモンゴル文書行政の受容において、伝統的文書行政術がどのような役割を果たしたのか、多面的な考察を試みる。

第1章では、いまだ十分な調査が進んでいないペルシア語インシャー作品の文献学的作業を兼ね、13-14世紀モンゴル時代のイラン高原で成立した15点のインシャー術指南書の詳細情報を整理し、インシャー術指南書の形式的な発達、その編纂の文化的背景の諸相を検討した。

第2章では、第1章で整理分析されたインシャー術指南書を手がかりに、知的エリートが重視したペルシア語書簡作法とはいかなる規範と理念を持つのか、指南書が主張する言説に即して検討した。インシャー術指南書における書簡作法とその細目に関する議論は、悉く書簡授受者間の地位・上下関係の設定に集中していた。書簡冒頭部(サドル・ナーマ)における書簡受取人・差出人の地位決定の規範をめぐり、ペルシア語書簡作法は13世紀初頭から14世紀、モンゴル時代を通して目覚ましい発達と複雑化を遂げていたことが確かめられる。受取人への敬意を表明する長大な技巧的美文体のラカブ(称号)は、あくまで書簡授受者の身分と力関係が正確に表現されていることを第一とした。

Mitchell, C.は、13-19世紀のペルシア語書簡の内的構成と外的特徴を本質的に不変に留まるとし、その固定した枠の中での書記の文章技巧(sabk)の希求と文学的表現への挑戦にインシャー術のダイナミズムがあるとした。インシャー術が本質的に持っている雄弁・文学的素養への志向に着目した場合、非常に的を得た分析といえるだろう。しかし、書簡術としてのインシャー術で重視され指南書を通して再生産されていたのは、理想的な書簡の構成とその作法の細目という「枠」へのこだわりであったということも看過されてはならない。書簡作法を必要とする高位の人間達が相互に取り結ぶ関係の儀礼を重視したからこそ、インシャー術とその指南書が発達し、最新情報を更新しつつ、伝統的な儀礼の規範を再生産し続けたのである。

第3章、第4章では、書簡作法が位階の作法と秩序が、知的エリートが考える国家・社会の秩序、あるいはその政治的活動にどのような影響を与えるのかを事例研究として検討した。

モンゴル支配はペルシア語圏の歴史観、文書形式など王権の正統性の根本に関わる領域に大きな変化をもたらしたが、書簡作法の中で最も重要な要素である君主のラカブの表現については、ほぼ従来の伝統を継承していた。これは単にモンゴルがペルシア語圏の文化に同化したというより、ペルシア語書簡術による君主の権威の表象がトルコ・モンゴル系遊牧支配者を含む多様な勢力を取り込みうる表現力を備えていたためであろう。一方、アミールやワズィールなど文武の国家構成員・ウラマーなど知的エリート層の集団を分類する位階秩序は、社会がいかなる諸集団によって構成されるかという伝統的な理念を継承しつつも、時代による政治的・社会的変動に極めて直接的な影響を受けていた。モンゴル時代のインシャー術指南書『書記典範』が示す位階の序列には、イルハーン朝期に成立したモンゴル支配体制の特徴的要素が如実に反映されている。一方、その他の、宗教的エリートを頂点とし、知的専門職・商人・有力者などを主要な構成員とする社会上層諸階層、および親族の位階序列は、政治的な変動にも殆ど影響を被ることなく、書簡作法を介した社会秩序のモデルとして継承されていたのである。

書簡作法におけるラカブ分類を目的とした位階(martaba)の概念は、それに携わる者達-----貴顕(ハーッス)-----の社会秩序に対する意識の反映であった。前章で見たように、そもそも煩瑣な書簡技巧が、高位の人物同士が円滑に関係を取り結ぶための作法(adab)であった。社会はいかなる集団によって構成され、その各々にどれほどの敬意が払われてしかるべきか。書簡通信という比較的日常的に行われる儀礼を通して社会上層の構成員を階層的に序列化し、その秩序を再生産・再構成し続けるのが、インシャー術における位階の概念だったのである。

イスラーム社会は、前近代ヨーロッパなどにおける意味での制度化された身分社会ではなかった。確かに、政治思想において社会・国家を様々な集団に分類する概念は存在し、また服装による職種・地位の差異化なども日常的に行われていたが、ムスリム間の階層化・身分の峻別を促す法的な根拠は原則的に存在しなかった。その中で、様々な地位や社会集団------王族・軍人・イスラーム法学者・地域社会の有力者・種々の職種の庶民など------を意識的に階層化し、それぞれに払われるべき敬意の多寡によってその力関係を決定し、社会における儀礼的な身分秩序の維持に一役かっていたもののひとつが、書簡術における位階の作法であったと言える。この書簡術の位階の作法がもたらす儀礼的身分秩序の規範は、日常的な社会生活(様々な用件の書簡や請願)から、行政(公的通信・命令)、外交(政権間の通信)にまで及んでいた。市井の代筆屋から名士・軍人・高官などの私設秘書、勅令や親書の起草により名声を博した文書庁長官まで、書記術を技能として生計を立てるすべての者達にとって、位階の作法こそは他の何はさておいても欠いてはならない、日常的・社会的・政治的な関係性を意識化し、コントロールするための、欠くべからざる実践的な知識だったのである。

第5章では、文書起草術イランに導入されたモンゴル文書行政について、近年明らかにされつつある大元ウルス文書行政の諸特徴との相違に注目しつつ、主に伝統的ペルシア語文書起草術からの理解と受容という観点から、2つの問題を考察した。

第1は、モンゴル帝国におけるイルハーン朝文書行政の重層性と、モンゴル君主文書ヤルリグの理解である。「モンゴルの文書」というインパクトとともに入ってきた「ヤルリグ」が、君主勅令の意味でペルシア語に浸透したのは、単なる術語の(誤用の)慣用的な定着というだけではない。モンゴル帝国一王家とイラン支配者という2つの側面を持つイルハーン朝が、一方でモンゴル帝国文書行政の階層的秩序に則した諸王文書を理念を守りつつ、一方で自らのヤルリグを最高権威とする帝国文書行政のミニチュアを自らの支配下に作り上げていたという、独特の事情も背景にしていたと思われる。文書術に関する知識・技術を継承・伝達するインシャー術指南書が、後者の文書分類を記録し、伝統的文書分類と対照させて理解していたことは、その二重性の反映であった。

第2は、モンゴル命令文書式の影響と伝統的文書起草術の継続である。

モンゴル命令文書式は確かにイルハ−ン朝のペルシア語文書に大きな影響を与え、後のペルシア語文書書式にも残る様々な要素を持ち込んだ。しかし、大元ウルスに見られたモンゴル語による君主の言葉を逐語的に写し取るという理念は、確かにペルシア語文書にも部分的な影響を及ぼしているものの、直訳体という顕著な特徴を示すにはいたらず、文書文言や理念の面では伝統的インシャー術による公文書起草術の枠内に留まった。

東西のモンゴル文書行政受容にこのような相違が生じた理由は、何だったのであろうか。考えうる理由は、イルハーン朝におけるモンゴル語・ペルシア語文書行政は、前者の後者に対する一方向支配だったわけではない、ということである。モンゴル語が支配者の言語であり公用語であったことは明らかだが、モンゴル語がペルシア語に翻訳されるだけではなく、ペルシア語文書がモンゴル語に翻訳されることもありえた。『書記典範』に任命文書用例が収録されているモンゴル語書記の職務の一つは、文書が発行された時、その裏面にモンゴル語で抄訳を書くことであった。シャイフ・ウワイス期のモンゴル語・ペルシア語合璧文書は、ペルシア語文をモンゴル語に翻訳したものである。このような両言語の双方向的な関係が、ペルシア語公文書書式の中にモンゴル的諸要素を巧みに溶け込ませたモンゴル文書書式・文体を作り上げる背景となったのではないだろうか。

その一方で、ペルシア語インシャー術の理念の中で積極的に評価されたモンゴル命令文書式の作法、抬頭は、後々までペルシア語文書に最も影響を残したモンゴル的要素となった。モンゴル命令文の最も顕著な影響として挙げられる「スーズミーズ」冒頭書式はサファヴィー朝期における文書行政の変革とともにイラン高原のペルシア語圏から消滅する。が、抬頭は、イラン高原、ムガール朝インド、中央アジアなどモンゴル期以降ペルシア語公用語圏で形を変えて長く続けられ、ただ勅令だけではなく、書簡・法廷文書などを含め極めて広く用いられる文書作成術の基本的作法の一つとなったのである。

ペルシア語圏の知的エリートが共有したインシャー術は、モンゴル支配時代、時代的変化から距離を保ちつつも、自らの伝統的理念の枠内でモンゴル支配による様々な政治的・社会的変化を吸収した。ペルシア語文書起草術へのモンゴル命令文の浸透においても、フィルタ−的存在としてその方向性を定めた重要な要素が、公文書起草術としてのインシャー術であったのである。

審査要旨 要旨を表示する

前近代のペルシア語文化圏では、知識人や宮廷に仕える書記が手紙や文書を記す際、一定の書式に従い、美辞麗句を連ねた独特の技巧的な文体が用いられた。この書式や文体の指南書や模範例を集めた書はしばしばインシャーと呼ばれるが、本論文は、一連のインシャー作品の内容を分析することによって、13-14世紀のモンゴル支配時代におけるペルシア語圏の知的エリート社会とその文化の特徴を論じている。著者がとりわけ意を用いているのは、技巧的な書簡や文書の起草技術が必要とされた社会的・文化的背景を明らかにすること、この技術が時代の変化に伴ってどのように継承されてゆくのかを示すことである。

第一章では、現存する最古のペルシア語インシャー作品(12世紀)の内容が紹介された後、13-14世紀のモンゴル時代については、写本も含め15点の作品の情報が整理され、書式や文体の発達の様相や編纂の背景が説明される。この章の書誌情報は網羅的で、従来参照されていたイラン人学者による情報の誤謬や欠落を相当程度指摘しており有益である。第二章では、インシャー術指南書の冒頭部に記される書簡受取人と差出人の地位の差の表現が詳細に検討され、この部分がいかに正確に両者の力関係を表すよう工夫されたかが明らかにされる。続く第三章では、書簡受取人と差出人の身分秩序である「位階」の概念が、モンゴル支配の政治的・社会的変動の影響をどのように受けたのかが議論される。第四章では、イルハン朝の政治権力者であるラシードッディーンの書簡集にあらわれる「位階」表現を材料に、この著名な政治家がその周囲の人物たちとどのような政治的・社会的人間関係を取り結んでいたのかが検討される。最後の第五章では、近年我が国で進展がめざましい大元ウルスの文書行政研究の成果を利用しながら、モンゴル支配期にも、原則として伝統的なペルシア語文書起草術が継承されたこと、しかし、表現や文書作成法の随所にモンゴル命令文書式の影響が見られることが明らかにされる。

その文体の難解さゆえに、従来歴史研究に十分に活用されることのなかったインシャー作品を本格的に用い、モンゴル時代のイラン高原における知的エリート社会とその文化の一端を明らかにした研究として、本論文は大きな価値を有する。むろん、その先駆性ゆえの弱点がないわけではない。例えば、どの範囲の作品にまでインシャーという術語を適用するかという点にはなお議論の余地があるし、ラシードッディーン書簡集の真偽論争の展開に今ひとつの配慮が必要だったろう。注の引用やアラビア文字の転写にもさらなる厳密さが要求されよう。しかし、総合的に判断して、本論文が高度な文献学的知見に裏打ちされた独創性を備えていることは間違いない。よって、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するとの結論に達した。

UTokyo Repositoryリンク