学位論文要旨



No 120646
著者(漢字) 福島,勲
著者(英字)
著者(カナ) フクシマ,イサオ
標題(和) 供犠と文学 : ジョルジュ・バタイユにおける供犠の概念とその実践
標題(洋)
報告番号 120646
報告番号 甲20646
学位授与日 2005.09.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人第499号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩川,徹也
 東京大学 教授 月村,辰雄
 東京大学 教授 中地,義和
 東京大学 助教授 塚本,昌則
 東京大学 教授 湯浅,博雄
内容要旨 要旨を表示する

A. アーウィンは「バタイユの著作の中で、供犠は遍在するモチーフであり、宗教、芸術、エロチシスム、政治の領域を両義的に橋渡しする」と書くし、J.-L. ナンシーは、バタイユの思想は供犠に多大なる興味を注いでいたというよりも「取り付かれていた」と書く。実際、ジョルジュ・バタイユ(1897-1962)の活動において、供犠という概念の存在は大きく、その意味は深い。本論文は、こうしたバタイユにおける供犠の概念に着目し、バタイユの思想の中でこの概念が持つ意味を追跡して行くものである。ただし、本論文の特色は供犠の持つ意味内容の解説に還元されるものではない。すなわち、本論文は、バタイユ思想における供犠の重要性を確認するだけではなく、この概念とバタイユのエクリチュール/テクストとの関係に新たな照明を当てることを目指している。つまり、バタイユにおいて、供犠は思考されていただけではなく、エクリチュール/テクストにおいて実践されていると主張することができるのである。

しかも、こうした視点が重要と思われるのは、供犠の実践としてのエクリチュール/テクストという観点が、バタイユ固有の問題であることを越えて、文学という我々の実践を背後から支えている要請とは何であるかを再検討する、一つの視座を提供するものと思われるからである。つまり、バタイユの供犠という概念、その実践を軸として、文学という活動の意味を問うこと、これが本論が到達しようとする最終的な地点である。

第一部では、バタイユの供犠の概念の文化的背景を整理するために、旧約と新約の世界に現れる供犠、そして、フランス社会学で扱われた供犠の概念を考察している。ユダヤ教、キリスト教の歴史に現れる供犠は様々なヴァリエーションのもとに現れる。例えば『カトリック神学事典』は旧約の供犠を「燔祭」、「素祭」、「罪祭」、「和解の捧げ物」の四つに分類して見せるが、しかし同時に、その区別が恣意性を免れないことも認めている。ただし、そこで興味深いのは、新約の供犠である「聖体拝領」が、最後の晩餐という「和解の捧げもの」という旧約的な供犠を起源に持ち、現実に血が流されるのか、流されないのかという差異はあれ、結局のところ、犠牲を媒介とした一体化(コミュニオン)という論理によって支えられているという点である。つまり、旧約と新約の供犠に共通する特徴とは、何よりも、犠牲を媒介としたコミュニオン(一体化)であり、神と人間との関係、信者同士の間の関係を成立させるという機能に求めることができるのである。

他方、フランス社会学において、供犠は宗教的文脈から切り離され、社会との関係において考察されることになる(ただし、彼らの宗教や供犠に対する特権的な注視は、彼らの考察する社会のイメージが何よりも宗教的な感情によって支えられた社会であったことを示すものである)。モースやユベールは、供犠の起源を巡る論争において、「和解の捧げ物」に見られるコミュニオンという要素よりも神への奉献といった要素の方が本質的な重要性を持つことを主張したが、興味深いのは、デュルケムはそこに加えた帰結である。すなわち、デュルケムは供犠の能動的性格を強調しており、神々(フランス社会学において、それは社会や共同体の象徴である)がいるから供犠が必要なだけでなく、供犠によって神々が維持される、もっと言えば、供犠から神々が創出されるという観点を提起するのである。おそらく、ここには、宗教を創始する、もしくは、共同体を創始するために供犠の必要性を主張したバタイユの論理の原型を見ることができるはずである。

いずれにしても、これらの参照から結論されるのは、ユダヤ教、キリスト教の文脈にせよ、フランス社会学の文脈にせよ、供犠が何より人間を結ぶための起点(コミュニオン、共同体、社会)として位置づけられているという点である。従って、バタイユが供犠を語る際、常に交流(コミュニカシオン)が問題にされることの意味はこうした背景とともに理解される必要がある。

第二部では、こうした背景を踏まえつつ、バタイユにおいて供犠の概念が生成される過程を追跡している。例えば、活動の初期(1920-30年代前半)において、供犠はバタイユにとって一つの謎として現れる。それは合理的な説明の彼岸に位置しながらも、抵抗し得ない魅力によってバタイユを引きつける現象であり、この謎に対する答えの試みとして、生と死の同一平面化(「失われたアメリカ」)、主体の自己破壊(「切除による供犠とヴィンセント・ヴァン・ゴッホの切られた耳」)、さらに「喪失」の原理(「消費の概念」)といった思索が展開されている。特筆すべきは、喪失の原理において、供犠は破壊(=喪失)を手段とする異質な価値(「聖なるもの」)の生産であるという説明が見られる点であるが、しかしながら、この時点では、供犠は「概念」として統一的な像を結ぶには至っておらず、敢えて言えば、エネルギーの無方向的な発露という側面が強い。

それに対して、中期(アセファル、社会学研究会1935-9年頃)以降、バタイユの供犠はより明確な輪郭を持ったそれへと収斂していくことになる。それは「共同体」の起点としての供犠であり、バタイユは、当時の人類学や社会学の成果に触発される形で、供犠を宗教や社会といった共同体を生成する一つの可能性として考察している。具体的なその一例として、バタイユは、共同体において、成員相互の究極的な連帯が可能になるのは死の仲立ちによってであり、この死を召喚し、その認識を行う場こそが供犠であるという理論化を試みている。

しかし、バタイユの供犠が、最大の理論的深化を遂げることになるのは、『内的体験』や『有罪者』の執筆の時期である。第二次世界大戦に勃発とともに始められたこの思索の中で、供犠が人間と人間の間に関係を成立させるという基本的な構図に変更はないものの、そこで見出される人間同士の関係は、「共同体」という実体的なものではなく、「交流(コミュニカシオン)」という運動として捉えられることになる。しかも、変化はそれだけではない。バタイユの供犠は、その対象を共同体から交流へと変化させながら、さらに、その実践の場所を現実空間から表象空間へと移動させるのである。その一つの形が、内的体験という内面で行われる供犠であり、『内的体験』というテクストはこの供犠の内容と方法を伝達するための試みであると言って良い。

ところで、内的体験とは、精神集中した意識の中で供犠の場面を再構成し、あたかも眼前で供犠が行われているかのようにして、その供犠に参加する体験であると言えるが、興味深いのは、この内的体験を伝える『内的体験』というテクストが、それ自体として、一つの供犠の舞台としての構造を備えているという点である。つまり、ここでバタイユの供犠は、交流へと結ばれただけでなく、内的体験とエクリチュール/テクストという新たな形式を獲得することになったのである。

そして、第三部においては、『内的体験』に依拠しつつ、エクリチュール/テクストによる供犠の可能性が検証して行く。その際、エクリチュールとテクストとの間に区別が設けられて、とりわけ供犠としてのテクストという観点がその最大の可能性として提示されることになる。もちろん、主体の供犠として行われる内的体験やエクリチュールの重要性を無視することはできないが、内的体験やエクリチュールは対自的行為として自己完結してしまう危険性をはらんでいるのも事実である。もし供犠が他者たちとの交流を目指すものであるとすれば、やはり、その実践の場所は、読者たちの存在によって成立するテクストという場所こそが最適であると思われるからである。

では、テクストによって供犠が実践されているとはいかなる意味においてであるか。それは、単に、書く主体のエネルギーの消失が行われているといった比喩的な、抽象的な意味に留まるものではない。むしろ、そこには確固たる供犠の舞台装置を見出すことができるのであり、テクストは供犠がスペクタクルとして文字通り実践される場として位置づけることができる。例えば、供犠とテクストの間には次の様な構造上の類似を打ち立てることができる。すなわち「犠牲者、供犠執行人、参加者」の三項は、そのまま「登場人物、話者、読者」の三項に対応させることができるのである(ちなみに、『内的体験』の場合においては、一人称の〈私〉が犠牲者の役割を果たすため、「犠牲者、供犠執行人、参加者」の三項は「話者、話者、読者」の三項として分析されることになる)。

しかも、供犠と文学テクストの親近性は構造的類似に還元されるものではない。例えば、『文学と悪』において、両者の親近性は<悪Mal>という観点から説明されている。すなわち、供犠が死を通して聖性の開示を行ったのと同様にして、文学は<悪>を通して至高性の開示を行うのであり、供犠が聖性を仲立ちによって、参加者たちの交流を用意したのと同様にして、文学は至高性の仲立ちによって、意味や有用性に回収されることのない他者たちとの関係、「強い」交流を樹立するのである。ここで両者の間に確認されるのは、構造上の類似だけではなく、一つの内容的な類似である。すなわち、それは聖性や至高性と名指される、いかなる意味や有用性によっても侵されることのない人間の最終的な属性を確保して行こうとする意志、そして、この属性の共有に基づいた人間相互の関係、交流への意志である。

バタイユの思想とそのテクスト実践に貫かれているのは、こうした供犠と交流への意志である。そして、バタイユはその思想的可能性の最後の受託者として文学を名指すのである。バタイユが文学に期待するのは、超越的な媒介物(者)が何もないにも関わらず、というよりも、そうした媒介はおそらく永遠に不可能であるかもしれないという実存の条件の認識を通じて、人間相互の間のコミュニケーションを成立させることである。もちろん、こうした文学的コミュニケーションに、政治、経済、法律、宗教が持ち得るような、積極的な拘束力やその制度的存在を期待することはできないだろう。おそらく、その点において、文学は一つの呼びかけ以上の存在様式を持たないのである。ただし、それは、永遠に続けられる呼びかけ、他者たちに届くことを期待して行われる供犠であり、もし「聖なる」次元とは先験的に存在するものではなく、供犠を起点として初めて創造されると考えたデュルケムやモースの観点が正しいとしたならば、あらゆる意味や有用性の彼岸に、人間と人間が出会うための場所、言葉の強い意味における人間的なコミュニケーションの空間を創出、確保して行くためには、文学テクストという供犠を継続して行くことこそが必要である。

審査要旨 要旨を表示する

20世紀フランスの思想界に特異な位置を占めるジョルジュ・バタイユ(1897-1962)の活動は、文学・思想・宗教・芸術・政治・社会学・人類学などの多岐の領域に及び、しかもそれらの対象領域を自在に横断して思索し論ずるところにその特徴があるが、それだけに彼の思想の可能性の根源を見極めることは困難である。本論文は、宗教儀礼の中心にあると考えられる供犠のテーマが、彼の著作に頻出し、宗教、芸術、エロチシスム、政治の領域を橋渡しする役割を担っていることに着目し、バタイユの思想において供犠の持つ意味を解明することを課題とする。その際、たんにバタイユが供犠について、いかなる思考を展開したか、また供犠が彼の思想形成においていかなる役割を果たしているかを考察するにとどまらず、文学の存在理由と価値の根源に供犠があることをバタイユ自身が確信しており、そのことを文学の実践及び文学に関する理論的反省を通じて実証していたことを、彼の著作の緻密な読解によって示そうとする。こうして、本論文は、バタイユ固有の問題を越えて、文学の意味と価値を背後から支えている要請に光を当て、文学が、本来的な人間の交流の空間を創出し確保する営みであるとの見通しを提示する。

全体は三部からなり、第一部では、キリスト教神学及びフランス社会学において、供犠がいかなるものとして捉えられていたかを考究する。これは、バタイユ自身、一時キリスト教信仰に帰依したこと、またデュルケムやモースが、「聖なるもの」と「社会的なもの」の関係を重視し、それとの関連で供犠に強い興味を寄せたこと、そしてその成果をバタイユ自身が熟知していたことを思えば、バタイユの供犠観を理解するために不可欠な予備作業である。第二部は、初期から中期にいたるバタイユの著作に即して、彼が供犠についていかなる観念を抱いていたか、またそれがどのように変遷を遂げていったかを跡付ける。初期においては、破壊を通じて「聖なるもの」という異質の価値を作り出すものという説明がなされるものの、統一的な供犠観はまだ形成されていないが、1930年代後半になると人類学と社会学の成果に触発される形で、共同体統合の契機としての供犠という見方が出てくる。しかし第二次世界大戦中に執筆された『内的体験』や『有罪者』においては、それまで供犠の成立の背景として実体的に捉えられていた「共同体」に取って代わって、自由な人間同士の「交流」という運動が前面に押し出される。また供犠の演劇性に着目することを通じて、現実の供犠から表象された供犠への転換が図られる。「内的体験」とその言語表現は、表象による供犠の再現行為だというのである。これを受けて、第三部では、文学が、書く行為と書かれたテクストの双方の契機、とりわけ後者において、交流への意志に貫かれた供犠であり、それが文学の存在理由と価値の基盤にあることを、二つの著作『内的体験』及び『文学と悪』、とりわけ後者に収められた「ジュネ論」に即して主張する。供犠が死を通じて開示される聖性の仲介により参加者たちの交流を可能にしたように、文学は至高性の仲介によって、意味や有用性に回収されることのない他者との関係、すなわち「交流」を樹立するというのである。

本論文は、テクストの緻密で執拗な読解に加えて、その宗教的背景のみならず、社会学・人類学的背景を、フランス社会学の伝統のうちに探索し、バタイユの思想の理解に役立つ多くの知見を提出している。テクストに密着するあまり、論者の立論がくっきりと浮かび上がらないこと、概念操作とその表現に厳密さを欠くところが見られるなどの憾みはあるが、全体として、供犠という鍵概念を駆使して、バタイユの思想と著作活動の特質を浮かび上がらせることに成功している。以上から審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

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