学位論文要旨



No 120651
著者(漢字) 大東,和重
著者(英字)
著者(カナ) オオヒガシ,カズシゲ
標題(和) 日露戦後における文学の自己同一化の研究 : 藤村・独歩・花袋・風葉・漱石と<自己表現>
標題(洋)
報告番号 120651
報告番号 甲20651
学位授与日 2005.09.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第594号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 伊藤,徳也
 東京大学 教授 神野志,隆光
 東京大学 教授 菅原,克也
 東京大学 教授 小森,陽一
 和光大学 教授 塩崎,文雄
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、日露戦後新文学の代表作家である、島崎藤村、国木田独歩、田山花袋、小栗風葉、夏目漱石の五人の作家が、当時どのように読まれ評価されたのか、新聞・雑誌を調査し同時代評を分析することで、日露戦後の明治三十九年から四十一年にかけて、文学がどのようなものとしてあったのか、その文学がどのような変容を遂げ、新しいコンセプトのもと生まれ変わったのか論じることを目的とする。のちに文学史に作家として登録された、あるいはそこから没落した作家たちの、日露戦後における評価の変遷を、当時に立ち戻りたどり直すことで、いったん確定されると普遍的となり、その歴史性や自明さを疑うことの困難な文学史、そしてこの文学史を支える文学なる概念が形成された過程の検証を目的とする。

序章「文学の新紀元」では、日露戦争の勝利で国運が隆盛し、新文学への期待が高まる中登場した、日露戦後の新作家たち、そして戦前から活躍していた旧作家たちの、日露戦後における創作状況を概観した上で、明治三十九年に新旧作家の境界線として持ち出された、新しい文学評価の座標軸について論じ、以下の章の導入とする。

第一章「戯作者から職業作家へ 日露戦後の文学メディア、職業としての作家」では、以下の個々の作家を扱った章の前提として、戯作者から小説記者へ、小説記者から職業作家へと、明治における作家という職業の成長過程を追う。かつて作家は専業として成立せず、新聞記者や専属の新聞小説家である他は、編集者や教員など別に正業を持たねば、筆一本では食べていけなかった。しかし日露戦後、作家の地位の向上とともに、職業としての作家が成立しつつあった。本章では同時に、文学を支える出版メディアの成長、ことに日露戦後になって文学を扱う新聞・雑誌が急増し、作品を掲載する場が増加するとともに、作品論・作家論・文芸時評などの批評制度が成立したことを論じる。

第二章「技術批評を超えて 島崎藤村『破戒』・表層と深層」では、『破戒』の同時代評を分析することで、日露戦争直後までの文芸批評のあり方と、作家の創作態度と作品の価値を結びつける批評が登場したことを論じる。明治三十九年刊行の島崎藤村『破戒』は、独歩『運命』・花袋『蒲団』とともに、日露戦後に勃興した自然主義の代表作とされた。だが当時の批評では、作家への期待が大きかったにもかかわらず、あるいはそのゆえに、作品への失望をもらしたものが多い。『破戒』発表当時の批評を検討すると、その読みは、日露戦争前までの明治期に共通の、作品の技術的な高下を品隲する技術批評からのもので、登場人物に作家を重ね合わせるような、のちに『破戒』読解の主流となる読みが存在しなかったことを確認できる。『運命』や『蒲団』が、作品を通して作者の精神を読み込むという形で批評されたのに対し、『破戒』の場合は作家藤村の「真面目な態度」がまず称賛され、その結果として作品も好意的に迎えられたものの、結局『破戒』を通して藤村の精神が読み込まれることはなかった。『破戒』同時代評では、単なる作品の技術批評を超えて、批評が作家と作品を結びつけようとする志向を見ることができる。

第三章「〈自己表現〉の時代 〈国木田独歩〉を読む〈私〉」では、国木田独歩が日露戦後新文学の代表作家となる過程を、沼波瓊音「独歩論」など同時代の批評を手がかりとして論じることで、日露戦後に文学の新しい価値基準がいかに形作られたのかについて分析する。かつて独歩は、悪文と主観の突出によって二流作家の扱いを受け、「小説との命名さへ、頗る疑はしきもの」と指弾された。ところが明治三十九年三月に出版した短編集『運命』によって、独歩は一躍、日露戦後を代表する自然主義作家となる。その同時代評では、作品を論じることが作者を論じることと等価となっており、それまでの技術の高下を云々する批評は姿を消す。ことに瓊音「独歩論」では、作品のみから作者の精神を論じる回路が開かれ、『運命』は「小説以上の作物」と称揚される。そこでは、作品を論じる際の価値評価の基準として、作家が作品に自己をいかに表現しているか、作品に表現された作家の自己とは何かという、〈自己表現〉性が選び取られた。さらにこの〈自己表現〉は読書行為にも適用され、読者瓊音が作品を通して向こうに作者を浮かび上がらせると同時に、作品のこちら側に読む主体としての読者である〈自己〉を見出す行為となる。このようにして読まれた独歩『運命』は、日露戦後に形作られた新しい文学のコンセプトを体現する作家・作品となる。

第四章「読むことの規制 田山花袋『蒲団』と作者をめぐる思考の磁場」では、『蒲団』がいかに読まれたのかを中心に、日露戦後における読むことの意味について論じた。明治四十年に発表された田山花袋『蒲団』は、自然主義の代表作、私小説の濫觴とされている。だがその批評では、作中の主人公と作家自身とが同一視される、「大胆なる懺悔録」、〈告白小説〉としての読み方がある一方で、『蒲団』を「客観の描写」の達成と考える、〈客観小説〉としての読みが並存している。両者は一見対立しつつも、『蒲団』が〈自意識〉の葛藤を描く、作者の主観を客観的な描写にさらす作品であることを画期的とする点で、共通した論点を持つ。この両者の読みが補いあうことで、文学作品と、生身の作家及び作者の精神が結びつけられ、作者をめぐる思考の磁場が導入され、文学作品は〈自己表現〉の産物である、というコンセプトが強固に形成されていく。

第五章「自然主義論争の果てに 明治四十年前後、客観描写と主観表白」では、自然主義の議論を腑分けすることで、自然主義によって新しく定義し直された文学の概念について論じた。日露戦後は自然主義が勃興し、「自然主義にあらざれば文学に非ず」といわれるほど、文壇を風靡した時代でもあった。自然主義ある特徴を取り出して定義することが困難で、「自家客観の態度こそ真の芸術家の態度」と、その達成を客観描写に見る者がある一方には、自然主義は「苦悶を表白して、大胆に真実にこれを愬へんとす」と、その特徴を主観表白に見る者があり、両者には対立があった。しかしさらにこの主観と客観の融合を目指す議論があり、「極地は二者の調和に」あるとされる。自然主義はこのような、主観と客観の対立と融合を課題とした、文学概念刷新の運動としてあった。

日露戦後に成立した新しい文学のコンセプトを体現する作家として、国木田独歩ら自然主義の作家たちが登場するのに対し、日露戦争直後いったんは多大な期待をかけられながら、明治四十一年以降急速に没落していく作家に、小栗風葉がいる。明治三十九年には大作『青春』が、日露戦後文学の新傾向である、主観の表白を体現した作品だとされ、独歩らと並び自然主義の作家とされた風葉だが、四十年から四十一年にかけて、その作品は客観描写に特徴があるだけの、自然主義以前のスタイルに長じた作家だとされる。自然主義に接近しながら、結局は旧派の作家として風葉が葬られる背景には、かまびすしく非難されたその代作問題があった。代作という禁忌を犯すことによって、作品を通して作者の精神を読み取るための回路が閉ざされ、その結果、日露戦後の新しい文学の価値に見合わぬ作家として、風葉は排除されていく。第六章「文学の〈裏切り〉小栗風葉をめぐる・文学をめぐる物語」では、この過程を、同時代の批評を資料として、日露戦後の新文学とは何だったのかを論じつつ、分析した。

明治三十八年のデビュー以来、文壇の絶賛につつまれていた夏目漱石だが、明治四十年以降急速に評判を下げていく。それは、明治三十九年に発表した『草枕』に見られるような、「美しい感じ」のする小説、というスタイルが、日露戦後の文学コンセプトと方向を異にするものだったゆえである。明治四十年、国木田独歩の名声が天上する一方で、文学の価値としての〈自己表現〉性を否定した漱石は、独歩と比較される中、日露戦後の新文学とは交わることのない旧派の作家、「高等落語」の書き手としておとしめられていく。第七章「軽文学の王・夏目漱石の栄枯盛衰」では、この過程を、漱石自身の創作スタイルと、日露戦後の文学コンセプトの形成を対比させつつ、論じた。

終章「文学のための物語」では、日露戦後くり返し提出された文学とは何かの議論を概観し、文学のコンセプトがどのようなものに刷新され、それが文学史の記述にどのように反映されたか、これまでの議論の締め括りとして概観した。

本論文では以上のように、日露戦後に活躍した個々の作家たちがいかに読まれたを分析することで、この時代に文学が〈自己表現〉性を基軸に自己同一化を遂げた過程を論じた。日露戦後の文学を、現在のすでに確定された文学史から、当時の文学空間へと還元し、解体して、〈文学〉が形成された歴史的過程を、当時の雑誌や新聞の記述にもとづき再構築することで、〈文学〉がそなえるに至ったその思考の力の磁場を、〈文学〉が非〈文学〉として排除した可能性、文学史からこぼれ落ちた作家たちの可能性とともに、明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

大東和重氏の「日露戦後における文学の自己同一化の研究――藤村・独歩・花袋・風葉・漱石と<自己表現>」は、文学作品に対する評価基準が、日露戦後の明治39年から41年にかけて、それまでとはまったく違うものとして再編成されていく過程を、主に同時代評の検討を通して丹念に跡付けたものである。

序章「文学の新紀元――日露戦後新文学の勃興、新文学と旧文学、新しい文学評価の座標軸」と第1章「戯作者から職業作家へ――日露戦後の文学メディア、職業としての作家」が全体の序論にあたり、第2章「技術批評を超えて――島崎藤村『破戒』・表層と深層」から第7章「軽文学の王・夏目漱石の栄枯盛衰――あるいは明治四十年、文学の自己同一化」まで計6章分が、本論文の中核を成す本論、そして、終章「文学のための物語」が結論という構成になっている。

序章では、本論文の基本的な考え方と枠組みを提示し、第1章では、第2章以降の本論部分の前提となる文学ジャーナリズムの成立とそれに伴う作家の地位向上と職業化、批評制度の成立を論じている。

第2章では、藤村『破戒』に対する同時代評が、うまくできているかどうかだけを問うそれまでの「技術批評」を踏襲していたこと、にもかかわらず、作品評価を、藤村という生身の作家の真摯な執筆態度と結び付けようとしていたことを確認し、第3章「<自己表現>の時代――<国木田独歩>を読む<私>」では、それまで評価の低かった国木田独歩が明治39年出版の短編集『運命』によって一躍代表的な自然主義作家として高い評価を得ていく中で、「技術批評」が姿を消し、作品のみから作者の精神を読み取って評価する態度が成立していったことを論じている。そして、本論文の表題にある<自己表現>とは、作品を通して読み取れる作者の個性あるいは自己表現性がそのまま作品の価値になるという文学の評価基準のことであると定義され、日露戦後に<自己表現>という基準によって文学の新たな自己同一化が行われたのだと論じている。このような<自己表現>の文学空間の成立は、読者あるいは批評家が、作品に必要なものとして、作者の個性を見出そうとするようになったということを意味するだけではなく、読者が作中に、読む主体としての自分を見出すようになったということも含む。こうした作者と読者が主体化される<自己表現>の文学空間の成立が有機的に解明されている点は、本論文の大きな学術的貢献と言えよう。

第4章「読むことの規制――田山花袋『蒲団』と作者をめぐる思考の磁場」および第5章「自然主義論争の果てに――明治四十年前後、客観描写と主観表白」では、『蒲団』あるいは自然主義に対する歴代の批評が、告白小説としての読みと客観小説としての読みの二種類に分裂、並存してきていることを指摘したうえで、両者が結果として、文学作品が<自己表現>の産物であるという観念を強固にしてきたことを論じ、第6章「文学の<裏切り>――小栗風葉をめぐる・文学をめぐる物語」では、一時新文学の旗手として期待されていた小栗風葉が、一気に文壇の地位を失っていったのは、風葉が代作というタブーを犯して、当時急速に成立しつつあった<自己表現>の基準を撹乱してしまったためであること、そして、第7章「軽文学の王・夏目漱石の栄枯盛衰――あるいは明治四十年、文学の自己同一化」では、漱石がいったんは大きな期待を集めながらも、同時代評では「高等落語」の書き手として貶められていたのは、<自己表現>の基準にあわなかったためであることを論じている。最後に、<自己表現>の基準に基づいて形成されてきた文学史の歴史性に対して、先入観のないまなざしを向けるべきであることを論じて終章を締めくくっている。

本論文の問題点としては、標題の「自己同一化」、<自己表現>といった用語、表記の妥当性に関してなお検討の余地がある点、また、議論の前提として置かれた第1章がジャーナリズム内部のことだけを扱って、教育制度やそれによる近代読者層の成立といったことを十分には扱っていない点、本論文の中核となる第3章について、大きく取り上げた沼波瓊音「独歩論」に対する社会的分析が足らない点、引用文や当時の言説の修辞をそのまま踏襲して一部文体がやや感情的なものになっている点などがあげられる。

しかしながら、そうした問題点は全体から見ると瑕疵に過ぎない。氏は、第6章と第7章で日本自然主義のいわば外側を論じることによって、論文全体を、単なる日本自然主義文学論以上のものにしているし、また、いわゆる<自己表現>の座標軸を抽出するパースペクティブを設定することによって、文壇盛衰記をはるかに越えた奥行きのある歴史記述にもしており、本論文の学術的意義は高く評価されるべきである。したがって、本審査委員会は全員一致で大東和重氏が博士(学術)の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

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