学位論文要旨



No 120658
著者(漢字) 原,浩之
著者(英字)
著者(カナ) ハラ,ヒロユキ
標題(和) 中国語日本語バイリンガルの文字認知過程の脳磁図計測による研究
標題(洋) Neuromagnetic study of word recognition processing in Chinese-Japanese bilinguals
報告番号 120658
報告番号 甲20658
学位授与日 2005.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2574号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 阿部,裕輔
 東京大学 教授 江藤,文夫
 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 講師 阿部,修
内容要旨 要旨を表示する

【研究背景】

言語は、人間に固有の高次脳機能である。言語の脳機能の解明は脳科学において、重要な研究課題の一つである。これまでの認知脳科学(Cognitive Brain Science)における言語認知機構に関する研究は、主に神経心理学(Neuropsychology)、神経言語学(Neurolinguistics)、心理言語学(Psycholinguistics)など境界分野からアプローチされていた。最近、PET、fMRI など非侵襲的脳イメージング技術を用いた認知過程に関する計測や解析が盛んになり、かつてないほど斬新な進展がなされている。とりわけ、言語の認知メカニズムは脳の最高次の機能であるゆえ、他のさまざまな物体認知と異なるプロセスが報告されている。これまでヒトの顔認知中枢が下側頭葉(ITG)、紡錘状回(FuG)にあることが確認されてきたが、実は図形や顔の認知にとどまらず、文字にも選択的に活動があることが次第に明らかになった。

【研究目的】

視覚呈示された文字の認知処理に関わる脳内活動部位については、PET手法により左後頭葉内側部(Petersen S.E. et al., &HowardD et al.,)および左側頭葉後部(Price C.J. et al.,)などが報告された。また、MEG計測では後頭葉の低次視覚野での反応のみならず、より高次の認知処理過程においては、左側頭葉、角回(AG)および縁上回(SumG)などが脳の活動部位として報告された(Kuriki et al., & Imada et al.,)。しかし、文字認知の神経言語学モデルに脳内情報処理過程(文字の形態認知、音韻変換、意味処理等)に各々対応する脳内活動部位を区別して推定した報告は少なかった。その上、従来の研究は、健常者を対象として、母国語に対する文字認知の過程を明らかにすることを目的としていた。とくに活発に研究されている言語は英語および日本語である。また、日本語は正字法の漢字および音韻記号のカナ文字を特徴とする表記法が併存する特質な言語体系であるため、日本人のみならず、他の言語話者の研究者からも広く関心を集めている。現在のところ、英語や日本語に限らずどの言語をとっても、それぞれの言語を母国語に持つ者だけを被験者として研究が行われている。多言語が併存しているバイリンガルの場合においては、「それぞれの言語を如何に一つの脳に併存させ、迅速に並行処理しているか」また「バイリンガルの記憶表象がどのように構築しているか」について、ほとんど未検討のままである。これらの問題は言語学者のみならず、脳神経科学の研究においても、関心が持たれる興味深い問題のひとつである。実際、外国語が得意な人でも母国語と同じレベルまで話したり聞き取れるようになるまでには、かなりの労力と時間が必要である。ある推測では、母国語を獲得した結果として、脳のある部位に神経回路網のルートが固定されてしまい、逆に外国語が習得しにくくなる状態になると言われている。本研究では、バイリンガルの第二言語における認知機構を、時間分解能に優れたMEGの実験的手法を用いて、こうした多言語使用(Bilingualism)へのアプローチの第一歩として、検討を行う。「異なる言語体系は異なる脳内部位で処理される」というコンセプトから、文脈(Syntax)に影響されない、日本語の当用漢字と中国の簡体文字およびランダムドットパターンの3種類の刺激ターゲットを視覚刺激として用いた。同等意味、同等形態の条件のもとで対照させ、これにより、生じる音韻処理の脳内部位が特定できると考案した。この結果として外国語を獲得することにより、脳の言語表象の変化を直接的に捉えることをでき、またヒトの言語機能の中で外国語習得のメカニズムを解明することにつながると考える。

【実験対象・課題・方法】

実験対象:被験者は、中国語を母語とする中国人留学生(大学生および大学院生)10名(22〜33歳)。すべての被験者は母国語を完全に既得した成年後に、新しく日本語を習得した。(以下、late bilingualと呼ぶ)すべての被験者からインフォームド・コンセントを得た。実験は東京大学医学系研究科倫理委員会の承認を得た。実験前にシールドルーム外で予備実験を行う。反応時間および正答率を記録した。

実験課題:本研究では、既習の中国簡体字(L1)と新しく習得した日本語の当用漢字(L2)計120文字を用い、ランダム化された視覚刺激をターゲットとした。文字課題として、動物の名前や体の部位を関連する文字を半分含む、発声を伴わない語彙意味の判断を実施した。具体的には呈示された文字が生物(living creature)に関連するときYES、関連しないときはNOと、できるだけ早くボタンを押す実験を行った。

日本語の「馬」 /uma/ 「虎」 /tora/の文字は、中国語では「〓」 /ma/ 「虎」 /hu/と認知される。日本語と中国語において近似的な形態と同等な意味を持つこのような文字は、正字法と意味的な処理の二つ要素の差異より、音韻的差異のほうが大きいため、関与する脳内部位をより大きく抽出できるという特徴を持つ。

実験方法:

手続きと装置:刺激呈示と反応測定には、パーソナルコンピュータ(NEC LL75O/2)を用いた。ソフトウェアとしてはNeuromag社製Data Aqusitionを用い、刺激呈示の制御及び反応の採取、測定を行った。各文字刺激は被験者の前方約40cmのディスプレイ上に、縦2.22.4cm×横2.2-2.5cmの大きさで呈示した。画面中央にまず凝視点としてドット(・)1個を 呈示した後、同じ位置に文字を600ms呈示し、1200msの刺激間間隔(inter stimulus interval:ISI)をおいて次の文字を同じ位置に呈示した。被験者には生物関連文字v.s.非生物関連文字の語彙判断を迅速に行うよう求めた、その際、中国語および日本語のそれぞれの条件においては、なるべく文字の黙読を行わないように指示した。

脳磁図の計測及び解析:

脳磁図はNeuromag社製122チャンネル全頭型脳磁計で行った。解析はUNIX上で作動するアプリケーション(NeuroScanAquire4.2)を用い、サンプリングは500Hz、バンドパスフィルターは0.15-40Hz とした。

【結果】

反応時間(reaction time:以下RTと呼ぶ)が平均±2標準偏差以上逸脱している場合には分析の対象から除外した。語彙判断課題を用いたこれまでの研究と同じく、分析にはターゲットが文字の場合のRTのみを指標とした。被験者群別の誤反応率は3.5%であった。また逸脱により除外したRTの全体に占める割合は5.4%であった。さらに、正答率が95%に満たない文字(被験者個人の外国語熟練度によるものと考える)も分析の対象から除外した。被験者の各条件での平均反応時間と正答率を算出する。各条件別に算出した平均RTについて、言語(日本語関連,中国語関連) ×意味的関連性(生物関連有,関連無)の二要因分散分析を行った。日本語関連に主効果が見られたが(F(1,9)-43.33,P<0.01) 、交互作用は認められなかった(F(1,9)=03739,ns)。さらに下位検定を行ったところ、語彙カテゴリー関連性の有無に関わらず、日本語の語彙判断RTは顕著に遅れていた。

MEG解析

文字呈示後150〜300msで全被験者に共通した2〜3つの成分を持つMEG応答が左右後頭、側頭上で観察された。波形の重ねあわせた代表例を図に示したように、文字の認知に対して潜時150〜200ms および200〜300msに二つ顕著な誘発磁場成分が認められた。(以下、M1OO、M200と呼ぶ)

潜時150-200ms近傍の早期応答成分M1OO は波形上の平均頂点潜時と平均振幅、両言語ともに顕著な差異が見られなかった。磁界図分布により、吸い込みと湧き出すパターンが鮮明に表示され、単一電源推定法による解析では、M1OO成分に対しては後頭葉V1〜V2視覚野に電流ソースが推定された。

一方、潜時200〜300msにおけるM200に関しては、潜時経過とともに電源位置が後頭葉から側頭葉前方へと移動し、L1(中国語)およびL2 (日本語)とくらべて、顕著な差異が観察された。中国語は腹側経路の後頭葉から側頭葉にかけて脳底部の紡錘回(FuG)および下側頭葉後部(PITG)に明確な活動が観察された。これに対し、日本語では被験者間のばらつきが多く、大半の被験者においては、左半球のシルビウス溝近傍、上側頭葉(STG)後部付近、またその末端部にある角回(AG)、縁上回(SumG)など広い領域に電流双極子が多数推定された。

潜時200〜300ms区間の平均振幅RMSおよび平均latcncy値を比較すると、L2のほうがL1 より有意に延長し、大きかった(F(l,9)-38.8;P<0.01).電流双極子の位置に関する統計

L1(中国語)文字とL2(日本語)文字の左脳のこれらの領域において、ECD位置を比較したところ、安定したECD位置を得られた7名被験者すべてのデータをX、Y、Zに分類して、AVOVAによる言語と位置の活動源分布推定について、統計的有意差の検討を行った。この結果、200ms〜の活動部位は、日本語文字の場合は、中国語と違い、顕著に前方、上方へと分布し、分散が大きかった。

【考察】

文字認知の脳内機構に関する本研究では、他の非侵襲イメージング法(PET, fMRI)と違って、より高い時間分解能の情報を有しており、早い神経活動を要する認知メカニズムの状況を詳細に検討することに適している。

両言語の文字も用いた視覚刺激により潜時150〜300msにおいて、後頭葉から側頭葉にかけて、二つの大きな磁界反応をとらえることができた。まず,「〓」と「馬」という形態上の極めて近似たる視覚刺激は、潜時約150〜200ms のM1OO成分が大きく現れたことから、注意が喚起され、パターン認知の初期段階であると推測される。それに引き続き,潜時200〜300msにおけるM200振幅はより大きい成分を認められた。これは文字認知の特異的な反応ではないかと推測される。これらは、事象関連電位の研究でよく報告されていたNl からN2帯域に出現する陰性電位に相当する神経活動の磁界反応と思われる。視覚刺激の符号化およびパターン認知(情報の連合、変換、記憶の照合、範疇化などの主観的作業)から文字認知に特有の意味的処理までの認知過程を反映する。そのうち、視覚領優位の非特異成分と主観的な認知様式による特異的な成分が脳内に広い範囲において活動があると言われている(Ritter W. et al.,)。また,やや不明瞭であるが,第二言語である日本語において、潜時300msにかけて、反応が伸び続き、若干の2峰成分の分かれるケースが見られた。呈示された漢字の認知課題遂行中の情報処理に直接関係がなく、受動的に誘発される一種の事後的反応ではないかと思われる。P3aもしくは“novelty P3”と呼ばれる成分と思われる。この成分について10名の被験者のうち、3名しか安定的に観察されていないため、今回の実験では解析が行わなかった。

上述の二つ磁界反応に等価電流双極子(ECD)の位置推定を行い、両半球の後頭部から側頭部を中心とした30〜36チャンネルの磁界波形に単一電流双極子モデルを適用し、各半球に一つの等価電流双極子を求めた。また、有効なECDの認定条件は厳密に設け、(1)goodness-of-fit値が90%以上、(2)上記条件を20ms以上にわたり持続しているECDが実際の神経活動源として採用する。その結果、主に左半球における活動が顕著に認められた。M1OO成分の推定された等価電流源はLl とL2は接近し、両者の差異が認められなかったものの、M200については、日本語は感覚性言語中枢「ウェルニッケ」領域を中心に活動が見られた。この部位は音韻あるいは意味的処理に関わる活動部位として、他の研究でも多数みられ、Paulesu E.,らによる視覚呈示単語の音韻記憶、照合課題と音韻検出課題遂行時のPET研究でも報告された。

中国語の簡体字においては、下側頭回後部、紡錘状回にわたり、比較的局限的な領域にしか確実な神経活動は観察されていない。この部位について、てんかん患者の術中の言語検査において、単語の提示後に約200msec (N200)、紡錘状回後半部に誘発電位を測れたこと、およびヒトの顔に対するfMRIなどの脳イメージ手法に多数報告された。今回、我われのMEG手法でも電

流源の位置の推定に一致した結果が得られた。この段階における文字認知の活動部位を総合すると、関与する領域に大きな違いがみられた。即ち、同じ形態情報をもつ文字認知においても、既習した母国語の漢字においては、下側頭葉後部および脳腹側底面に局限した部位に多くの活動が集中されたのに対して、新しく習得した日本語の漢字は、形態的な処理を要する課題であったにもかかわらず、電流源位置の推定には個人差が見られる。感覚性言語中枢「ウェルニッケ」領域を中心とした、広範囲の活動が認めた。これは被験者にとって外国語である日本語で示された文字を認知する際に、解読するのに必要な情報量負荷が多いことや、情報処理のプロセスやストラテージそのものが異なることを示唆する(トップダウン式の情報処理過程は外国語において、より重要であると推測した)。特に、上側頭葉後部およびその末端部の角回、縁上回の活動が多く見られたことは、音韻読みと呼ばれる現象の活性化を強く示唆するものである。角回は側頭葉の上側頭溝末端部に位置する頭頂連合野であり、背側は頭頂葉に接し、後方は後頭葉の視覚前野(第二次視覚野)に接し、これらの領域から皮質下線維を受けて、聴覚野に送る重要な役割がある。臨床症例の研究では、一次、二次聴覚野に隣接するウェルニッケ領域が古くから、失語症の関連病巣として認識され、視覚'性文字を聴覚'性言語に変換する重要な領域と」思われた。今回、我々のMEGの実験により初めて、健常者の文字認知の視覚提示モダリティーの認知過程について、音韻読みと考えられる活動は上側頭葉後部を中心とする「ウェルニッケ」領域に存在することが強く示唆された。

【結論】

以上、本論文ではバイリンガルの第二言語に関わる認知機構を脳磁図を用いて研究を行い、中国語を母国語とし、日本語を第二言語とする被験者において、中国語は主に腹側視覚経路(Ventral Visual Pathway)を経由する、即ち、左後頭葉から紡錘状回を含む脳底部を経て左側頭葉に神経活動の電源が局限的に推定された。これに対して、日本語は、背側視覚経路(Dosral Visual Pathway)の左上側頭葉、角回(AG)および縁上回(SumG)など、広い範囲に電源が推定された。この結果はバイリンガルの脳内機構における母国語および外国語の処理部位、言語の表象は異なることが強く示唆するものである。今回の結果は成人後に第二言語を習得し始めたlateバイリンガルに限って顕著な差異がみられたものの、幼児期からバイリンガルになった純粋バイリンガルに関しては、さらなる研究が必要と考えた。

以上

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、バイリンガルの第二言語における認知機構を、時間分解能に優れた MEGの実験的手法を用いて、こうした多言語使用(Bilingualism)への基礎的知見を得る目的で、日本語の当用漢字と中国の簡体文字およびランダムドットパターンの3種類の刺激ターゲットを視覚刺激として用いて、同等意味、同等形態の条件のもとで対照させた。これにより、生じる音韻処理の脳内部位が特定できると考案し、事象関連磁場M100およびM200を計測しその解析を行ったものであり、以下の結果を得ている。

両言語の文字も用いた視覚刺激により潜時150〜300ms において、後頭葉から側頭葉にかけて、二つの大きな磁界反応をとらえることができた。形態上の極めて近似たる視覚刺激は、潜時約150〜200ms のM100成分が大きく現れた。その早期応答成分M100は波形上の平均頂点潜時と平均振幅、両言語ともに顕著な差異が見られなかった。磁界図分布により、吸い込みと湧き出すパターンが鮮明に表示され、単一電源推定法による解析では、M100成分に対しては後頭葉V1〜V2視覚野に電流ソースが推定された。

潜時200〜300ms におけるM200に関しては、潜時経過とともに電源位置が後頭葉から側頭葉前方へと移動し、L1(中国語)およびL2(日本語)とくらべて、顕著な差異が観察された。中国語は腹側経路の後頭葉から側頭葉にかけて脳底部の紡錘回(FuG)および下側頭葉後部(PITG)に明確な活動が観察された。これに対し、日本語では被験者間のばらつきが多く、大半の被験者においては、左半球のシルビウス溝近傍、上側頭葉(STG)後部付近、またその末端部にある角回(AG)、縁上回(SumG)など広い領域に電流双極子が多数推定された。

電流双極子の位置に関する統計的分析の結果では、L1(中国語)文字とL2(日本語)文字の左脳のこれらの領域において、ECD位置を比較したところ、安定したECD位置を得られた7名被験者すべてのデータをX、Y、Zに分類して、AVOVAによる言語と位置の活動源分布推定について、統計的有意差の検討を行った。この結果、200ms〜の活動部位は、日本語文字の場合は、中国語と違い、顕著に前方、上方へと分布し、分散が大きかった。また、潜時200〜300ms区間の平均振幅RMSおよび平均latency値を比較すると、L2のほうがL1より有意に延長し、大きかった(F(1,9)-38.8;P<0.01)。

以上、本論文は、「異なる言語体系は異なる脳内部位で処理される」という結果を証明できた。これにより、ヒトの言語機能の中で外国語習得のメカニズムを解明することにつながると考える。これらのことは、認知脳科学(CognitiveBrainScience)をはじめ、神経心理学(Neuropsychology)、神経言語学(Neurolinguistics)など、境界分野において、MEGという新しい非侵襲的脳イメージング手法を用いたアプローチとして、重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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