学位論文要旨



No 120660
著者(漢字) 金沢,孝満
著者(英字)
著者(カナ) カナザワ,タカミツ
標題(和) 大腸低分化腺癌、粘液癌における遺伝子異常の検討
標題(洋)
報告番号 120660
報告番号 甲20660
学位授与日 2005.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2576号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 大西,真
 東京大学 講師 遠藤,久子
 東京大学 講師 北山,丈二
 東京大学 講師 冨田,京一
内容要旨 要旨を表示する

背景

大腸低分化腺癌、粘液癌は、頻度は低いが(5%程度)、浸潤傾向が強く、転移をきたしやすいなど生物学的悪性度が高いことが知られている。したがって、低分化腺癌、粘液癌を解析し、悪性度に関与する因子を明らかにすれば、今後、それらの因子を治療のターゲットにできる可能性があると考えられる。これまで大腸低分化腺癌、粘液癌についての報告は少なく、報告されている検討においても、少ない症例数での臨床病理学的検討が主であり、遺伝子変化ついての報告は少ない。本研究では、大腸低分化腺癌、粘液癌の遺伝子異常を明らかにするために、geneticな変化とepigeneticな変化を検討した。まずgeneticな変化として、LOHの解析を行ない、次にepigeneticな変化として、胃癌、乳癌の低分化腺癌、粘液癌での関与がすでに報告されているE-cadherinのプロモーター領域のメチル化について検討した。さらに、大腸癌の遺伝子変化の中心で、E-cadherinとcomplexを形成するβ-cateninについてその発現を検討した。

目的

大腸低分化腺癌、粘液癌のgeneticおよびepigeneticな変化を検討し、高分化腺癌との遺伝子学的な差異を明らかにする。

対象

対象は、1991年から2000年に東京大学第一外科(現腫瘍外科)にて外科切除された大腸癌66例で、対象症例の癌組織および正常粘膜を一部採取した。66例のうち、37例は組織学的に低分化腺癌あるいは粘液癌と診断された症例で、24例は高分化腺癌、5例は中分化腺癌と診断された症例であった。低分化腺癌、粘液癌のうち9例と24例の高分化腺癌、5例の中分化腺癌は1998年から2000年に切除された凍結標本を用い、それ以外はホルマリン固定、パラフィン包埋された標本を用いた。また、本研究は倫理委員会の承認を受けて施行した。

方法

Geneticな変化

(1)大腸癌でLOHの頻度の高い4つのLociのマーカー(5q:APC D5S346、2p:MSH2 D2S123、17p:p53、p53penta、D17S796、18q:SMAD4/DCC、D18S474)、MSI判定のためのマーカー(D17S250、BAT25、BAT26)およびE-cadherinのLOHを調べるために近傍の3つのマーカー(D16S3025、D16S3021、D16S398)を用いてLOH、MSIについて検討した。

(2)genomicinstabilityの指標とするため、TP53、DCC、SMAD4、2など大腸癌と関連の深い遺伝子の存在する17番、18番染色体にほぼ10センチモルガン(cM)間隔で分布する27のマイクロサテライトマーカーを利用しLOHを検討した。

Epigeneticな変化

(1)E-cadherinのプロモーター領域のメチル化をmethylationspecificPCR(MSP)にて解析した。

(2)E-cadherinとβ-cateninの免疫染色による発現を検討し、発現パターンにより以下のように分類した。

E-cadherin

normal:腫瘍の90%以上で正常のパターンを示すもの

negative:正常なパターンを示す細胞が10%以下、または全く正常な発現のないもの

heterogeneous:不均一な染色パターンを示すもの

aberrant:0-90%の細胞で、斑状または部分的な発現を認める、あるいは通常では発現のない核や細胞質が染まるもの

正常の発現パターンをnormalとし、heterogeneous、aberrant or negative expressionをabnormalと二つのサブグループに分類した。

β-catenin

normal:細胞膜に沿って均一に染まるパターンを示すもの

nucleus:核が強く染まるものるもの

cytoplasm:細胞質が強く染まるもの

negative:全く正常な発現のないもの

正常の発現を示すものをnormalとし、nuclear、cytoplasmic、negative expressionをabnormalに分類した。

いずれも、統計処理はフィッシャーの検定(Fisher's exact probability test)を用い、群間の比較にはMann-Whitney testを用い、ともにp値が0.05未満を統計学的に有意とした。

結果

Geneticな変化

(1)4つのLociでのLOHとMSIの検討では、全体的に高分化腺癌と比較して低分化腺癌、粘液癌ではLOHの比率は高かったが、統計学的に有意差が得られたのは、D2S123、D18S474の2つのマーカーだった。なお、37例のうち8例(21.6%)がMSIに分類された。

(2)17番、18番染色体に分布する27のマーカーによるLOH-ratioの解析では、LOH-ratioの平均が低分化腺癌、粘液癌で0.70、中分化腺癌は0.43、高分化腺癌は0.24であり、低分化腺癌、粘液癌と高分化腺癌の間で統計学的有意差を認めた。

Epigeneticな変化

(1)MSPによるメチル化の検討では、37症例のうち22例でE-cadherinプロモーター領域のメチル化の有無が判定でき、判定できた低分化腺癌、粘液癌22例のうち、12例(54.5%)でE-cadherinプロモーター領域のメチル化を認めた。

(2)E-cadherinの免疫染色では、低分化腺癌、粘液癌の78.6%で異常な発現パターンを示した。一方、β-cateninの免疫染色では、62.2%が異常発現を示した。E-cadherinとβ-cateninの発現を比較すると、両者に統計学的に有意な相関を認めた。臨床病理学的な検討では、E-cadherinおよびβ-cateninのいずれもその発現とMSIや組織型(低分化癌と粘液癌での分類)とに相関は認められなかったが、リンパ節転移の有無とβ-cateninの異常発現とに有意な相関を認めた(p=0.02)。E-cadherinプロモーター領域のメチル化と、免疫染色におけるE-cadherinの異常発現は統計学的に有意な相関を認めた(p=0.017)。一方、E-cadherin遺伝子CDH1の近傍の3マーカーを用いてLOHを解析した結果、判定できた20例のうち9例(450%)にCDH1のLOHが認められたが、LOHの有無とE-cadherinの異常発現については有意な相関は認められなかった(p=0.38)。

考察

LOHの解析では、SMAD4/DCCとMSH2の2つのlocusで高分化腺癌に比べ、低分化腺癌、粘液癌で有意にLOHの頻度が高かった。これまでにSMAD4/DCCのlocusとリンパ節転移や肝転移との関連が報告され、この領域におけるLOHと悪性度との関連も示唆されている。今回SMAD4/DCCのlocusに81.8%にLOHが認められたことから、これらの遺伝子の低分化腺癌、粘液癌の発癌への強い関与が疑われた。さらに、17番、18番染色体に分布する27のマーカーによるLOH-ratioの解析では、高分化腺癌に比べ、低分化腺癌、粘液癌で有意にLOH-ratioが高く、低分化腺癌、粘液癌においてgenomic instabilityの関与が大きいことを示唆していると考えられ、腫瘍の進展にしたがって、癌抑制遺伝子の機能が失われ、逆に転移、浸潤の能力を獲得していくという可能性が考えられた。

また、E-cadherinとβ-cateninの免疫染色では、両者の異常発現に有意な相関を認め、in vitroの実験で報告されていたE-cadherinの異常がβ-cateninのシグナル伝達を促進するという結果を支持するものだった。これまでの高分化腺癌での報告と比較すると、E-cadherinは低分化腺癌、粘液癌で異常発現が多く(78.6%)、β-cateninは低分化腺癌、粘液癌で異常発現を示すものがやや少ない結果となり(62.2%)、高分化腺癌と異なり低分化腺癌、粘液癌の特徴と考えられた。さらに、低分化腺癌、粘液癌の66%にE-cadherinプロモーター領域のメチル化を認め、これはE-cadherinの異常発現と相関したが、E-cadherinのLOHと異常発現とに相関はなく、低分化腺癌、粘液癌におけるE-cadherinの機能消失はメチル化の寄与が大きいことが示唆された。

結語

大腸低分化腺癌、粘液癌ではSMAD4/DCCとMSH2の2つのlocusのLOHの頻度および17番、18番染色体に分布する27のマーカーによるLOH-ratioはともに高分化腺癌に比べ、有意に高率だった。これらより大腸低分化腺癌、粘液癌では、高分化腺癌に比べ、発癌においてgenomic instabilityがより強く関与していると考えられた。また、低分化腺癌、粘液癌では、高分化腺癌に比べてE-cadherinの異常発現の頻度が高く、E-cadherinの異常発現とLOHとは相関を示さなかったが、プロモーター領域のメチル化とは相関が認められ、E-cadherinの機能低下はLOHではなく、メチル化による影響が大きいと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

大腸低分化腺癌、粘液癌は、頻度は低いが(5%程度)、浸潤傾向が強く、転移をきたしやすいなど生物学的悪性度が高いことが知られている。したがって、低分化腺癌、粘液癌を解析し、悪性度に関与する因子を明らかにすれば、今後、それらの因子を治療のターゲットにできる可能性があると考えられる。これまで大腸低分化腺癌、粘液癌についての報告は少なく、報告されている検討においても、少ない症例数での臨床病理学的検討が主であり、遺伝子変化ついての報告は少ない。本研究では、大腸低分化腺癌、粘液癌の遺伝子異常を明らかにするために、geneticな変化とepigeneticな変化を検討した。まずgeneticな変化として、LOHの解析を行ない、次にepigeneticな変化として、E-cadherinのプロモーター領域のメチル化について検討した。さらに、大腸癌の遺伝子変化の中心で、E-cadherinとcomplexを形成するβ-cateninについてその発現を検討した。下記に要点を示す。

Geneticな変化

大腸癌でLOHの頻度の高い4つのLociのマーカーでの検討では、全体的に高分化腺癌と比較して低分化腺癌、粘液癌ではLOHの比率は高く、D2S123(MSH2)、D18S474(DCC、SMAD4、2)の2つのマーカーで統計学的に有意差が得られた。さらに、genomic instabilityの指標とするため、TP53、DCC、SMAD4、2など大腸癌と関連の深い遺伝子の存在する17番、18番染色体に分布する27のマイクロサテライトマーカーを利用しLOHを検討した結果、その比率であるLOH-ratioの比較では、低分化腺癌、粘液癌で有意にLOHの率が高く、分化度が低くなるほどLOHの率が高くなることが示された。

Epigeneticな変化

(1)E-cadherinのプロモーター領域のメチル化をmethylation specific PCR (MSP)にて解析したが、54.5%でE-cadherinプロモーター領域のメチル化を認め、免疫染色におけるE-cadherinの異常発現と有意に相関した。一方、E-cadherin遺伝子CDH1の近傍の3マーカーを用いてLOHを解析した結果、LOHの有無とE-cadherinの異常発現については有意な相関は認められず、大腸低分化腺癌、粘液癌においてE-cadherinの機能消失はメチル化の寄与が大きいことが示唆された。

(2)E-cadherinとβ-cateninの免疫染色では、両者の異常発現に有意な相関を認め、in vitroの実験で報告されていたE-cadherinの異常がβ-cateninのシグナル伝達を促進するという結果を支持するものだった。これまでの高分化腺癌での報告と比較すると、E-cadherinは低分化腺癌、粘液癌で異常発現が多く(78.6%)、β-cateninは低分化腺癌、粘液癌で異常発現を示すものがやや少ない結果となり(62.2%)、高分化腺癌と異なり低分化腺癌、粘液癌の特徴と考えられた。

以上、本論文は17番、18番染色体に分布する27のマーカーによるLOH-ratioの解析から、大腸低分化腺癌、粘液癌では発癌においてgenomic instabilityがより強く関与しているとことを示し、また、低分化腺癌、粘液癌では、高分化腺癌に比べてE-cadherinの異常発現の頻度が高く、このE-cadherinの機能低下はLOHではなく、メチル化による寄与が大きいことが示された。本研究は、これまで報告の少なかった大腸低分化腺癌、粘液癌における遺伝子異常を解析し、今後大腸癌の悪性化因子のさらなる解明に重要な貢献をなすと考えられ学位の授与に値するものと考えられる.

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