学位論文要旨



No 120661
著者(漢字) 齋藤,晋祐
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,シンスケ
標題(和) 大腸癌および炎症性腸疾患におけるPD-ECGF(Platelet-derived Endothelial Cell Growth Factor)発現の臨床病理学的意義
標題(洋)
報告番号 120661
報告番号 甲20661
学位授与日 2005.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2577号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,孝喜
 東京大学 助教授 宮田,哲郎
 東京大学 助教授 真船,健一
 東京大学 助教授 矢冨,裕
 東京大学 講師 佐伯,秀久
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景と目的

近年、血小板由来の血管新生促進因子であるPD-ECGF(Platelet-derived endothelial growth factor)が5'-DFURを活性型の5-FUに変換する酵素dThdPase(Thymidine Phosphorylase)と同一であることが判明し、抗癌剤の代謝と血管新生促進作用の二つの働きを併せ持つ蛋白としてPD-ECGFが腫瘍の生物学的悪性度に密接に関与している可能性が注目されている。

PD-ECGFの発現パターンは組織によって異なるが、大腸癌では癌細胞に発現するという報告と間質細胞に発現するという報告が存在し、統一した見解は得られていない。そして、PD-ECGF発現は大腸癌の深達度、リンパ節転移およびDukes分類と相関し、予後を悪化させる因子であるとされてきたが、根拠となる報告の多くが転移などの可能性がないとされる早期癌症例も含む検討の結果である。以上より、転移の可能性が極めて低い早期癌症例を除外した客観的な検討が必要と考えた。

またPD-ECGFの強発現が、腫瘍組織以外にも、創傷治癒過程、さらに関節リウマチや乾癖などの炎症性組織でも認められることが報告され、炎症性の血管新生においても重要な役割を果たす可能性が示唆されている。しかし、腸管の非特異的慢性炎症性疾患であるいわゆる炎症性腸疾患IBD(inflammatory bowel disease)におけるPD-ECGFの発現と臨床的意義に関してはこれまで報告されていない。

本研究の第1章では大腸癌におけるPD-ECGF発現の臨床病理学的意義を明らかにする目的で、進行大腸癌におけるPD-ECGFの発現を免疫組織学的に検討し、臨床病理学的因子、転移及び血管新生との関連について解析をした。

第2章では、炎症性腸疾患(IBD、inflammatory bowel disease)におけるPD-ECGF発現の臨床病理学的意義、特に血管新生との関係について明らかにすることを目的とした。

第3章では、血管内皮細胞におけるPD-ECGFの発現変化について、ヒト臍帯静脈内皮細胞(human umbilical vein endothelial cells,HUVECs)を用いたin vitroの系で検討を行った。

方法・結果

大腸癌におけるPD-ECGF発現の臨床病理学的意義に関する検討

大腸癌86例の切除標本の免疫染色によりPD-ECGFの発現をしらべると、 PD-ECGF発現の主体は間質細胞であり、癌細胞に発現を認めたものは2.3%に過ぎなかった。同一症例の連続切片の抗CD68抗体染色標本では、PD-ECGFとほぼ同様のパターンの発現を認め、主に腫瘍間質中のマクロファージ(Mφ)がPD-ECGFを発現していた。なお、正常大腸組織にもMφが多く存在しているがPD-ECGF発現はほとんど認めなかった。また、Mφの浸潤はあるが、 PD-ECGFが低発現の大腸癌組織も存在したことから、 PD-ECGFを発現するMφは活性化Mφであると考えられた。腫瘍周囲の血管内皮細胞にPD-ECGF発現を認めなかった。

PD-ECGF発現を画像解析装置により測定し、高発現群56例(65.1%)と低発現群30例(34.9%)に分けて検討した。PD-ECGF発現と年齢、性別、腫瘍の占拠部位、組織型、深達度、リンパ管浸潤および脈管浸潤との間に有意な相関を認めなかったが、リンパ節転移はPD-ECGF高発現群で転移率が有意に低かった。また血行性肝転移例に限って無再発生存率を検討した結果、PD-ECGF高発現群は低発現群に比して有意に血行性転移の発生率が低かった。

炎症性腸疾患IBD(inflammatory bowel disease)におけるPD-ECGFの発現に関する検討

正常大腸粘膜や炎症のないIBD粘膜にはPD-ECGFが発現していなかったが、炎症の強いIBD粘膜では間質のMφや線維芽細胞にPD-ECGFの高度の発現を認め、その発現は炎症の程度に比例していた。また、炎症部位の血管内皮細胞にもPD-ECGFの強い発現を認めた。潰瘍性大腸炎とクローン病との間に発現の差を認めなかった。CD31染色による微小血管密度の検討により、正常腸管組織や炎症のないIBD腸管組織に比べ高度の炎症を伴うIBD腸管組織において有意に微小血管密度が高値であった。

内皮細胞におけるPD-ECGF発現変化に関する検討

HUVECに炎症性サイトカイン(interleukin-1β(IL-1β),tumor necrosis factor-α (TNF-α),interferon-ν (IFN-ν))および血管新生因子(vascular endothelial growth factor (VEGF), basic fibroblast growth factor(bFGF))を作用させると、 HUVECにおけるPD-ECGF発現はいずれも増強した。一方、血管新生因子による刺激の場合、 VEGFはPD-ECGF発現を増強させたが、bFGFは逆に発現を低下させた。

次に、大腸癌細胞が血管内皮細胞のPD-ECGFに与える影響については、大腸癌細胞株とHUVECが直接接触した状態で培養する系では、HUVECのPD-ECGF発現が有意に低下した。他方、大腸癌細胞株とHUVECを膜で隔て、直接接触させずに培養した系では、PD-ECGF発現の低下は軽度であった。

考察

これまでの報告によると大腸癌においては、腫瘍細胞そのものが強く発現すると言う報告がある一方、腫瘍間質の浸潤細胞がPD-ECGF発現の主体であるという報告もあり、見解が統一されていない。本研究第1章において、最近、日本ロシュ(株)により作製された抗体を用いた検討により、PD-ECGFが主に腫瘍間質のMφおよび線維芽細胞に強く発現しており、腫瘍細胞に発現が認められる症例はわずかであることを確認した。また、上記日本ロシュ(株)の抗体を用いた胃癌における検討報告でも、PD-ECGFを発現する細胞の大部分がMφであると判明している。

腫瘍組織におけるPD-ECGF発現の臨床病理学的意義として、乳癌、大腸癌、および胃癌において微小血管密度と相関し、主要な腫瘍血管新生促進因子である可能性がいくつかの報告で指摘されている。さらに、PD-ECGFの発現が腫瘍血管新生を誘導することにより大腸癌、胃癌において予後不良因子となると報告されている。しかし、これまでの報告が、転移の可能性が極めて低い早期癌を検討に含んでおり、また免疫染色の評価に客観性が得られていない点で、PD-ECGF発現の臨床病理学的意義の解析には不十分であると考えた。検討の対象から早期癌を除外し、また免疫染色の評価に客観性を持たせるため、画像解析装置を用いて染色面積の数値化した本研究では、これまでの報告とは異なり、 PD-ECGFの発現が大腸癌のリンパ節および血行性転移と逆相関するという、これまでの報告と異なる結果が得られた。すなわち、 PD-ECGF発現の強い症例では、有意にリンパ節及び血行性転移が低いという結果であった。

Mφが腫瘍組織や炎症部位の免疫反応に重要な役割を果たすと従来考えられてきたが、本研究より、PD-ECGF強発現のMφが活発に免疫反応を誘導することにより、転移が抑制される可能性が示唆された。

本研究第2章においては、IBD患者の腸管組織の炎症を有する粘膜では、Mφや線維芽細胞などの間質細胞にPD-ECGFの発現を認めた。また腸管の炎症強度に伴ってPD-ECGFの発現が強くなる傾向を認めた。興味深いことに、IBD腸管粘膜においては血管内皮細胞にもPD-ECGFの発現が強く見られ、腸管の炎症強度に比例して増強する傾向がみられた。また、炎症の強度に相関して微小血管密度も増加しており、間質細胞や内皮細胞におけるPD-ECGF発現が炎症性血管新生の進展に重要な役割を果たしていることが示唆された。血管内皮細胞がPD-ECGFを自己産生し自己分泌することは、炎症性血管新生作用において自己組織を再構築する上で重要な現象であり、 IBDの病態形成に何らかの関与の可能性が考えられる。

本研究第3章では、炎症性サイトカイン(IL-1β、 TNF-αおよびIFN-ν)が、いずれもHUVECのPD-ECGF発現を増強させた。これらのサイトカインは炎症性疾患の病態形成において重要な役割を果たすことが知られている。特にTNF-αが注目され、組織中のTNF-α陽性Mφが微小血管の内皮細胞配列を障害して血管透過性を亢進させ、炎症細胞の組織への移動を増加させることから、TNF-αに対する中和抗体がIBDに対する新しい治療戦略として期待されている。今回確認された炎症性サイトカインによる血管内皮細胞のPD-ECGF発現増強も、IBDの病態形成過程における重要なステップの一つである可能性が考えられた。一方、血管新生因子であるbFGFによる刺激や大腸癌細胞株との共培養によって、HUVECのPD-ECGF発現は有意に低下した。これらの結果は、本研究第一章で確認された、癌周囲の微小血管内皮細胞がPD-ECGFを発現しない所見と一致するものであった。しかし、VEGF刺激では、HUVECのPD-ECGF発現が増強した。したがって、血管新生因子はHUVECにおけるPD-ECGF産生に対して正と負の異なった作用を有することが考えられる。

結語

大腸癌では抗腫瘍免疫反応において、炎症性腸疾患では炎症性血管新生においてPD-ECGFがそれぞれの病態形成に重要な役割を担っていると考えられた。PD-ECGFに関するさらなる研究によりこれらの疾患の制御が期待されると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

血小板由来の血管新生促進因子であるPD-ECGF (Platelet-derived endothelial growth factor)は5'-DFURを活性型の5-FUに変換する酵素dThdPase (Thymidine Phosphorylase)と同一物質であることが近年判明し、抗癌剤の代謝と血管新生促進作用の二つの働きを併せ持つ蛋白として腫瘍の生物学的悪性度に密接に関与している可能性が注目されている。本研究ではこのPD-ECGFの大腸癌および炎症性腸疾患における発現とその臨床病理学的意義を明らかにすることを目的に、免疫染色法およびFlow-cytometry法を用いて検討したものであり、下記の結果を得ている。

本研究の第1章では、進行大腸癌におけるPD-ECGFの発現を免疫組織学的に検討し、臨床病理学的因子、転移及び血管新生との関連について解析をしている。免疫染色による評価をより客観的に解析するために、対象症例の深達度を限定するとともに、自動解析装置を用いてPD-ECGFの発現量を検討している。その結果、PD-ECGFの発現は腫瘍間質のマクロファージに主に認められ、大腸癌のリンパ節転移および血行性転移と逆相関するという結果を得ている。すなわち、PD-ECGF発現の強い症例では、有意にリンパ節及び血行性転移が低いという結果であった。また、PD-ECGF高発現の大腸癌症例では、低発現症例に比較し、無再発生存率も高いことが確認された。これらの知見は、PD-ECGFを大腸癌の予後不良因子とするこれまでの報告とは相反する結果であり、本研究によって大腸癌組織中のPD-ECGF強発現のマクロファージは活発な抗腫瘍免疫反応を反映し、その結果転移が抑制される可能性が示唆された。

第2章では、炎症性腸疾患(IBD、inflammatory bowel disease)におけるPD-ECGF発現の臨床病理学的意義、特に血管新生との関係について解析した。免疫組織学的検討により、正常大腸粘膜ではほとんどPD-ECGF発現を認めなかったのに対し、IBDの腸管粘膜では、マクロファージや線維芽細胞などの間質細胞にPD-ECGFの発現を認め、炎症強度に伴って発現が強くなる傾向を認めた。興味深いことに、IBD腸管粘膜においては血管内皮細胞にもPD-ECGFの発現が強く見られ、腸管の炎症強度に比例して増強する傾向がみられた。また、炎症の程度に相関して微小血管密度も増加していた。この結果から間質細胞や内皮細胞におけるPD-ECGF発現が炎症性血管新生の進展に重要な役割を果たしている可能性が示唆された。

第3章では、血管内皮細胞におけるPD-ECGFの発現変化について、ヒト臍帯静脈内皮細胞(human umbilical vein endothelial cells, HUVECs)を用いたin vitroの系で検討を行った。その結果、炎症性サイトカイン(IL-1β、 TNF-αおよびIFN-γ)や血管新生因子であるVEGFは、いずれもHUVECのPD-ECGF発現を増強させた。一方、bFGFによる刺激や大腸癌細胞株との共培養によって、HUVECのPD-ECGF発現は有意に低下した。このことから血管内皮細胞によるPD-ECGF産生に対して炎症性サイトカインや血管新生因子は正と負の異なった作用を有することが確認された。これらの結果は、大腸癌組織では血管内皮細胞にPD-ECGF発現を認めなかったのに対し、炎症性腸疾患の炎症組織の血管内皮細胞にはPD-ECGFが発現していたという結果と一致するものであり、血管内皮細胞によるPD-ECGF産生を制御するメカニズムの一部を明らかにしたと考えられる。

以上、本論文は大腸癌におけるPD-ECGF発現が大腸癌の予後良好因子となりうること、また炎症性腸疾患においては炎症性血管新生の進展に重要な役割を果たしている可能性があること、さらには血管内皮細胞におけるPD-ECGF発現は炎症性サイトカインや他の血管新生因子に調節を受けていることを明らかにした。

本研究は、大腸癌におけるPD-ECGF発現についてより客観的な解析方法を用いることによりこれまでの報告とは相反するPD-ECGF発現の臨床病理学的意義を明らかにし、またこれまで報告のなかった炎症性腸疾患(IBD)におけるPD-ECGF発現を解析することにより、炎症性血管新生におけるPD-ECGF発現の意義を明らかにした。本研究は、今後大腸癌や炎症性腸疾患の病態形成のさらなる解明に重要な貢献をなすと考えられ学位の授与に値するものと考えられる.

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