学位論文要旨



No 120663
著者(漢字) 増田,正孝
著者(英字)
著者(カナ) マスダ,マサタカ
標題(和) ねじれ秤を用いたカシミール力の精密測定
標題(洋) Precision measurement of the Casimir force in the micrometer range using a torsion balance
報告番号 120663
報告番号 甲20663
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4739号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坪野,公夫
 東京大学 助教授 大橋,正健
 東京大学 教授 小林,富雄
 東京大学 助教授 浅井,祥仁
 東京大学 教授 蓑輪,眞
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、ねじれ秤を用いてカシミール力を精密に測定することにより、カシミールカを検証することと標準理論を越える未知の力を探査することを目的として行われた。実験的に0.45〜2.0 μmまでの領域でカシミールカを有意に測定した。また未知のカへのリミットで他の実験より厳しい上限をつけた。これらの研究の詳細を報告する。

量子力学の予言する最も衝撃的な特徴の一つは、真空はダイナミックな現象の場であるということである。真空とはエネルギーの基底状態を意味するが、不確定性原理ΔE・Δt ≧ h/2によって真空のエネルギー自体が揺らぎを持つ。この量子的な真空が境界条件に依存することから、マクロスコピックな現象においてもこのダイナミックな真空揺らぎの効果が影響することになる。

1948年にカシミールはマクロスコピックな境界条件の元で、電磁場零点振動のエネルギーの欠損が生じ、それによって帯電していない物体間でも力が働くことを予言した。この中で、 2枚の完全導体からなる平行な平面間で、極板の間と外側の零点振動エネルギーの差を取ることによって、単位面積Sあたりの力を以下のように定式化した。

ここで、 dは極板の間隔、 hはディラック定数、 cは光速であり、負符号は引力を意味する。最初に予言したカシミールの名前を取って、量子場の零点振動力は一般的にカシミールカと呼ばれていて、距離依存性が非常に顕著な力である。

近年、実験と共に実際の物質間にはたらくカシミールカの理論計算も多くなされてきた。実際の物質間のカシミールカは有限の導電率の効果、表面の面粗さによる効果、有限温度の効果の少なくとも3つの効果を考慮する必要がある。有限の導電率補正は金属の電気伝導度が無限大ではないことに起因し、Lifshitz等によって定式化された。

一方で有限温度による効果は極板からの黒体輻射による光子と零点振動(仮想光子)の相互作用に起因するが、この効果に関してはBordag等のグループとBostrom等のグループによって理論的に異なる値が主張されている。本研究ではこの2つの有限温度による補正項モデルの検証もおこなった。

カシミールカの補正項に関する理論が徐々に発展してきたのに対し、カシミールカの精密検証は1997年にLamoreauxによって発表された論文が最初であるLamoreauxはねじれ秤を用いてカシミールカを測定したが、その後は原子間力顕微鏡やMEMSと呼ばれる小型装置が主流である.これらの小型装置では球面と平面間のカシミールカに対して、20〜400nm程度の領域において統計誤差1%程度でカシミールカが検証された。

これに対し本実験で用いたねじれ秤はワイヤーで金属棒を水平に吊るしたものであるが、カシミールカの働く面積を大きく取れるため、 400nmよりも遠距離においても高感度な装置である。またねじれの周期が160秒と非常に長く取れるため力の測定感度が高い。さらに未知の力の結合乗数はニュートン重力との比で表されるため、試料が大きい分、探査能力が高い装置でもある。

しかしねじれ秤は力の測定感度が高い一方で、環境ノイズなどの影響を受けやすいという不利な点がある。特に地面の振動はねじれ秤の軸を微小に振動させてしまうため、カシミールカを働かせる極板の間隔を精度良く一定に保つことの妨げとなる。この論文中では地面振動がどのような経路で極板の間隔の変動に伝達されるのかを解明した。

またねじれ秤への制御を安定にするために永久磁石によって定磁場を加えて振動を減衰させているが、 IOmHzから1Hzの帯域ではこの減衰力によって、地面振動の水平成分がねじれのノイズ振動に変換されていることが確かめられた。この影響を軽減させるため、地面振動が十分低い場所(国立天文台江刺地球潮汐観測施設)で測定を行うことで、影響が十分小さいことを証明した。

またカシミールカを働かせる極板間隔が常に一定になるように、ねじれ秤に対して電気力で制御を行っている。これによってねじれ秤を用いたカシミールカの距離依存性を高精度で測定することが可能となった。

カシミールカの検証実験では2枚の金の極板間に働く力を測定するために、6μm付近から0.3μm刻みで極板を近づけていき、その時のねじれ秤の応答から極板間に働く力の変化量を測定した。0.45〜6.8μmのレンジで602点のデータを取得した。

一般的に2枚の金属極板は電気的に導通させていても、導通に用いている異種金属の表面接触の影響で、接触電位差と呼ばれる電気的なポテンシャルを持つ。この電気ポテンシャルをなるべく小さく抑えるために、測定した接触電位差と同程度の逆バイアスを加えた条件で実験を行った。ただし逆バイアス電圧によってキャンセルできなかった残留電位差により極板間には電気力が残る。この電気力は2μmよりも遠距離のデータに対して、電気力の距離依存性の関数でフィットを行うことによりその影響を解析的に引き算した。

残留電気力が引かれた後0.45〜2μmのレンジにおける240点のデータを用いてカシミールカの検証を行ったところ、有限の電気伝導度による補正を用いた時の理論と矛盾しないことを確かめた。相対誤差は0.45〜0.7μmのレンジではカシミールカの理論に対し5%以下で、遠距離にいくほど誤差は悪くなり、2μm付近で100%程度となる。

また得られた測定データと理論との残差を元に、標準理論を越える未知の力への上限をつけた。未知の力のポテンシャルが湯川型であると仮定したとき、質量mlとm2の物体が距離d離れている場合の重力ポテンシャルは以下のように拡張される。ここでGが重力定数、αが未知の力の結合乗数、λが未知の力の働くレンジを表すパラメータである.

本論文では、0.45μm〜4μmの範囲内でのデータとカシミールカ理論との残差値の標準偏差の中で最大値σmax=0.00126N/mを用いて、αに対して2σmaxでリミットをつけた。

本研究により、0.45〜2.0μmまでの広い領域での測定データが、有限の電気伝導度による補正を含めたカシミールカの理論値と一致することが確かめられた。また未知の力への制限として得られた上限値は1μm付近のレンジで過去の実験と比較して最も厳しい上限となった。

図1: 金の極板間に働く力の微分。測定データと理論値の比較図。青線が金の間に働くカシミールカの理論値。2μm以下の領域でカシミールカが有意であることがわかる。

図2: 未知の力への上限。青線が本研究で得られた95%C.L.での未知の力に対する上限であり、この曲線より上の領域は排除される。緑の線はDecca et al.によって得られた制限。赤い線はLamoreauxによって得られた制限である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、2枚の金属極板間にはたらく力の距離依存性をねじれ秤を用いて精密に測定し、かつてない精度でカシミール力の検証および標準理論を越える未知の力の探査をおこなうことにより、これらの問題に対して新たな知見を得ている。

真空とはエネルギーの基底状態を意味するが、不確定性原理によって真空のエネルギー自体が揺らぎを持つ。この量子的な真空が境界条件に依存することから、巨視的な現象においてもこの真空揺らぎの効果が影響することになる。1948年にカシミールは巨視的な境界条件の元で、電磁場零点振動のエネルギーの欠損が生じ、それによって帯電していない物体間でも微小力が働くことを予言した。この中で2枚の完全導体からなる平行な平面間で、極板の間と外側の零点振動エネルギーの差を取ることによって、導体間に働く力を定式化した。

近年、実験と共に実際の物質間にはたらくカシミール力の理論も進展してきた。実在する物質間のカシミール力は有限の導電率の効果、表面の面粗さによる効果、有限温度の効果の少なくとも3つの効果を考慮する必要がある。有限の導電率補正は金属の導電率が無限大ではないことに起因し、Lifshitz等によって定式化されている。

本検証実験では2枚の金の極板間に働く力を測定するために、6μm付近から0.3μm刻みで極板を近づけていき、その時のねじれ秤の応答から極板間に働く力の変化量を測定した。ねじれ秤は力に対する感度が高いが、同時に地面振動などの外乱に対して弱いという欠点を持つ。実際、10mHzから1Hzの帯域では、地面振動の水平成分がねじれのノイズ振動に変換されていることが確かめられた。そこで、測定装置を地面振動が十分低い国立天文台江刺地球潮汐観測施設に設置して測定を行うことでこの問題を解決している。

一般的に2枚の金属極板は電気的に導通させていても、導通に用いている異種金属の表面接触の影響で、接触電位差と呼ばれる電気的なポテンシャルを持つ。カシミール力の影響の小さな遠距離で電気力の距離依存性の関数フィットを行うことによりその影響を解析的に引き算した。その結果、0.4〜2.5μmの範囲で、有限の導電率及び表面の凹凸による補正を用いたカシミール力の理論計算値と5%の精度で一致することが確かめた。

一方で有限温度による効果は極板からの黒体輻射による光子の密度に起因するが、この効果に関してはBordag等のグループとBostrom等のグループによって理論的に異なる値が主張されている。そこで尤度比検定を用いて、Bostrom及びBordagの有限温度による補正項モデルの検定を行った。系統誤差も含めた議論により、Bostromのモデルが3.5σ以上の信頼度で棄却されることを確認した。Bordagのモデルに対しては測定データと矛盾はないことを確かめた。

さらに得られた測定データと理論との残差を元に、量子重力理論などが予言する未知の力への上限をつけた。未知の力のポテンシャルが湯川型であると仮定したとき、2質点間に働く力を、結合定数αと未知の力の働く距離レンジλであらわすことができる。本論文では、0.4μm〜2.5μmの範囲内でのデータとカシミール力理論との残差値を用いて、αに対して95%の信頼度で制限をつけた。この未知の力への制限として得られた上限値はλ=0.5μm付近で過去の実験と比較して最も厳しい上限となった。

以上のように本研究では、カシミール力の詳細な検証および標準理論を越える未知の力の探査という視点から新たな知見が得られている。これらは従来ない新たな知見であり、今後のカシミール力研究さらには量子重力の研究に大きく貢献する成果であるといえる.

なお本論文は共同研究として進められたが、論文提出者が主体となって実験、解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される.

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める.

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