学位論文要旨



No 120669
著者(漢字)
著者(英字) Colin・Gregory・Crist
著者(カナ) コリン・グレゴリー・クリスト
標題(和) 出芽酵母の[PSI+]プリオン株の特性を規定するプリオン・ドメインのオリゴペプチド・リピートの機能と構造に関する研究
標題(洋) Oligopeptide repeats in the prion domain: replication of the [PSI+] strain determinant in Saccharomyces cerevisiae
報告番号 120669
報告番号 甲20669
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4745号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 教授 斎藤,春雄
 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 助教授 飯野,雄一
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

プリオンは致死的な神経性疾患の原因となる感染性・遺伝性のタンパク質である。プリオンに関する疑問は、プリオンがどんな因子により遺伝するのか、異なる表現型がどのように安定に遺伝するのか、また、プリオン型遺伝が本当にプリオンタンパク質のみによって引き起こされるのか、の三点に集約される。プリオンという言葉は、遺伝性の病原タンパク質を示すため、20年ほど前に作られ、現在その概念は広く受け入れられている。しかし、プリオン性のタンパク質の生理的な役割はまだわかっておらず、哺乳類プリオンの理解は進んでいない。しかし、哺乳類プリオンのように、異常型のタンパク質が正常型のタンパク質を異常型に変換する性質をもつタンパク質が酵母にも発見された結果、酵母プリオン研究が(タンパク質による遺伝という)「プリオン仮説」の理解に大きく寄与するものと期待される。

酵母プリオンの一つである[PSI+]は、翻訳終結に関わるペプチド鎖解離因子Sup35(eRF3)がプリオン化することで引き起こされる。Sup35の翻訳終結活性は、進化的に保存された必須部分であるC末端側によりなされ、その領域はGTPase活性を持ち、翻訳終結においてI型の解離因子Sup45(eRF1)と相互作用し、eRF1の働きを促進する。[PSI+]では大部分のSup35の機能が損なわれているため、終止コドンの認識が正常に行われなくなっている。このため、Saccharomyces cerevisiaeにおいて、センスコドンが終止コドンに変わってしまった変異を抑制する。Sup35のN末端にはプリオン化に必要なドメインPrD(prion domain)がある。PrDはGln、Asnといった極性アミノ酸を多く含み、

哺乳類プリオンPrPと同じようにオリゴペプチドリピートを有する。また、他の酵母プリオンと同様、[PSI+]には変性したタンパク質を解きほぐす機能をもつ分子シャペロン、Hsp104が関与している。Hsp104は[PSI+]中の集合体と相互作用し、細胞分裂の際、細胞株が[PSI+]の状態を維持するため必要なシーズ(seeds)を形成すると考えられている。Hsp104が存在しなければ集合体はシーズを形成できず、細胞分裂の際、集合体をもつ細胞ともたない細胞とに分かれ、最終的には[PSI+]の状態を維持できなくなる。そのため、Hsp104はシーズの形成に重要である。しかしながら、Hsp104が細胞内シャペロンであるため、Sup35の正常型から異常型への立体構造変換にもHsp104が関与していると、考える研究者は少なくない。重要性は認識されながらも、酵母プリオンの複製と伝播におけるシャペロン機能に関する体系的な研究がこれまで行われなかった。本研究は、この問題に的を絞ったものである。。

研究内容

まず、Sup35のPrDのどの要素がプリオン化の機能を有しているかを解明するため、Sup35のオリゴペプチドリピート構造の機能について研究した。これまでの研究によって、オリゴペプチドリピートは[PSI+]の発現に、非常に重要であることは示されていた。しかし、リピート構造自体が重要であるのか、それともオリゴペプチドリピート中のGln/Asn残基が重要なのかは、解明されていなかった。そこで、Gln/Asnに富むオリゴペプチドリピートを、Yarrowia lipolyticaおよびDebaryomyces hanseniiのSup35 PrDにある、Gln/Asnを含まないオリゴペプチドリピートに代えたキメラのSup35をつくり(図2)、これがS. cervisiaeで[PSI+]となりうるかを調べた。その結果、これは酵母プリオンとしての性質を有していた。このことからGln/Asn残基ではなく、オリゴペプチドリピート構造自体が、Sup35のプリオン化に不可欠であることがわかった。

興味深いことに、野生型Sup35sと異なりキメラのSup35は、[PSI+]の伝播にHsp104を必要としなかった(図3)。そのため、この新しい表現型を[PHI+]([PSI+]Hsp104independent)と名づけた。これまで、プリオンタンパク質の構造変換にもHsp104が関与していると言われてきたが、この[PHI+]により、Hsp104を必要としないプリオン遺伝が発見されたのである。この[PHI+]では、[PSI+]が大きな集合体が見られたのに対し、低分子量の集合体が数多く観察された。また、キメラSup35のPrDはin vitroで短い線維を形成するということがわかった。以上のことから、[PHI+]は非常に多くの低分子量の集合体を形成し、それが遺伝するためのシーズとなるため、Hsp104なしで[PHI+]が遺伝すると考えられる。これは、Hsp104の作用がなくてもプリオンが遺伝できるというモデルとなるため、非常に重要である。

次に、Sup35のオリゴペプチドリピートの配列の特徴が、[PSI+]表現型の形成および維持に関わっているのではないか、という視点から研究を行った。哺乳類プリオンは酵母プリオンと同様、多種の表現型を示す(これらの表現型は忠実に遺伝するため、遺伝学的な定義に従い「株」と呼称されている)。酵母では、プリオン仮説の立場から、集合体のコンフォメーションの違いが表現型の違いを規定し忠実に遺伝すると考えられている。これまで、Sup35sのオリゴペプチドリピート内および近傍に変異を入れることで弱い[PSI+]表現型を強い[PSI+]表現型に変換することに成功した。この結果は、コンフォメーションの違いが表現型の違いになることを示している。アミノ酸の配列を変えることで、[PSI+]に必要となるSup35同士の相互作用を強めたり、弱めたりできるということは、容易に想像できる。相互作用が強くなれば[PSI+]は強くなり、相互作用が低くなれば[PSI+]は弱まったり、失われたりするだろう。弱い[PSI+]の株は強い[PSI+]にはならず、またその逆も同じように起こらないように、プリオン遺伝は忠実に起こる。だが、変異Sup35により弱い[PSI+]が強い[PSI+]になった後、またSup35sを発現すると、再び弱い[PSI+]に戻る(図4)。つまり、ここで使用したSup35の変異は、[PSI+]のコンフォメーションには影響を与えずに、[PSI+]を強めたということを示している。

以上の研究から近縁種あるいはアミノ酸置換体の間で酵母プリオンが伝播する場合に、プリオン特性(表現型)の強弱は変化しうるが、最初のプリオンの形状は「分子記憶」としてインプリントされ、もとの親株に伝播すれば再び同じ表現型が再現されると考えられる。つまり「分子記憶」という視点からプリオンの複製・伝播を理解することが正当なのではなかろうか。

審査要旨 要旨を表示する

図1.Sup35のプリオン化は、ナンセンスコドンを抑制するため、ナンセンス変異を保持したアリルを用いて簡便に検出が可能である。非プリオン化状態([psi-])において(上段)、Sup35は可溶性であり、終止コドンにおいてSup45と相互に働き、翻訳を終結する。出芽酵母株74-D694においては、アデニン合成系の遺伝子にナンセンス変異を保持しており(adel-14)、非プリオン化状態では合成系の中間産物が蓄積、コロニーは赤色を呈する。それに対して、プリオン化状態([PSI+])においては(下段)、Sup35の凝集がナンセンスサプレツションを引き起こし、アデニン合成系が通常に働くため、コロニーは白色を呈する

図2.Sup35s(wt)と実験で使用したキメラSup35の配列Sup35sのGln/Asnに富むオリゴペプチドリピートをY. lipolyticaおよびD. hanseniiのオリゴペプチドリピートに置き換え、それぞれSup35YとSup35Dと名づけ。

図3 (A)野生型Sup35sまたはSup35Y/Sup35D変異体を導入した細胞株がしめす[PSI+]ならびに[PHI+]表現型。プレート下段の株にはさらにhsp104欠失変異(Δhsp 104::URA3)が導入されている。これらの細胞はYPD培地プレート上で生育した。右のプレートの細胞はプレーティング前にGuHCI処理をほどこした。(B)ナンセンスサプレッションのレベル(図3 (A))と相関したSup35の可溶性。全細胞抽出液(W)ならびに遠心分離後の上清(S)もしくはペレット(P)にふくまれるSup35をC末端領域に対する抗体によって検出した。

図4.(A)弱い[PSI+]表現株において、野生型Sup35sをSup352/3Qと置換するとナンセンスサブレッションの効率は上昇する。続いて、この細胞のSup352/3Qを再び野生型Sup35と置換すると、もともとの弱い[PSI+]表現型を回復してピンク色のコロニーにもどる。比較のため、[psi]表現型の野生型Sup35株を左端にプレーティングした。(B)染色体上に野生型Sup35遺伝子を保有した[psi]表現株と、図4(A)の野生型Sup35株もしくはSup352/3Q株とを接合させた。YPD培地プレート上でピンク色を呈する二倍体細胞に胞子を形成させた後、それぞれの胞子を分離し、YPD培地プレート上でade1-14のナンセンスサブレッションをテストした。(C)野生型Sup35をSup35Y60G(プレート上段)またはSup35Y52G (プレート下段)と置換することによって、強い[PSI+]表現株のナンセンスサブレッション表現型は弱められる。これらの細胞の変異体Sup35を再び野生型Sup35と置換すると、もともとの強い[PSI+]表現型が回復する。

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