学位論文要旨



No 120695
著者(漢字)
著者(英字) Worrall Julian David
著者(カナ) ウォラル ジュリアン ディービド
標題(和) 都市としての鉄道 : 20世紀東京の鉄道から生み出された公共空間
標題(洋) RAILWAIY URBANISM : COMMUTER RAILLAND THE PRODUCTION OF PUBLIC SPACE IN TWENTIENTH CENTURY TOKYO
報告番号 120695
報告番号 甲20695
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6115号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 難波,和彦
 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 岸田,省吾
内容要旨 要旨を表示する

東京ほどに都市生活において鉄道が重要な役割を担っている都市は世界に類例がない。1920年代以降、戦後の高度成長期を経て、都市鉄道と地下鉄のネットワークによって住宅密集地は都市の中心部から郊外へと移動する一方、中心部の鉄道網の結節点の周辺には商業機能のいっそうの集積が見られた。東京に代表される戦後の日本の巨大都市とは、「railway urbanism」の典型例といっても過言でないだろう。

本研究ではこの「railway urbanism」論を、「公共空間」の概念を援用しつつ展開する。この概念は建築学・都市計画学・社会学・社会理論・政治哲学など多様な分野から言及される都市空間論において近年ますます重要となってきている。「都市」や「自由」といった概念を構築するうえで、「公共空間」の意味・重要性・用法はこうした言説において広く議論がなされてきた。本論文では、都市鉄道のインフラストラクチャーを主として考察の対象とし、そこでこうした「公共空間」の概念の多様な側面を分析的かつ批判的に取り上げることとしたい。

序論(第1章)と結論(第8章)の間の本論は6つの章から構成される。最初の第2章では、まず西洋における公共空間や都市に関する重要な理論家を取り上げ、彼らの理論を分析するところから始める。そこでは「公共」、「公共圏」、「公共空間」の概念の発展を、ゲオルク・ジンメル、ハンナ・アレント、ユルゲン・ハーバマス、リチャード・セネットらの仕事を通じて概観する。この議論はついで建築家や都市計画家の言説に用いられる「都市公共空間」の概念規定へとつながっていく。アンリ・ルフェーヴルの『空間の生産』における概念も参照する.

この概念的議論につづいて、都市の鉄道輸送システムによって現代の東京に生み出された一群の公共空間について分析を行う。これは時間軸に沿ってというよりは、空間の類型に応じて構成される。これら4つの章ではそれぞれ異なる空間に焦点を当てる。はじめにネットワークのレベルについて(第3章)、つづいて駅舎について(第4章)、そしてそれに隣接する駅前広場について(第5章)、最後に電車の車両という空間について(第6章)見ていく。

第3章は、都市全体の規模からマクロレベルで鉄道システムを検証する。今日の東京における鉄道輸送の主要要素を描写し、規模の定量化を図り、発展史を図表化し、鉄道システムがいかにして江戸の町を覆ったかを明らかにする。また、JRと私鉄及び地下鉄を区別し、鉄道システムにおける公的機関と私企業の相違が、都市空間の形成及びそれが創生する公共空間の特性に及ぼす影響について検証する。

第4章では、鉄道システム上の主要ターミナル駅を取り上げる。ここでは、明治時代に、国家と市民の象徴として存在した駅舎が、戦後、単なる社会基盤(インフラ)である鉄道の受け皿へと変化を遂げたことが見て取られる。1928年から1936年の期間は、これらの両極の変換が垣間見られた時期であり、建築モダニズムの急進的な思想の形成と、JNRや逓信所のような公的機関の社会的に革新的な政策の強力な調和がはかられた時代である。この結果、この時代の駅舎には、機能的かつ象徴的な設計が施された。消費と交通空間を結合した戦後の駅の発展は、私鉄の開発理論による産物であり、1960年代に開発された新宿駅の複合施設がその好例といえよう。ここでは、ターミナル駅を大規模商業施設を含む迷路のような都市公共空間の物理的な具現化の発展と見ることができる。

第5章は、駅周辺の開かれた空間「駅前広場」の発達、利用そして意義について検討する。これら駅前広場の前身は、歴史的には近代以前の江戸期の公共の場であった広場であるが、東京駅前広場という重要な例外を除いては、(広場は)象徴的な都市のデザイン的特性を提示していない。都市計画論における広場の主要な役割は、交通の要所であった。それにもかかわらず、その頻繁な使用を通じて、これらの都市公共空間は、現代東京において「市民の」場としての重要な役割を担うようになった。この章では、通常小さな銅像や彫刻などにみられる地元のモニュメントの建立による、市民の理想の象徴の構築の分析を通じ、「市民の」場としての広場に着目する。市民は大概の場合、地元事業主が関わる「ミドル・ダウン」で構成され、かなり保守的な審美眼をもって抽象化される。この分析は、これらの空間で強調される「市民」という概念は、特定の場所と保守性であり、ごく限られた公を指しているに過ぎないと結論する。しかし、私はその実際的、偶発的、平凡な特性は、グローバリゼーションによって推進される都市公共空間の例にみられる「洗練された」調和のとれた空間に対抗する潜在的可能性があると考える。

第6章は、鉄道及び地下鉄の車両そのものに焦点を当てる。都市公共空間の議論におけるこの空間の重要性は、公共空間という概念の2大解釈を並列することから起こる。1つは、メディアを通じて作られるコミュニケーションの眼に見えない公共空間(Habermas)であり、もう1つは、社会的相違や見知らぬ他人に出会う物理的な空間(Arendt, Sennett)である。まずは、夏目漱石と田山花袋の作品にみられるこの空間の文学的描写から分析を始める。その空間は、都市の「現実」の恐ろしい空間(漱石)もしくは、エロティックな想像を開放する場(花袋)として、都市公共空間の比喩である、他人と群集というものに対する2つの共通する反応にそれぞれ象徴される。間接的な公共空間の場としての車両は、1920年代の郊外通勤鉄道網の拡大の読書量への影響を示す資料に現れる。公的な行儀規範が車両内に乗り込んできた背景は、地下鉄の「マナー・ポスター」で検証される。そして、"公共の中のプライバシー"としての車両の公共空間の特徴化もってこの章の結論とする。

最後に、第7章は、既存の参考文献や資料を調査し、総合的に取り上げ、公的空間の「創生」を議論し、東京における鉄道基盤によって生まれた「鉄道の都市化」を描写することを試みる。この議論は、グローバリゼーションによる消費主義、高級主義、都市空間の均一化による公共領域の植民地化を描写する現代の都市化の理念は念頭におきつつも分岐する。ここれは、この社会基盤によって産み出された公的領域は、どちらかというと、「無表情」「非公式」「複雑な」といった性質が産み出す空間の、標準化と偶発性の間の弁証法を取り入れたほうがよりよく理解されることを示唆している。これらの空間の創生は、標準化への抵抗力の台頭とも見られるだけでなく、予測できない複雑さをはらんだ公と私の伝統的な理解を湾曲している。

この研究は、東京における「都市としての鉄道」という空間の創生の歴史を都市史という形でまとめることを目指している。建築史、(都市)計画史、都市人類学、社会学、社会歴史学といった異なる専門分野の資料をもとにした歴史研究である。究極の目的は、その「現代性」が永遠に問われる国、日本における、都市化における空間の創生と現代生活の経験との関係である。

審査要旨 要旨を表示する

本論は現代都市における公共空間ないし公共圏の特質を明らかにするために、20世紀の東京を取り上げ、鉄道が生み出す空間の性状を歴史的に分析したものである。

巨大都市東京において自動車はもちろん重要な交通手段であるが、むしろ網の目のように張り巡らされた鉄道、地下鉄などが都市の基盤を与えている。そこで著者は東京の鉄道に着目し、これを都市史的な文脈のなかに再定義することを提唱する。すなわち鉄道が形成する空間を、ネットワーク(第3章)、駅舎(第4章)、駅前広場(第5章)、車両内空間(第6章)の4つのスケールに分節し、これらが生み出す総合的な都市性を「Railway Urbanism」という概念で捉えることを試みる。

第1、2章では西洋における公共空間や都市に関する代表的な言説をレビュし、学説史的展望を述べる。第3章以降が本論に相当する部分で以下のような事実が明らかになった。

第3章は都市全体のスケールを扱ったもので、明治以降、現在に至るまでの鉄道システムおよびネットワークの形成過程を追跡したうえで、JR、私鉄、地下鉄の種別、公的機関と私企業の違いなどが、いかに東京の都市空間と密接な関係を有しているかが明らかにされる。

第4章では主要ターミナル駅が取り上げられる。新橋停車場、東京駅、万世橋駅、お茶の水駅、新宿駅の分析を通して、近代初期は国家的モニュメントとしての象徴的性格を有していた駅舎が、1920年代から30年代にかけてモダニズム思想を背景として社会基盤としての性格へと変容してゆくプロセスが指摘される。第二次世界大戦後、上記の潮流に消費的性格が加わることによって1960年代の新宿駅にみられるような複合施設が生み出されることになる。

第5章は駅前広場に関する歴史的考察である。日本の駅前広場は東京駅という例外を除くと、顕著な象徴性は認められず、むしろ駅前の小さな銅像や彫刻などの存在からわかるように、地元事業主、市民などの「ミドル・ダウン」が関与する、限定的な公共性を示している。ここでは銅像、彫刻などの建設経緯などが詳しく分析されている。

第6章は鉄道・地下鉄の車両空間に着目する。鉄道の登場間もないころの車両内での人々の振るまいを夏目漱石、田山花袋などの小説から再現し、見知らぬ他者との一時的共存が生み出す心理が抽出される。その後車両内はパブリックとプライベートの奇妙な共存関係を生み出すようになり、車内のマナー・ポスターや車内放送などの分析をトウして、「公共のなかのプライバシー」の独特のあり方が析出される。

最後の第7、8章は以上の議論を踏まえて、東京の鉄道基盤によって生み出された、日本独特の公共空間のありようが総合的に結論づけられている。

以上を要するに、本論は日本の近現代都市における公共空間ないし公共圏の特性を、「Railway Urbanism」という斬新な概念で捕捉し、その歴史的展開過程を丁寧に跡づけることに成功した。そして従来必ずしも明らかでなかった都市の公共空間の日本的特質の一端がこの研究を通して鮮明になったことは特筆に価する。一次資料を丁寧に収集・分析し、確かな根拠にもとづいた論理展開は実証性という観点からみても高い水準にある。学際的研究が進展している公共性概念に対して、建築学分野から重要な貢献をしたという点がとくに評価できる。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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