学位論文要旨



No 120696
著者(漢字) 朴,正珉
著者(英字)
著者(カナ) パク,チョンミン
標題(和) 韓国民家の空間構成に関するグラフ理論的考察 : 空間相互のインターフェイスとしての閾概念
標題(洋)
報告番号 120696
報告番号 甲20696
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6116号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 加藤,道夫
 東京大学 助教授 西出,和彦
 東京大学 助教授 曲渕,英邦
内容要旨 要旨を表示する

本研究は藤井・曲渕研究室における韓国の集落調査に端を発している。そこで体験した「空間構成の類似性」に関する感想を理論的に確立して実践したものである。住居空間の構成手法は様々であるが、集落ではその手法の展開様相が決められたルールに従って行われており、類似の平面構成をした住居の集まりとして集落は構成されている。この住居空間における空間的な現象を部分空間の隣接関係という物理的な様相から解明しようと試みた。同時に空間相互の隣接関係から生じる空間的なネットワークを具体的に論じるために、扉、階段などのように隣接関係を生成する空間的な装置を閾(しきい)と定義し理論的な展開を図っている。閾は建築計画学において空間を構成する重要な概念であるが、既往の空間分析では研究のテーマにした事例が少ない。本研究は韓国民家の空間構成における特徴を閾概念を基軸に分析している。また、閾の媒介的な性質をグラフ理論と関連付けることにより、従来のグラフ理論を用いた研究に新たな分析方法を提案している。研究の方法は、(1)閾と空間概念に関する考察、(2)グラフによる空間構造の記述とグラフの分析手法の作成、(3)「手法の適用−その1」として韓国民家の空間構成分析、(4)「手法の適用−その2」として韓・日民家の比較分析、(5) 手法の評価と韓国民家の空間構成の総括、という手順をとる。

本論は、序、第1章から第5章およびAPPENDIXで構成される。第1章から第5章は4つに大別される。第1章は本論の「視点」として、空間を具体的に論じるための概念的な構えについて述べる。第2章は「理論」的な部分であり、空間構造をグラフにして記述する手法やその分析手法の提案をする。第3章、第4章は「分析」の部分で、第2章の理論を34ヶ所の韓国民家と22ヶ所の日本民家に適用して分析を行う。第5章は「総括」で、結論と展望を述べる。

序は、研究の目的と背景、研究の方法、論文の構成についての概説である。

第1章は大きく2つの内容からなる。第1節から第3節までは、建築空間の類似性に関する概念的なアプローチを通して本研究の視点を示す。集落を類似の住居平面により構成される集合体として見なすことで、集団の空間に対する論理が各住居の空間構成の類似性に投影していることを指摘し、空間構成の類似性を生成する事象的な原因として閾を取り上げる。閾概念について概説し、本研究における閾の定義を行う。さらに、閾の論理を展開することで部分空間の隣接関係により空間を把握する可能性について述べる。第4節は韓国民家の概説である。民家の諸環境的な要因について自然環境、人文環境から考察を行う。民家を構成する空間要素について一般に用いられる用語を対象にして概説する。同時に韓国民家の空間構成に関する既往研究として平面型による民家の類型分類を紹介する。最後に、具体的な空間構成の事例として実測調査した7ヶ所の民家を紹介する。

第2章はグラフ理論に基づいて空間を記述し分析する手法について述べている。第1節は、グラフ理論の考察で、グラフ理論を空間分析に利用する際の問題点として従来の研究が室内におけるノードの隣接関係に限られていることを指摘し、その解決方法として領域の機能をノードに、閾の空間接続の様態をエッジに記述する「空間記述モデル」を提案している。第2節はグラフにより空間を記述する手法の概説で、領域と閾の類型分類からグラフの属性を規定し、それぞれの属性をノードとエッジとして記号化を行う。また、C言語によるプログラムを用いたグラフ作成の手順を説明する。第3節と第4節はグラフの構造解析の概説で、実測した3ヶ所の民家を事例にして手法を概説している。分析指標は「共有の隣接関係の把握」、「グラフの共通部分の抽出」を目的にしており、具体的に、(1)「隣接関係ダイアグラム」と「隣接関係マトリックス」から隣接状況を把握する、(2)「隣接関係の類型化」し、さらに「閾を加えた類型分類」を行う、(3)「ノードの隣接関係」、「深さを加えたグラフ」によるグラフの共通部分の抽出、の3点である。

第3章では、第2章で作成した手法の適用として34ヶ所の韓国民家を対象に分析を行っている。第1節は、分析対象民家の選定方法と民家データの概観である。第2節と第3節は分析指標の適用である。対象民家を「6つの地域」に分類し地域毎の共有の隣接関係を把握すると同時に共有の隣接関係の検出頻度から、地域毎の典型の類推と比較考察を行う。次に、各地域において共有の隣接関係を最も多く含んでいる民家を対象に「ノードの隣接関係」と「深さを加えたグラフ」の分析を行い、空間構成の類似性と差異性を検出する。また、「6つの地域」による対象民家の分類に加え、「平面型」と「全地域」の民家を対象として「隣接関係ダイアグラム」を作成し、比較考察を行う。最後に、全地域を対象に共有の隣接関係を抽出し、頻度の高い隣接関係を対象に、グラフとして再構築しその結果を韓国民家の典型的な空間構成として位置付けする。

第4章は第3章の分析対象であった34ヶ所の韓国民家に加え、22ヶ所の日本民家を選定し、手法を適用することで本研究が提起する分析指標の有効性を検討すると同時に日本民家との比較考察を行う。第1節は日本民家の概要として選定民家のデータの概観である。第2節は韓国民家との比較の部分で、「グラフの形態に見られる差異」、「領域化した閾の配列」、「隣接関係の類型」について考察する。最後に手法適用の考察として、属性の相違により空間構成のパターンが生じることを述べ、そのパターンの様相と集団の空間構成の類似性の問題とを結びつけることにより、民家の類型分類や比較分析を展望する。

第5章は本研究の意義と成果の総括であり、同時に今後の研究の方向性について述べる。本研究の意義は、(1)従来の韓国民家に関する研究が経験的な記述分析に頼っていることに対して、グラフ理論による空間構成の視覚化および分析指標の作成を行い、韓国民家の空間構成を定量的な手法により論じたこと、(2)従来のグラフ理論を応用する研究がノードの接合関係に着目していることに対して閾の空間における特徴をエッジにして表現し実空間により近い分析を行ったこと、の2点である。本研究を通して、空間相互を連結する空間的な装置としての閾が、韓国民家の空間構成に多様なバリエーションを付与していることが理解できた。本論文は、閾に関する基礎的な研究である。この閾論の展開を今後の課題にする。また、本研究で示す理論および分析方法が空間を具体化する一つの手法として位置つけられることを期待する。

APPENDIXは、分析に用いた民家のデータとプログラムリストにより構成される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は韓国の伝統的な民家を対象に、その空間構成の特徴を実地調査に基づいて分析したものである。韓国の民家は儒教精神を反映した男性・女性の領域の隔離や、風水思想に由来する地相学的な空間要素の布置則を特徴としているが、住居内には細かな起伏や段差、幾重にも入れ子状になっている可視・不可視の領域、素材やテクスチャの微妙な差違などが見られ、日本や中国の民家に比して、空間がより多義的で複雑なものになっている。こうした様相については、様々に性格づけられた庭(マダン)の配置として領域論的な観点から語られることはあったが、その構成の原理を空間のシークエンスとして動態的に記述することはなされていない。本論文は、韓国の民家の空間構成の分析にあたり、住居の内・外部に存在する境界とそこに見られる閾に着目し、その構成をグラフ理論の諸概念を援用しながら属性を有するグラフとして再現し、それを対比的に分析することにより住居空間に内在する配列則を明らかにするものである。

論文は序と5章、およびふたつのAPPENDIXからなる。

第1章は伝統的な集落に見られる統一性のある景観は、共同体の構成員が共通に持つ空間概念を現しているのではないかという問題提起をし、そうした住居に見られる空間構成を構造論的に捉える概念としての"閾"に言及している。また、本研究のさきがけとなった韓国での集落調査の概要と、その際に訪れた代表的な民家について説明し、韓国の民家の空間の呼称についてまとめている。

第2章はグラフ理論に閾概念を導入して得られる属性を有するグラフについての解説で、民家の空間の隣接関係をグラフとして表現する手法について説明し、次いで、分析で用いる領域概念や閾概念についての類型化を行なっている。また、それらを電算機で扱えるようにデータベース化する手続きについて、実例に即してそのプロセスを示している。こうすることにより、民家の領域や閾をグラフのノードやエッジに付与された属性として統合的に表現することが可能になる。更に分析で用いる3つの示標、即ち、(1)隣接関係を表現するダイアグラムやマトリックス、(2)隣接パターンの類型化の手法、(3)グラフの共通部分の抽出方法についても説明している。

第3章は韓国の34ヶ所の民家に対する空間構造の解析で、6地域に分けた上で、先の示標について考察し、地域間の類似性と差違性についての分析を行ない、共通性の高い項目を抽出することにより、韓国の民家の典型と思われる空間構造を提示している。

第4章は前章で適用した手法や示標の更なる有効性の検証で、日本の22ヶ所の民家を分析している。日本と韓国のデータを相互に比較分析することにより、グラフの形態、閾の配列則、空間の隣接関係等におけるそれぞれの特性を明らかにし、両国の民家の空間構成の差違性について論じている。

第5章は全体のまとめの章で、本論文の研究成果を総括し、結論として、(1)従来、感覚的な記述に留まっていた韓国民家の空間構成の特性を、グラフ理論を援用することにより、科学的な手続きのもとに分析することを可能にし、定量的な示標として提示することができた(2)領域や閾の属性をグラフのノードやエッジの属性として表現することにより、実空間内を移動する体験に即した分析手法を開発することができたことを挙げている。また、この研究を更に進展させるための将来的な方向性と今後の課題についてまとめている。

APPENDIXIは、論文で使用した民家のデータシートで、同IIは分析で使用したプログラムのリストである。

以上要するに、本論文は韓国民家に特徴的な空間の質的な切り替わりとそのための物理的な装置の様態を、領域と閾という構造概念を用いることにより属性を持つグラフとして統合的に表現すると共に、その定量的な分析手法を確立したものである。本論で提示された手法は数理的な手続きを経ているので、その有効性は韓国の民家に限定されたものではなく、より広範な住空間に適用可能なものである。建築空間は様々な領域の集積として存在するが、領域と領域の境界部分には必ず閾がインターフェイスとして介在している。この閾の機能に着目することにより、空間の隣接性や連結性を統合的に扱えることができるが、本論文は韓国の民家の有する多様な閾を対象に、構造概念としての閾の有効性を検証したもので、空間のシークエンスという従来は客観的に表現や数量化が難しかった事象を定量化して評価することに成功している。この手法は建築の空間構造の分析に際して、閾論という新たな視座を提示するもので、建築計画学の分野における新たな方法論を確率したものとしてその意義は大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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