学位論文要旨



No 120699
著者(漢字) 謝,明
著者(英字)
著者(カナ) シャ,メイヨウ
標題(和) 視作業と照明環境の変化に伴うグレア制御に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 120699
報告番号 甲20699
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6119号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 平手,小太郎
 東京大学 教授 鎌田,元康
 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 助教授 佐久間,哲哉
 東京大学 客員助教授 前,真之
内容要旨 要旨を表示する

近年、建築空間の照明環境が明るすぎるという批判が増している。照明環境が明るすぎると、グレアの発生が生じる。多くの人は明るい環境に入ると、より覚醒し注意力が集中するという日常生活の体験があると考えられる。環境が明るすぎると、グレアの発生とエネルギー消費の増加などのデメリットが生ずる一方、もし明るい環境によって、在室者の注意が集中し覚醒状態が向上する効果があれば、作業効率や快適性の面で、明るすぎる環境は存在する価値があると考えられる。しかし、これまでグレアと注意・覚醒状態との関係についての知見はまだ少ない。光源輝度という因子が明るさとグレアの発生に最も寄与の大きい因子であるので、明るい環境が注意・覚醒状態の向上をもたらす効果がなければ、視力などを確保した上で、空間内の光源輝度を全般的に減らすことにより、グレアの程度も、照明エネルギー消費も軽減されると考えられる。一方、人間の注意・覚醒状態を低下させないために、光源輝度をどの程度まで減らせることについても不明である。

また、日本工業規格において建築空間別の照度基準が四半世紀程前に作られたが、これは主に紙面上の活字を読む作業、すなわち水平面の視作業時の視力確保に注目し確立された基準である。しかし、コンピューターの普及により、紙面上の活字を読む視作業から自身が発光するモニターを見る作業へと変化し、視作業面も水平面だけでなく垂直面へと広がっている。このような変化により、視作業時において視野が一方向だけではなく多方向へ変質し、グレアを生ずる空間範囲も大きくなった。

一方、近年照明技術の発展に伴いさまざまなカラーLEDが開発されてきた。LEDは低発熱、長寿命、コンパクト、耐衝撃性かつ高輝度という特徴があり、また各色LEDの組み合わせにより光色を構成する方法で、それぞれの光量の制御により、光色の種類が無限に作れる。これらの省エネルギー性と光色の自由度というメリットから考えると、今後、建築用照明光源として多く使用されていくと予想される。主に白色や電球色から構成されていた従来の照明の世界が、多様な光の世界へと大きく変化する可能性が高く、今後、照明環境において、光色の問題は従来以上に大きな要因になるものと考えられる。しかし、これまで環境側であるグレアの影響因子については、光源輝度、背景輝度、立体角、位置などの因子が対象として検討されたが、光色に関する検討はまだ少ない。

上記の理由により、本論文の検討の第一段階では、脳の情報処理状態の面で、グレアの程度という因子が人間の注意・覚醒状態に与える影響を考察する。次に、行動の面から、新しい視作業においてグレアが支障となる条件、また光色の多様化という照明環境の変化に伴うグレアの感じ方の違いを検討する。最後に、グレアと各因子の対応関係をまとめ、新しい視作業と照明環境に対応するグレアの制御手法を提案する。

以下に本論文の構成について述べる。

第1章では、本研究の背景として、コンピューターの普及に伴う視作業の変化とLEDの開発に伴う将来照明環境の質的変化について述べる。また、このような変化に対し、これまでのグレアに関する研究がすでに対応できないことを示す。従来のグレアに関する研究では、視力確保と不快感に主眼が置かれているが、それ以外の検討はまだ少ない。また、グレア制御の観点から、グレアが生じやすいという明るすぎる環境は、注意と覚醒状態に影響を与えるかどうかについても、明らかにしなければならない。

第2章では、明るい環境によって、在室者の注意が集中し覚醒状態が向上する効果があるかどうかを確認するために、グレアに関する生理的検討を行った。環境の明るさとグレアの程度に最も寄与している光源輝度レベルという因子が、人間の注意状態を反映する事象関連電位および覚醒状態を反映する脳波に及ぼす影響について考察する。人間の覚醒状態を知るためには、脳波を測定し、そのパワー成分の増減によって判断でき、また、注意状態は、オッドボールという音刺激課題によって生じた脳波を数十回加算して得た事象関連電位波形の成分の振幅と潜時によって反映できると知られている。よって、本章では、異なる光源輝度レベルの条件下で、オッドボールという音刺激課題を受けている被験者の脳波を測定し、グレアの程度が注意と覚醒状態に及ぼす影響について検討する。

第3章では、オフィスでの窓面からの水平方向のグレアを想定し、この水平方向のグレアの輝度レベルと水平位置が各視作業に与える影響を検討する。視作業の種類について、まずコンピューターの普及による視野が水平と垂直の両作業面の間を絶えず移動するというパソコン入力作業を対象とする。また、われわれの日常生活の中で、ある特定の視標を探すという文字検出作業および常に経験している短期記憶作業も加えて考察する。グレアが作業への妨害という検討は、従来の視力や視認能力という評価方法と異なり、異なる輝度レベルの視野間の順応と作業効率という時間軸の検討をするので、反応時間という脳の外界刺激に対する認知・反応・注意状態の総合的な出力を評価指標として、グレアの影響を考察する。

第4章では、光色という因子がグレアに及ぼす影響について検討する。LEDが開発されるまで、光色は主に白色と電球色、すなわち主に完全放射体軌跡内に限られている。LEDの開発によって、完全放射体軌跡を離れた光色も可能となったので、本章では、完全放射体軌跡内の光色と完全放射体軌跡を離れた光色を数種類ずつ用い、グレアになりにくい光色とグレアになりやすい光色を見出す。また、光色とグレアの対応関係を明らかにすれば、光色を調整することにより、グレアを制御することは可能であると考える。

グレア感という尺度は明るさ感との間に、高度な相関性があると考えられるので、第5章では、第4章に引き続き、光色が明るさ感に及ぼす影響について考察する。光色による明るさ感モデルを立てることにより、ある光色の明るさ感を予測することは可能である。また、グレア感と明るさ感の結果を比較することにより、人間が各光色に対するグレアの許容度が異なるかどうかを明らかにすることができる。

第6章では、グレアの制御について検討する。本研究によって得た知見の中で、グレアの影響因子に対する新しい認識に基づき、グレアに対する新しい制御手法の可能性について検討する。考察の方法については、光源輝度、位置、光色という流れで、第2章から第5章まで明らかにした新しい知見を、各影響因子の観点からグレアの制御を論じ新しい制御手法を提案する。

第7章では、第2章から第6章まで得られたすべての知見をまとめ、それに基づいて、今後の照明環境のあり方に関して提案する。

以下に本研究で得られた主な結果をまとめる。

グレア制御手法:光源輝度の低減

高効率照明器具の使用によって、照明のエネルギー消費は下がっていない一方、上がり続けている。よって、室内空間の照明環境が明るすぎるようになっている可能性が高いと考えられる。

輝度が高くなれば、視力が向上することが知られている。建築空間別の照度基準は紙面上の活字を読むという視作業時の視力確保と目の疲労の観点により規定された。しかし、コンピューターの普及により、視作業面も水平面から垂直面へと広がっていくので、これまでの建築空間別の水平面照度重視の基準はこのような視作業の変化に対応できるかどうかという疑問が生じる。また、紙面上の活字を読む視作業が自身の発光するモニターを見る作業へと変化すると、作業時の視力はモニターの光で確保されているので、今までの照明基準であると、照明環境が明るすぎるになる可能性が高いと考えられる。

明るすぎる環境はグレア発生の可能性を高めるので、光源の明るさを全般的に減らせば、グレアが有効に軽減され、照明のエネルギー消費とコストも減少されると考えられる。しかし、人間の注意と覚醒状態を低下させないためには、30cd/m2以上の視野内輝度の確保が必要であると考えられる。

グレア制御手法:水平なす角度の閾値

順応に関わる作業に対し、視線とグレア光源の水平なす角度30°を超えると、グレアは明らかに軽減される。また、60°まで行くと、グレアはさらに軽減される。光源と視線の水平なす角を増加させることは、光源輝度レベルを減少させることと同様なグレア軽減効果をもたらすことが分かった。

グレア制御手法:緑色光のグレア感低減と明るさ感増加効果

緑色光は黄色光や白色光より明るさ感の高い色であり、最も不快グレアになりにくい光色であるので、明るさ感の向上とグレア感の制御を両立する可能性があり、グレア制御の1つの手法として応用する可能性もあると考えられる。緑色光の応用については、オフィスの窓ガラスの上に緑フィルムを貼れば、昼間の高輝度昼光によるグレア感を制御することは可能である。また、車のヘッドライトとしては、明るさを求めている一方、対向車にグレアとならないことが重要であるので、明るさ感向上効果とグレア感軽減効果のある緑色光が応用できると考えられる。同じ理由で、高速道路やトンネルなどの街路灯に導入すれば、グレア感軽減と明るさ感向上により、ダブル効果が発揮することは可能であろう。しかし、緑色の導入による違和感が起される可能性がある。人間の眼は、ある色に慣れてそれが白っぽく見えてくるという「色順応」の働きがあるが、色順応後、違和感が起されない光色の色度範囲に関しては、今後の研究課題として明らかにされなければならない。

グレア制御手法:黄色光・低色温度光のグレア感軽減と明るさ感軽減効果

黄色光と低色温度光は、グレア感が比較的低いが、明るさ感も低いので、青色・緑色・高色温度の光色と同じ明るさ感に増加させるために、光源の輝度レベルを増加しなければならないので、照明の省エネルギー性に不利という可能性がある。

注意・覚醒状態が妨害されない明るさ範囲

30〜1000cd/m2の輝度レベル範囲では、光源輝度レベルの違いが音聴取作業時の注意と覚醒状態に有意な差をもたらさなかった。眼の順応により、注意と覚醒状態に支障とならない照度や明るさの範囲には弾力性がある傾向が示された。普段の室内空間では、環境が明るくなった瞬間、覚醒状態が向上し注意力が集中すると自覚するが、眼が順応すると、このような感覚がなくなると考えられる。

グレアは視野間の順応に関わる作業だけを妨害する

各作業の中で、視野間の順応に関わる作業は効率がグレアに有意に影響されることが示された。また、グレアは順応に関わらない作業の効率に有意な影響を与えないことが分かった。

青色光・高色温度光のグレア感増加と明るさ感増加効果

青色光と高色温度光は、光源の明るさ感を向上させる傾向が示されたので、この明るさ感向上効果を応用すれば、同じ明るさ感を確保した上で、輝度レベルを減少することによって、照明のエネルギー消費を軽減することは可能である。しかし、青色光と高色温度光は、明るさ感を向上させる効果がある一方、グレア感も同時に増加するので、ルーバなど増加したグレア感を制御する対策が必要である。

人間の緑色光に対するグレア感の高許容度

ほとんどの光色は明るさ感の増加に伴い、グレア感も同時に増加する現象が示された。しかし、緑色は例外であった。本研究によると、緑色の光は明るく見えるのに、まぶしく感じさせにくい光色である傾向が見られた。この結果によって、人間の緑色の光に対するグレア感の許容度が高いという傾向が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,これまでのグレアに関する知見を踏まえた上で,視作業や照明環境の変化に伴い発生した新しい環境側・人間側の影響要素に対し,グレアの影響を検討し,またその制御方法について提案することを目標としている。本論文の検討の第一段階では,脳の情報処理状態の面で,グレアに大きく寄与している光源輝度という因子が人間の注意・覚醒状態に与える影響を考察し,つぎに行動の面から新しい視作業においてグレアが支障となる条件,また光色の多様化という照明環境の変化に伴うグレアの感じ方の違いを検討し,最後にグレアと各因子の対応関係をまとめ,新しい視作業と照明環境に対応するグレアの制御手法を提案している。

まず第1章では,本研究の背景として,コンピューターの普及に伴う視作業の変化とLEDの開発に伴う将来照明環境の質的変化について述べている。このような変化に対し,これまでのグレアに関する研究がすでに対応できないことを示し,従来のグレアに関する研究では,視力確保と不快感に主眼が置かれているが,それ以外の検討はまだ少ないこと,またグレア制御の観点から,グレアが生じやすいという明るすぎる環境は,注意と覚醒状態に影響を与えるかどうかについても明らかにしなければならないとしている。

第2章では,明るい環境によって在室者の注意が集中し覚醒状態が向上する効果があるかどうかを確認するために,グレアに関する生理的検討を行っている。環境の明るさとグレアの度合いに最も寄与している光源輝度レベルという因子が,人間の注意状態を反映する事象関連電位,および覚醒状態を反映する脳波に及ぼす影響について考察している。人間の覚醒状態を知るためには,脳波の測定によるパワー成分の増減によって判断でき,さらに注意状態がオッドボールという音刺激課題によって生じた脳波を数十回加算して得られた事象関連電位波形の成分の振幅と潜時により反映できることが知られているため,本章では,異なる光源輝度レベルの光源の条件下で,オッドボールという音刺激課題を受けている被験者の脳波を測定し,グレアの程度が注意と覚醒状態に及ぼす影響について検討している。

第3章では,オフィスでの窓面からの水平方向のグレアを想定し,この水平方向のグレアの輝度レベルと水平位置が各視作業に与える影響を検討している。視作業の種類について,まずコンピューターの普及による視野が水平と垂直の両作業面の間を絶えず移動するというパソコン入力作業を対象とし,われわれの日常生活の中で,ある特定の視標を探すという文字検出作業,および常に経験している短期記憶作業も加えて考察している。グレアが作業への妨害という検討は,従来の視力や視認能力という評価方法と異なり,異なる輝度レベルの視野間の順応と作業効率という時間軸の検討をするため,反応時間という脳の外界刺激に対する認知・反応・注意状態の総合的な出力を評価指標として,グレアの影響を考察して光色という因子がグレアに及ぼす影響について検討している。またLEDが開発されるまで,光色は主に白色と電球色,すなわち主に完全放射体軌跡内に限られていたが,LEDの開発によって完全放射体軌跡を離れた光色も可能となったため,本章では,完全放射体軌跡内の光色と完全放射体軌跡を離れた光色を数種類ずつ用い,グレアになりにくい光色とグレアになりやすい光色を見出している。そして光色とグレアの対応関係を明らかし,光色を調整することにより,グレアを制御することは可能であるとしている。

グレア感という尺度は明るさ感との間に,高い相関性があると考えられるため,第5章では,第4章に引き続き,光色が明るさ感に及ぼす影響について考察している。光色による明るさ感モデルを立てることにより,ある光色の明るさ感を予測することが可能となり,またグレア感と明るさ感の結果を比較することにより,人間が各光色に対するグレアの許容度が異なるかどうかを明らかにすることができたとしている。

第6章では,グレアの制御について検討している。本研究によって得た知見の中で,グレアの影響因子に対する新しい認識に基づき,グレアに対する新しい制御手法の可能性について検討している。考察の方法については,光源輝度,位置,光色という流れで,第2章から第5章まで明らかにした新しい知見を,各影響因子の観点からグレアの制御を論じ新しい制御手法を提案している。

第7章では,第2章から第6章まで得られたすべての知見をまとめ,それに基づいて,今後の照明環境のあり方に関して提案している。

以上本研究では,グレア発生における水平角の閾値,注意・覚醒状態が妨害されない明るさ範囲,各光色のグレア感および明るさ感への効果など、グレア制御において必要な基礎的な知見を導き出しており,またLEDなどの照明技術の進展により,照明環境における光色の問題が今後重要になると予想される中で,緑色光に対する許容度の高さなど本研究における光色とグレア感の関係に関する知見は、今後の照明環境のあり方を考えるにあたって重要な意義があると考えられる。さらに研究の総括として,照明エネルギーの軽減という効果をもたらす新しいグレアの制御手法を提案しているなど,総じて本研究の工学に対する寄与は大きいといえる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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