学位論文要旨



No 120706
著者(漢字) タビーマイトリー,ヨンヨー
著者(英字)
著者(カナ) タビーマイトリー,ヨンヨー
標題(和) 浄水処理における凝集フロック等へのフタル酸ジ(2-エチルヘキシル)の吸着に関する研究
標題(洋) Adsorption of di-(2-ethylhexyl) phthalate (DEHP) on solids generated in coagulation and flocculation processes in drinking water treatment plants
報告番号 120706
報告番号 甲20706
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6126号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古米,弘明
 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 国包,章一
 東京大学 教授 迫田,章義
 東京大学 講師 中島,典之
内容要旨 要旨を表示する

フタル酸エステル類は産業用に広く使用されるだけでなく、大気・水・土壌など環境中のあらゆるところから検出されてきている。フタル酸ジ(2-エチルヘキシル)(以下DEHP)は産業利用、環境汚染の両面においてもっとも重要なフタル酸エステルである。DEHPは急性毒性は低いものの、低用量で繰り返し曝露した際に毒性を示す可能性が指摘されてきている。淡水域のDEHPによる汚染(0.1〜250μg/L;幾何平均1.5μg/L)の結果として、水道原水中のDEHPが浄水場に到達し、その疎水的性質から凝集フロックなどの固体表面へ吸着されることが考えられる。近年の研究により、複数の日本の浄水場において、水道原水や浄水ではDEHPが検出限界以下である場合でも、処理プロセス中で形成される固形物(汚泥、スカム等)には高濃度で存在することが分かってきた。プロセスに滞留する固形物中へのDEHPの濃縮・蓄積は、水道水中への偶発的なDEHP汚染の潜在的な危険性となる一方、副次的な微量汚染物質の除去メカニズムであるとも言える。このようなDEHPの濃縮・蓄積現象をより適切に理解することが、浄水処理におけるリスク制御において重要である。そこで、本研究は、浄水処理において生じる固形物に対するDEHPの吸着現象を明らかにすることを目的とした。DEHPの吸着は以下の4つにより制御されることを想定した。(1)原水中の濁質、(2)固形物中の有機物、(3)凝集フロックの複雑なマトリクス、(4)プロセス内での水圧変動などにより生じる気泡表面等の気液界面。

凝集剤(硫酸アルミニウム)濃度の違いや加圧水の圧力の違い(微細気泡数の違い)、加圧水注入のタイミングによって、凝集・フロック形成・沈殿プロセス後にどのように固形物が分配するかを明らかにするために予備実験を行った。その結果、微細気泡の存在により浮上物質(上層に存在する固形物)の生成が促進されることが示された。また、浮上物質濃度は加圧水注入のタイミングやフロックの成長の程度に依存した。凝集剤の添加率を高くすると浮上物質濃度が増加したが、加圧水の圧力の増加は固形物の分配には大きな影響を与えなかった。

現場調査によって、原水や浄水のDEHP濃度が低いのに対し、固形物中の濃度は高く、また試料により差が大きいことが分かった。調査したほとんどの浄水場において、沈殿池汚泥よりも浮上物質の方がより高濃度にDEHPを含有していた。原水中の濁質を回収し、実験室にて凝集・フロック形成を行い、微細気泡により上層・中層・下層に固形物を分けたところ、それらのDEHP含有濃度には差があり、もともとの原水中粒子がDEHP含有量という点で不均質であることが分かった。浮上物質中のDEHP濃度は、中層、下層の固形物のそれぞれ3倍、7倍の濃度であった。これらの差異は粒子の物理化学的特性によるものと考えられる。

浄水プロセスで生じる様々な固形物中の有機物組成に着目し、そのDEHP付着量との関連を調べた。国内の7つの浄水場で回収した固形物の有機物組成の解析には熱分解GC/MSを用いた。DEHP濃度はE浄水場の配水池スカム(浮上物質)に高い濃度で検出され、そのスカムには脂肪族の熱分解フラグメント化合物が特異的に多く検出された。気液界面が脂肪族化合物の集積とDEHP濃縮に重要である可能性が示唆された。

次に、固形物の有する特性とDEHPの吸着の関係に着目した実験を行った。固形物の構成要素としてカオリン(無機粒子)、フミン酸(溶存有機物)、アルミ系凝集剤の三者の様々な組合せを用い、凝集・フロック形成過程に微細気泡の有無の違いを与え、さまざまな固形物を作成した。作成した固形物は静置後に、浮上物質、浮遊物質、沈殿物質の3つに分けた。これらの固形物に対し、20℃、24時間振とうによりDEHPの吸着試験を行った。DEHPの単純な分配係数で比較すると、凝集剤が含まれていない固形物では、文献値と同レベルの値であったのに対し、凝集剤の添加により明らかに分配係数が高くなった。

フロイントリッヒの吸着等温線に当てはめて固形物を比較すると、吸着性が高いものと低いものに明確に分けられ、また例外的な特徴を示すものも存在した。凝集剤が含まれた固形物はDEHPを高濃度で吸着し、凝集剤が含まれていない固形物はDEHPの吸着が少なかったことから、アルミ系凝集剤が一つの重要な因子となっていることが示された。例外的な固形物は24時間の振とうにより析出したフミン酸粒子であり、溶存態DEHP濃度が低いときには凝集剤を含む固形物と同様に高濃度にDEHPを吸着したのに対し、溶存態DEHP濃度が高い場合にはDEHPの吸着が凝集剤を含まない固形物と同程度になった。単一の構成要素の固形物同士を比較すると、アルミフロック>析出フミン酸>カオリンの順にDEHPを吸着した。凝集剤を含む固形物間で比較すると、アルミのみのフロックが最もDEHPを吸着し、溶存フミン酸存在下で調製したアルミフロック、カオリンを含むフロック、の順にDEHP吸着が低下した。浮上物質と沈殿物質を比較すると、浮上物質の方が特に溶存DEHP濃度が低いときにより多くのDEHPを吸着した。これは、微細気泡の影響で、より疎水的表面を有する固形物が水面近くに集積されたのではないかと考えられる。

フロイントリッヒ吸着等温線の係数値(Kおよび1/n)について考察した。アルミ系凝集剤がK値の増加に重要な因子となっており、カオリンやフミン酸の影響はわずかであった。微細気泡のK値への影響は、浮遊物質や沈殿物質にはほとんどないのに対し、浮上物質に対してはK値を増加させる影響が認められた。1/n値については、カオリン、フミン酸、凝集剤の添加により減少したが、微細気泡の添加は浮遊物質や沈殿物質には正の、浮上物質には負の影響が認められた。

上述のように、DEHP吸着には凝集剤の存在が重要な因子となることが分かったが、凝集剤濃度の影響についても検討したところ、凝集剤濃度が高くなるとDEHP吸着も大きくなることが分かった。一方、凝集剤が存在しない系において、溶存フミン酸濃度が高くなるとDEHP吸着が低下した。DEHPのような微量汚染物質の効果的な除去という観点においても、水道原水中の溶存有機物濃度の低減が求められると言える。

上述の検討では実験室内で凝集フロックを調製した後に管理された条件下(20℃、24時間)でDEHPの吸着試験を行ったが、より現場での環境条件に近づけるために、凝集フロックを生成する最初の過程でDEHPを投与し、合計55分間の凝集・フロック形成・沈殿プロセスを経た際のDEHPの吸着について調べた。その結果、微細気泡の添加により浮上物質や浮遊物質中のDEHP濃度が高くなることが観察された。また、平衡状態での吸着等温線の結果から予測されるDEHPの固液分配比よりも、溶存態DEHP濃度が高くなっており、通常の凝集沈殿プロセスの操作時間では十分に固液分配が平衡に達していないことが示唆された。設計の際には安全率を考慮することが求められる。

最後に、浄水場で回収したさまざまな固形物に対するDEHP吸着現象を、実験室で調製した固形物と比較した。熱分解フラグメントとアルミニウム濃度のデータから、回収した固形物は(1)凝集前の固形物、(2)凝集後の固形物、(3)急速砂ろ過後の固形物、の3つに大別された。凝集剤の存在により、より高濃度にDEHPを吸着することは現場で回収された固形物にも共通して観察された。しかし、凝集後の固形物は実験室で調製したアルミ凝集剤のみのフロックよりはDEHP濃度が低く、一方、凝集前の固形物はカオリンよりも高濃度にDEHPを吸着した。配水池で回収された浮上物質の吸着等温線は傾きが小さく、溶存態DEHP濃度が低い場合で高い吸着能力があることを示したが、このような特徴はフミン酸析出物の吸着等温線と類似していた。特に溶存態DEHPが低い濃度域において、沈殿池汚泥や実験室で調製した浮上物質や浮遊物質と比較してより多くのDEHPを吸着した。処理の現場では浮上固形物(スカム)生成は主として見た目の問題から歓迎されないが、DEHPのより効率的な吸着除去という観点からは、積極的な生成と制御が活用できる可能性があることが本研究より示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

フタル酸エステル類は産業用に広く使用されるだけでなく、大気・水・土壌など環境中のあらゆるところから検出されてきている。フタル酸ジ(2-エチルーキシル)(以下DEHP)は産業利用、環境汚染の両面においてもっとも重要なフタル酸エステルである。DEHPは急性毒性は低いものの、低用量で繰り返し曝露した際に毒性を示す可能性が指摘されてきている。

淡水域のDEHPによる汚染(0.1〜250μg/L;幾何平均1.5μg/L)の結果として、水道原水中のDEHPが浄水場に到達し、その疎水的性質から凝集フロックなどの固体表面へ吸着されることが考えられる。近年の研究により、複数の日本の浄水場において、水道原水や浄水ではDEHPが検出限界以下である場合でも、処理プロセス中で形成される固形物(汚泥、スカム等)には高濃度で存在することが分かってきた。プロセスに滞留する固形物中へのDEHPの濃縮・蓄積は、水道水中への偶発的なDEHP汚染の潜在的な危険性となる一方、副次的な微量汚染物質の除去メカニズムであるとも言える。このようなDEHPの濃縮・蓄積現象をより適切に理解することが、浄水処理におけるリスク制御において重要である。

本論文は、浄水処理において生じる固形物に対するDEHPの吸着現象を明らかにすることを目的としている。

本研究は、「Adsorption of di-(2-ethylhexyl) phthalate (DEHP) on solids generated in coagulation and flocculation processes in drinking water treatment plants(浄水処理における凝集フロック等へのフタル酸ジ(2-エチルヘキシル)の吸着に関する研究)」と超して、 9つの章から構成されている。

第1章では、研究の背景と目的、および論文の構成を述べている。

第2章では、フタル酸エステル類に関する知見をとりまとめている。フタル酸エステル類の物理化学的特性、環境中での検出状況、毒性について整理し、さらに、吸着、光触媒分解、膜分離等による除去プロセスについても概説している。

第3章では、実験手法の概略を示すとともに、浮上物質生成の室内予備実験について説明し、微細気泡の存在により浮上物質の生成が促進されることが示されている。また、浮上物質濃度は、加圧水注入のタイミングやフロックの成長の程度、凝集剤の添加率により影響を受けることが明らかにされている。

第4章では、現場調査の結果を紹介している。調査したほとんどの浄水場において、沈殿池汚泥よりも浮上物質の方がより高濃度にDEHPを含有していた。原水中の濁質を回収し、実験室にて凝集・フロック形成を行い、微細気泡により上層・中層・下層に固形物を分けたところ、それらのDEHP含有濃度には差があり、もともとの原水中粒子がDEHP含有量という点で不均質であることが示されている。浮上物質中のDEHP濃度は、中層(浮遊物質)、下層(沈殿物質)の固形物のそれぞれ3倍、7倍の濃度となっている。

第5章では、固形物中の有機物組成に着目し、国内の7つの浄水場で回収した固形物を熱分解GC/MSを用いて分析している。DEHP濃度が高かった浮上物質には、脂肪族の熱分解フラグメント化合物が特異的に多く検出され、気液界面が脂肪族化合物の集積とDEHP濃縮に重要である可能性が示唆されている。

第6章は、本論文の主要な章の一つであり、固形物の有する特性とDEHPの吸着の関係に着目し、数多くの吸着試験の結果をもとに考察をしている。固形物の構成要素としてカオリン(無機粒子)、フミン酸(溶存有機物)、アルミ系凝集剤の三者の様々な組合せを用い、凝集・フロック形成過程に微細気泡の有無の違いを与え、さまざまな固形物を作成した。作成した固形物は静置後に、浮上物質、浮遊物質、沈殿物質の3つに分けた。これらの固形物に対し、 20℃、24時間振とうによりDEHPの吸着試験を行った。DEHPの単純な分配係数で比較すると、凝集剤が含まれていない固形物では、文献値と同レベルの値であったのに対し、凝集剤の添加により明らかに分配係数が高くなった。

フロイントリッヒの吸着等温線に当てはめた考察を加え、調製した固形物は、吸着性が高いものと低いものに明確に分けられるとしている。凝集剤が含まれた固形物はDEHPを高濃度で吸着し、凝集剤が含まれていない固形物はDEHPの吸着が少なかったことから、アルミ系凝集剤が一つの重要な因子となっていることが示された。例外的な固形物は24時間の振とうにより析出したフミン酸粒子であり、溶存態DEHP濃度が低いときには凝集剤を含む固形物と同様に高濃度にDEHPを吸着したのに対し、溶存態DEHP濃度が高い場合にはDEHPの吸着が凝集剤を含まない固形物と同程度になった。単一の構成要素の固形物同士を比較すると、アルミフロック>析出フミン酸>カオリンの順にDEHPを吸着した。凝集剤を含む固形物間で比較すると、アルミのみのフロックが最もDEHPを吸着し、溶存フミン酸存在下で調製したアルミフロック、カオリンを含むフロック、の順にDEHP吸着が低下した。浮上物質と沈殿物質を比較すると、浮上物質の方が特に溶存DEHP濃度が低いときにより多くのDEHPを吸着した。フロイントリッヒ吸着等温線の係数値(Kおよび1/n)についても考察が加えられており、アルミ系凝集剤がK値の増加に重要な因子となっていること、また浮遊物質や沈殿物質と、浮上物質とでは、係数値への影響が異なっていることが述べられている。

第7章では、第6章で示唆された凝集剤の影響についてさらに検討を加え、凝集剤濃度が高くなるとDEHP吸着も大きくなることが明らかにされている。また、凝集剤が存在しない系において、溶存フミン酸濃度が高くなるとDEHP吸着が低下することを実験的に示しており、微量汚染物質の効果的な除去という観点においても、水道原水中の溶存有機物濃度の低減が求められることを指摘している。

第8章では、より現場での環境条件に近づけるために、凝集フロックを生成する最初の過程でDEHPを投与し、第6章の結果と比較している。その結果、平衡状態での吸着等温線の結果から予測されるDEHPの固液分配比よりも、溶存態DEHP濃度が高くなっており、通常の凝集沈殿プロセスの操作時間では十分に固液分配が平衡に達していないことが示唆され、設計の際には安全率を考慮すべきとしている。

最後に、浄水場で回収したさまざまな固形物に対するDEHP吸着現象を、実験室で調製した固形物と比較している。凝集剤の存在により高濃度にDEHPを吸着することが、現場で回収された固形物においても観察されている。また、配水池で回収された浮上物質の吸着等温線は、フミン酸析出物の吸着等温線と類似していることが見出されている。特に溶存態DEHPが低い濃度域において,沈殿池汚泥や実験室で調製した浮上物質や浮遊物質と比較してより多くのDEHPを吸着していることから、処理の現場では浮上固形物(スカム)生成は主として見た目の問題から歓迎されないが、DEHPのより効率的な吸着除去という観点からは、積極的な生成と制御が活用できる可能性がある、ということを指摘している。

第9章では、上記の研究成果から導かれる結論と今後の課題や展望が述べられている。

以上の成果では、DEHPの凝集フロックへの顕著な吸着を明らかにし、そのアルミ濃度依存性や、溶存有機物による吸着の低下などを指摘している。また浮上物質による高濃度のDEHP吸着を実験室で再現することに成功し、微細気泡による浮上物質生成の促進についても定量的に示している。これらの知見はDEHP以外の微量有機汚染物質の通常の浄水プロセスでの吸着除去機構の理解に役立ち、新規吸着剤等の導入ではなく、凝集沈殿という既存施設の適切な運転管理により、これらの微量化学物質が除去できる可能性を示唆するものとなっている。本論文の成果は、今後の都市環境工学の学術の進展に大きく寄与することが期待される。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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