学位論文要旨



No 120711
著者(漢字) 川井,茂樹
著者(英字)
著者(カナ) カワイ,シゲキ
標題(和) ダイナミックフォース顕微鏡の高周波化の研究
標題(洋)
報告番号 120711
報告番号 甲20711
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6131号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川勝,英樹
 東京大学 助教授 長谷川,幸雄
 東京大学 助教授 新野,俊樹
 東京大学 助教授 金,範
 京都大学 助教授 山田,啓文
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

1986年に原子間力顕微鏡(AFM)が開発された。その後、1995年に初めてFM検波法を用いたダイナミックモード非接触型原子間力顕微鏡(DFM)によりSi(111) 7x7の原子分解能撮像を行うことに成功した。今日までに、様々な試料表面の原子分解能を取得できること報告されてきた。しかし、DFMにより原子分解能を取得することは一般的には困難であり、撮像する者の技能に強く依存しているのが現状である。このことは、DFMが研究段階の装置であることの証である。DFMは、自励発振している長さ150mm程度のカンチレバーを力検出素子として使用する。その先端にある探針と試料表面間に働く相互作用力により、発振周波数が変化する。この周波数変化を制御対象にして試料表面を撮像することが出来る。相互作用力には、ファンデルワールス力や静電気力などの長距離力と化学結合力などの短距離力がある。通常、原子コントラストをもたらすのは短距離力であり、長距離力は単にバックグラウンドの力となる。短距離力が働く距離は、数オングストローム程度である。しかし、一般的なDFMに用いる振幅は10nm程度であり、短距離力が働く距離と比較して随分と大きい。したがって、カンチレバーの振動の一周期中で極僅かな時間のみ短距離力を検出することになる。よって、DFMは原理的に低感度な顕微法である。

検出感度を向上させるためには、低振幅化を実現し短距離力を検出している時間を長くすれば良い。低振幅化に伴い、カンチレバーの振動エネルギーが減少する。一方、探針と試料間で散逸するエネルギー量が、この振動エネルギーと比較して無視できないほど大きくなってしまうと安定した自励振動を維持することが不可能になる。よって、低振幅撮像では、バネ定数の高いカンチレバーを用いることにより振動エネルギーを大きくすることが必要である。ある一定の長さと幅を持つカンチレバーの場合、バネ定数が高くなるということは、高周波化を示している。一方、DFMの最小検出力勾配は、自励発振しているカンチレバーの熱雑音により決まる。これによると、共振周波数が高い程、検出できる力勾配は小さくなる。よって、この二つの理由よりDFMに使用するカンチレバーの共振周波数の高周波化を行うことにより、DFMの性能を向上させることが可能である。

本研究の目的は、DFMの検出感度を向上させることが目的である。そのために、共振周波数が高いカンチレバーを用いることが出来るDFMを開発する。また、開発製作したDFMにより低振幅観察を行い、その有用性を示す。

装置開発

高真空(HV)DFMと超高真空(UHV)DFMの2機種を装置開発した。変位計と自励発振フィードバックループはどちらの装置にも使用することができる。

HV-DFM

カンチレバー変位計(ヘテロダインドップラー干渉計)の光プローブユニットの焦点をカンチレバーの背面に位置決めするために、せん断ピエゾによる3軸の移動機構を有している。本装置は、大気から10-4Pa程度の高真空下で動作することができる。

UHV-DFM

HV-NC-AFM同様、光プローブの位置決めに3軸の移動機構を有している。また、カンチレバーを試料表面にアプローチさせるために1軸の移動機構を有し、合計4軸の移動機構を有している。また、高感度検出のために走査範囲の狭いスキャナーを採用した。本装置は、10-8Paより良い真空度を維持することが出来、清浄表面を観察することが可能である。

ヘテロダインドップラー干渉計

カンチレバーの振動を計測するために、ヘテロダインドップラー干渉計を用いた。この干渉計は、測定物の速度を検出するため、ある一定の振幅で振動しているカンチレバーの場合、高周波化に伴い信号強度が強まる。よって、高い共振周波数を有するカンチレバーを測定するのに適している。干渉計のビート信号の周波数を1.08 GHzと高いものを採用することで測定帯域を100 MHzまで延ばした。また、比較的共振周波数の低いカンチレバー用にビート周波数が80 MHzのものを用いた。これらの干渉計のノイズレベルが、測定帯域1kHz程度のDFM観察で使用するのに必要なノイズレベルを達成した。

自励発振フィードバック回路

カンチレバーの共振周波数が、数100kHzから100MHzと非常に幅が広いため、スパーヘテロダイン回路を用いた自励発振フィードバック回路を製作した。これにより、あらゆる共振周波数のカンチレバーの振動信号を一旦中間周波数に変換することにより、自励発振に必要な信号処理が一定の周波数で行うことが可能である。中間周波数は、10,700,000Hzを用いた。また、その中間周波数で狭帯域の位相同期ループによりカンチレバーの共振周波数を復調する回路を製作した。測定帯域と信号帯雑音比(S/N)は相反する関係である。本研究では帯域を1kHzと観察するのに必要な帯域まで絞ることにより、高いS/Nを実現した。

撮像

開発した装置の性能を示すために撮像を行った。

超低振幅撮像

撓み二次共振を使用することにより、低振幅撮像をできることを証明した。低振幅撮像を実現するためには、バネ定数の高い(1000N/m以上)カンチレバーが必要である。撓み二次は一次と比較して120倍程度高くこの条件を満たすことに着目し、使用した。撓み一次のバネ定数は40 N/m程度であるため、撓み2次のバネ定数は5000N/m程度と見積もられる。Fig. 1は、共振周波数1.6MHz振幅0.12nmで撮像したSi(111) 7x7表面上の超低振幅DFM像である。単位ユニット内のアドアトムが鮮明に観察されている。この観察はUHV-DFMで行った。

急冷Si(111)表面の観察

急冷Si(111)表面には、様々な準安定相が存在する。また、その表面には再構成できなかった多くのSiクラスターが存在する。これらのクラスターと表面の吸着エネルギーが低く、熱振動などにより簡単に移動してしまう。このことは、探針と試料間の相互作用力を利用して撮像するDFMには不利な試料であるといえる。しかし、本研究で実現した超低振幅撮像により検出感度を向上させることができため、比較的低い相互作用力でも原子分解能を取得できることがきる。Fig. 2は急冷Si(111)表面上のSiクラスターを含むc(2x8)構造の一定周波数シフト像である。Fig. 1と同様に撓み二次振動を利用して、0.6nmの振幅で撮像した。この様な面でも小振幅撮像により安定した撮像が行えた。

接触領域でのダイナミックラテラル力顕微鏡

開発したDFMは高い共振周波数のカンチレバーを使用することができる。IやIIで示した二次撓み共振以外にも、捩れ共振も使用することが可能である。捩れ共振では、探針先端は試料表面に対し水平に移動する。よって、探針と試料間の横方向の力を検出することが可能である。Fig. 3は捩れ共振周波数で発振させているカンチレバーを試料表面に接触させ、発生した周波数シフトを制御パラメータにしてHOPGの表面を撮像したものである。大きな段差は単原子ステップに対応する。Fig. 3(a)の左下に見える薄いステップ(Fig.3 (b)中の点線)は、原子ステップ以下の高さであり、2層目以下の欠陥を検出したことを示している。この観察は、HV-DFMで行った。

原子分解能ダイナミックラテラル力顕微鏡

使用したカンチレバーの撓み方向のバネ定数は40N/m程度あり、試料表面に近づけても突然の吸着``Jump-to-Contact''が起きない。この状態で、IIIと同様に捩れ振動を励起して、ラテラルフォースを検出した。Fig. 4は、この手法で撮像したSi(111) 7x7表面であり、ダイナミックラテラルフォース顕微法により取得した初めての原子分解能像である。探針の動きによりアドアトムが連結されて観察された(Fig. 4(b))。この観察はUHV-DFMで行った。

おわりに

本研究により、MHz帯に共振周波数をもつカンチレバーを使用できるDFMが実現した。これにより、高感度高分解能化のための超低振幅撮像を実現した。また、捩れ共振を利用した、原子分解能を有するラテラル顕微法を実現した。

以上のように、DFMの高周波化の有用性を装置開発およびそれを使った撮像により示した。

Fig.1 撓み二次を使用したSi(111)7´7表面一定周波数シフト像

Fig.2 撓み二次を使用したSi(111)c(2´8)表面の一定周波数シフト像

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ダイナミックフォース顕微鏡(Dynamic Force Microscopy, DFM)の高感度高分解能化を目的とした、高周波化を行った研究である。これまでに理論的側面より、高周波化を行うことは、力勾配センサーであるカンチレバーの熱雑音の影響を少なくでき、高感度高分解能化が期待できることは示されていた。また、カンチレバーの探針と試料表面間に発生する相互作用力は、ナノメート以下の領域で強い非線形性があり、一般的に用いられていた10ナノメートル程度の振幅では検出効率が悪く、低振幅化の必要性が近年報告されている。本論文により、高周波化と低振幅化を同時に満たす高真空と超高真空下で動作するDFMを開発製作することに成功した。また、カンチレバーの撓み二次振動が低振幅撮像に必要な高いバネ定数を有することに着目し、オングストローム以下の超微小振幅でSi(111)-7´7表面を撮像することに成功した。更に、微小振幅撮像により検出感度が著しく高くなるため比較的遠距離のところでも原子分解能撮像ができることに着目し、これまでDFM観察が困難であった無秩序表面である急冷Si(111)-'1´1'表面中にある様々な相を安定して撮像できることを示した。そのなかで、探針と試料表面間の相互作用力を意図的に大きくすることにより、表面の原子構造が変化することを捉えた。一方、撓み振動ではなく、捩れ振動を用いたダイナミックラテラルフォース顕微鏡によりSi(111)7´7表面の原子分解能を取得することに成功した。これらの観察結果は、開発製作したDFMが既存の装置と比較して著しく観察性能を向上させることを示すものである。

本論文は六つの章から構成されている。第一章では本研究の背景、DFMの基礎的事項とこれまでの研究状況について概観し、その中から発生した問題と本研究の目的が述べられている。第二章では、DFMの動作原理と発生する相互作用力について詳細に述べ、なぜ低振幅撮像と高周波化がDFMの高感度高分解能化に必要かをまとめてある。第三章では、低振幅かと高周波化を実現するために開発した高真空下と超高真空下で動作するDFMについて述べられている。カンチレバーの振動計測に用いたヘテロダインドップラー干渉計、DFMの機械部品、また安定した自励振動を実現するために発振回路及びその周辺回路が述べられている。第四章では、本システムを用いた観察結果に付いて述べられている。撓み二次振動を用いることにより実現した低振幅撮像によるSi(111)-7´7表面の原子分解能取得を報告している。また、この観察手法により検出感度が向上している為、比較的試料表面から離れたところでも原子分解能を取得できることに着目し、これまでDFM観察にとって困難とされていた無秩序表面である急冷Si(111)-'1´1'表面上にあるc(2´8)やO3´O3構造の原子分解能観察に付いて報告してある。その中で、急冷中に再構成できなかったシリコンのクラスターの原子分解能像について報告している。これまで走査型トンネル顕微鏡では、電荷移動のためクラスター中の全ての原子を観察することは出来なかったが、本観察により初めて全ての原子を観察することに成功したことになり、DFM観察の利点を示す典型的な観察結果である。更に、意図的に相互作用力を大きくすることにより、機械的な相互作用力によりおこなった原子構造の再構成を報告してある。一方、撓み振動ではなく捩れ振動を用いることにより、ダイナミックラテラルフォース顕微鏡を報告してある。高真空下で、グラファイト原子ステップと2層目以下に存在する欠陥に付いて観察した結果を報告してある。また、超高真空下で始めて取得した原子分解能像を報告してある。この原子分解能像は、安定したものではなかったが、単原子間に発生する摩擦力やラテラルフォースを検出できる可能性を示すには十分な観察結果であった。第五章では、各章での結論に付いてのべ、第六章では本研究により明らかになったことの更に発展できる内容に付いて提案されている。

以上のように、論文提出者は、DFMの高感度高分解能化を詳細に研究し、装置を開発し、それを用いて優位性を証明し、これからのDFMの発展する方向性の重要な知見を示した。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク