学位論文要旨



No 120713
著者(漢字) 加藤,陽一
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ヨウイチ
標題(和) 古代から中世までの思想に基づく環境影響評価法の研究
標題(洋)
報告番号 120713
報告番号 甲20713
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6133号
研究科 工学系研究科
専攻 環境海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浦,環
 東京大学 教授 湯原,哲夫
 東京大学 教授 影山,和郎
 東京大学 教授 大和,裕幸
 東京大学 助教授 高橋,淳
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

昨今、地球温暖化をはじめとして環境問題が注目の的になり、製品についても環境への影響の点からの評価が強く求められるようになった。日本の実情にあった環境影響評価法として、現在LIME(Life-cycle Impact assessment Method based on Endpoint modeling日本版被害算定型環境評価手法)が存在するが、これは巷の人たちの意見をもとにしている。環境問題は過去からの人間の行為の結果であり、現在の一部の人たちの評価だけに頼るのは危険である。さらに長期的、歴史的な視点での評価が必要である。本研究は、この問題点を解決するため、古代から中世にかけての宗教及び宗派を含む世界の思想家たち(以下「古人」という)の視点での環境影響評価法を提案する。本提案手法を用いた評価例として排水量500トン級の木造船(自然資材)とGFRP船(人工資材)の建造・廃棄段階における環境への影響を考え、提案手法から得られる評価結果について論じる。

LIMEの方法とその限界

LIMEは経済産業省主導で平成10〜14年度に構築された環境影響評価方法及びデータベースである。

LIMEにおいては、ある製品を製造するにあたって投入されたすべての資材、例えば電力を得るのに必要な原油(資源)、そして放出するCO2その他すべての環境への影響因子を抽出し、それが環境に与える負荷を調べる。その際、保護する対象として、人間健康、社会資産、植物の一次生産および生物多様性を選び、それぞれDALY、¥、NPP、EINESを指標として抽出した影響因子が各保護対象に与える環境負荷を数値化している。

つぎに、すべての影響因子による環境への負荷をこの指標ごとに集計するが、製品の環境への影響を評価するには、この指標を一つに統一(単一指標化)する必要がある。このため、LIMEでは巷の人たちへのアンケート調査で各指標間の重み付けを行い(変換係数の決定)、統一を図っている。これはすなわち保護対象に対する価値観を問うているわけであるが、母集団が一般的な巷の人たちなので、あくまでも現時点での一般的な価値観(ムード)の反映に過ぎない。すなわち付和雷同的になりやすい。つい最近までは大量生産、大量消費が美徳とされ、無駄や環境への害毒は無視されていた。それが今では正反対が正しいとされているように時代が変われば価値観も変わるので、このような短期的な視点での価値判断だけで環境影響を評価することは危険である。

古代の知恵−アンケート調査

本研究では、短期的な視点からの議論ではなく、過去の人たちであったらLIMEの質問にどういう対応をしたかを調べた。有史以来中世に至るまでの古人の残した主として和訳された文献を数百冊調査し、彼らであったらLIMEのアンケートにどう答え、その結果重み付けはどのようなものになったかを検討した。古代から中世までの思想家たち302人を調査し、210人のデータが得られた。古人は現在と同じ環境意識および価値観をもっていたわけではないので保護対象をLIMEの4つに分類することは不可能であることが明らかになった。はっきりしている区分は、人間・動物・植物・鉱物についての価値観である。本研究ではこの4項目を保護対象として、つぎのように各人の価値観を基本9、さらに派生を含め22に区分する。以下は基本である9つの区分の内容である。以下、M:人間、A:動物、P:植物、E:鉱物を表わす。

区分1 Mab(人間至上):万物は人間のために存在する。万物は人間の自由にしてよい。

区分2 Mab/M>A>P>E:人間至上主義でもあり、人間は動物より、動物は植物より、植物は鉱物より優れているということでもある。

区分3 M>A :人間は動物より知能を有する点で優れている。植物、鉱物は無視されている。

区分4 M>A>P :人間は動物より、動物は植物より優れている。鉱物は無視されている。

区分5 M>A>P>EとM>APE:アリストテレスの霊魂論及びプロティノスの能力による分け方をもとにしている。イスラムの世界及び中世西欧キリスト教社会ではこのアリストテレスの霊魂論が主流であった。またこれほどはっきり優劣はつけておらず、ただ人間は他のものより優れているという表現もこの範疇に含まれる。

区分6 M≧APE:人間と動植鉱物(他の存在)は平等であるが人間に若干の優位を認めている。仏教では輪廻において人間にのみ解脱の機会が与えられるとし、「人身得難し」との表現が多い。したがって人間に若干の優位を認めているものと考えこの範疇に含める。

区分7 M=A.:人間と動物は平等である。これには輪廻転生を人間と動物の間にのみ認めている場合が含まれる。

区分8 M=A=P:輪廻転生を鉱物には認めていない。すべての生類を植物まで含めている。

区分9 M=A=P=E:すべての存在物は平等である。

次にこの価値区分ごとに、古人に20点を与え、これをM、A、P、Eに割り当ててもらうという方法で各保護対象に対する重み付けを決定した。

たとえば、区分4においては、M>A>PかつM+A+P=20 を満足する整数の組み合わせの平均を%で表示し、これを区分4の重み付けとした。この場合M、A、P、Eは各59、29、12、0%である。20点は判断の限界と考え、平均化はバイアスをもたないという仮定である。

LIMEとの整合性−変換指数の決定

LIMEでは単一指標化の基礎としている規格値(一年間の保護対象別、すなわち指標別被害量)をわかりやすく卑近な形に変形してアンケート対象者に提示し、この被害を防ぐためにはどれだけの税金を保護対象別に支払う意志があるかという支払い意志額(Willing To Pay)形式で各保護対象の重み付けを問うている。LIMEの保護対象は本研究での保護対象と異なるのでこれをそのまま使用することはできない。このLIMEの規格値を本研究での対象ごとに分解し、これに本研究で得た価値区分ごとの重み付けを作用させて各指標間の重み付け(変換係数−単一指標)を得た。したがって、この変換係数は価値区分ごとに異なるものであり、古人の価値観を反映する。

GFRP船と木造船の建造・廃棄処分段階への応用

排水量500トン級のGFRP船(凹型を含む)と木造船の建造および廃棄処分段階における投入資材を調査した。つぎにJEMAI-LCAデータベースを用いて、各資材について天然資源まで遡って資源を抽出し、また環境への排出物及びその量(環境負荷)を同様に抽出し、それにLIMEの被害係数を作用させて指標値DALY、¥、NPP、EINESごとの環境負荷量を得た。これに本研究で作成した変換係数を作用させ単一指標化された環境負荷量を得た。これにより建造・廃棄処分段階におけるGFRP船及び木造船の環境への影響度を比較することができる。

変換係数は価値区分ごとに異なり、同一の区分に属する古人については同じ評価値を与える。比較の結果、価値区分1、3、7および3と7の平均的価値観を有する古人は木造船の方が環境に優しいと判断しているが、その他の価値区分の価値観を有する古人はGFRP船の方が環境に優しいと判断している。

このように本研究で提案している方法により、古代から中世までの宗教および宗派を含む思想家たちの眼で見た価値判断を、数値的に表わすことができるようになった。その結果、現時点での評価だけでなく、過去の思想家たちの多様な評価を提示することにより、環境評価当事者の選択の幅が拡がることになる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、工業製品の環境影響の評価を多様な価値基準に基づいておこなう手法を提案し、価値観により評価がいかに変化するかを具体例を持って示している。

日本の実情にあった環境影響評価法として、現在LIME(Life-cycle Impact assessment Method based on Endpoint modeling日本版被害算定型環境評価手法)が存在するが、これは巷の人たちの意見をもとに単一指標を得ている。環境問題は過去からの人間の行為の結果であり、現在の一部の人たちの評価だけに頼るのでは、価値観の多様性を考慮にいれることができない。すなわち、長期的、歴史的な視点で評価を考える必要がある。本論文では、この問題点を解決するため、LIMEの手法に則った上で、古代から中世にかけての宗教及び宗派を含む世界の思想家たち(以下「古人」という)の視点を導入して多様な価値観を評価に盛り込む環境影響評価法を提案している。本提案手法を用いた評価例として排水量500トン級の木造船とGFRP船の建造・廃棄段階における環境への影響を考え、提案手法から得られる評価結果について論じている。

本論文は、4部構成になっており、序章では環境評価を外観するとともに、本研究全体を概観している。第一部では、広範な古人の価値観を分析し、これを環境評価に結びつける。第二部ではLIMEの手法を分析し、これに第一部で導入した古人の価値観を織り込む手法を提案している。第三部では、提案する手法を中型の木造船とGFRP船とに適用し、提案する手法から導き出される環境評価の値を論じている。

LIMEにおいては、ある製品を製造するにあたって投入されたすべての資材の環境への影響因子を抽出し、それが環境に与える負荷を調べる。その際、保護する対象として、人間健康、社会資産、植物の一次生産および生物多様性を選び、それぞれDALY、¥、NPP、EINESを指標として抽出した影響因子が各保護対象に与える環境負荷を数値化する。つぎに、影響因子による環境への負荷をこの指標ごとに集計して単一指標化する必要があり、LIMEでは巷の人たちへの質問調査で各指標間の重み付けを行い、統一を図る。最後の段階では保護対象に対する価値観を問うわけであるが、問われる母集団が一般的な巷の人たちなので、あくまでも現時点での一般的な価値観の反映に過ぎないことを本論では指摘している。

そこで、本論では、短期的な視点からの議論ではなく、母集団を過去の人たち、すなわち前記古人に広く求め、古人であったらLIMEの質問にどういう対応をしたかを調べた。古人は現在と同じ環境意識および価値観をもっていたわけではないので、保護対象をLIMEの4つとすることはできない。そこで、本論では保護対象を人間・動物・植物・鉱物の4つとすることを提案している。古人の価値観をその対象への考え方から、基本9、さらに派生を含め22に分類している。例を挙げれば、区分1の価値観は人間のみを保護対象と考え他を無視する人間至上主義であり、区分9の価値観は4つ全てを保護対象として存在物は平等という価値観である。

次に、新たに導入した4つの保護対象に対する重み付けを各価値観区分に対して平均化する手法を用いて導いた。

LIMEでは、単一指標化の基礎としている規格値をわかりやすく卑近な形に変形してアンケート対象者に提示し、環境被害を防ぐためにはどれだけの税金を保護対象別に支払う意志があるかという支払い意志額形式で各保護対象の重み付けを問うている。本論での保護対象はLIMEの保護対象と異なるので、本論では、LIMEの規格値を本研究で提案する保護対象、人間・動物・植物・鉱物ごとに分解し、先に述べた価値観区分ごとの重み付けを作用させて各指標間の重み付け(変換係数−単一指標)を得て、単一指標化に成功している。

上記枠組みの上に立って、本論の最終段階において、排水量500トン級のGFRP船と木造船の建造および廃棄処分段階における投入資材を解析・評価している。具体的には、JEMAI-LCAデータベースを用いて、各資材について天然資源まで遡って資源を抽出し、また環境への排出物及びその環境負荷を同様に抽出し、それにLIMEの被害係数を作用させて指標値DALY、¥、NPP、EINESごとの環境負荷量を得ている。これに先に導入した変換係数を作用させ単一指標化された環境負荷量を得ている。これにより各価値観区分によるGFRP船及び木造船の環境への影響度を比較した。その結果、例えば、価値観区分1、3、7および3と7の平均的価値観を有する古人は木造船の方が環境に優しいと判断するが、その他の価値区分の価値観を有する古人はGFRP船の方が環境に優しいと判断する。また、それは、排出物の環境影響評価の値に大きく影響を受けることを示した。

以上のように、本論文では、古人を導入することで、幅広い価値観を数値的に表し、環境評価法を多面的な切り口で見ることに成功している。すなわち、本論文は、人工物の環境影響評価法を評価する新しい手法を提案し、幅広い観点にて環境を考えることを可能とし、これにより環境影響評価学の分野において新しい知見をもたらした。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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