学位論文要旨



No 120722
著者(漢字) 韓,鎮輝
著者(英字)
著者(カナ) ハン,ツンホイ
標題(和) パルスラジオリシスとレーザーフォトリシス法を用いたアルコール中の溶媒和電子の吸収スペクトル、反応性と収量の温度、圧力依存性
標題(洋) Temperature-and pressure-dependent absorption spectra,kinetics and yields of solvated electron in alcohls from room temperature to supercritical condition studied by pulse radiolysis and laser photolysis
報告番号 120722
報告番号 甲20722
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6142号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 大島,義人
 東京大学 助教授 工藤,久明
内容要旨 要旨を表示する

緒言

1960年代、溶媒和電子の存在は水のパルスラジオリシスで過渡吸収スペクトルを測定することによって確認された。その後、水以外の様々な溶媒中で溶媒和電子の存在が確認され、それらの吸収スペクトルは溶媒に依存することが知られている。その現象は溶媒和効果と呼ばれている。また、溶媒和電子のスペクトルは温度と圧力に依存することが知られた。

近年、超臨界流体は新規材料合成や分解プロセスの溶媒として有用であることから盛んに研究されている。超臨界流体は拡散速度の増加や溶解度などの物性を圧力や温度変化によって容易に変化させることができ、反応溶媒として有用である。その例としては、超臨界水中で酸素の存在下、有害化合物を完全に分解する超臨界水酸化 (SCWO)が挙げられる。一方、水と比較すると一級アルコールは低い臨界点を持ち、その反応条件の温和さから、超臨界アルコールは有機合成や新規材料合成の水に代わる反応溶媒と期待されている。

極性溶媒中での溶媒和電子の挙動を把握することから溶媒和や還元反応に関する情報を得ることができる。これまで、溶媒和電子のスペクトルは溶媒の物性を反映することからアルコール中での化学反応挙動を明らかにするプローブとして用いられてきた。また、アルコールの局所密度及びクラスターの大きさを求めるためにも有用である。これまでに、数種のアルコール中で、100oC以下の狭い温度域で溶媒和電子の挙動が測定され、温度の増加と共に吸収極大のレッドシフトが確認されている。それ以上の高温、高圧条件での報告例は少ない。

本研究ではアルコールと水との相違点、あるいは類似点を明らかにする為、様々なアルコール中での室温から超臨界状態での溶媒和電子のスペクトルの温度と圧力依存性を測定した。また、室温から超臨界中での溶媒和電子の減衰速度の温度と圧力依存性を測定や、溶媒和電子収量の温度、圧力及び密度依存性を評価した。また、パルスラジオリシスを用いての溶媒和電子の定量も世界で初めて行った。溶媒和電子の減衰過程も検討した。

実験

実験は東大原子力専攻の線形加速器またはKrFエキシマーレーザーと高温高圧セル(耐圧硝子工業)を用いて行った。高温高圧セルは400oC/40MPaまでの温度と圧力で用いることが出来る。電子ビームのエネルギーは35 MeVでパルス幅は10もしくは50 nsで、吸収線量はそれぞれ15もしくは50 Gyであった。エキシマーレーザーの波長は248 nmでエネルギーは100 mJ/pulseでパルス幅は約20 nsであった。

パルスラジオリシス法による溶媒和電子の吸収スペクトルはアルコールへの電子ビーム照射直後に測定した。圧力を一定にし、温度は室温から臨界温度以上まで上昇させながらそれぞれの温度で吸収スペクトル測定を測定した。溶媒和電子の減衰速度測定では、温度と圧力を共に変化させた。

レーザーフォトリシス実験では0.3 mM KIアルコール溶液を用いた。通常、248 nmのレーザー照射によってI-から電子が脱離し溶媒和電子が生成する。

結果と考察

溶媒和電子の吸収スペクトル

溶媒和電子のスペクトルの温度依存性

超臨界状態でもアルコールへの電子ビーム照射もしくはKIアルコール溶液へのレーザー照射直後は溶媒和電子の吸収スペクトルは明確に確認できた。全てのアルコールでは溶媒和電子の吸収極大は、定圧条件下では温度の増加と共にレッドシフトした。図1は一例としてエタノールの溶媒和電子のスペクトルの温度依存性を示している。

吸収極大波長(lmax)は22、100、150、200及び250oCでそれぞれ680、810、910、1080及び1240 nmであった。この結果は室温から超臨界状態までのエタノール中での溶媒和電子のレッドシフトは-0.82 eVであることが計算できる。加えて、高温でのスペクトルの圧力依存性も検討した。例えば、150oCではエタノールの溶媒和電子の吸収スペクトルは8から30 MPaの圧力変化で900から875 nmのブルーシフトであることが明らかとなった。これらの結果は溶媒和電子が存在する溶媒の空隙サイズが圧力増加によって狭まっていることに起因すると考えられる。

溶媒和電子の吸収エネルギーの温度依存性

アルコールやその他の溶媒の溶媒和電子のlmaxをeV単位に変換するとピークエネルギー(Emax)を得る。それらを温度の関数として図2に示した。どの溶媒の溶媒和電子もEmaxは温度に対して比例関係であることが図より分かる。それらの係数を温度係数(dEmax/dT)とする。水、メタノール、エタノールの既往の研究結果も比較のため示すと水、メタノール、エタノール1-プロパノール、2-プロパノール及び1-ブタノールのdEmax/dTはそれぞれ、-2.3、-3.1、-3.5、-3.5、-2.3及び-3.6´10-3 eV/oCとなった。これらの結果は、アルコールの温度係数はアルコールの構造による影響を受けることが分かる。一級アルコールの溶媒和電子の吸収極大は二級アルコールや水よりも温度による影響を受けやすい。

溶媒和電子の温度、圧力、密度依存性

MVまたはBPYを捕捉剤として用い、様々な温度と圧力での溶媒和電子の収量G値を求めることが出来る。その時には以下のような反応がメタノール中で存在することが確認した。

実験中では540 nmに一つの化学種の吸収のみが観測され、これはBPYH●の吸収であると同定された。そのため、G(BPYH●) = G(e-sol)と考えることが出来る。BPYH●のモル吸光係数 e を水中と同じ12,000 M-1cm-1と仮定してG(e-sol)を求めた。

ここでeTpeakは吸光係数、rTはある温度Tでのメタノールの密度である。LとDはそれぞれセルの光路長と吸収線量である。室温でのメタノールの溶媒和電子のG値は2.1であった。この値は報告値と良く一致する。図3aとbはメタノールのG(e-sol)の圧力と密度依存性を示している。

一定温度では圧力減少とともにG(e-sol)は増加する。超臨界状態では圧力が15 MPa以下に下がると圧力減少と共に急激に増加する。亜臨界及び超臨界状態ではG(e-sol)は一定密度下では温度増加と共に減少するが、一定温度下では密度の減少と共に増加する。この傾向は水和電子のG値と似た傾向である。これらの結果は局所密度効果によることや、亜臨界状態や超臨界状態では試料は液相よりも気相に近いことから説明できると考えられる。

溶媒和電子の減衰過程

水の溶媒和電子である水和電子は二次反応で減衰する。一方、アルコールの溶媒和電子は一次反応に従い減衰する。FerradiniやJay-Gerinによると室温でのメタノールのパルスラジオリシスにおいてCH3OH2+や溶媒和電子そのものと反応して減衰する初期のスパー反応を除くと、スパー反応後の時間帯では溶媒和電子は溶媒分子と反応して減衰し、溶媒和電子同士では反応しないと述べている。図4aでは様々な温度でのエタノール中の溶媒和電子の減衰プロファイルの一例を示す。圧力は8 MPaである。パルス照射直後の吸光度は明らかに温度の増加と共に減少している。これは温度増加による密度低下によるものと考えられる。図4bではエタノールの溶媒和電子のアレニウスプロットを示している。

室温から200oCでは直線に従うが超臨界状態の250oC/8 MPaでは直線から外れる。このことは250oC/8 MPaでは溶媒和電子の溶媒和クラスターの大きさが小さいため反応性が増加しているものと考えられる。加えて超臨界流体中ではいわゆる局所密度効果によって反応速度が増加することが考えられる。直線の傾きから活性化エネルギー(Ea)を計算すると室温から200oCまででは8 MPaで15.5 kJ/molとなることが明らかとなった。

上記の結果に加えて、様々なアルコール中での溶媒和電子の減衰速度の温度依存性だけではなく圧力依存性を考慮し測定を行った。超臨界状態での減衰速度はこれまで報告例が無い。代表としてエタノールでの結果を図5に示す。

一定圧力下では常に温度の増加と共に見かけの反応速度kobsは増加した。150oC以上では圧力の増加と共に減衰速度は増加した。一方、100oC以下では圧力の増加と共に減衰速度は減少した。メタノール、1-プロパノールと2-プロパノールも同様の現象を示した。これらの結果は以下のような理由によるものと考えられる。(1) エタノールの密度は圧力増加と共に増加すること、 (2) 圧力増加によって空隙サイズつまりクラスターサイズが縮まる効果が低密度側では最も大きい、といった理由である。例えば、250oCでは臨界点に近く負の活性化体積が大きいため圧力効果は更に大きい。また、100oC以下ではアルコールの粘度は圧力の増加と共に増加し、低温高密度域ではその効果が主となる。それは圧力の増加と共に減衰速度が低下していることから明らかである。また、溶媒和電子の減衰速度の圧力依存性は熱力学的圧力効果によるものとも報告されている。しかしながら、正確な減衰速度を得るためには超臨界状態のアルコールの密度を知らなくてはならない。

結論

本研究では超臨界状態のアルコール中の溶媒和電子の吸収スペクトルをパルスラジオリシス及びレーザーフォトリシスで初めて測定した。室温から超臨界までのピークエネルギーは温度の増加に反比例した。これは溶媒和電子がCTTSの性質を持っているためであると考えられる。その温度係数はアルコールの種類に依存した。

パルスラジオリシスを用いての溶媒和電子の定量も世界で初めて行った。溶媒和電子のG値は一定の温度で密度の増加と共に減少したが、一定の密度では温度の増加と共に減少した。

アルコールの溶媒和電子は溶媒との一次反応で減衰した。その減衰定数の圧力依存性は低温域と高温域で異なる傾向を示した。特に超臨界状態での局所密度効果によって反応速度が激増することが観測された。

これらの知見は高温高圧状態での溶媒和電子の反応性を明らかにするのみならず、亜臨界超臨界アルコールの溶媒としての物性を明らかにすることになる。

図1. エタノールの溶媒和電子のスペクトルの温度依存性

図2. アルコールやその他の溶媒の溶媒和電子のピークエネルギー(Emax)と温度の関係

図3. メタノールのG(e-sol)の(a)圧力と(b)密度依存性.

図4.エタノールの溶媒和電子の: (a) 減衰プロファイル; (b) アレニウスプロット

図5. エタノール中の溶媒和電子の減衰速度の温度、圧力依存性

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、各種アルコールの液相から臨界点をこえた超臨界流体状態を対象として、室温から300°Cの広い温度範囲での放射線効果、とくに放射線分解で生ずる溶媒和電子の吸収スペクトル、収量、減衰に着目し、その特性を実験的に検討したものである。

論文全体は六章からなっており、第一章は一般的な超臨界流体とその特性について説明するとともに、近年、新しい反応溶媒と新材料の創製、改質、廃棄物処理、バイオマス変換、抽出などの分野での技術開発、利用が展開されている背景を紹介している。これを踏まえ、研究の対象としてのアルコール中の溶媒和電子の現在までの研究状況を概観し、高温での実験、超臨界状態での研究はほとんどされていないこと、理論的な検討も足りないことなどが述べられ、本研究の目的を述べている。

第二章は、本研究で採用した実験手法の紹介である。時間分解吸収測定であるパルスラジオリシス、レーザーフォトリシスの概要とともに、超臨界アルコールを測定するための超臨界流体流通システムを述べている。時間分解吸収測定の原理、加速器やレーザーとの同期法についても説明を加え、使用した試料についてもまとめている。

第三章からは実験結果と議論である。第三章はメタノールを対象としており、実験結果を整理するために圧力-温度-密度の関係を算出している。収量と減衰挙動を詳細に測定した。9MPa下で、収量は200℃まではほぼ一定であるが、臨界点 (239.4℃) 直下の亜臨界領域でいったん減少するが、臨界点を過ぎて大きく収量が増加し、250℃を過ぎて減少する。温度、圧力を変化させて広範囲の条件下で測定した。この変化は水中の水和電子収量の特徴とよく一致する。さらに、減衰の圧力、温度依存性を測定した。高温ほど減衰は速くなり、複雑な挙動を示す。室温、亜臨界、臨界状態での減衰速度定数を測定し、その挙動の整理と定性的な説明をするとともに、水和電子の反応との比較をおこなっている。

第四章ではエタノール中で行った実験結果をまとめている。吸収スペクトルの高温による長波長シフト、圧力依存性を明らかにしている。収量についてもメタノー中の結果によく対応するが、収量の絶対値自体は小さい。減衰の圧力、温度依存性も詳細に測定している。

第五章は、1-プロパノール、2-プロパノール、1-ブタノールなどを対象に吸収スペクトルの温度依存性をアルコールの化学構造との相関を検討している。いずれのアルコール中でも温度上昇に伴う溶媒和電子の長波長シフトが観測される。その吸収ピークエネルギーは温度と線形であること、その傾きは第一アルコールと第二アルコール、ジオール中の溶媒和電子、さらに水和電子とは異なることから、化学構造と強い相関があることを見いだし、これらは量子化学的な計算による理論的なアプローチで説明すべきものとしている。

第六章は結論であり、広い温度範囲で各種アルコール中の溶媒和電子の吸収スペクトル、収量、減衰挙動を詳細な実験を実施したことをまとめている。これらの挙動は、細部はともかくアルコールの種類には依存しないと結論している。さらに水中の溶媒和電子である水和電子の挙動との類似点と相違についても議論し、今後の研究の展開についても考察している。

以上、要すれば本研究は溶媒和電子、さらには溶媒中の電子の挙動の理解に関する新たな展開をもたらした。これらは基礎研究から重要であるばかりでなく、将来の超臨界水冷却原子炉開発に係る超臨界水の放射線効果研究にも有益である。よって本論文は博士 (工学) の学位請求論文として合格と認められる。

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