学位論文要旨



No 120730
著者(漢字) 鄭,恵英
著者(英字)
著者(カナ) チョン,ヘヨン
標題(和) アメリカツメガエル胚を用いたFGFシグナルの原腸形成制御における機能解析
標題(洋) The role of fibroblast growth factor (FGF) signaling in the regulation of gastrulation in Xenopus
報告番号 120730
報告番号 甲20730
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6150号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 助教授 上田,宏
 東京大学 講師 新海,政重
 自然科学研究機構 教授 上野,直人
内容要旨 要旨を表示する

生物の形作りの仕組みは、厳密な遺伝子発現の制御による細胞分化と、これら細胞の秩序正しい運動や巧妙な相互作用による位置情報獲得が基本である。原腸形成は発生過程における最初の形態形成であり、これにより球状の受精卵は外胚葉、中胚葉、内胚葉の三胚葉を有する桿状の胚へと変化する。原腸形成の制御機構の解明に関わる様々な研究がなされ、Wnt, FGF, BMP等の細胞増殖因子が非常に大事な役割を担っている。初期発生において、FGF(線維芽細胞増殖因子, Fibroblast growth factor)はRas-MAPK依存的に中胚葉誘導やパターン形成を制御することが以前から知られていた。近年、FGFがMAPK非依存的に原腸形成運動制御にも関わっていることを強く示唆する論文が報告されている。FGFの標的因子であるXsprouty2の機能解析により、胚を前後方向に伸長させるのに最も重要であると言われている収斂と伸長(convergent extension、以下CEとする)の阻害が報告された。しかしながら、発生過程で様々な機能を担うFGFシグナルがどのように制御され、どうのように相互作用しているのかはまだ未知の部分が多い。そこで、FGFシグナルを非可逆的に阻害できる化学的阻害剤とゲノムレベルの網羅的な解析が可能であるcDNA microarray法を駆使し、初期発生過程、特に原腸形成におけるFGFシグナルの機能解析を試みた。

ツメカエルの原腸10.5胚から切出したKeller explantをDMSOと阻害剤であるSU5402を添加、原腸胚11.5になるまで培養し、組織からmRNAを抽出した。NIBB 4.6K non-redundant cDNA microarrayを利用し、遺伝子の発現変化を検討した。その結果DMSOに比べ2倍以上または2倍以下遺伝子発現の変動が見られた、43個の遺伝子が同定された。そのうち38遺伝子は2倍以上の発現上昇が、5遺伝子は2倍以下の発現減少が見られた。BLAST 検索を行った結果、同定された因子群は機知のFGF標的因子も多数含まれており、全体の約6割が未知の因子だった。次にwhole-mount in situ hybridization法を用い、これら遺伝子の時間的、空間的な発現パターンを調べた。発現パターンを解析することで、これら因子がつどのような制御に関わっているのかが推定できると思われる。さらに、これら遺伝子はFGFR1の標的遺伝子として同定されたことから、FGFR1の機能との密接な関係にあると考えられる。各々の発現パターンの比較を行った結果、特に原腸胚でFGFR1と類似の発現パターンを示す6個の新規遺伝子を同定した。これら新規遺伝子群をsynexpression factor(共発現因子群)とする。

次に、新規遺伝子とFGFシグナルの関連をもっと詳しく調べるため、FGFシグナルの標的因子であるXbra、Xspry2、Xmcを予定外胚葉や背側中胚葉に顕微注入し、新規遺伝子の発現量を調べた。新規遺伝子のうちXmig6と名づけた因子のみXbraによる発現上昇が見られ、他の因子に関しては発現量の変化は認められなかった。これら新規遺伝子群の発現がMAPKの活性に依存しているかどうかをMAPKKの阻害剤である、U0126を用いて発現量の変化を調べた。すると、新規因子のうちXmig6のみがU0126添加により、発現が著しく減少した。即ち、新規FGFの標的因子Xmig6はMAPK依存的にFGFシグナルによって制御される。さらに解析を進め、Xmig6はXbraの下流因子であり、筋分化に関わっていることが解った。これに対しG protein coupled receptor 4タンパク質をコードする新規因子XGPCR4はMAPK非依存的な経路で転写調節され、原腸形成における細胞運動を制御していることが解った。阻害剤を使うことで、FGFシグナルの時期と領域特異的な機能を調べることができた。

また、microarrayを使うことで、FGFシグナルをゲノムレベルで網羅的に解析することが可能である。この結果は今回の実験方法が発生過程特に、原腸形成におけるFGFシグナルの多様な機能を知る上で有効なツールであると言えるだろう。

次に、FGFR1のsynexpression因子であるNRHに注目した。NRHは原腸胚初期にblastoporeの周りに発現し、in situ hybridizationを行った胚のcross-sectionからその発現パターンを詳しく調べた結果、背側中胚葉に強く発現が認められ、神経胚では後方側とaxial mesoderm, midlineに強く発現が見られた。NRHはN末端側にcystein repeats、C末端にdeath domainとPDZ motifを持つ一回膜貫通型のタンパク質をコートする。antisense morpholino oligonucleotide(以下Moとする)による機能阻害実験の結果、前後軸が短くなる表現形やspina bifidaの表現形が見られたのと共に、CEの際背側中胚葉細胞群が内外側方向に微小突起を形成し相互に滑りこむ細胞運動であるintercalationが阻害された。NRH Moが導入された背側中胚葉細胞は微小突起を消失しており、この表現形は全長のNRHと細胞内領域により回復した。また、このような微小突起形成にはWnt/PCP経路が重要な役割を果たしていることが知られていたので、NRHとWnt/PCP経路の関係を調べた。結果、両者は微小突起形成において、協調的な作用があり、低分子長GTPasesのRhoとRacがその下流で細胞骨格を制御していることが今回の実験により明らかになった。面白いことに、NRHはFGFシグナル依存的な微小突起形成を正に制御しており、mRNAを顕微注入することでSU5402処理に伴う微小突起消失を救済できた。

今までの研究により初期発生におけるFGFシグナルの(1)時間的、空間的制御パターンを網羅的解析、(2)その過程で細胞分化や誘導に関わるcanonicalと細胞運動と骨格制御に関わる non-canonical経路に分かれる、(3)細胞運動と骨格制御に重要な役割を果たす分子NRHがFGFシグナルの下流で、FGFシグナルによる細胞運動と骨格制御を制御するkey moleculeであることを明らかにした。また、細胞増殖因子の機能はショウジョウバエから人間までよく保存されており、これら因子の制御異常による先天的疾患やがん化などが数多く報告されているため、FGFシグナルを網羅的に解析することで、医学的応用にも繋がることを期待している。今後はFGFシグナルが原腸形成の細胞運動と極性を制御するのにどのように関わっているのかについてさらに解析を続ける予定である。

審査要旨 要旨を表示する

生物の形作りの仕組みは、厳密な遺伝子発現の制御による細胞分化と、これら細胞の秩序正しい運動や巧妙な相互作用による位置情報獲得が基本である。原腸形成は発生過程における最初の形態形成であり、これにより球状の受精卵は外胚葉、中胚葉、内胚葉の三胚葉を有する桿状の胚へと変化する。原腸形成の制御機構の解明に関わる様々な研究が行われ、Wnt、 FGF、BMP等の細胞増殖因子が非常に大事な役割を担っていることが明らかにされている。初期発生において、FGF(線維芽細胞増殖因子, Fibroblast growth factor)はRas-MAPK依存的に中胚葉誘導やパターン形成を制御することが以前から知られていた。近年、FGFがMAPK非依存的な原腸形成運動制御にも関わっていることを強く示唆する論文が報告されている。FGFの標的遺伝子であるXsprouty2の機能解析により、この遺伝子産物が胚を前後方向に伸長させるのに最も重要であると言われている収斂と伸長(convergent extension)を阻害することも報告されている。しかしながら、発生過程で様々な機能を担うFGFシグナルがどのように制御され、どのように他のシグナル経路と相互作用しているかは、未知の部分が多い。

そこで、本研究ではアフリカツメガエルの受精卵を材料として、FGFシグナルを不可逆的に阻害できる化学的阻害剤とcDNA microarray法を用い、FGFシグナルの阻害によって転写量が増減する遺伝子群をゲノムレベルでの網羅的解析によって同定し、その中の幾つかの新規遺伝子について初期発生過程の原腸形成における機能解析を行っている。さらに、原腸胚初期に背側中胚葉に強く発現が認められ、神経胚では後方側とaxial mesoderm, midlineに強く発現が見られるNeurotrophin receptor homolog (NRH) 分子の機能解析を試み、NRH分子がFGFシグナルの下流で細胞運動と細胞骨格形成を制御する鍵分子であることを明らかにしている。

第1章では研究の背景、研究目的について述べている。

第2章では、FGFシグナルの阻害によって転写量が増減する遺伝子群の同定とFGFシグナルとの関連、機能解析を行っている。すなわち、アフリカツメガエルの原腸胚10.5から切出したKeller explantにFGF receptor (FGFR) 細胞内ドメインのリン酸化阻害剤であるSU5402またはコントロールとしてDMSOを添加した後、原腸胚11.5になるまで培養した組織からmRNAを抽出している。cDNA microarrayを利用し、遺伝子の転写量の変化を検討した結果、コントロールとしてのDMSOを添加した場合に比べて2倍以上または2倍以下の遺伝子転写量の変動が見られた43個の遺伝子を同定している。そのうちの38個の遺伝子は2倍以上の転写量の上昇が、5個の遺伝子は2倍以下の転写量の減少が観察されている。BLAST検索を行った結果、同定された遺伝子群の中には既知のFGF標的遺伝子も多数含まれていたが、全体の約6割が未知の遺伝子であったと述べている。

次に、これらの未知遺伝子がどのような制御に関わっているのかを推定するために、in situ hybridization法を用い、これら遺伝子転写産物の時間的、空間的な発現パターンの解析を行っている。さらに、これらの遺伝子がFGFR1の標的遺伝子として同定されたことから、FGFR1の機能と密接な関係にあると考え、各々の発現パターンの比較を行い、特に原腸胚の原口周辺でFGFR1遺伝子と類似の発現パターンを示す6個の新規遺伝子を同定し、共発現因子群と命名している。

新規遺伝子群とFGFシグナルとの関連をさらに詳しく調べるため、FGFシグナルの既知の標的遺伝子であり、細胞分化・誘導に関わるXbra、ならびに細胞運動と細胞骨格形成制御に関わるXspry2、Xmcを予定外胚葉や背側中胚葉に顕微注入し、新規遺伝子群転写産物の発現量の変化をRT-PCR法により測定している。その結果、新規遺伝子群のうちXmig6と名づけた因子のみXbraによる転写産物の発現量の上昇が見られ、他の因子に関しては発現量の変化は認められなかったと述べている。次に、これら新規遺伝子群の発現がMAPKの活性に依存しているかどうかを明らかにするために、MAPKKの阻害剤であるU0126を用いて発現量の変化を調べ、Xmig6のみがU0126添加により発現が著しく減少することから、FGFの新規標的遺伝子Xmig6はMAPK依存的にFGFシグナルによって制御されると結論づけている。さらに、Xmig6がXbraの下流因子であり筋分化に関わっていることも示している。一方、G protein coupled receptor 4 (GPCR4) タンパク質をコードする新規遺伝子XGPCR4はMAPK非依存的な経路で転写調節され、原腸形成における細胞運動を制御していることを明らかにしている。

このように、FGFR細胞内ドメインの阻害剤とcDNA microarrayを用いた解析により、FGFシグナルによって転写制御される遺伝子群をゲノムレベルで網羅的に解析することが可能であり、今回用いた実験手法が発生過程、特に、原腸形成におけるFGFシグナルの多様な機能を知る上で有効なツールとなると結論づけている。

第3章では、FGFR1の共発現因子であり、原腸胚初期に原口の周りに発現するNeurotrophin receptor homolog (NRH) 遺伝子に注目し、その発現パターンの解析、NRH遺伝子のmRNAおよびアンチセンスオリゴヌクレオチドを用いた遺伝子機能増強・阻害実験、NRH遺伝子の部分的欠失体を用いた機能性ドメイン解析実験などから、原腸形成におけるNRHの機能を検討している。すなわち、in situ hybridizationにより原口周辺でのNRH遺伝子転写産物の発現パターンを詳しく調べた結果、背側中胚葉に強く発現が認められ、神経胚では後方側とaxial mesoderm, midlineに強く発現が見られることを示している。また、NRH遺伝子のアンチセンスオリゴヌクレオチドによる機能阻害実験の結果、原腸胚の前後軸が短くなる表現形や彎曲した表現形が見られると共に、convergent extensionの際に、背側中胚葉細胞群が内外側方向に微小突起を形成し相互に滑りこむ細胞運動であるインターカレーションが阻害されることを見出している。この時、背側中胚葉細胞は微小突起を消失するが、全長のNRHあるいはNRH細胞内ドメインの遺伝子のmRNAを細胞内へ導入すると微小突起の形成が回復するため、この表現型はNRHの細胞内ドメインの機能に起因すると結論づけている。また、このような微小突起形成にはWnt/Planar cell polarity (PCP) 経路が重要な役割を果たしていることが知られているため、NRHとWnt/PCP経路の関係を調べた結果、両者は微小突起形成において協調的な作用があり、低分子量GTPaseのRhoとRacがその下流で細胞骨格形成を制御していることを明らかにしている。以上の結果に基づき、NRHはFGFシグナル依存的な微小突起形成を正に制御する分子であると結論づけている。

第4章では、本論文の総括と展望を述べている。

以上、本論文は初期発生過程においてFGFシグナルによって(1)時間的、空間的に転写制御を受ける遺伝子群の網羅的解析、(2)細胞分化や誘導に関わる遺伝子群と細胞運動と細胞骨格形成制御に関わる遺伝子群の同定を行い、(3)NRHがFGFシグナルの下流で、FGFシグナルによる細胞運動と細胞骨格形成を制御する鍵分子であることを明らかにしたものである。細胞増殖因子の機能はショウジョウバエから人間までよく保存されており、増殖シグナルに関わる因子の制御異常による先天的疾患やがん化などが数多く報告されているため、これらの成果は医学的応用にも繋がるものであり、化学生命工学分野の発展に寄与するところが大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格であると認められる。

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