学位論文要旨



No 120737
著者(漢字) 古川,柳蔵
著者(英字)
著者(カナ) フルカワ,リュウゾウ
標題(和) 企業内サイエンティストがイノベーションに果たす役割
標題(洋)
報告番号 120737
報告番号 甲20737
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第6157号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 後藤,晃
 東京大学 教授 馬場,靖憲
 東京大学 教授 渡部,俊也
 東京大学 助教授 元橋,一之
 一橋大学 教授 長岡,貞男
内容要旨 要旨を表示する

本研究では、企業において研究成果を論文として公に発表する研究者に焦点を当てることによって、企業における論文発表がイノベーションにどのような役割を果たすのかについて明らかにすることを目的とする。

企業の研究者による論文発表は、企業が自らの研究開発の成果を特許や企業機密という形で企業内に占有するのではなく、広く世の中に公表する行動である。企業の研究者による論文発表は広く学界や産業界に影響を与える。しかし、企業では、このような研究者による広く世の中に研究成果を公表する行動を研究者の社外活動の一つとして許可することが多い。それでは、なぜ、多数の学術論文を発表する、あるいはその論文が多数の他の研究に引用され、学界に強い影響を与えている企業の研究者が存在するのか。なぜ、企業は研究者の論文発表を許容し、さらにはそのような行動を支援すらしているのであろうか。企業の研究者による論文発表がイノベーションにつながるメカニズムはどのようになっているのであろうか。

例えば、日立製作所や武田薬品工業といった独自の研究所を持つ研究開発型企業には、特に多数の学術論文を発表する研究者、あるいはその論文が他の研究に特に多く引用されている、いわゆる'企業内サイエンティスト'と呼ぶべき研究者が存在する。このような研究者は多くの場合、企業にとって知識を占有することができる特許を数多く出願しているわけではない。利益を追求する企業内で企業に対する直接的な貢献を示しにくい、このような企業内サイエンティストは、企業のイノベーションに必要不可欠な存在なのだろうか。

このような研究者は、大学や公的研究機関の研究者と同様に、研究開発成果の中で、真理の追究や生じる現象の原理の解明等といった科学的な側面を持つ部分について自ら属する学会で発表する傾向があり、企業は研究者のそのような行動を社内の規定で定めた範囲内で許可することがほとんどである。企業では、このような研究者の論文発表を許可する理由として、我々が行った企業へのインタビューでは次のような意見が多く聞かれた。すなわち、企業の研究者も研究者である以上、自分の研究成果を発表したいという希望を持っており、これを禁止することは企業の研究者のモラールを低下させてしまう。そこで、研究者がやる気をなくさないようにマネジメントするために研究者の論文発表を許容している、というものである。しかし、企業が研究者の論文発表を許可する理由はそれだけなのだろうか。むしろ、企業にとって研究者の論文発表を許可する積極的な理由が他にあるのではないだろうか。そして、このことは企業のイノベーション・プロセスの重要な側面を理解することとかかわっているのではないだろうか。

本研究は、このような企業にとっての論文発表の意味、企業内サイエンティストの存在意義に関する疑問にこたえると共に、イノベーションの実現に対する企業内サイエンティストの役割について、定量的なデータに基づいて検討することを目指した。

第1章では、企業において多数の論文を発表し、その研究が他の研究に多数引用される研究者が、企業の外部と内部の知識の流れをつなぎ、社外の高度な知識を社内の共同研究者に移転することによって、共同研究者のイノベーションを促進させる役割を果たしていることを作業仮説として設定し、我々は、このような研究者を'コア・サイエンティスト'と新規に定義した。コア・サイエンティストの論文発表が企業のイノベーションにつながるメカニズムについて次のような作業仮説を考える。企業の研究者は、社内の共同研究者と共に研究開発を行う。その研究開発成果の特許権を得るために、研究者は特許を出願する。その後に、研究者は論文の執筆作業を行い、各企業で定められた社外発表規定に従い、社外発表の許可を企業からもらう。その上で、企業の研究者は論文発表を行う。公開された論文を様々なセクターの研究者が読むことになる。この論文を読んだ研究者がその論文の内容を評価し、その中にはその論文を引用する研究者も現れる。それの積み重ねが、研究者の論文の被引用数(その論文が他の研究に引用される件数)を年々増加させる。このように、企業の研究者の論文発表はその研究者が社外の高度な知識を獲得する機会を増加させる。外部知識を獲得する機会の増加の程度は、論文の数と論文の質に大きく依存する。特に、コア・サイエンティストはその論文の数が多い、または論文の被引用数が多いため、社外の高度な知識を獲得する機会が多い。研究者はその機会を利用して外部知識を獲得する。その獲得した知識は研究者によって加工され、研究者の判断で同一企業内の共同研究者に移転される。社外の高度な知識には、暗黙知が多い。この暗黙知は同一企業内の共同研究者に対してより伝わりやすい。従って、同一企業内の共同研究者においては、研究者から移転された知識を利用することによって、技術の発明と特許出願が促進される「特許出願促進効果」が存在すると考えた。

第2章では、この作業仮説に基づき、日本の電機企業10社の実証研究を行った。各企業において、最も多数の論文を発表し、あるいは、その論文が最も多数の研究に引用される研究者をCSと定義し、CSと共同研究者を介したイノベーションへの貢献について分析を行った。その結果、CSは、企業内においてそれほど多数の特許を出願しているわけではないが、社内の共同研究者に対して特許出願を促進するプラスの効果をもたらすことを示した。特に、被引用数や平均被引用数の高いCSには共著者に対する強い特許出願の促進効果が存在すること、また、CSは、大学でなされている研究成果を自分の研究の基盤としてより多く活用し、これらの外部知識がさらにCSから共著者へ伝播していることを示唆する結果を得た。インタビュー調査による事例研究により、CSが外部知識を獲得する機会を増加させるプロセスとしては、論文発表や学会発表等の研究成果を公表する活動が重要であることを示した。また、これらの外部知識は、さらにCSから共著者へ伝播している可能性があることが論文、特許データ及び事例研究により示唆された。

第3章では、日本の製薬企業5社の実証研究を行った。第2章と同様の方法で、各企業において、最も多数の論文を発表し、あるいは、その論文が最も多数の研究に引用される研究者をCSと定義し、CSと共同研究者を介したイノベーションへの貢献について分析を行った。その結果、電機企業の実証研究と同様に、CSは、企業内においてそれほど多数の特許を出願しているわけではないが、社内の共著者に対して特許出願を促進するプラスの効果をもたらすことを示した。被引用数や平均被引用数の高いCSには強いプラスの効果が存在することを示した。

第4章では、企業の中で論文指標が最も高いCSだけでなく、少し対象範囲を広げて、論文指標が「高い」研究者との研究活動の傾向や外部知識との関係について、質問票調査により分析を試みた。ここでは、「論文数」、「被引用数」、「平均被引用数」で各社で上位20位に含まれる研究者を'企業内サイエンティスト'と定義した。分析の結果、電機企業10社と製薬企業5社の企業内サイエンティストは、国内外留学の経験者の割合が多いため、異動や転職の少ない研究部門内での長期的な研究活動を行う環境においても、大学とのつながりを構築できたことが示唆された。もちろん、通常の研究者も論文を発表し、外部の知識を獲得することはできるが、企業内サイエンティストは、質の高い研究成果の論文発表を行うことによって、重要な研究成果を社外に公表してしまうが、社外の科学コミュニティーと強固なつながりを構築し、そこから高度な知識を獲得することができることが示唆された。

第5章では、電機企業のCSは共著者への特許出願促進効果だけでなく、企業にとって価値の高い海外出願で企業に貢献していることを示した。CSの共著者についても同様に海外出願で企業に貢献していた。しかし、製薬企業のCSは企業にとって価値の高い海外出願で必ずしも企業に貢献しているとは言えないことが示唆された。CSの共著者についても同様に、海外出願で必ずしも企業に貢献しているとは言えないことが示唆された。CSとその共著者の論文数及び国内外の特許出願数の企業内シェアの分布を比較したところ、電機企業の場合はCSとその共著者の分布は明らかな違いは見られず、類似した分布を示していたが、製薬企業の場合はCSとその共著者の分布は明らかな違いが示された。製薬企業のCSは論文数で企業に貢献している一方、CSの共著者は特許出願数で企業に貢献していることが示された。

第6章では、電機企業のCSと製薬企業のCSのこれまでの実証研究の結果の比較分析を行った。そこで、CSの特許出願促進効果は、研究開発組織及び技術の要因に大きく影響しているという解釈を提示した。製薬企業のCSは、電機企業よりも科学に関係の深い研究を行っていること、また研究者が研究開発組織の中で役割分担をしていることがその違いを生む要因となっていることが示された。

以上より、企業内サイエンティストは、質の高い論文発表を通して、高度な外部知識を獲得し、質の高い技術を発明する役割を果たすとともに、共同研究者に対して外部知識を移転することで、特許出願促進効果をもたらす役割を担っていることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、研究成果を論文として発表する企業の研究者に焦点を当て、企業における論文発表がイノベーションにどのような役割を果たすのかについて明らかにすることを目的とする。

第1章では、企業において多数の論文を発表し、その研究が他の研究に多数引用される研究者が、企業の外部と内部の知識の流れをつなぎ、社外の高度な知識を社内の共同研究者に移転することによって、共同研究者のイノベーションを促進させる役割を果たしているという作業仮説を設定し、このような研究者を'コア・サイエンティストCS'と定義した。

第2章では、この作業仮説に基づき、日本の電機企業10社において、最も多数の論文を発表し、あるいは、その論文の被引用回数が最も多数の研究者を具体的にCSと定義し、イノベーションへの貢献について分析を行った。その結果、CSは、多数の特許を出願しているわけではないが、共同研究者に対して特許出願を促進するプラスの効果をもたらすことを示した。また、CSは、大学の研究成果を活用し、これらの外部知識がさらにCSから共著者へ伝播することを示唆する結果を得た。事例研究により、論文発表や学会発表等の研究成果を公表する活動が重要であること、これらの外部知識は、さらにCSから共著者へ伝播している可能性があることが示唆された。

第3章では、第2章と同様の方法で日本の製薬企業5社の実証研究を行った。その結果、電機企業の実証研究と同様に、CSは多数の特許を出願しているわけではないが、社内の共著者に対して特許出願を促進するプラスの効果をもたらすことを示した。

第4章では、企業の中で論文指標が最も高いCSだけでなく、対象範囲を広げて、論文指標が「高い」研究者との研究活動の傾向や外部知識との関係について、質問票調査により分析を試みた。「論文数」、「被引用数」、「平均被引用数」で各社で上位20位に含まれる研究者を分析した結果、電機企業10社と製薬企業5社のこれら研究者は、国内外留学の経験者の割合が多いため、大学とのつながりを構築できたことが示唆された。

第5章では、電機企業のCSは共著者への特許出願促進効果だけでなく、企業にとって価値の高い海外出願でも企業に貢献していることを示した。しかし、製薬企業のCSは企業にとって価値の高い海外出願で必ずしも企業に貢献しているとは言えない。製薬企業のCSは論文数で企業に貢献している一方、CSの共著者は特許出願数で企業に貢献していることが示された。

第6章では、電機企業のCSと製薬企業のCSの比較分析を行った。そこで、CSの特許出願促進効果は、研究開発組織及び技術の要因に大きく影響しているという解釈を提示した。製薬企業のCSは、電機企業よりも科学に関係の深い研究を行っていること、また研究者の研究開発組織の中の役割分担がその違いを生む要因であることが示された。

以上より、企業内サイエンティストは、質の高い論文発表を通して、高度な外部知識を獲得し、質の高い技術を発明する役割を果たすとともに、共同研究者に対して外部知識を移転することで、特許出願促進効果をもたらす役割を担っていることが示された。

よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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