学位論文要旨



No 120739
著者(漢字) 森川,滋
著者(英字)
著者(カナ) モリカワ,シゲル
標題(和) HMG-GoA 還元酵素阻害剤による肝細胞株及び血管内皮細胞における遺伝子発現変動の解析
標題(洋)
報告番号 120739
報告番号 甲20739
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第6159号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 特任教授 酒井,寿郎
 東京大学 助教授 芹澤,武
内容要旨 要旨を表示する

高齢化社会である日本における死因の2位3位を占めるのは心疾患と脳血管疾患であり、どちらも動脈硬化が原因となって起る血管の病気である。大規模疫学調査より動脈硬化の発症・進展は高脂血症が危険因子であることが分っている。また、血液中の総コレステロール、特に低密度リポ蛋白質(LDL)コレステロールを低下させることにより、動脈硬化を予防することが可能であることが確認されている。

コレステロールは食事によって摂取されるだけでなく、生体内の特に肝臓において合成される。コレステロール及びその合成過程の代謝産物は、生体にとって必須の物質であるが、過剰のコレステロールは動脈硬化を引き起こす原因であるため、一定の濃度に抑制する必要がある。コレステロール生合成の重要な律速酵素として3-hydroxy-3-methylglutaryl coenzyme A (HMG-CoA)をメバロン酸に還元するHMG-CoA還元酵素がある。HMG-CoA還元酵素を阻害することにより、生体内でのコレステロール合成は抑制される。そして、LDL受容体は活性化され、血液中のLDLの細胞内への取り込みは促進され、血清総コレステロール値及びLDL コレステロール値を低下させることができる。

HMG-CoA還元酵素阻害剤は、1973年のメバスタチンの発見を初めとして開発された高脂血症治療薬である。現在、世界において広くコレステロール代謝異常の是正と動脈硬化の予防、治療に使用され、単一薬剤で1兆円を超えるなど世界最大の市場規模をもつ医薬品となっている。また、各国で90年代から大規模臨床使用の調査が行われ、2つの課題が提起されている。

第一は筋肉障害の副作用である。70年代の開発当初の山本、遠藤らによる使用第一例から、過度のコレステロール合成抑制は筋肉の障害をもたらすことが注目され、HMG-CoA還元酵素阻害剤の使用は、筋肉障害を起さないレンジに止めることが求められている。しかし、世界での大規模なHMG-CoA還元酵素阻害剤の使用により横紋筋融解症の発症頻度は6千例に1例程度と推定され、我が国でも毎年各種HMG-CoA還元酵素阻害剤で数十名の重症筋肉障害の副作用例が報告されている。

筋肉障害の発症機構は正確には同定されていないが、これまでの研究から筋肉の細胞はコレステロール合成阻害に敏感に反応し、致死性の細胞障害が引き起こされる。しかし筋肉の障害を起さない状態において、肝臓のLDL受容体を誘導し、血液中のLDLコレステロールを低下させることが可能であることが示されている。そこで、肝細胞において同じ程度のコレステロール合成阻害の濃度で、LDL受容体遺伝子発現をより誘導できれば、安全で有効性の高いコレステロール代謝制御剤となる可能性がある。

第二はpleiotropic effect(多面的作用)と呼ばれるコレステロール低下以外の作用である。これは最初、HMG-CoA還元酵素阻害剤の大規模臨床成績の解析においてコレステロール値の低下から予測される以上に心血管病変のイベント減少が観察され、生存率が延長したところから注目された。HMG-CoA還元酵素阻害剤の投与により、凝固系の抑制、血管収縮の抑制などに関る遺伝子や蛋白の変動が観察されたことである。しかしこの多面的作用のヒト細胞における全体像は不明であり、また個々の遺伝子変化のメカニズムは不明である。

そこで本研究の目的を、HMG-CoA還元酵素阻害剤の安全で有用性の高い使用方法の分子生物学基礎を明らかにすることとした。

まず、ヒト培養肝細胞HepG2におけるHMG-CoA還元酵素及びLDL受容体mRNAレベルの変動の正確な測定を、RNaseプロテクションアッセイ法を用いて確立した。5つのHMG-CoA還元酵素阻害剤を比較し、添加24時間後においてHMG-CoA還元酵素のmRNA量変化についてはプラバスタチン以外のHMG-CoA還元酵素阻害剤間に差はなかった。一方、LDL受容体の発現誘導に関して、ピタバスタチンは他のHMG-CoA還元酵素阻害剤よりも低濃度(0.1 μM)から有意に誘導した。また、経時的検討より、ピタバスタチンは他のHMG-CoA還元酵素阻害剤よりも持続的にLDL受容体の発現を誘導した。50%コレステロール合成阻害濃度(IC50)の200倍濃度では、ピタバスタチンはアトルバスタチン及びシンバスタチンよりもLDL受容体の発現を有意に誘導した。さらに、ピタバスタチンは他のHMG-CoA還元酵素阻害剤に比べmRNA 誘導のみならず、LDL受容体を活性化していることを、LDL 分解アッセイにより証明した。

次に、HepG2と血管壁細胞(正常ヒト臍帯血管由来内皮細胞、正常ヒト冠状動脈平滑筋細胞)での、HMG-CoA還元酵素阻害剤による遺伝子発現の変動を系統的に測定し、多面的作用とよばれる遺伝子変動がどのような細胞において、どのような遺伝子が、いつ、どの程度の変化を起しているかを、DNAマイクロアレー技術を用いて検討した。HMG-CoA還元酵素阻害剤は血管壁の細胞において、プラスミノーゲン活性化阻害因子1を抑制し、トロンボモジュリンを誘導することにより抗凝固作用、エンドセリン1を抑制し、一酸化窒素合成酵素を誘導することにより血管収縮抑制作用、単球遊走蛋白1を抑制することにより抗炎症作用を有することが分った。すなわち、HMG-CoA還元酵素阻害剤は血管壁細胞の遺伝子発現を変えることにより、臨床的に効果をもたらすことが明らかとなった。また、この効果はHepG2では観察されず血管壁細胞に特徴的な効果であった。

最後に、血管内皮細胞における網羅的解析より、新たにHMG-CoA還元酵素阻害剤の作用として見出されたKruppel-like factor 2 (KLF2)の誘導及びpentraxin 3 (PTX3)の抑制について、HMG-CoA還元酵素阻害剤による制御の分子機構を検討した。KLF2は血管形成に重要な転写調節因子であり、PTX3は急性期炎症蛋白である。KLF2及びPTX3のピタバスタチンによる変動は、特にゲラニルゲラニルピロリン酸によって回復した。他の阻害剤を用いた実験よりファルネシルピロリン酸及びゲラニルゲラニルピロリン酸によって修飾される低分子G蛋白質が重要であることが示唆された。また、ピタバスタチンによるKLF2誘導はKLF2mRNAの安定化によるものではなかった。一方、ピタバスタチンはTNFα及びIL1β刺激で誘導されるPTX3を抑制したが、PTX3の抑制はPTX3mRNAの不安定化によるものではなく、何らかの蛋白合成を必要とした。

以上の検討により、HMG-CoA還元酵素阻害剤は肝臓に作用してLDLコレステロールを低下させるだけではなく、血管に作用して遺伝子発現を調節し、動脈硬化を改善することが明らかとなった。今回の研究で示されたHMG-CoA還元酵素阻害剤による遺伝子発現の制御の解明は、有効で安全な治療法開発の基礎として重要であると共に、その分子機構の正確な解明は今後の課題である。

審査要旨 要旨を表示する

HMG-CoA還元酵素はコレステロール合成の初期段階であるHMG-CoAからメバロン酸への変換を触媒し、コレステロール合成の律速酵素である。HMG-CoA還元酵素阻害薬はHMG-CoA還元酵素を拮抗的に阻害し、コレステロール産生を抑制する。HMG-CoA還元酵素阻害剤は、現在、世界において広くコレステロール代謝異常の是正と動脈硬化の予防、治療に使用され、世界最大の市場規模をもつ医薬品となっている。また、各国で90年代から大規模臨床使用の調査が行われ、筋肉障害の副作用及びpleiotropic effect(多面的作用)と呼ばれるコレステロール低下以外の作用の2課題が提起されている。

そこで、HMG-CoA還元酵素阻害剤が多数の遺伝子発現の変動をもたらすことに注目し、系統的な遺伝子発現の解析からスタチンの安全で有用性の高い使用方法の分子生物学基礎を明らかにするため実験を行い、以下の3つの結果が得られた。

まずヒト培養肝細胞HepG2におけるHMG-CoA還元酵素及びLDL受容体mRNAレベルの変動の正確な測定を、RNaseプロテクションアッセイ法を用いて確立した。次に5つのHMG-CoA還元酵素阻害剤(1μM)を比較した。経時的検討より、ピタバスタチンは他のHMG-CoA還元酵素阻害剤よりも持続的にLDL受容体の発現を誘導した。50%コレステロール合成阻害濃度(IC50)の200倍濃度(臨床における肝臓の推定濃度)では、ピタバスタチンはアトルバスタチン及びシンバスタチンよりもLDL受容体の発現を有意に誘導した。

各種HMG-CoA還元酵素阻害剤でのHepG2におけるLDL受容体遺伝子の誘導の程度は異なり、LDL受容体の誘導は臨床的に有用な可能性がある。ピタバスタチンは臨床に用いられている範囲で、同程度のコレステロール合成阻害を起す濃度で、最も顕著にLDL受容体遺伝子を誘導し、LDLを取込み、分解し、活性を上昇させた。

HepG2と血管壁細胞(正常ヒト臍帯血管由来内皮細胞、正常ヒト冠状動脈平滑筋細胞)での、HMG-CoA還元酵素阻害剤による遺伝子発現の変動を系統的に測定し、多面的作用とよばれる遺伝子変動がどのような細胞において、どのような遺伝子が、いつ、どの程度の変化を起しているかを、DNAマイクロアレー技術を用いて検討した。HMG-CoA還元酵素阻害剤は血管壁の細胞において、プラスミノーゲン活性化阻害因子1を抑制し、トロンボモジュリンを誘導することにより抗凝固作用を、エンドセリン1を抑制し、一酸化窒素合成酵素を誘導することにより血管収縮抑制作用を、単球遊走蛋白1を抑制することにより抗炎症作用を有することが分った。

ピタバスタチンは血管壁の細胞では、凝固、血管収縮、炎症にかかわる遺伝子発現を抑制し、これらを抑える遺伝子を誘導する。この効果は肝細胞には見られず血管壁細胞に特徴的な効果である。すなわち、HMG-CoA還元酵素阻害剤は血管壁細胞の遺伝子発現を変えることにより、臨床的に効果をもたらすことが明らかとなった。

血管内皮細胞における網羅的解析より、新たにHMG-CoA還元酵素阻害剤の作用として見出された転写調節因子Kruppel-like factor 2 (KLF2)mRNAの誘導及び急性期炎症蛋白pentraxin 3 (PTX3)mRNAの抑制について、HMG-CoA還元酵素阻害剤による制御の分子機構を検討した。

ピタバスタチンによる血管内皮細胞でのKLF2及びPTX3遺伝子制御は、特にコレステロール合成中間代謝産物のゲラニルゲラニルピロリン酸による蛋白修飾を介している。またKLF2及びPTX3遺伝子制御は、特異的阻害剤の効果から低分子量G蛋白質のRac1とCdc42がこの作用を担っている可能性が示唆された。やや弱い程度でファルネシルピロリン酸による修飾も関与していると考えられたが、その分子機構は不明である。

ピタバスタチンはTNFα及びIL1β刺激で誘導されるPTX3mRNAの半減期を短縮したが、mRNAの不安定化によるものではなく、何らかの新規蛋白合成を必要とした。一方、ピタバスタチンによるKLF2誘導はKLF2mRNAの安定化によるものではなかった。

以上の検討により、HMG-CoA還元酵素阻害剤は肝臓に作用してLDLコレステロールを低下させるだけではなく、血管に作用して遺伝子発現を調節し、動脈硬化を改善することが明らかとなった。

今回の研究で示された、HMG-CoA還元酵素阻害剤による遺伝子発現の制御の解明は有効で安全な治療法開発の基礎として重要である。

よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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