学位論文要旨



No 120746
著者(漢字) 田,炳和
著者(英字)
著者(カナ) ジョン,ビョンホア
標題(和) 食品媒介病原菌である Campylobacter jejuni,Salmonella enterica serovar Typhimurium,and Escherichia coli O157:H7における luxSを介したクオーラムセンシングの研究
標題(洋) Studies on luxS-mediated quorum sensing in food-borne pathogens including Campylobacter jejuni,Salmonella enterica serovar Typhimurium,and Escherichia coli O157:H7.
報告番号 120746
報告番号 甲20746
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2926号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 伊藤,喜久治
 東京大学 教授 熊谷,進
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
 麻布大学 教授 松田,基夫
 宮崎大学 助教授 三澤,尚明
内容要旨 要旨を表示する

クオーラムセンシングは遺伝子の発現を制御する細菌間コミュニケーションの一つの方法で、オートインデューサー(AIs)と呼ばれるシグナル物質により調節している。異なる種類のAIsを用いることから、いくつかのタイプのクオーラムセンシングが報告されている。グラム陽性菌はAIsとしてオリゴペプチドを利用するが、グラム陰性菌はLuxI/LuxRシステムを介してアシルホモセリンラクトン(AHLs)を産生し、これを認識する。LuxIはシグナル合成、LuxRはシグナルのレセプターとして機能する。AHLsは相同のLuxIが細胞膜を通して放出される。相同のLuxRはAHLsを認識し、標的とする遺伝子転写に関与する。各菌種により産生されるAHLsは同じ菌種間でのみ認識される。これをAI-1と分類されている。

AI-2はLuxSにより合成され、細胞膜を通して放出される。AI-2の細胞外への蓄積は近隣の異なる菌種によって認識される。細胞外のAI-2は細胞膜のタンパクと結合する。Vibrio harveyiのLuxPやSalmonella enterica serovar TyphimuriumのLsrBがこれに相当する。LuxSはVibrio harveyiのluxS遺伝子にコードされている。相同のluxS はグラム陰性菌、グラム陽性菌に広く検出される。例えば、Escherichia coli, Shigella flexneri, Haemophilus influenzae, Helicobacter pylori, Bacillus subtilis, Enterococcus faecalis, Streptococcus pyogenes, Clostridium difficile, Bifidobacterium longum, Lactococcus lactis, Lactobacillus plantarum, Listeria monocytogenes, Campylobacter jejuniが挙げられる。

消化管内は複雑な環境で、種々の異なるタイプの細菌が生息し、時として食品媒介病原菌が侵入する。消化管内の細菌の生態において、クオーラムセンシングが重要な働きをしていることはすでに示唆されてきたが、研究は行われてこなかった。

本研究において申請者は菌種間での細菌相互のコミュニケーションを明らかにするためにluxSを介したクオーラムセンシングに注目した。申請者は食品媒介病原菌としてC. jejuni, S. Typhimurium, E. coli O157:H7を選択し、これらの重要な病原因子におけるluxS変異株の影響を検討した。また、AI-2の存在をコントロールできる動物モデルを作製して、in vivoでの実験を行った。in vitroの実験は病原菌と非病原性大腸菌のluxSによるクオーラムセンシングを介した細菌間のコミュニケーションについて検討した。

各章の実験結果について述べる。

第一章では始めにC. jejuni遺伝子中にluxSの相同遺伝子をデータベースを用いて検出した。in vitroの実験で発育の初期段階で著しく上昇するAI-2レベルは実験期間中の3日間継続した。C. jejuniにみられるluxS相同遺伝子であるCj1198はtacプロモーターのコントロール下でpEXT20にクローニングされ、luxS遺伝子を自然欠足したE. coli DH5α内に発現させた。C. jejuni 81116株のluxS欠足変異株はflaAの遺伝子転写を減少し(約野生株の43%)、運動性も低くなった。しかし、このluxS変異株は野生株と同等の総べん毛タンパクレベルであった。電子顕微鏡の観察でベン毛構造は変異株においても保持されていた。また、自己凝集性は変異株では減少した。これらの結果は、クオーラムセンシングはC. jejuniの表面構造の形成に関与していることを示唆している。

第二章ではC. jejuniのCytolethal distending toxin(CDT)をコードしているcdt遺伝子(cdtA, BとC)を遺伝子転写レベルで解析した。luxS変種株はcdtの発現に影響した。

RT-PCRの結果からcdtA, cdtB, cdtC遺伝子はC. jejuniにおいてポリシストロンオペロンを構成した。推定上の転写開始部位はcdtAの開始コドンから上流81塩基にあることがプライマー伸長解析により明らかとなった。luxS変異株の転写レベルは野生株の約61%であった。フローサイトメトリー解析によりHeLa細胞はG2/M期で休止し、CDT活性により通常みられる細胞形態に変化した。luxS変異株の培養上清の細胞への添加では野生株の培養上清処置に比べ細胞変性の程度は少なかった。これらの結果はluxSの機能はC. jejuniのcdt遺伝子の制御に関連していることを示唆した。

第三章では無菌マウスを用いてin vivoでのluxSを介したクオーラムセンシングについて検討した。E. coliのluxS変種株は腸内での定着に野生株との違いはみられなかった。AI-2のE. coli単独投与マウスの糞便での産生を測定した。その結果、AI-2レベルはE. coliの腸内での増殖の初期段階で高くなった。しかし、腸内でのAI-2レベルはLBブロスでのin vitroの培養よりも著しく低いものであった。無菌マウスの盲腸内容物中でのin vitroのE. coliの培養では、in vivo同様にAI-2レベルは低かった。E. coliの培養条件、好気培養、嫌気培養によりAI-2のレベルは影響を受けた。無菌マウスの盲腸内容物培地とLBブロスともにAI-2レベルは好気培養に比べて嫌気培養で低かった。AI-2の産生はブドウ糖の添加により増加したが、好気培養に比べて嫌気培養では増加の度合いが低かった。E. coliの腸内での発育のための栄養素と環境ストレスがAI-2のin vivoでの産生に重要な役割を演じていると考えられる。

S. TyphimuriumのluxS変異株は酸素制限条件下では野生株よりもHeLa細胞への侵入性が上昇した。無菌マウスに変異株と野生株を投与したが、死亡率に差はみられなかった。SalmonellaのluxS変異株とE. coliの野生株もしくはluxS変異株の2株投与した無菌マウスではどちらの2株投与群もSalmonlla luxS変異株単独投与群よりも延命効果がみられたが、死亡率に2株投与群に差はみられなかった。

第四章ではin vivoでE. coli O157:H7の病原性にluxS変異株がどのように影響するかを無菌マウスを用いて検討した。luxS変異株と野生株に定着能、Stx産生、マウス死亡率で差はみられなかった。シポフラキシン処置によりE. coliの菌数は減少したが、Stx産生は増加した。しかし、野生株とluxS変異株で差はみられなかった。無菌マウスでの結果と異なりin vitroの培養ではStx産生は野生株に比べてluxS変異株では低かった。興味あることに、Stx産生は好気培養に比べて微好気培養では著しく低下した。recAの発現も好気培養に比べて微好気培養で低かった。しかし、recAの発現は野生株とluxS変異株で差はみられなかった。非病原性E. coli E17とそのluxS変異株を無菌マウスにあらかじめ定着させたマウスにE. coli O157:H7のluxS変異株を投与したが、いずれの群も死亡率に差はみられなかった。神経毒であるドーパミン処置により野生株に比べてluxS変異株で1.5日の死亡の遅延がみられた。

本研究において、食品媒介病原菌の病原性におけるluxS変異の影響を検討した。In vitroの実験では病原菌のluxS変異株では病原性に変化がみられたが、in vivoの実験ではS. TyphimuriumやE. coli O157:H7の病原性に差はみられなかった。現時点ではin vivoでのクオーラムセンシングの阻害物質の存在を排除できない。今後AIsの精製や合成を行い、さらに検討する必要があろう。さらに、食品媒介病原菌の病原性におけるクオーラムセンシングの役割や腸内細菌と病原菌間で行われると考えられる細菌相互のコミュニケーションを理解することで食品媒介病原菌の感染防御につながるものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

クオーラムセンシングは遺伝子の発現を制御する細菌間コミュニケーションの一つの方法で、オートインデューサー(AIs)と呼ばれるシグナル物質により調節している。異なる種類のAIsを用いることから、いくつかのタイプのクオーラムセンシングが報告されている。その一つAI-2はLuxSにより合成され、細胞膜を通して放出される。AI-2の細胞外への蓄積は近隣の異なる菌種によって認識される。LuxSはVibrio harveyiのluxS遺伝子にコードされている。相同のluxS はグラム陰性菌、グラム陽性菌に広く検出される。

消化管内は複雑な環境で、種々の異なるタイプの細菌が生息し、時として食品媒介病原菌が侵入する。消化管内の細菌の生態において、クオーラムセンシングが重要な働きをしていることはすでに示唆されてきた。

本論文の目的はluxSを介したクオーラムセンシングに注目し、食品媒介病原菌としてC. jejuni, S. Typhimurium, E. coli O157:H7におけるluxS変異株の影響を明らかにすることにある。本論文は4章から構成され、各章は以下のとおりである。

第一章では始めにC. jejuni遺伝子中にluxSの相同遺伝子をデータベースを用いて検出した。in vitroの実験で発育の初期段階で著しく上昇するAI-2レベルは実験期間中の3日間継続した。C. jejuniにみられるluxS相同遺伝子であるCj1198はtacプロモーターのコントロール下でpEXT20にクローニングされ、luxS遺伝子を自然欠足したE. coli DH5α内に発現させた。C. jejuni 81116株のluxS欠足変異株はflaAの遺伝子転写を減少し(約野生株の43%)、運動性も低くなった。しかし、このluxS変異株は野生株と同等の総べん毛タンパクレベルであった。電子顕微鏡の観察でベン毛構造は変異株においても保持されていた。また、自己凝集性は変異株では減少した。これらの結果は、クオーラムセンシングはC. jejuniの表面構造の形成に関与していることを示唆した。

第二章ではC. jejuniのcytolethal distending toxin(CDT)をコードしているcdt遺伝子(cdtA, BとC)を遺伝子転写レベルで解析した。luxS変種株はcdtの発現に影響した。

RT-PCRの結果からcdtA, cdtB, cdtC遺伝子はC. jejuniにおいてポリシストロンオペロンを構成した。推定上の転写開始部位はcdtAの開始コドンから上流81塩基にあることがプライマー伸長解析により明らかとなった。luxS変異株の転写レベルは野生株の約61%であった。フローサイトメトリー解析によりHeLa細胞はG2/M期で休止し、CDT活性により通常みられる細胞形態に変化した。luxS変異株の培養上清の細胞への添加では野生株の培養上清処置に比べ細胞変性の程度は少なかった。これらの結果はluxSの機能はC. jejuniのcdt遺伝子の制御に関連していることを示唆した。

第三章では無菌マウスを用いてin vivoでのluxSを介したクオーラムセンシングについて検討した。マウス糞便由来のE. coliのluxS変異株は腸内での定着に野生株との違いはみられなかった。AI-2のE. coli単独投与マウスの糞便での産生を測定した結果、AI-2レベルはE. coliの腸内での増殖の初期段階で高くなった。しかし、腸内でのAI-2レベルはLBブロスでのin vitroの培養よりも著しく低いものであった。また、luxS変異株はin vitro、in vivoともにAI-2は産生されなかった。無菌マウスの盲腸内容物中でのin vitroのE. coliの培養では、in vivo同様にAI-2レベルは低かった。E. coliの培養条件、好気培養、嫌気培養によりAI-2のレベルは影響を受けた。無菌マウスの盲腸内容物培地とLBブロスともにAI-2レベルは好気培養に比べて嫌気培養で低かった。AI-2の産生はブドウ糖の添加により増加したが、好気培養に比べて嫌気培養では増加の度合いが低かった。E. coliの腸内での発育のための栄養素と環境ストレスがAI-2のin vivoでの産生に重要な役割を演じていると考えられた。

S. TyphimuriumのluxS変異株は酸素制限条件下では野生株よりもHeLa細胞への侵入性が上昇した。無菌マウスに変異株と野生株をそれぞれ投与したが、死亡率に差はみられなかった。SalmonellaのluxS変異株と上記E. coliの野生株もしくはluxS変異株の2株投与した無菌マウスではどちらの2株投与群もSalmonlla luxS変異株単独投与群よりも延命効果がみられたが、死亡率に2株投与群に差はみられなかった。

第四章ではin vivoでE. coli O157:H7の病原性にluxS変異株がどのように影響するかを無菌マウスを用いて検討した。luxS変異株と野生株に定着能、Stx産生、マウス死亡率で差はみられなかった。シポフラキシン処置によりE. coliの菌数は減少したが、Stx産生は増加した。しかし、野生株とluxS変異株で差はみられなかった。無菌マウスでの結果と異なりin vitroの培養ではStx産生は野生株に比べてluxS変異株では低かった。興味あることに、Stx産生は好気培養に比べて微好気培養では著しく低下した。recAの発現も好気培養に比べて微好気培養で低かった。しかし、recAの発現は野生株とluxS変異株で差はみられなかった。非病原性E. coli E17とそのluxS変異株を無菌マウスにあらかじめ定着させたマウスにE. coli O157:H7のluxS変異株を投与したが、いずれの群も死亡率に差はみられなかった。神経毒であるドーパミン処置により野生株に比べてluxS変異株で1.5日の死亡の遅延がみられた。

以上、本論文は、食品媒介病原菌の病原性におけるluxS変異の影響について重要な知見を得たものと考えられる。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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