学位論文要旨



No 120754
著者(漢字) 田中,洋子
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヨウコ
標題(和) シロイヌナズナのアブシジン酸による気孔閉鎖に対するエチレンの阻害作用
標題(洋) Ethylene Inhibits Abscisic Acid-Induced Stomatal Closure in Arabidopsis thaliana
報告番号 120754
報告番号 甲20754
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第144号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 教授 山本,一夫
 帝京科学大学 教授 近藤,矩朗
内容要旨 要旨を表示する

序論

植物は葉の表面に多数存在する気孔を通じて光合成や呼吸に必要なガス交換を行っている。一方で気孔は蒸散流の出口でもあり、水分の放出口でもある。そのため、移動できない植物は光合成が行える条件下では素早く気孔を開口するとともに、夜間など光合成が行えない時や乾燥時には気孔を閉鎖する機構を備えている。特に水分欠乏は植物にとって最大の危機的状況であり、大気中や土壌中の水分の減少が感知されると根やで植物ホルモンであるアブシジン酸(abscisicacid:ABA)の合成が促進され、それが孔辺細胞に到達すると気孔が閉鎖し、蒸散量が抑制される。ABAは気孔閉鎖に関わる最も効果の著しい植物ホルモンであるが、一方、老化や果実の成熟、乾燥や傷害を始めとする広範囲のストレスに応答する植物ホルモンとしてエチレンがある。エチレンは種子発芽においてABAの作用を抑制することが知られているが、乾燥時におけるABAとの相互作用については括抗・協調の両説があり、結論は出ていない。そこで本研究ではシロイヌナズナを用いて、気孔閉鎖過程におけるエチレンの効果を表皮切片および植物体の両面から検討した。また、やはり植物ホルモンであるオーキシンとサイトカイニンは、気孔においてABAと拮抗することが知られている。これらの植物ホルモンはエチレン合成を誘導することが知られていることから、これらの植物ホルモンの気孔閉鎖における効果がエチレン合成であることを検討した。

結果と考察

ABAによる気孔閉鎖に対するエチレンの阻害作用

シロイヌナズナのロゼット葉の表皮を剥いて、バッファー上に浮かべ、白色光照射により気孔を開口させてから(図1A)ABAを添加すると気孔は閉鎖する(図1B)。しかし、バッファー中にエチレンガスを溶かすと気孔閉鎖が途中で停止することが観察された(図1C-D)。この気孔閉鎖の様子を気孔の開き具合(開口度)を指標にして経時的に観察したところ、ABA添加により気孔は5分以内に閉鎖したが、エチレンガスで処理すると最初の5分間で開口度は低下するものの、ABAのみを加えた時に比べ、開口度は高く保たれた。同様のABAに対する阻害効果はエチレン前駆体である1-aminocyclopropane-carboxylic acid (ACC)を野生型(WT)に添加した場合および、エチレン過剰合成変異体eto1-1においても見られた(図1E)。eto1-1は暗条件ではWTと同様に気孔が閉鎖したことから(図2A)、過剰のエチレンがABAの気孔閉鎖を阻害している可能性が示唆された。このエチレンのABAに対する効果は、エチレンシグナルを伝達できない変異体ein3-1,etr1-1を用いた場合(図2A)や、エチレンレセプター阻害剤である1-MCP処理(図2B)により抑制された。またエチレン合成阻害剤であるAVGを処理するとeto1-1においてもABAによる気孔閉鎖が見られたことから、ABAによる気孔閉鎖に対するエチレンの阻害効果が確認された(図2C)。

この阻害効果は孔辺細胞で特異的に発現するABA誘導遺伝子RAB18の発現量が、ACC添加により有意に減少したこと、また、eto1-1ではWTと比べて全体的に減少していたことからも示唆された(図3)。

気孔におけるエチレンとABAの拮抗作用は植物体においても以下の実験から確かめられた。ABAを植物体の根から吸わせると、地上部の葉の気孔は閉鎖するが、eto1-1やエチレンガスで処理したWTの植物体では気孔閉鎖の抑制が見られた。また、ABAは乾燥ストレス時に増大することが知られているので、植物体の地上部を根から切り離し、根からの水分供給を断つことで乾燥ストレス状態に置いたところ、地上部でのRAB18の発現量が増大し、気孔が閉鎖した。しかしeto1-1やエチレンガスを処理した植物体の葉では気孔の閉鎖に遅れが見られた。さらに、気孔閉鎖の遅れは乾燥ストレス時の蒸散量の比較からも確認された。根元切断後の地上部の生重量の変化を測定したところ、WTに比べeto1-1やエチレンガスを処理したWTの植物体では生重量の減少が大きかったことから、これらの場合には過剰なエチレンが気孔閉鎖を遅らせ,蒸散量を増大させたと考えられる(図4)。

気孔におけるサイトカイニンおよびオーキシンとABAの相互作用

エチレンとは別の植物ホルモンであるサイトカイニンとオーキシンは気孔におけるABAの閉鎖作用を阻害することが知られている。本研究でも、サイトカイニンの一種であるBenzyladenine(BA)とオーキシンの一種であるNaphthaleneaceticAcid(NAA)はABAによる気孔閉鎖を抑制することが確認された(図5A)。一方、サイトカイニンとオーキシンはともにエチレンの合成を誘導することが知られていることから、エチレンシグナル伝達変異体ein3-1や(図5B)、エチレン合成阻害剤を処理した表皮切片を用いてBAとNAAの効果を調べたところ、これらのABAの気孔閉鎖に対する阻害効果が見られなくなった(図5C)。このことから、気孔閉鎖におけるABAに対するサイトカイニンとオーキシンの阻害作用はエチレンの合成を介したものである事が示唆された。

孔辺細胞の液胞の体積変化から推測されるABAの作用に対するエチレンの阻害ポイント

気孔の開閉には気孔を取り囲む一対の孔辺細胞の形態変化が関わっている。そこで、気孔閉鎖時の孔辺細胞の体積変化を調べるために、細胞壁を取り除いた孔辺細胞のプロトプラスト(GCP)を調製した。ABA添加によりGCPの直径は減少したことから、気孔閉鎖時には孔辺細胞の体積が減少することが示唆されたが(図6A)、ABAのこの作用はACC、BA、NAAによって抑制された。しかしこれらの阻害作用はエチレンシグナル伝達変異体ein3-1や(図6B)、エチレン合成阻害剤を処理すると(図6C)見られなくなることから、BAおよびNAAの効果はGCPにおいてもエチレン経由であることが示唆された。一方、成熟した孔辺細胞においては、液胞がその体積の大部分を占めていることから、気孔閉鎖時における孔辺細胞の液胞体積の変動を観察した。GFPと液胞膜タンパク質の一つであるAtVam3pとの融合タンパク質を発現することで、液胞膜を可視化したシロイヌナズナの形質転換体を用いた観察から、ABA添加により気孔を閉鎖させると液胞体積も減少することがわかった。しかし、液胞の体積減少はACC添加によって抑制されたことから(図7A)、エチレンは液胞からの水分流出を抑制することでABAによる気孔閉鎖を抑制している可能性が考えられた。

図1.エチレンはABAによる気孔閉鎖を阻害する

図2.エチレンがABAによる気孔閉鎖を阻害するのは植物がエチレンシグナルを伝達できる場合に限られる

図3.ABA応答遺伝子RAB18の発現量

図4.乾燥ストレス時の生重量変化

図5.サイトカイニンとオーキシンはエチレン合成を介してABAの気孔閉鎖を阻害する

図6.エチレンはABAによる液胞からの水分流出を抑制している

図7.エチレンは液胞からの水分流出を抑制することでABAによる気孔閉鎖を抑制している

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなり、第1章はABAによる気孔閉鎖に対するエチレンの阻害作用について、第2章はABAの気孔閉鎖作用に対するサイトカイニン、オーキシンの阻害作用について、第3章は孔辺細胞の体積変化におけるABAとエチレンの相互作用について述べられている。

植物は葉の表面に多数存在する気孔を通じて、光合成や呼吸に必要なガス交換を行っている。一方で、気孔は蒸散流の出口であり、水分の放出口でもある。そのため、移動できない植物は光合成が行える条件下では気孔を開口するとともに、夜間など光合成が行えない時や乾燥時には素早く気孔を閉鎖する機構を備えている。特に水分欠乏は植物にとって最大の危機的状況であり、大気中や土壌中の水分の減少が感知されると根や葉で植物ホルモンであるアブシジン酸(abscisic acid:ABA)の合成が促進され、それが孔辺細胞に到達すると気孔が閉鎖し、蒸散量が抑制される。ABAは気孔閉鎖に関わる最も効果の著しい植物ホルモンであるが、一方、老化や果実の成熟、乾燥や傷害を始めとする広範囲のストレスに応答する植物ホルモンとしてエチレンがある。エチレンは種子発芽においてABAの作用を抑制することが知られているが、乾燥時におけるABAとの相互作用については拮抗・協調の両説があり、結論は出ていない。そこで本研究ではシロイヌナズナを用いて、気孔閉鎖過程におけるエチレンの効果を表皮切片および植物個体の両面から検討した。また、他の植物ホルモンであるオーキシンとサイトカイニンは、気孔においてABAと拮抗することが知られている。これらの植物ホルモンはエチレン合成を誘導することが知られていることから、植物ホルモンの気孔開閉における相互作用についても解明を試みた。

第1章ではABA添加により完全に閉鎖するシロイヌナズナの気孔が、エチレンガス処理によりABAを添加しても完全には閉じなくなることを発見した。このエチレンのABAの作用に対する阻害効果は、エチレンシグナルを伝達できない変異体ein3-1, etr1-1を用いた場合や、エチレンレセプター阻害剤である1-MCP処理により抑制され、エチレンによる阻害効果であることが確認された。この阻害効果はABA誘導遺伝子RAB18の発現量の比較からも確かめられた。また、この気孔におけるエチレンとABAの拮抗作用は植物体においても確かめられた。

第2章では、従来言われてきた気孔におけるサイトカイニンおよびオーキシンとABAの相互作用が、エチレン合成経由であることを実証した。エチレンとは別の植物ホルモンであるサイトカイニンとオーキシンは気孔におけるABAの閉鎖作用を阻害することが知られている。本研究でも、サイトカイニンの一種であるbenzyladenine(BA)とオーキシンの一種であるnaphthaleneacetic acid(NAA)はABAによる気孔閉鎖を抑制することが確認された。一方、サイトカイニンとオーキシンはともにエチレンの合成を誘導することが知られていることから、エチレンシグナル伝達変異体ein3-1や、エチレン合成阻害剤を処理した表皮切片を用いてBAとNAAの効果を調べたところ、これらのABAの気孔閉鎖に対する阻害効果が見られなくなった。このことから、気孔におけるABAに対するサイトカイニンとオーキシンの阻害作用は、エチレンの合成を介したものである事が示唆された。

第3章では、気孔閉鎖時における孔辺細胞とその液胞体積の変化について観察した。ABAによる気孔閉鎖時には、孔辺細胞の液胞は収縮して体積を減少させることが分かっているが、エチレンの前駆体であるACC処理により液胞の収縮と体積の減少は途中で停止した。また、ABAは細胞壁の物性を変化させることでも気孔の閉鎖を促進するが、細胞壁を取り除いた孔辺細胞のプロトプラスト(GCP)では、ABA添加によるGCPの直径減少はACC添加により抑制された。ABAが関わる浸透圧調節により孔辺細胞から水分が流出し、孔辺細胞の体積が減少することで気孔は閉鎖するが、エチレンはこの水分流出を抑制することでABAによる気孔閉鎖を抑制していると考えられる。

なお、本論文は、佐野俊夫、玉置雅紀、中嶋信美、近藤矩朗、馳澤盛一郎との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/6981