学位論文要旨



No 120756
著者(漢字) 原田,千夏子
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,チカコ
標題(和) 地球温暖化に伴う乾燥・半乾燥地域の気候変動に関する研究
標題(洋)
報告番号 120756
報告番号 甲20756
学位授与日 2005.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第146号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 教授 大森,博雄
 東京大学 助教授 小口,高
 東京大学 教授 木本,昌秀
 東京大学 助教授 松本,淳
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的

近年,温室効果気体の増加に伴う地球温暖化が懸念され始めている.この影響を見積もるため,数値モデルによる将来の気候変動の予測が行われている.特に本研究では,気候変動の影響が顕著に現れる乾燥・半乾燥地域の気候変動に着目し,その影響を推定することを目的とする.数値モデルによる気候変動の推定を行う際,数値モデルの性能を評価する必要がある.その一つの手段は,数値モデルの結果を観測値と比較することである.そのためには,精度の高い観測データが必要である.しかし地上観測点の分布は世界的に大きな偏りがあり,地上の観測データのみでは気候モデルの検証を行うことは不可能である.そこで,人工衛星によるリモートセンシングデータが活用されている.1997年,世界で初めて降雨を直接観測する降雨レーダ(PR)が搭載された熱帯降雨観測衛星(Tropical Rainfall Measuring Mission TRMM)が打ち上げられた.TRMMPRは海上・陸上をほぼ均一な条件で観測することができ,地上観測点の少ない乾燥・半乾燥地域においては特に有用性が期待されている.TRMMPRによる降水量データの精度は,他の観測データとの比較によって検証が行われているものの,乾燥・半乾燥地域を対象にした研究は少ない.そこで本研究では,地上観測点の分布を考慮しながら乾燥・半乾燥地域におけるTRMMPRの精度を検証することを第一の目的とする.そして,TRMMPRデータによって乾燥・半乾燥地域の降水特性を明らかにすることを第二の目的とする.特に降水量の経年変化をもたらす大気大循環場の変動に注目する.また,現在の降水特性の理解に基づき,数値モデルによるシミュレーション結果を検討することにより,地球温暖化に伴う乾燥・半乾燥地域の水循環変動の推定を行うことを第三の目的とする.

乾燥・半乾燥地域のTRMMPRデータと地上観測値の比較

本章では,オーストラリア内陸の乾燥・半乾燥地域を対象に,オーストラリア気象局による地上観測データと比較することによって,TRMMPRの降水データ精度の検証を行った.

データの比較は,1998年から3年間の季節平均(3ヶ月平均)値を経緯度2.5°x2.5°グリッド毎に平均して行った.地上観測点が5点以上あり,TRMMPRの観測が十分行われている乾燥.半乾燥地域の26グリッド(Figure 1)で比較した結果,TRMM PR(2A25)のバイアスは季節変化が大きく,SON(9-11月)・DJF(12-2月)に正のバイアス(TRMMの過大評価)となることがわかった(Figure 2).オーストラリア内陸の乾燥・半乾燥地域は,熱帯・亜熱帯の降水の影響を受け,季節によって降水特性が変化している.そこで降水特性の季節変化を調べるため,3年間のTRMMPRのパスデータにおいて,地表面付近の降雨強度が0.3mm/hour以上のピクセルが4ピクセル(約73.96km2)以上連続している場合を降水イベントとして抽出した.そして,観測された降水イベントを降水面積,最大降雨強度および降水の種類(対流性・層状性),降雨頂高度によって分類した.その結果,TRMMPRが正のバイアスを示すSON・DJFは,最大降雨強度および降雨頂高度が大きい対流性降水イベント(DC)の数が他の季節より多いことがわかった.そこでDCが観測されたグリッドのみを対象に地上観測データとの比較を行うと,1グリッドの正のバイアスの最大値が大きく,最大降雨強度および降雨頂高度が大きい層状性降水イベント(DS)の4倍となっていた.バイアスを全グリッドで平均すると,DSでは3年間を通して5mm/day以下の正のバイアスとなっているのに対し,DCは2000年JJA(6-8月)を除いて8mm/day以上の正のバイアスとなっていた.このことから,最大降雨強度と降雨頂高度の大きい対流性降水イベントが,TRMM PRの正のバイアスに大きく寄与している可能性があることが示唆された.

これまで乾燥・半乾燥地域を対象にTRMMPRのデータ精度を検証した研究では,バイアスの経年変化に言及したものはなかった.本研究ではTRMM PRの季節平均データを地上観測データと比較した結果,降水量の経年変化が大きい乾燥・半乾燥地域では,TRMM PRのバイアスの傾向も年によって変化していることが明らかとなった.

TRMM PRデータによるサハラ砂漠域の降水変動

乾燥・半乾燥地域におけるTRMMPRデータの精度に関する定量的な検証をふまえ,本章では世界最大の乾燥・半乾燥地域であるサハラ砂漠域を対象とし(Figure 3),TRMM PRデータを使用して4年間の降水に関する定性的な分析を行った(Harada et al.,2003).1998-2001年のTRMM PRデータ(3G68)から,サハラ砂漠域の降水エリアが次のような季節変化をしていることがわかった.10-4月は主に北部で降水が観測され(冬雨期),7-9月は南部の降水が多くなっている(夏雨期).また,5-6月は北部・南部両方で降水が観測される,降水タイプの遷移期であることがわかった.年間を通してサハラ砂漠域東部の降水は少量となっていた(Figure4).

さらに,NCEP再解析データを使用して,サハラ砂漠域の降水エリアの季節変化と,北アフリカ上空の東西風の変化との関連を調べた.その結果,5月に降水量が多かった年は,平年に比べ中緯度上層200hPaの偏西風が平年より強化していた.また,8月に多雨であった年は中層600hPaのアフリカ偏東風ジェット(AEJ)のコアが北上し強化していた.

地球温暖化に伴う乾燥・半乾燥地域の降水変動

東京大学気候システム研究センター(CCSR)国立環境研究所(NIES)地球環境フロンティア研究センター(FRCGC)による,地球シミュレータを使用した地球温暖化予測実験の結果を使用して,温室効果気体の増加に伴う乾燥・半乾燥地域の水循環変動を分析した.この実験では,大気が約100km,海洋が約20kmというこれまでにない高解像度の大気海洋結合モデルが用いられている.まず20世紀気候の再現実験結果を観測値と比較し,モデルの再現性を確認した.次にIPCCの温室効果気体排出シナリオA1Bによる予測実験結果を使用して,南北半球の5ヶ所の乾燥・半乾燥地域(サハラ砂漠域,サヘル,中央アジア,オーストラリア内陸,アメリカ西部)(Figure 5)のJJA(6-8月)・DJF(12-2月)の気候の変化を調べた.地表気温はJJAのオーストラリアを除き,全球平均を上回る昇温を示した.降水量はサハラ砂漠域・中央アジアではJJA・DJFともに全球平均の増加率を超え,サヘル・オーストラリアでも増加したのに対し,アメリカ西部では減少していた(Figure 6).温暖化に伴い降水量が増加するサハラ砂漠域・サヘル・中央アジアでは土壌水分も増加するのに対し,降水量が減少傾向のアメリカ西部では土壌水分も減少していた.オーストラリアでは,降水量は増加するものの流出も増加するため,土壌水分はJJA・DJFともに減少していた.

温暖化実験では,JJAのサハラ砂漠域の降水量の増加傾向が示された.第3章で,現在の8月の降水量が平年値を上回っている年は,AEJが北上していたことを示した.そこで現在の気候に関する知見に基づき,温暖化実験における8月のサハラ砂漠域の降水量の増加メカニズムを検討した.温暖化実験では北アフリカ陸上の熱的低気圧が弱まるため,サハラ砂漠域からの乾いた北東風が弱まるとともにアフリカモンスーンが強まり,ギニア湾からの水蒸気輸送が強くなっていた.また,温暖化に伴ってサヘルの気温の南北勾配が変化したため,AEJのコアが北上し,AEJに伴う東風領域がより上空まで広がっていた.これらのことから,温暖化に伴うサハラ砂漠域の8月の降水量の増加は,現在のメカニズムと整合性があることが示された.

結論

第2章では,オーストラリア内陸の乾燥・半乾燥地域を対象にTRMMPRの精度の検証を行い,最大降雨強度と降雨頂高度の大きい対流性降水イベントがTRMM PRの過大評価に大きく寄与する可能性があることが示唆された.第3章では,TRMM PRデータを使用して,サハラ砂漠域の降水の季節・経年変化を明らかにした.さらに,NCEP再解析データを使用して,降水変動と上空の東西風との関連を調べた.第4章では,5ケ所の乾燥・半乾燥地域を対象に,高解像度の大気海洋結合モデルによる温暖化実験結果を分析し,降水量や降水特性の変化傾向の違いを示した.また,温暖化に伴う8月のサハラ砂漠域の降水変動メカニズムが,現在気候の知見と整合性があることを示した.

本研究では,第2章で南半球のオーストラリアを対象とし,第3章で北半球のサハラ砂漠域を対象とすることによって,グローバルな乾燥・半乾燥地域に対するTRMMPRデータの適用を試み,その有用性を示すことができた.

大気中の温室効果気体の増加が地球の水循環に与える影響に関しては,未だ不確定要素が多い.しかしながら,地球シミュレータのような高い計算能力を有するスーパーコンピュータが開発され,高解像度の大気海洋結合モデルによる地球温暖化予測実験が可能になった.数値モデルが高解像度になると,地形をより正確に表現できるようになるため,これまで表れていなかった細かな現象が再現できるようになり,シミュレーションの品質が向上していくことが期待できる.今後,高解像度のモデルを使用した研究や地球観測技術のさらなる発展が,持続可能な社会の構築に貢献することを期待する.

Figure 1.オースラリアの比較対象グリッドの分布.

Figure 2.3年間の降水量の平年値(Clim),地上観測値(Obs),TRMM PRのバイアス(bias)の季節平均値.

Figure 3.サハラ砂漠域の高度分布.コンターの間隔は500m,降水量を分析した領域はシェードをかけてある.

Figure 4. 1998-2001年のサハラ砂漠域の月積算降水量.シェードのパターンは

Figure 3に対応している.グラフの下部はサハラ砂漠域南部(20°-25°N),上部は北部(25゜-30°N)の降水量を示す.

Figure 5.温暖化実験結果を分析した5ヶ所の乾燥・半乾燥地域の分布.

Figure 6.温暖化実験におけるJJA・DJFの降水量の20世紀気候からの偏差.

Harada,C.,A.Sumi,and H.Ohmori,Seasonal and year-to-year variations of rainfall in the Sahara desert region based on TRMM PR data, Geophysical Research Letters,30(6),1288,2003.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、第1章は、まえがきに相当するもので地球温暖化に伴う乾燥・半乾燥地域の気候変動を研究することの意義を述べている。気候変動の研究をするためには、気候モデルの使用が不可欠であるが、その気候モデルの性能を検証するには観測データが不可欠となる。しかし、広大な乾燥・半乾燥域では観測データが不足しており、宇宙からのリモートセンシングが不可欠となる。このためにTRMM衛星の降雨レーダ(PR)を用いて検証することとした。

第2章ではオーストラリア内陸の乾燥・半乾燥地域を対象に,オーストラリア気象局による地上観測データと比較することによって,TRMM PRの降水データの精度を議論した.その結果、乾燥・半乾燥地域におけるTRMMの降雨レーダの精度については、オーストラリアの乾燥・半乾燥地域では10.0°x5.0°グリッドの季節平均日降水量が0.84mm以上であれば信頼でき,3年間の季節平均値ならば5.0°x 5.0°以上のグリッドの値が信頼できることを示した.また,グリッドの面積を10.0°x5.0°と広くすることによって,バイアスは含まれるが月および季節平均降水量の経年変動を推定することが可能であることを示した.これまで乾燥・半乾燥地域を対象にTRMM PRのデータ精度を検証した研究では,限られた季節しかデータを信頼することができないとされていた.しかし,本研究における複数の時空間スケールの比較の結果は,他の乾燥・半乾燥地域においても,グリッドの面積を広くすればTRMM PRデータの活用が可能であることを示唆している.

第3章では,前章の乾燥・半乾燥地域におけるTRMM PRデータの精度に関する定量的な検証をふまえ,世界最大の乾燥・半乾燥地域であるサハラ砂漠域(20°-30°N,10°W-30°E)を対象とし,TRMM PRデータを使用して4年間の降水の経年変動の分析を行った。その結果、多雨年は,平年に比べ中緯度上層200 hPaの偏西風が平年よりサハラ砂漠域に近づいていた.200 hPaの偏西風ジェットは中緯度擾乱に関連していることから,多雨年はジェットの南下のためにサハラ砂漠域で平年より多くの擾乱が発生したことが示唆された.また,8月は多雨年の1999 年に降雨強度と降雨頂高度が大きい対流性降水イベントが1998・2000年の約2倍,層状性降水イベントの数も上回っていた.そこで多雨年の大気大循環場の変化に注目すると,20°N付近の600 hPaでAEJのコアが平年より北上し,サハラ砂漠域に接近しており,先行研究と一致する結果が得られた.

第4章では,東京大学気候システム研究センター・国立環境研究所・地球環境フロンティア研究センターが行った地球シミュレータを用いた温暖化予測実験の結果に基づき,地球温暖化に伴う乾燥・半乾燥地域における将来の水循環変動のメカニズムを解析した.対象地域は南北半球の5ヶ所の乾燥・半乾燥地域(サハラ砂漠域,サヘル,中央アジア,オーストラリア内陸,アメリカ西部)とし、IPCCの温室効果気体排出シナリオAIBによる温暖化実験結果を使用して,JJA(6-8月)・DJF(12-2月)の気温の変化を検討した.領域平均では,JJAのオーストラリアを除いて全球平均を上回る昇温を示した.中でも,DJFの中央アジア,JJA・DJFのアメリカ西部・サハラ砂漠域では, 5℃以上の大きな変化を示した.降水量は,JJAのサハラ砂漠域・サヘル,JJA・DJFの中央アジアの増加が顕著で,アメリカ西部はJJA・DJFともに減少した.温暖化に伴い降水量が増加する地域では,最大降雨強度が増大しており,土壌浸食が懸念される.一方,アメリカ西部では年間を通して降水量が減少しており,干ばつの頻度の増加が懸念される.また、温暖化に伴う降水量変動のメカニズムを検討した.JJAのサハラ砂漠域・サヘルでは,アフリカモンスーンの強化によりギニア湾からの水蒸気移流が増加していた.また,気温の南北勾配の変化に伴うAEJのコアの北上という,現在気候における8月のサハラ砂漠域の湿潤年と同じ特徴を示した.JJAの中央アジアでは,昇温に伴う蒸発量の増加と北西からの水蒸気移流の強化が降水量の増加に寄与していた.DJFのオーストラリアでは,北からの水蒸気移流の強化が降水量の増加に寄与していた.温暖化に伴い降水量が減少するDJFのアメリカ西部では,水蒸気移流の変化が降水量の変化に寄与していた.また,昇温による積雪量の減少が流出量の減少をもたらすことから,土壌水分も減少していた.最後に、第5章では、まとめと今後の課題が述べられている。

これらの結果は、乾燥・半乾燥地域の気候変動に関する新しい知見を与えるものであり、環境学の発展に寄与するところが大きいと判断する。

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/149