No | 120771 | |
著者(漢字) | 吉村,公宏 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ヨシムラ,キミヒロ | |
標題(和) | WSTF(Williams syndrome transcription factor)の生体内高次機能の解析 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 120771 | |
報告番号 | 甲20771 | |
学位授与日 | 2005.10.03 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 博農第2928号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 応用生命工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | はじめに 発生・分化を始めとするあらゆる生命現象は、無数の遺伝子の時期・組織特異的な発現調節を介し達成される。これら遺伝子群の発現調節は、各種転写因子群が標的遺伝子上流プロモーター上の特異的配列に結合し、基本転写因子複合体を転写開始領域にリクルートすることで開始される。しかし、遺伝子をコードする染色体DNAは通常高次のクロマチン構造を形成し凝集した状態をとり、転写因子が結合できない。そのため転写因子が特異的DNA配列を認識し結合するためにはヌクレオソーム配列の弛緩が必要であり、その際ヌクレオソーム配列の再構成能を有するクロマチンリモデリング複合体群との会合が必須となる。クロマチンリモデリング複合体群は、ATP依存的にクロマチンを再構成して弛緩した状態を形成することにより標的遺伝子近傍のDNAを露出させ、転写因子が直接エンハンサー上に結合しやすい状態をつくる。 我々はリガンド依存性転写因子であり核内レセプタースーパーファミリーに属するビタミンDレセプター(VDR)とリガンド非依存的に会合する新規クロマチンリモデリング複合体としてWINAC(WSTF including nucleosome assembly complex)複合体を単離した。WINACはBrg1/Brm・WSTF・BAF250・BAF170・BAF155・BAF60a・BAF57・BAF53・Ini1・FACT p140・CAF-1 p150より構成され、その中でVDRと直接相互作用する因子としてWSTF(Williams syndrome transcription factor)が同定された。WSTFはWilliams syndromeと称される常染色体優性の遺伝病で欠失する染色体7番q11.23のおよそ1.6Mbp領域に存在する約20個の遺伝子のひとつである。Williams syndromeの表現型は、妖精様顔貌・心血管奇形・精神遅滞・成長障害・生下時の一過的な血清Ca濃度の上昇など多様である。欠失領域中に多数の遺伝子が存在するものの、これら多様な変異を説明できる遺伝子の同定には至っていなかった。 これまでにin vitro実験系により、WINAC複合体がVDRの転写調節を介してビタミンD代謝・Ca代謝に影響を及ぼす可能性が示唆されてきた。しかし、実際の個体の発生・恒常性の維持におけるWINAC複合体の重要性の解明には、遺伝子欠損マウスを用いた個体レベルでの解析が必須の課題であった。また、クロマチンリモデリング複合体はそれぞれが特異的な機能を担っていると示唆されているものの、これら複合体を生体内で使い分ける分子機構の詳細は不明であった。 そこで、本研究ではWINAC複合体の生体内機能を解析することにより個々のクロマチンリモデリング複合体の特異的機能を解明し、さらにWilliams syndromeにおけるクロマチンリモデリング異常の寄与を検討するためにWINAC複合体の主要構成因子であるWSTF遺伝子欠損マウスを作出し、その変異を詳細に解析した。 WSTF遺伝子欠損マウスの作製 WSTFゲノム領域を含むBACクローンの塩基配列をもとにWSTF遺伝子のエクソン・イントロン構造を決定し、翻訳開始点を含むエクソン1を欠失させる置換型のターゲティングベクターを構築した。このベクターをTT2 ES細胞株にエレクトロポレーション法により導入し、サザンブロッティング法にて相同組み替え体を同定した。得られた相同組み替え体をアグリゲーション法によりCD-1マウス8細胞期胚に導入し、キメラマウスを作製した。このキメラ個体とC57BL/6Jマウスの交配からWSTF+/-マウスを得、WSTF+/-マウス同士の交配によりWSTF-/-マウスを得た。 WSTFは心臓の形成と神経堤細胞の機能に必須である WSTF-/-マウスはメンデルの法則通り出生したものの生後2日目までに全個体が死亡した。死因として想定される新生児心臓の組織学的な検討を行ったところ、WSTF-/-マウスは心室中隔欠損・心房中隔欠損などWilliams syndromeでも観察される異常を示した。これら心奇形は既に胎生9.5日目において観察され、さらにWSTF+/-マウス個体の一部にも同様の異常がみられた。そこで胎生9.5日目の胎児心臓における心臓形成に必要なマーカー遺伝子の発現をRT-PCR法・WISH法にて検討した。その結果、心室の内部を構成するtrabeculation(肉柱)のマーカー遺伝子であるIrx3と、刺激伝導系のマーカー遺伝子であるConnexin40(Cx40)の発現がWSTF+/-マウスでも顕著に低下し、WSTF-/-マウスではほとんど消失していた。一方これら遺伝子発現を制御する転写因子であるNkx2.5・Gata4・Tbx5の発現には各遺伝子型のマウス間で差は見られなかった。以上の結果より、心臓特異的な遺伝子発現を制御する転写因子に対するWSTFの転写調節機能の破綻が示唆された。 また、WSTF-/-新生児マウスは神経堤細胞の変異により引き起こされる発生異常、すなわち大動脈縮窄や胸腺の萎縮を示した。そこで、神経堤細胞の発生に関与するマーカー遺伝子の発現をWISH法にて解析した。その結果、神経堤細胞の発生及び移動に寄与するマーカー遺伝子の発現は正常であったものの、移動後の神経堤細胞の機能に必須であるEndothelin converting enzyme(Ece1)の発現がWSTF-/-マウスで顕著に低下していた。一方、Ece1の発現を制御しているGata2・Ets-1の発現には各遺伝子型のマウス間で差は見られなかった。以上の結果より、心臓と同様に神経堤細胞においても、WSTFが転写因子の機能調節を行っていることが示唆された。 WSTFならびにWINAC複合体は組織特異的な転写因子の転写調節を行っている 心臓形成と神経堤細胞において発現低下が見られた遺伝子群のWSTFによる転写調節機構を分子レベルで詳細に解析した。まず、+/+及び-/-各個体からMouse embryonic fibroblast(MEF)を調整し、Cx40 promoterを用いてNkx2.5・Gata4・Tbx5の転写活性化能をレポーターアッセイにて検討した。その結果いずれの転写因子においても、-/-MEFでは+/+MEFに比べて転写活性が低下していることが明らかになった。また、この転写活性の低下はWSTFまたはBrg1を強制発現させると回復した。Ece1c promoterでも同様にGata2・Ets-1の転写活性が低下していた。 次に、WSTFと前述の各転写因子群との相互作用を免疫沈降法にて検討した。その結果WSTFと5種の転写因子それぞれとの相互作用が確認された。また、直接的な相互作用をGST pull down法を用いて検討し、WSTFはNkx2.5・Tbx5 とは直接相互作用するが、Gata4・Gata2・Ets-1とは直接結合しないことを見出した。 さらに、WSTFを始めとするWINAC構成因子と、各種転写因子群のCx40 promoter上へのリクルート状況を、+/+及び-/-の新生児心臓を用いたin vivoクロマチン免疫沈降法(ChIP assay)にて検討した。その結果、+/+の心臓では、転写因子であるNkx2.5・Gata4・Tbx5とWSTFがWINAC構成因子とともにリクルートされていることが明らかになった。一方-/-の心臓ではWSTFのリクルートが消失すると共に、WINAC構成因子と転写因子群のリクルートも弱まっていた。また、クロマチンの転写活性化状態の指標である、ヒストンH3のアセチル化とヒストンH3K4のジメチル化は、+/+と比較して-/-の心臓で顕著に減少していた。以上の結果より、WSTFはWINAC複合体を特異的な転写因子とともに標的遺伝子プロモーター上にリクルートし、その遺伝子の転写を調節していることが明らかになった。 考察 本研究ではWSTF遺伝子欠損マウスを作出し、その変異を解析することにより、クロマチンリモデリング複合体の発生過程における生体内機能を解析し、さらにWilliams syndromeとクロマチンリモデリング異常との関係性の解明を試みた。 WINAC複合体の生体内機能 作出されたWSTF-/-マウスは生後まもなく致死となることが判明し、この要因として胎生期における心臓及び心大血管の形成異常が寄与することが示唆された。WSTFは個体の発生、とりわけ心臓形成に必須の因子であったことから、WSTFを上流とした転写カスケードはVDRとはクラスの異なる転写因子、すなわち心臓形成においてはNkx2.5・Tbx5・Gata4、心大血管形成においてはEts-1・Gata2に作用し、それぞれの標的遺伝子であるCx40とEce1を組織特異的に制御していることが明らかとなった。また、WSTF欠損は心筋細胞系の分化、増殖のみならず心臓神経堤細胞にも影響を及ぼしたことから、WSTFはCell lineageの異なる2種の細胞譜系を制御することで正常な心臓形成を促していると考えられる。 WSTFとWilliams syndromeとの相関 これまで、Williams syndromeの心臓疾患においては大動脈弁上狭窄の原因遺伝子としてElastinが報告されてきた。しかし、Elastin遺伝子単独ではWilliams syndromeでみられる多様な心臓疾患は説明がつかず、さらに他の症状を担う責任遺伝子も未同定であった。WSTF-/-マウス及びWSTF+/-マウスはWilliams syndromeで発症する大動脈弁上狭窄を除く心血管奇形を呈した。これに加え、WSTF-/-マウスはさらに重篤な心奇形を示し致死となることが明らかとなった。したがって、これらの結果からWSTFがWilliams syndromeにおけるこれまで未同定であった心臓疾患の責任遺伝子であること、さらに未だ報告のないWilliams syndromeホモ接合体は致死である可能性が示唆された。また、WSTF遺伝子欠損マウスは心臓神経堤細胞の異常に起因する心奇形を示した。これら異常は、神経堤細胞の異常が原因である遺伝病Digeorge syndromeの心大血管における表現型とも極めて類似していた。つまり、WSTFはWilliams syndromeとDigeorge syndromeをまたぐ心臓発生に極めて重要なクロマチンリモデリング因子といえる。したがって、Williams syndrome心臓疾患はクロマチンリモデリング因子の機能破綻により引き起こされるクロマチンリモデリング病の最初の症例と捉えることができる。 WSTFは生存必須因子であったことから、成体におけるWSTFの役割は未解明のままである。Williams syndromeでは精神遅滞と同時に特殊な神経機能が観察されることから、今後の課題として、WSTF+/-マウスにおける脳神経機能の解析、さらにCre/loxP systemを用いた時期組織特異的WSTF遺伝子欠損マウスの作出、解析が必要と考える。 クロマチンリモデリング複合体群のサブクラス特異的生体内機能 WINAC複合体を始めとするSWI/SNF型クロマチンリモデリング複合体群は、ほぼ同一の因子群により構成されている。しかしWSTF遺伝子欠損マウスは、クロマチンリモデリング複合体構成因子であるBAF60cまたはBAF180遺伝子欠損マウスと同様に心臓に異常を示したものの、それぞれ異なる表現型を示した。したがって、クロマチンリモデリング複合体群は構成因子の一部を使い分けることで独自の機能発現を可能にしていると思われる。このように、WSTF遺伝子欠損マウスの作出により、器官形成におけるクロマチンリモデリング因子が標的とする特異的な転写因子とその標的遺伝子が同定され、時期組織特異的なクロマチンリモデリング転写調節機序の一端が解明された。 以上、本研究ではクロマチンリモデリング複合体であるWINACが心臓形成・神経堤細胞の機能に必須であり、この機能調節が転写制御レベルで行われていることを明らかにし、長く不明であったクロマチンリモデリング複合体の発生における生体内高次機能の一端を解明した。 | |
審査要旨 | 染色体上のDNAはクロマチン構造を取って存在する。そのため真核細胞遺伝子の発現制御には、クロマチン構造調節が必須である。これら構造調節を担うクロマチンリモデリング複合体群は、ATP依存的にクロマチンを弛緩させることで、標的遺伝子近傍のDNAを露出させ、転写因子のDNA結合を促すと考えられている。本研究ではクロマチンリモデリング複合体に属するWINAC (WSTF includingnucleosome assemblycomplex) 複合体の主要構成因子であるWSTF遺伝子欠損マウスを作出、その変異の詳細な解析により、時期組織特異的なクロマチンリモデリング複合体の生体内高次機能の解明を試みている。また、WSTFは先天性遺伝疾患Williams syndrome(WS)の原因候補遺伝子の一つであるため、この疾患におけるWSTF機能変異についても解明を試みている。 第1章の序論に引き続き、2章ではジーンターゲティング法を用いて、マウスES細胞株のWSTF遺伝子を組み換え、WSTF遺伝子欠損マウス作出を試みている。具体的には、エレクトロポレーション法による遺伝子導入、サザンブロッティング法による相同組み替え体の同定、アグリゲーション法によるキメラマウスの作製を行っている。その結果、生殖系列に組換えを起こしたキメラ個体を得、このキメラ個体からWSTF+/-マウス・WSTF-/-マウスを得ている。作出されたWSTF-/-マウスマウスは生後まもなく致死となることが判明し、WSTFが個体の生存に必須であることを示すものであった。 第3章では、死因として想定される新生児心臓を組織学的に検討し、さらに胎生期における心臓発生および神経堤細胞のマーカー遺伝子と、それら遺伝子の発現を制御する転写因子群の発現をWISH法にて検討している。その結果、致死の要因として胎生期における心臓及び心大血管の形成異常が寄与することを示唆した。またWSTFは心臓形成においてはNkx2.5・Tbx5・Gata4、心大血管形成においてはEts-1・Gata2等の器官形成必須転写因子機能を支持しており、結果として最下流の標的遺伝子であるCx40とEce1を組織特異的に制御していることを明らかにしている。更にWSTF欠損は心臓神経堤細胞機能にも影響を与えることを見いだしている。このようにWSTFはCell lineageの異なる2種の細胞譜系を制御することで正常な心臓形成を促していると考えている。また、WSTF欠損マウスではWSで発症する心血管奇形を呈したことから, WSTFはWSにおける心臓疾患の主要遺伝子であることを示した。 第4章では、心臓形成と神経堤細胞において発現低下が見られた遺伝子群のWSTFによる転写調節機構をレポーターアッセイ法、免疫沈降法、in vivoクロマチン免疫沈降法(ChIP assay)を用いて分子レベルで詳細に解析している。その結果、WSTFはWINAC複合体を特異的な転写因子とともに標的遺伝子プロモーター上にリクルートすることで、転写調節を共役することを明らかにしている。 本論文はWSTF遺伝子欠損マウスの作出により、時期組織特異的なクロマチンリモデリングを介した転写調節の分子機構の一端を解明し、更にWSの疾患の分子基盤を明らかにするものであった。今後、同様のアプローチによりクロマチンリモデリング複合体群の多様な生体内高次機能の解明やクロマチンDNA上での細胞核内生物現象の理解に大きく貢献するものと期待される。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
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