学位論文要旨



No 120779
著者(漢字) 伊藤,雄司
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ユウジ
標題(和) 会社財産に生じた損害と株主の損害賠償請求権 : ドイツにおける反射損害の議論との対比について
標題(洋)
報告番号 120779
報告番号 甲20779
学位授与日 2005.10.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第190号
研究科 法学政治学研究科
専攻 民刑事法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 江頭,憲治郎
 東京大学 教授 山下,友信
 東京大学 教授 田端,博邦
 東京大学 教授 能見,善久
 東京大学 教授 太田,勝造
内容要旨 要旨を表示する

株式会社において会社財産に損害が生じた場合、株主にも何らかの意味での損害が生じているとみることができる。株主のこのような損害を本論文では「反射損害」と呼ぶこととする。本論文は、この反射損害について株主が自らに帰属する損害賠償請求権を行使することにかかわる法的問題を考察したものである。なお、本論文は議論の射程としては請求権の根拠や請求の相手方に依存しない議論を指向しているが、扱う事例の多くは不適切な行為を行った取締役に対して損害賠償請求がなされるといった事案である。本論文は、導入にあたる序章、および、まとめにあたる第4章を除けば、第1章から第3章までの3つの章からなる。各章の内容は概ね以下のとおりである。

第1章ドイツ法。ドイツにおいては判例上、株主は自己に対する不法行為が成立する場合には、反射損害についても損害賠償請求を行うことが可能であるとされてきた。そこには、反射損害については原則として株主は損害賠償請求をなしえないとする、株主の権利行使についてのいわば消極的な態度と、他方において、一定の場合には株主に自己の権利に基づく損害の回復を認めるという積極的な態度の2つの側面を指摘することができる。第1章においては、まず、この両面について19世紀ドイツの議論を参照することによって、その実質的・形式的論拠について探ることを試みた。そこでは、株主による権利行使の原則的な否定が、株式会社をローマ法上の社団法人を範型とする法人(Corporation)とみる考え方に依拠するものであることに基づくことが示された。他方で、株主の不法行為請求権の承認は、形式的には、株主は自身に帰属する権利を行使することは当然可能であるということに基づくものであり、また、実質的には、株主が反射損害についいて賠償請求をなしえないとする原則を貫くことにより、株主の利益が過度に損なわれるのを防ぐということに求められる。

第1章においては、また、以上のような状況がその後どのように展開したのかについて、判例・学説の整理を行っている。まず、第1に、上記のような株主の反射損害についての不法行為請求権の実質的な位置づけは、1926年の連邦通常裁判所の判示において明確にされるにいたり、また、具体的にどのような場合に株主の不法行為請求が認められるかについても、ドイツ民法典の不法行為に関する規定の解釈を通じた判例の蓄積により明確にされるに至った。それは、例えば、良俗に反する低廉な価格での新株発行であり、また、保護法規違反としての会社財産の横領などである。

第2に、特に1986年の連邦通常裁判所の判決を契機に、判例においては、株主に帰属する損害賠償請求の行使の場合であっても、反射損害についての賠償は、原則として会社財産に対する給付がなされなければならないとされた。学説も概ねこのような規整に賛成しており、議論の展開がみられる。このような規整の主たる根拠は、「会社財産の目的拘束」に求められる。その具体的内容は、会社目的達成のための原資としての会社財産が、株主の個人的な請求権の行使によって実質的に株主の私的財産に流出することがないということについて他の共同株主が利益を有することを根拠とするものである。ドイツ法のこのような形での展開は、例外としてどのような場合に株主は自らの財産に対する賠償の給付を要求しうるかについてなど派生的な論点についても興味深い帰結をもたらしうる。

第2章日本法。本章は主として反射損害に関する株主の損害賠償請求権についての学説の展開を追ったものである。旧商法典の時期においては、会社財産に損害が生じた場合、株主は理論上は当然に損害賠償請求をなし得るものと理解されていた。これに対し、会社の法人性を根拠として個々の株主の訴権を否定した大審院判決を経て、明治44年商法典改正以降の通説は、株主は反射損害については損害賠償請求をなしえないものと解するに至った。すなわち、株式会社が法人であることから株主が会社の権利を行使し得ないとされるのはもちろん、さらに進んで、不法行為請求権や取締役の第三者に対する責任に関する規定に基づいて損害賠償請求を行うことも否定的に解されたのである。その論拠とされたのは、1つには、株主は会社自身の損害賠償請求権を行使することによって自らの損害の回復を図るべきであるという論理であり、これによると、会社の請求権放棄により損害の回復を得られないことがあるとしてもそれは資本多数決の結果としてやむを得ないとされた。このような考え方は、当時の論者の言葉を借りて「会社生活の本質」論と名付けることができる。もう1つの論拠としては、資本維持の原則を挙げることができる。それによると、株主が仮に反射損害について自らの損害賠償請求権を行使しうるとするならば、結果として会社の請求権を分け取ることとなり認めがたい、とされる。これらの2つの論拠は、現在においても、特に、取締役の第三者に対する責任を定めた商法266条ノ3第1項の解釈において、基本的に受け継がれているものと評価できる。

第3章総括と検討。本章においては、第1章、第2章において得られた認識を踏まえて、我が国における解釈論としてどのようなことがいえるか、検討を行った。ここでの議論は、ドイツ法・日本法いずれの議論も次の2つの視点からのものとして整理できる、ということを出発点としている。すなわち、1つは、株主は単独で会社の損害についてその回復を求めることができるか、という株主の権限ないし地位にかかわる視点であり、もう1つは、反射損害について株主が自己の損害賠償請求権を行使することにより株主の私的財産が増加する一方、会社財産が何らかの意味で損なわれる可能性をどのように捉えるか、という視点である。これらの視点おのおのについてドイツと日本双方の考え方を見較べることによって、次のようなことがいえるのではないかと思われる。

第1の視点、すなわち、株主の権限にかかわる問題については、反射損害について株主が会社機関構成員に対して訴訟提起をすることが原則として否定されるべきことについては、我が国においてもドイツにおいても同様である。しかし、そのような原則の妥当範囲については相違がある。すなわち、ドイツにおいては、このような原則は会社の権利と構成されるものにのみ妥当するものと考えられている。したがって、ドイツにおいては、株主が不法行為請求権に基づいて反射損害について損害賠償請求をすることは可能であるとされる。これに対して、我が国においては、上記の原則が「会社生活の本質」にかかわる問題として捉えられる結果、その適用範囲は、株式会社の権利と構成されるものにとどまらず、株主が自らの権利として損害賠償請求権を取得するかという問題にも及ぶものと解されている。結果として、我が国では、不法行為に関する規定や取締役の第三者に対する責任に関する規定に基づいて株主は反射損害について賠償請求をすることはできないとされるのである。しかし、我が国における「会社生活の本質論」も、資本多数決原理に依拠する限り、株式会社に帰属する損害賠償請求権にのみ妥当する原理とせざるを得ないと思われる。また、実際上も、会社の損害について株主の単独での権限を否定するという原則を支える実質的な利益を株主が単独で賠償請求を行うということについて有する利益が上回る場合には、株主の固有の損害賠償請求権の成立を認める方がよいのではないかと思われる。その意味で、反射損害について商法266条ノ3第1項に基づく損害賠償請求権の成立の可能性を否定する我が国の通説は論理的にも実際的にも妥当ではないのではないかと考えられる。

第2の視点、すなわち、会社財産と株主の私的財産との関係についての視点は、我が国においては、資本維持原則によって捉えられてきた。しかし、会社の損害についての賠償が会社財産に帰属しなければならないとの原則は、人的会社や民法上の組合についても存在することが指摘できる。また、資本維持原則自体は、会社に帰属すべき財産の範囲について何かを語るものではない。我が国においても、会社財産の目的拘束と同様の概念の存在を認めうるのであり、そうであるとすれば、ドイツ法と同じく、会社財産の目的拘束という概念の方が、この問題をよりよく捉えるものであると考えられる。このように考えた場合、株主の固有の損害賠償請求権の行使が禁止されるものと解する必然性は存しない。むしろ、目的拘束が満足される形での株主の損害賠償請求権行使が可能であるならば、これを認めてよいのではないかと考えられる。その意味で、会社財産への賠償の給付を求める形で株主は損害賠償請求権を行使しなければならないとするドイツ連邦通常裁判所判例の規整の採用は株主の利益保護と会社財産の維持の要請をともに満足するものとして魅力的である。また、仮に請求権の主体と賠償給付の受領者が異なるという一見奇妙な結果が我が国の法体系上受け容れがたいとしても、少なくとも目的拘束が廃棄された、または、これと同視し得るような場合には、株主は反射損害についても固有の損害賠償請求権の行使を妨げられないと解すべきであろう。このような場合としては、ドイツ法の議論を参考としていくつかの場合が考えられるが、とりわけ、株主間対立を背景として会社財産に損害が加えられたような場合もその1つとして考えることができる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、取締役や支配株主等の株式会社財産に損害を与える行為に基づいて、当該会社の株主が、自らも所有する株式に関して財産上の損害を被ったことを理由として、当該取締役や支配株主等に対して損害賠償請求をなしうるかという会社法学上の周知の問題について、ドイツにおける19世紀後半から現代に至るまでの判例・学説の展開の跡を辿ることにより得られた示唆を基礎に、わが国のこの問題に関する判例・学説を再検討し、新たな視点のもとに解釈論上の解決策を提示しようとするものである。

本論文の考察の対象とする問題の典型例としては、取締役が任務懈怠により会社財産に損害を与える行為をした場合に、商法266条ノ3第1項に基づき株主が同項にいう第三者として当該取締役に対して損害賠償請求をなしうるかという事例があげられる。わが国の学説では、このような場合には、株主個人の損害賠償請求は認めるべきでないという見解が支配的である。しかし、下級審裁判例には、このような事例において、株主個人の損害賠償請求を認めているものもあり、この問題に関する解決のあり方については必ずしも明確な理論が確立しているわけではない。わが国では商法266条ノ3の存在のゆえにあまり議論がないが、株主が同様の損害に関して民法上の不法行為による損害賠償を請求できるかという問題もあるが、おそらくは商法266条ノ3についてと同様の考え方がとられることが予想される。これに対して、ドイツでは、同様の事例に関して、会社財産に損害が生じていることの結果として株主の財産にも損害が生じているという場合における株主の損害を反射損害(Reflexschaden)とよんだうえで、この意味での反射損害について、会社の損害賠償請求と別に、民法上の不法行為の成立要件が満たされる限りで、株主は個人としても損害賠償請求をすることができるが、その場合においても株主は損害賠償にかかる給付を自らに対してではなく会社に対してするように請求しなければならないという判例法理が第二次大戦後に確立し、学説もそのことの理論的説明については一様でないものの、結論自体には概ね支持している状況にある。

本論文は、このようなドイツにおける判例・学説の形成された経過を丹念に辿り、わが国では第二次大戦後代表訴訟制度が導入されたのに対して、ドイツでは代表訴訟制度が導入されてこなかったというような法制度上の相違があるとしても、ドイツの理論は、株式会社以外の会社一般に共通して妥当する、構成員の「会社財産への目的拘束」という基礎概念に根拠づけられるものであり、その考え方は、わが国の問題解決のあり方を考えるうえで有益な視点を提供するという立場から、株主個人の損害賠償請求がどのような要件のもとに認められるべきかの解釈論を提示するものである。

以下、本論文の概要を提示した上で、本論文に対する評価を述べる。

上記のような本稿の課題を述べる序章「問題の所在」に続く第1章「ドイツ法」では、反射損害に関するドイツの判例・学説の展開について論じている。問題意識を簡潔に述べる第1節「はじめに」に続く第2節「株主の単独訴権にかかわる法システムの形成−ドイツ19世紀の議論」においては、まず(旧)商法典第2改正(1884年)に至るまでの株式会社の本質に関する主要な学説として、(1)株式会社を実質的には組合、形式的には法人であるとするJollyの見解、(2)株式会社を会社財産の側面から捉え、これを個人財産と目的財産の中間形態にすぎず、法人格は目的財産に与えられた名称にすぎないとするBekkerの見解、および(3)会社は社団法人であり、実質的な組合としての性質を否定するRenaudらの見解があり、(1)および(2)においては取締役が会社財産を減少させる行為をした場合に、会社とともに株主にも損害賠償を請求する訴権が認められていたのに対して、(3)においては訴権は会社にのみあり、株主は少数株主権として会社訴権を行使する権利しかないという対立があったが、(3)が第2改正までには支配的になってきた経過を紹介する。しかし、(3)が支配的となった時期以降においても、株主が株主権を侵害されたことが不法行為の成立要件を満たす場合には、株主は個人の権利として取締役に対して損害賠償請求をすることができることが判例により一貫して認められてきたことが紹介され、この不法行為に基づく株主の損害賠償請求が、会社経営の便宜の観点からも株主の権利を制約的なものとした商法典の規定のもとにおいて、少数株主保護の機能を果たしてきたとする。

第3節「反射損害に関する請求権についての判例・学説の展開」においては、反射損害に関する株主の不法行為に基づく損害賠償請求権を認める判例・学説が、第2次大戦後も維持されつつ、その法理が変容されていく過程が紹介される。

まず、前提として、不法行為に基づく損害賠償請求権が成立する類型について、ドイツ民法典の不法行為に関する規定との関連で、(1)民法典823条1項の権利侵害に該当する場合(ただし、会社財産が減少したことにより単に株式の価値が低下したにすぎない場合には同項による不法行為は成立しないとする)、(2)民法典823条2項の保護法規違反に該当する場合(取締役の会社に対する注意義務を定める規定はこれに該当せず、横領・背任に関する刑罰規定違反がこの類型に該当するとする)、(3)民法典826条の故意の良俗違反に該当する場合(利益相反的な状況における取締役等による実質的に無償での株式の引受などがこれに該当するとする)があることが整理され、不法行為による損害賠償請求が認められるのは、取締役や支配株主が自己の利益を図るために会社財産に損害を与えたことにより保護法規違反または故意の良俗違反に該当する場合であることが整理される。

これに続いて、まず、反射損害について会社の損害と株主の損害との関係をどのように考えるかという問題について、(1)株主に損害はないとする見解、(2)株主の損害を株主の有する持分に生じた損害と捉える見解とが判例・学説上あったが、いずれも難点があり、現在の判例は、(3)特殊の損害であるとする見解が採用されているとする。この現在の判例は、1987年のDubai判決により明確に確立したものであり、同判決においては、損害賠償給付は、株主個人に対してではなく会社財産に対して給付されるべきであるとするが、その理由づけとして、会社財産の目的拘束(目的寄与)ということがあげられ、その後の判決ではこの法理は物的会社に限らず人的会社にも妥当することが明らかにされている。ここでいう目的拘束(目的寄与)とは、Martensらが提唱したものであり、人的会社を含めてすべての会社においては、会社財産は、会社という団体の目的追求のために拘束された財産であり、会社法上の適法な手続を経なければ社員への流出により減少させられてはならないという原則が妥当するとするものである。この原則に基づいて、反射損害について株主は確かに損害を被っており、株主に対する不法行為は成立しているとしても、それによる損害賠償給付は会社に対してなされるよう請求できるにとどまると解され、この解決により会社と株主との間の適切な利害調整が実現されるとするものである。もっとも、このような目的拘束ということに基づいて株主個人に対する損害賠償給付に制約を加えるという考え方からは、目的拘束を及ぼすのが適切でない場合には例外的に株主個人に対する損害賠償の給付を請求することが認められる余地があり、そのような類型として、会社自身には損害賠償請求権が成立しない場合、会社の損害賠償請求権が時効により消滅した場合、会社が一人会社である場合、会社が損害賠償請求権を放棄した場合、株主間に対立がある場合が学説により認められているとする。

第4節「まとめ−日本法への展開」では、以上のドイツ法に関する考察を総括した上で、わが国での対応する問題に対する理論的課題が示唆される。

第2章「日本法−学説の展開を中心として」では、反射損害について株主が商法266条ノ3第1項に基づいて損害賠償請求をすることに否定的な見解が有力であるわが国の学説がどのような経緯で形成されてきたかの過程を明らかにする。第1節「旧商法典下における株主の損害賠償請求権−会社の権利と株主の権利の共存」においては、旧商法典においては、取締役に対する損害賠償請求訴訟は、総会または20分の1以上の株主が選任する代理人が提起することができる旨の規定がおかれていたが、これに関して、当時の学説は、この規定にもかかわらず、反射損害について株主個人の権利行使が否定されないとする見解や原理上は権利行使ができるが政策的に法規定により制約を受けているにすぎないとする見解が支配的であったことが紹介される。続く第2節「明治32年改正商法典」でも、立法者はやはり株主が会社を通ずることなく自ら取締役に対して訴えを提起することができると考えていたが、学説では会社と株主が別個の人格であり会社の権利を株主が行使することができないという考え方が現れてきたことが紹介される。第3節「明治44年改正商法典」では、明治44年の商法典改正以降においては、反射損害について取締役の第三者に対する責任を認める法規定の解釈問題として論じられるようになり、株主の損害賠償請求権は成立しないという見解が学説上は支配的となってきたことが紹介される。このような学説は、様々な理由をあげていたが、そのうち重要であるのは、第1に竹田省の表現であるが「会社生活の本質」論であり、株主全体の利害に関わることについては、株主は例外なく会社を通じて自己の利益の擁護を図るべきであり、資本多数決の論理により株主の利益保護が実際には満たされないことがあったとしてもやむをえないとする議論であり、第2に、反射損害について株主が直接に取締役に対して損害賠償請求をすることが許されるとすれば資本維持の原則が無視されることになるという議論であったとする。とくに第1の「会社生活の本質」論はドイツ法の発想とは正反対の特異で出所不明の議論であったことが強調される。第4節「昭和25年改正」では、同改正により株主代表訴訟制度が新設された状況下で、反射損害について商法266条ノ3第1項に基づく取締役の第三者に対する責任を株主が問えるかという問題について、株主代表訴訟により株主は自己の利益を守るべきであるという「会社生活の本質」論にほかならない理由や、資本維持の原則という理由から否定的な見解が有力となったが、それに対しては代表訴訟制度の限界などから反対する見解もあることが紹介される。

「第3章総括と検討−日本法に関する一試論」は、前章までの考察を踏まえて、反射損害が生じた場合における株主の損害賠償請求権についての規整のあり方を、主として取締役が業務執行行為などを通じて会社財産に損害を与えた場合を念頭において考察する。第1節「はじめに」では、このような場合に関してはわが国では商法266条ノ3第1項に基づく責任が問題とされるが、前章で整理されたように株主の権利を否定する理論的根拠が会社生活の本質論と資本維持原則であることから、この2つの視点の検討が課題となるとする。

第2節「会社生活の本質論−反射損害と株主の権限」においては、会社生活の本質論という理由により反射損害についての株主個人の損害賠償請求権を否定する考え方に対する批判が展開される。まず、このような考え方は、会社の権利を株主が行使することを否定する根拠とはなりえても、不法行為や取締役の第三者に対する責任のように会社とは別に株主に独立の損害賠償請求権を与えることができるかという問題には、そもそも何も答えていないという形式論理的な問題があるとする。さらに、実質論として考えても、株主が自らの利益を擁護しようとする場合に、会社内部の救済手段を利用することにどのような限界があるかということについての利益衡量が反映されないという問題があるとする。わが国では代表訴訟制度は存在するものの、代表訴訟制度には事前の提訴請求要件などの手続法的制約、定款の授権に基づく免責、和解の可能性などにより株主の損害回復の基礎が奪われる可能性があり、依然としてドイツと同様の解決の意義はあり、またわが国で商法266条ノ3第1項に基づく株主の損害賠償請求が問題になっている事例は、株主間の対立を背景にした取締役側による新株の有利発行や取締役による会社財産の横領に近い事例であり、まさにドイツにおいては不法行為による損害賠償請求が認められる事例であるとし、その意味で会社生活の本質論によって株主個人の権限の制限を一律に制限することは妥当でないとする。

第3節「資本維持原則について」においては、資本維持原則という論拠は、会社の純資産額が資本金額を下回る場合にのみ株主の損害賠償請求権を否定すること以上を導くことはできないという問題があるほか、わが国では人的会社や民法上の組合においても会社や組合財産の財産を減少する加害行為があった場合に社員や組合員がその持分の価値の減少を根拠に個人で損害賠償請求をすることはおそらく否定的に解されていることからも明らかになるように、問題は物的会社における資本維持原則の問題ではなく、まさにドイツで論じられるすべての会社に共通する会社財産の目的拘束という会社構成員が会社財産の維持について有する利益を中心として考えられるべきであるとする。

第4節「株主の損害賠償請求権行使と目的拘束」は、以上の考察を踏まえて、会社財産の目的拘束を株主の損害賠償請求権行使の制約の根拠とする場合における株主の損害賠償請求権行使のあり方について論ずる。ここでは、ドイツで支配的となってきた会社財産の目的拘束の考え方から、反射損害について株主の損害賠償請求権に基づいて会社への損害賠償給付を求めることにより、侵害行為を受けた株主の利益保護と会社財産の目的拘束による同僚株主の利益の双方を満足することが可能となるのであり、そのような解決がわが国でも検討されてよいと主張する。もっとも、ドイツと同様の解決は、賠償請求権者と賠償の給付を受ける者が株主と会社という別個の者となるという一見奇異な結果となるが、これは第一次的には会社財産に生じている損害が株主においても損害として現れている反射損害の特殊性に基づくものであり、必ずしも異とすべきものではなく、また、株主代表訴訟制度についてもドイツと同様の解決と必ずしも矛盾するものではないとする。他方で、会社財産の目的拘束を及ぼすべきでなく、株主個人が損害賠償給付を受けることができる場合として、一人会社の場合、会社が損害賠償請求権を放棄する場合、株主間に対立がある場合があげられており、特にわが国の商法266条ノ3第1項に基づく株主の取締役に対する損害賠償請求がなされた事案の多くが閉鎖会社における株主間の対立を背景としていることから、会社財産の目的拘束の例外とすることの意味は小さくないとする。

第5節「具体例の検討−判例を素材として」では、以上の本論文の考察を前提として、取締役の会社財産を減少させる行為、および取締役側による新株の有利発行に関して商法266条ノ3第1項等により損害賠償請求がなされている事例について分析し、多くは株主間の対立がある事例であり、株主の私的財産に対する損害賠償の給付が認められている結論には合理性があるとする。

最後に第4章「結び」では、以上の各章の考察を総括した上で、今後の課題として、本論文であげた株主の権限および会社財産の構成員からの独立性という2つの視点がいずれも会社法人格と密接に関わるものであることから、法人格の意義との関わりで本論文の議論を位置づけ直すこと等があげられている。

以上が本論文の概要である。以下、評価を述べる。

本論文の長所として以下の点をあげることができる。

第1に、本論文でいうところの反射損害の事例について、本論文は、これまでわが国では本格的に紹介されてきたことがないドイツの反射損害についての株主の損害賠償請求権の取扱いについての判例・学説の展開を詳細に検討したうえで、その結果を踏まえて自分なりの理論枠組みを構築し、わが国の支配的学説を批判して、裁判例の解決には基本的に合理性があることを論証したことにある。本論文により、従来の学説が株主個人の損害賠償請求権を否定する論拠としてあげてきた、代表訴訟制度などにより会社の権利を株主が行使することが可能であり、株主の権利はそのような会社の権利を行使することに限定されるべきであるという理由づけ、および株主個人が損害賠償請求をすることが会社の資本維持の要請に反するという理由づけのいずれについても、本論文は理論的に大きな問題を内包するものであるという説得的な批判を展開しており、今後この反射損害の問題を論ずるに当たって本論文の提起する問題を避けては通れないという意味において、本論文は大きな一石を投じたものということができる。

第2に、本論文では、会社財産の目的拘束というドイツで確立しつつある概念を基礎に、反射損害に関して会社の権利と株主の権利との関係をどのように調整するかという理論的課題に果敢に取り組んでいるが、ドイツではこの反射損害に関する議論がたんに株式会社等の物的会社のみでなく人的会社等をも視野に収めて論じられており、この種の問題に関する理論的検討の視野が本論文により大きく広がり、法人や団体に関する一般理論にも新しい視点を提供しているということがあげられる。

第3に、本論文は、ドイツの難解な理論を比較法の対象としてとりあげているものであり、部分的には直訳的なところがあるものの、論旨は十分わかりやすく展開されており、わが国の理論に関する議論も明快である。

もちろん、本論文にも短所がないわけではない。

第1に、本論文はドイツの反射損害に関する判例・学説を比較の素材として課題に関する解決を模索するものであるが、比較の対象としたドイツ法とわが国の法との間には不法行為や取締役の第三者に対する責任の成立要件が異なっているという点や、代表訴訟制度の有無といった法制度上の大きな相違があり、これがドイツの理論の展開にも大きな影響を及ぼしていると考えられるが、その点の分析が必ずしも十分に展開されていない憾みがあることは否定しがたい。そのことが、株主は損害賠償請求権を有するが損害賠償給付の相手方は会社であるとするドイツ独特の解決が疑問の余地がない合理的な解決となりうるのか、またその論拠とされる会社財産の目的拘束という概念が十分に論証されたものであるのかという疑問をいまだ解消させないものとなっている。本論文では、慎重にドイツの解決そのものとは一歩距離を置いてわが国の理論のあり方に関する議論を展開しているが、そのことが本論文の説得力をいささか弱めていることは否定しがたい。

第2に、本論文は、会社財産の目的拘束という視点を強調しているが、ドイツでもこの概念はいまだ生成途上の段階にあるという印象を免れず、本論文の説得力を高めるには、法人や団体の法的構造、構成員の権利とその制約のあり方をどのように考えるか、またその点の理解について日独でどのような異同があるのかなど、一般理論にさらに踏み込んで検討する必要があったと思われ、その点で、本論文にはなお多くの課題が残っているといわざるをえない。

しかし、以上のような短所は本論文の価値を大きく損なうものではない。本論文はその課題を十分達成しており、反射損害に関する株主の損害賠償請求権のあり方についての日独の学説を詳細に分析し、この問題に関する解釈理論のあり方に関する新たな視点を提供することに成功しているということができる。本論文は、自立した研究者としての著者の高度の能力を示すものであることはもとより、停滞していた感のある反射損害に関する学説の議論を再度活性化する契機となりうるものである点で、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であると認められる。したがって、本論文は博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと評価する。

(以上)

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