学位論文要旨



No 120780
著者(漢字) 吉川,吉樹
著者(英字)
著者(カナ) ヨシカワ,ヨシキ
標題(和) 履行期前の履行拒絶に関する一考察 : 契約の拘束力からの離脱と損害の軽減の観点から
標題(洋)
報告番号 120780
報告番号 甲20780
学位授与日 2005.10.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第191号
研究科 法学政治学研究科
専攻 民刑事法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寺尾,美子
 東京大学 教授 内田,貴
 東京大学 教授 田端,博邦
 東京大学 教授 蒲島,郁夫
 東京大学 教授 森田,修
内容要旨 要旨を表示する

契約が有効に成立した後に、相手方当事者から、もはや契約の履行をなすつもりがないと告げられた場合、契約当事者は如何なる法的対応をとることができるであろうか。とりわけ、それが履行期到来前になされたというときには、なお履行期到来まで漫然と待つ他ないのであろうか。本稿が扱うのは、このような「履行拒絶」、特に「履行期前の履行拒絶」という法現象である。履行期前の履行拒絶に基づき直ちに損害賠償請求が可能となることは、イギリス法、アメリカ法、ドイツ法のほか、国際統一売買法の領域においても認められており、そこでは、任意の契約履行がもはやあり得ないことが明らかとなった以上、早期に当初の契約の拘束力からの離脱を認めることが、履行拒絶を受けた債権者の利益に適うという考慮が共通して見られるところである。

しかしながら、これをさらに一歩進めて、例えば、市場価格の変動が激しい動産の売買や、あるいは物の製作を目的とする契約の場合に、損害の拡大を漫然と放置することなく、早期に代替取引を行い、あるいは履行を停止するなどによって、損害の軽減に向けた方途をとることまでが要請されるか、という点については、各国における対応は相異ななったものとなっている。アメリカ法においては、直ちに損害軽減義務が課され、その後の損害の拡大分については損害賠償が否定されるのに対して、イギリス法、そしてドイツ法においては、履行期前の履行拒絶にもかかわらず、あくまで本来的契約の実現に固執して履行期到来まで待つということが可能であるとされている。このことは、言い方を換えれば、履行期前の履行拒絶に際して、自らの契約上の権利である履行請求権に固執することが可能とされるか、あるいは、直ちに損害賠償請求を行うことが、損害軽減の観点から要請されるのであるか、両者の関係が問題となるということを意味するものといえよう。

本稿は、契約不履行に対する救済方法としての履行請求権と損害賠償請求権との関係を改めて問題とする、我国における近時の学説による問題提起を受けつつ、履行期前の履行拒絶によって、債権者において不履行に基づく損害賠償を請求するのか、なお契約の本来的実現に固執するのかという選択的契機が顕在化した(すなわち、「「契約の拘束力からの離脱」があった)場合に、「損害軽減の観点」からの制約がなされるのであるかについて、比較法的に検討するものである。このような選択的契機を否定するにせよ、肯定するにせよ、各法体系は、自らの立場を明示する必要に迫られることになる。そこに、各法体系における履行請求権と損害賠償請求権との関係を垣間見ようというのが、本稿の狙いである。従って、本稿の課題は、「履行期前の履行拒絶法理と損害軽減義務法理との交錯」という形で現れ、「履行請求権と損害軽減義務との衝突」という意味において問われることになる。

具体的検討として、本稿はまず、履行期前の履行拒絶法理及び損害軽減義務法理が最も詳細に論じられている英米法について、これを検討した。英米法において、履行期前の履行拒絶法理は、1853年の先例以来まさに判例法理として展開し、その際その意義は、履行拒絶を受けた当事者を早期に契約の拘束力から離脱させ、損害の軽減に向けた行動をとらしめるという点に求められていたのであった。しかしながら、履行期前の履行拒絶法理と損害軽減義務法理との交錯から生ずる結論は、しばしば英米法として一括りにされがちなイギリス法とアメリカ法において異なる。それは、履行期前の履行拒絶を受けた当事者においてそれを契約違反とみなすか否かの選択権を認めるという「選択理論」に対する対応が、両者において異なったからに他ならない。すなわち、イギリスでは、履行拒絶を受けた当事者における選択を認めるのに対して、アメリカではこのような選択権が認められず、履行期前の履行拒絶という契約違反の発生により直ちに損害軽減義務が課せられるものとされたのである。こうした両者における相違の原因を、履行期前の履行拒絶法理の歴史的展開の内に求めるということが、検討の課題となったのであった。

その際、アメリカ法においては、履行期到来前において契約違反は生じうるのかをめぐり、契約の本質を、履行期において履行をなすという約束に見出すウィリストンによる激しい批判を受けた。しかしながら、この学説における論争を経て、履行期前の履行拒絶はそれ自体として契約違反となることが基礎付けられ、さらに統一商事法典の成立・改正過程において、「選択理論」は損害軽減の観点から明確に否定されるに到ったのであった。これに対して、そのようなものとしての「選択理論」がイギリスにおいて生成された理由は、履行期前の履行拒絶がまさに契約違反となり得ることが認められる1853年の先例以前において、履行期前の履行拒絶が、合意による契約解消に向けた申込として擬制されたことに由来するのであった。

しかしながら、イギリス法においても、損害軽減義務の観点は履行請求権との関係から否定されているわけではない。あくまで歴史的背景から、履行期前の履行拒絶が契約違反となるために相手方当事者の「承諾」が必要とされているのであって、契約違反が生ずると直ちに、損害軽減義務が課せられることは、アメリカ法と異なるものではなかった。

続いて、英米法と大陸法との対話の一つの成果ともいうべき、国際統一売買法について検討した。その際、1964年ハーグ統一売買法から、1980年国際動産売買ウィーン条約へ到る過程において、一定の事実の存在自体によって解除の効果を認める「事実の存在自体による解除(ipso facto avoidance)」が放棄されたことに着目し、このことによって、英米法上の展開を受けて置かれた、履行期前の契約解除規定そのものに実質的な変化は認められないものの、履行期前の契約違反事例における履行請求権と損害軽減義務との関係が、大きく異なるものとなったことを明らかにした。

すなわち、ハーグ統一売買法においては、重大な契約違反概念と結びついた「事実の存在自体による解除」を媒介として、代替取引と損害軽減義務の観念は履行請求権よりも体系的に優位となり、履行拒絶を受けた当事者は直ちに損害軽減に向けた合理的な措置をとることを要請されることになる。これに対して、「事実の存在自体による解除」が放棄され、意思表示による解除への転換がなされた国際動産売買ウィーン条約においては、むしろ履行請求権が体系的優性を持つことになる。従って、履行拒絶を受けた債権者は、少なくとも原則としてなお契約の履行に固執することができるものとされたのであった。

さらに、履行請求権の第一義性の原則をあくまで強固に維持するドイツ法について検討した。ドイツ法の下で履行拒絶法理は、まず損害賠償請求のための手続要件としての猶予期間設定、そして履行期到来まで待つことが不要であることを認める判例法として、展開・確立したのであった。しかしながら、BGB法体系において、いわゆる三分体系の下、履行障害事由は不能、遅滞、そして積極的債権侵害に限定されていたため、学説はこれらとの関係から、履行拒絶法理を体系的に位置付けるということにその関心を集中させてきた。しかし、これは結局ドイツ法の歴史的特殊性に解消される問題設定であり、むしろ解決されるべきは、履行請求権の体系的優性を背景に、履行拒絶を受けた債権者において、当初の履行請求から不履行に基づく損害賠償へと移行する時点を恣意的に左右することができるという、投機可能性の問題なのであった。

これに対しては、契約上の履行請求権に直接に§ 254 BGBに体現されている損害軽減義務を適用させようとする見解も、近時では見られた。しかし、まさにBGB法体系の基礎をなす履行請求権の第一義性の原則の強固性のゆえに、奏功することはなかったのである。さらに、この投機可能性の問題は、債務法改正の中で、債権者による解除権行使についての期間設定権限を債務者に認めることによって、立法的解決をはかるということも試みられたのであったが、それは結局新BGBには実現されなかったのであった。

最後に、日本法についても検討を行なった。日本の裁判例においては、債務者の履行拒絶がある場合には、債権者は口頭の提供も要せず、相手方の不履行責任を問うことができるものとされていた。もっとも、大審院以来の判例法における基準では、このことは、債務者にもはや翻意可能性がみなされない事態に到らないと生じない。そのような事態に到った以上は、もはや本来的契約の実現は望みようがないから、以後債権者としては契約の事後処理に向かうしかないといえる。しかしこれを逆面から見れば、そのような事態に到るまでは、債権者はなお契約実現に固執できるということも意味することになろう。

これに対して、近時の下級審裁判例においてはより柔軟な基準が採られていた。そこでは債権者の側ではなお履行期の延期を望んでいるような場合であっても、債務者による契約の拘束力からの離脱が可能なものとされ、その可否は、債務者の態様に対する評価を含めてなされていたのであった。このような基準を前提とすれば、債権者が不合理に契約の履行に固執するという態様についても、これを規範的に評価する可能性が開けのではないかと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

契約が締結されたとき、一方当事者(債権者)は相手方(債務者)に対し、合意された給付を請求することができ、債務者が任意に履行しないときは、国家権力の助けを借りてその給付の内容を実現する権利(履行請求権)を持つ。そして、履行が不可能になったり、一定の手続を経て契約が解除されたとき、履行請求権は損害賠償請求権へと姿を変える。これが伝統的な通説の考え方であった。しかし、今日では、このような理解が、比較法的には普遍性のあるものではないことが明らかにされている。実際、履行請求権を原則的な効力と考えない法体系も存在する。そして、契約から生ずる債権の原則的効力について、伝統的な通説を相対化する視点も提示されており、現在の民法学における最も興味深い論争点のひとつを生み出している。

しかし、より根本的な問題は、債権の原則的な効力について、なぜ法体系によりこれほどまでの考え方の違いが存在するのか、ということである。著者が本論文で探求するのはこの問いに対する答えである。発想の違いが最も顕在化する代表的な場面のひとつが、履行期前の履行拒絶の場面であることを見定め、著者はこれを研究対象に据える。履行期が到来する前に契約の一方当事者が自らの債務を履行する意思のないことを明らかにしたとき、相手方はどのような対応が求められるのだろうか。あくまで履行期を待って履行の強制を求めることができるのだろうか。著者は、履行期前の履行拒絶に対する特別な規律を持ちながら異なった対応を見せるアメリカ、イギリス、ドイツの法制度を比較することを通じて、発想の相違の背後にあるものに迫り、債権の原則的効力についての論争に、新たな知見を加えようとする。

本論文は、字数30万字を超え、200字詰原稿用紙2000枚前後の長さであるが、全体は5つの章から構成される。第1章「序論」では、現在の日本の民法学界における論争を概観した上で、問題及び検討対象の設定、ならびに視角の提示が行なわれる。第2章「英米法における履行期前の履行拒絶法理の歴史的展開と損害軽減義務法理との関わり」においては、イギリスとアメリカの比較法的考察がなされ、「英米法」と一括することがおよそ不可能なほどの異質性が存在することを明らかにする。第3章「国際統一売買法における履行期前の契約解除に関する条項の成立過程」においては、大陸法とコモンローの調和を試みた国際統一法における処理を明らかにする。第4章「ドイツ法における履行拒絶法理の展開と契約の拘束力からの離脱」においては、ドイツの通説の形成から債務法改正までの過程をたどり、この問題に関するドイツ法的特質を明らかにしている。最後に「結章」において、比較法の結果をまとめ、日本法にどのような示唆がもたらされうるかを論じ、今後の課題を確認している。

以下、本論文の概要を提示した上で、本論文に対する評価を述べる。

第1章第1節「問題の設定」で著者は、履行期前の履行拒絶がなぜ問題なのかを論ずる。この問題は、履行期前に債務不履行がありうるのか、仮にありうるとするなら、それを理由として「債権者が契約の拘束力から離脱すること」が認められるのか、というそれ自体興味深い固有の理論的問題を含む。同時に、もし、債権者に「損害軽減義務」が課されて、履行期の到来を待って履行を求めることが許されない場合があるとするなら、つまり履行期前の債務不履行に対して何らかの積極的な対応をとることが一種の義務となるなら、履行期に本来の履行を求めることを契約の第一次的な効力であるとする伝統的な理解を揺るがすことになる。その意味で、この問題は、契約法の基本理論ともつながっているのである。

ここで出てくる「損害軽減義務」や「履行期前の履行拒絶」については、日本にも若干の研究があるが、異なる法体系を射程に含めた本格的な比較法研究は乏しい。その意味で、本研究はこの問題についての初めての本格的比較法研究といえる。しかし、著者は、単に、外国に存在する法理としての「履行期前の履行拒絶」を比較法的に研究するという姿勢で本論文をはじめるわけではない。

著者は、第2款「履行請求権と損害賠償請求権との関係を改めて問題とする近時の見解」において、債務不履行に対する救済手段としての履行請求権の位置づけについて、最近の民法学で新たな議論が展開されていることを紹介する。そして、あくまで履行請求権を中心に据える伝統的通説と異なり、履行請求権と損害賠償請求権の関係を選択的に捉える考え方が有力に主張されていること、履行請求権の体系的な優位性を否定する考え方が損害軽減義務との関係で主張されていることを指摘する。このような、契約から生ずる債権の効力についての根本問題について、日本の論争状況を踏まえた上で、著者は、その論争の前提をなす知見を豊かにするような素材として本研究を位置づける。

こうして、履行期前の履行拒絶と損害軽減義務の交錯について考察することが課題として設定される。すなわち、履行期前の履行拒絶に対して、即時に損害賠償を請求することを認めるなら、そこには「債権者による選択的契機」が内在することになる、と著者は言う。「履行期前の履行拒絶に際して、即時の損害賠償請求が可能となった債権者は、さらに損害軽減の観点から、このこと(履行請求をせず損害賠償の請求をすること)を要請されるのであろうか。このような選択的契機を否定するにせよ、肯定するにせよ、各法体系は、自らの立場を明示する必要に迫られることになる。そこに、各法体系における履行請求権と損害賠償請求権との関係を垣間見ようというのが、本稿の狙いである。」

第2章では、履行期前の履行拒絶の法理や、損害軽減義務の法理が生まれた英米法が対象とされる。

まず、第1節「英米法における履行期前の履行拒絶の意義と損害軽減義務」では、履行期前の履行拒絶法理の源泉とされる1853年のオーチスター対デ・ラ・トゥア事件や1872年のフロスト対ナイト事件等に遡ってイギリスの判例法理をたどり、損害の軽減という考慮から、履行期前に債権者が契約違反を理由に損害賠償を請求することが認められていたことを明らかにする。ところが、損害軽減という考慮は、その後、イギリスとアメリカとで、その果たす役割を大きく異にし、履行期前の履行拒絶の扱いについて、大きな相違を生み出すことになったことを、歴史的に明らかにしていく。

そのために、まず、損害軽減義務の法理の歴史的な展開を、英米それぞれについて詳細にたどる。そして、イギリスにおいては、損害軽減の内容として、「代替取引義務」は認められているものの、履行期前の履行拒絶に対する対応として、自らの債務の履行準備行為(たとえば給付目的物の製造)を停止する「履行停止義務」までは認められていないこと、これに対して、アメリカでは双方が認められていることが指摘される。

そして、その理由として、履行期前の履行拒絶に対してイギリスで確立した「選択理論」が重要な鍵を握ることを明らかにする。選択理論とは、履行期前の履行拒絶に対して、債権者はこれを受け入れて債務不履行と確定し、契約を解消して損害賠償を請求するか、または、契約を維持してあくまで履行を求めるかの選択ができるという理論であり、フロスト対ナイト事件判決がオリジンとされる。イギリスでは履行拒絶を受け入れることを「承諾」と構成するが、これは、当初、履行期前の履行拒絶が契約解消に向けた申込みに類似するものとして捉えられていたことに由来する。

選択理論が採用されると、履行期前の履行拒絶に対して債権者の対応は2つに分かれ、履行拒絶の申入れを承諾して、契約違反の責任を追及するか、契約の効力を維持して自らの債務を履行し、履行期に相手の履行を求めるか、となる。債権者には、後者を選択する自由がある、というのが選択理論である。このような発想の背景には、損害軽減義務が損害賠償法上の法理であって、契約の履行を求める場面では適用されないと解されていることがある。

これに対して、選択理論が否定されて履行期の履行を待つことが権利性を失うと、履行期前の履行拒絶に際して債権者に損害軽減義務が働き、損害軽減のための合理的な行為をするようただちに求められる余地が生ずる。

このように選択理論は損害軽減義務と衝突するがゆえに、アメリカでは継受されなかった。その拒絶の経緯を、筆者は第2節「履行期前の履行拒絶法理の歴史的展開」において詳細にたどる。すなわち、アメリカの法理は、第一次リステイトメント、統一商事法典(UCC)、第二次リステイトメントという展開の中で確立するが、その過程を、それぞれの起草過程に立ち入って詳細にたどり、アメリカでは非常にプラグマティックな政策判断によってルールが選択されたこと、その際、履行拒絶を受けた側の当事者が、損害軽減義務を課されることで不安定な立場に置かれることを避けるために、履行を拒絶した当事者に対して履行に対する保証を要求する権利が、UCCや第2次契約法リステイトメントで認められていることが明らかにされる。

以上の分析を踏まえ、第3節「履行期前の履行拒絶法理の歴史的意義―「選択理論」の意義・再考」では、なぜイギリスで選択理論が維持されているのかを改めて問う。イギリスにおいても、選択理論のもとで契約の履行に固執することが無駄な出費をまねくという問題点は、1961年のホワイト・アンド・カーター社対マクレガー事件で示された。これはXが役所に納入するくず入れに広告プレートを付ける契約を結んだYが、まだXが何の履行準備も行なわない間に自らの履行の拒絶を伝えたにもかかわらず、Xはあくまで契約どおりの履行を行なって報酬を請求した事件である。貴族院はXの請求を認めたが、このような帰結が経済的にはまったく無駄であるとの批判もある。しかし、イギリスではいまなおこの理論が維持されている。もっとも、選択理論の不都合を回避する手段として、履行に固執することに「正当な利益」がない場合は債権者が自分の債務を履行して代価請求をすることは認められないという、損害軽減義務と類似の結果をもたらす法理が援用されている。しかし、これは衡平法上の例外的法理という位置づけであって、選択理論の原則は揺るがなかったことが明らかにされる。

続いて第3章では、第2章で考察した英米の法理の影響を受けつつ形成された国際統一法(ハーグ統一売買法、国連国際動産売買条約、ユニドロワ国際契約原則、ヨーロッパ統一契約法)が検討の対象となる。

とりわけ、ハーグ統一売買法から国連国際動産売買条約(CISG)への過程の中で、一定の債務不履行が生じたという事実の存在自体によって契約が解除されるという規定が廃棄されたこと、このため、履行期前の履行拒絶に対して債権者が解除できるという規定だけでは、解除しない自由もあるかのように読めるため、損害軽減義務の有無をめぐって激しい議論が交わされたことを紹介する。国際統一条約の場合、法圏の違いのほか、南北問題の視点もかかわり、問題は複雑化する。

結果的にCISGでは履行請求権が損害軽減義務で制約されるのかどうかが明文上明らかではなく、その解釈にも対立が生ずることになった。著者自身は、履行請求権が体系的優位性を持つことになったと総括している。ここにも、履行請求権との関係で損害軽減義務をどのように捉えるかについて、各国の相違が大きく、その調整が容易ではないことが示される。

こうして、履行請求権の原則性を堅持する発想が想像以上に強力であることが明らかにざれるが、著書は続いて、第4章において、この発想の総本山的な地位にあるドイツ法の考察へと向かう。

第1節「ドイツ法における履行拒絶の意義と契約の拘束力からの離脱の在り方」では、BGBに明文の規定を欠く履行拒絶の法理が判例法の中で確立していく過程が示される。ドイツでは、民法典施行直後のシュタウプによる積極的債権侵害論の提唱後、この理論は直ちに判例により採用され、そして履行拒絶にも適用されることになる。すなわち、判例は履行期の前後を区別せず履行拒絶を積極的債権侵害として位置づけたのである。学説上も、少数の批判はあったが、履行期前の履行拒絶を債務不履行として扱い、契約の拘束力から離脱することは受け入れられていた。しかし、ドイツ法における問題は、これを法体系の中に理論的にいかに位置づけるかであった。

第2節「履行拒絶の体系的位置付けをめぐる学説の展開」においては、この点をめぐる学説の論争が詳細にたどられる。まず、学説の多くは、履行期前の履行拒絶は積極的債権侵害、履行期後は遅滞という具合に、履行期の前後で理論的な位置づけに区別を設けるべきことを主張したが、このような区別は、判例に影響を与えるには至らなかった。他方、ドイツには、ラーベルのような比較法に明るい学者を中心に、イギリス法の影響を受けた理論、つまり履行期前の履行拒絶を契約解消の通告として扱い、契約の拘束力の否定を矛盾行為の禁止で基礎付ける学説の流れも存在した。

その後、通説と上記の有力説を統合することを意図したレーザーの学説が登場する。レーザーは、履行期前の履行拒絶が独立した一個の契約違反形態であることを主張し、その判断の総合的考慮の中で、通説や反対説の双方の短所を補おうとした。著者は、このレーザーの学説が、普通法以来のドイツ法の体系における給付義務についての厳格さが、今日の契約実務に適合しなくなっているとの認識を背景としていることを指摘し、そのような強固な契約の拘束力の原則に対するアンチテーゼのひとつとして、履行期前の履行拒絶論が主張されたことを述べている。

この見解をさらに発展させ、民法典の体系に位置づけようとしたのがフーバーである。フーバーは、履行期の前後を問わず積極的債権侵害として位置づける判例法理をすでに慣習法化しているとして受け入れつつ、その特殊性を指摘し、通常の積極的債権侵害論をそのまま転用することを批判する。

以上の学説の展開について、著者は、ハーガー等に拠りつつ、特殊ドイツ的な(それも債務法改正によって意味を失った)債務不履行の3分体系を前提とした余り実益のない論争であったと評価している。つまり、法定されている遅滞と不能、その後導入された積極的債権侵害のいずれに当てはめうるかにのみ関心が集中され、その結果、履行拒絶に対して債権者がどのように権利行使すべきかをめぐる問題が、長らく等閑視されてきたという。

ここには、比較法研究の知見をもとに、ドイツ法学を相対化する視点が明瞭に見て取れる。

続いて第3節「履行拒絶に基づく権利行使をめぐる問題―債権者における投機可能性と損害の軽減」において、著者は、履行拒絶を受けた債権者が取りうる行為についての、より実践的な議論の内容を探っていく。

履行拒絶が確定的、終局的であれば、債権者は直ちに契約の拘束力からの離脱を選択し、損害賠償なり解除の権利を行使できる。しかし、そのためには、履行拒絶が確定的・終局的でなければならない。この点の判断のリスクを回避するために、判例上、履行意思確認のための債権者による猶予期間の設定が認められている。

他方で、履行期前の履行拒絶に対して、債権者が契約の拘束力から離脱して損害賠償請求の選択などをしていない限り、債権者の履行請求権は存続し、債務者は履行拒絶を撤回できるとされている。ということは、債権者が代替取引に着手しても、債務者が履行拒絶を撤回すれば、それは無駄になることになる。この点のリスクは、ドイツ法においては、契約からの離脱を選択しない限り完全には回避できない。著者は、この点をめぐる判例・学説を丹念にたどる。

このようなリスクはあるものの、債務者の履行拒絶に直面した債権者は、あくまで履行を求めるか、それとも解除や損害賠償請求をするかが選択でき(選択を迫られるイギリスの場合と異なりドイツでは債権者は決定を留保して選択の余地を開いておくことができる)、結果的に、債権者は投機的な行動がとれることになる。損害軽減義務は、それを回避することを目的としている。しかし、この点について、ドイツでは問題として意識はされているものの、比較法的視点から批判論を提示するラーベルのような学説もあるとはいえ、解釈論としてこの考慮を反映させるには至っていないことが明らかにされる。

このような判例や学説の態度は、英米法や国際統一法の考察を経た著者の目には、十分な合理性を持ったものには映らない。そこで著者は、ドイツ民法において損害軽減義務の反映と見うる規定である共働過失の規定(254条)の解釈として、損害軽減義務の主張がなされていないかを探る。確かに、同条に関するライヒ裁判所のリーディングケースは、履行請求権について同条を適用することを否定し、債務不履行に直面した債権者には、積極的な代替取引の義務はないと言う。しかし著者によれば、請負契約の瑕疵修補請求権、代理権濫用、使用貸借といった様々な局面で、一種の損害軽減義務が履行請求権を制約することを認める判例が存在することを紹介する。これらの判例は、学説の批判を浴びてきたが、近時、判例を肯定して、ドイツ民法254条の履行請求権への適用に積極的な立場の学説が生じている。それは、ドイツにおける履行請求権の硬直的なまでの原則性に風穴を開ける契機となりうるようにも見える。しかし、それらの説を詳細に検討した著者は、いずれも完全には成功していないことを確認する。こうして著者は、ドイツにおいて履行請求権があくまで債権の本来的権能であるとする観念(著者は履行請求権の第一義性と表現している)がいかに強力であるかを再確認することになる。

ドイツ法の考察の最後に、第4節「債務法改正と履行拒絶―履行請求権の体系的優位性の原則と損害軽減の可能性」において著者は、債権者による投機可能性を現行規定の解釈論として回避できなかったドイツ法は、2002年の債務法改正においてどのような立法政策を採用したのかを探る。

まず、1981年のフーバー鑑定意見書以降、草案には履行期前の履行拒絶についての規定が置かれており、最終的にはその規定は解除に関する規定に入った。また、債務不履行の3分体系の放棄により、履行期前の履行拒絶をそのような体系の中にいかに位置づけるかという争点も消滅した。他方、債権者の投機可能性についての対応は、債務者から債権者に対して、解除権を行使するかどうかの催告期間の設定を認めるという規定が、フーバー意見書以来草案段階に見られたが、最終的にこの規定が落ちることにより、結局手当てはなされなかった。

では、投機的行動を抑止するという合理的な法政策が立法論においてさえ取り上げられなかったのはなぜか。その理由として、著者は、義務違反をした債務者は、自らの不利益な地位を免れるためには、当初の合意どおりの履行をすればよい、という観念、つまり、契約の拘束力の原則への固執を見る。そして、損害軽減義務の不在による不都合は、やむをえない必要悪として甘受されていると見るのである。もちろん、信義則を媒介とした利益考量によって対処する途が閉ざされているわけではないが、それは損害軽減義務に代替しうるようなものではないのである。

結章として、本論文の内容を要約し、日本への示唆に触れている。関連する日本の裁判例は多くはないが、判例上は、履行期前の履行拒絶は、特に履行期前であることを問題とせずに同時履行の抗弁権の喪失事由となり、債権者による債務不履行解除を認めるものが少なくない。しかし、そこでは債務者に翻意可能性がないような事態になることが要求されていた。これに対し、近時の下級審には、もう少し柔軟に履行拒絶に対する解除を認めるものがあらわれている。著者は、この傾向の中に、債権者があくまで履行請求権に固執することに対する規範的評価、すなわち、それを場合によっては不合理な態度であると評価することの可能性が開かれうることを示唆するが、しかし、その示唆以上に進むことを自制し、論文を結んでいる。

以上が本論文の概要である。以下、評価を述べる。

第一に、本論文は、履行期前の履行拒絶に対する債権者の対応のあり方を扱う初めての本格的な比較法研究である。著者はその際債権者の負う損害軽減義務が、履行拒絶に対する債権者の救済にどのような影響を及ぼすかという視角を設定している。この視角は、非常に限定されているように見えて、実は、債権の原則的効力とされる履行請求権の第一義性(損害賠償に優先する原則的効力であること)を評価し、それに対峙する法原理ともいえる損害軽減義務の有効性をはかるうえで、極めて適切である。債権法の根本問題に迫る上で、著者のこの視角設定は十分成功している。そして、英米ドイツを対象とするその考察は、比較法研究として、成功と評価しうる水準に達している。

第二に、英米の違いを、選択理論への対応を通して明らかにしたことは、英米法とひと括りされることの多い契約法が、その基本的な部分で大きな違いを内包していることを明らかにした点で、評価に値する。

第三に、ドイツの分析は、ドイツ人の語るドイツ法を紹介したものではなく、ドイツで表面上は排除されている思考を、学説判例に分け入って何とか見出そうとする苦心をうかがわせる研究である。本論文が確認したことは、自明のこととされている履行請求権の優位性が、いかに強力な法原理であるかということであるが、諸学説の論争の中で揺らぎを見せつつも、履行請求権の原則性があくまで維持されるプロセスを描き出したことの意義は大きいといえる。

第四に、本論文は、大変平明、明晰な文章で書かれており、しかも、叙述の要約が要所要所に置かれているため、読み進むのに負担を感じない。このような読者への配慮も、本論文の長所と言えるだろう。

もちろん、本論文にも欠点がないわけではない。

第一に、やや推敲不足のところがあり、ミスプリントと思われる箇所が散見されるほか、論述の表現や構成も、もう少し時間をかければ改善の余地があると思われるところがある。

第二に、アメリカ法の考察や、ドイツの債務法改正過程の考察では、もう一歩踏み込んで資料に分け入っていれば、叙述に一層の厚みを加えたであろうと思われる箇所がある。とくに、なぜアメリカで損害軽減義務が大きな射程を与えられているのか、なぜドイツで、履行請求権の原則性を揺るがす議論が有力化しなかったのか、等々について、議論の背後にあるさらに深い部分に踏み込めれば一層興味深かったのではないか、という印象を抱く。もっとも、これは本論文が明らかにした事実の興味深さによって引き起こされた問題意識とも言え、やや望蜀の感があろう。

第三に、スケールの大きく長大な本編に対比して、結論部分が薄く、序章で考察した日本の議論への接続も欠けているように見える。本論文は、日本法の解釈論への提言を直接の目的とするものではないとはいえ、結論部分を充実させる余地があるようにも思われる。

もっとも、本論文で著者は、当初、損害軽減義務の合理性を根拠に、履行請求権の第一義性(または優位性)を相対化する視点を得ようとしたものと思われる。つまり、法体系による相違はあっても、いずれ各法体系が収斂すべき法理が存在することを論証しようとしたものと思われる。その意味で、ドイツ法の考察は、強固な履行請求権の原則の中で、何とか、それを相対化する手がかりを見つけようとする苦闘の記録である。しかし、結局著者が確認したのは、ドイツ法における、ほとんど合理的説明を超えてまでに強固な、履行請求権及び履行義務の伝統的観念であった。この大きな壁を前にして、著者は、確定的な結論を導くためにはなお多くの課題が存在することを確認し、安易な結論を導くことを避けたものとも思われる。

このような、法体系の間に横たわる、合理的説明を拒むともいえるほどの壁の存在を確認することは、まさしく比較法研究の成果の一つであり、それをもってひとつの完結した研究と見ることは十分可能である。その壁の大きさや厚さについての安易な推測をあえて控え、残された研究課題を確認するにとどめた著者の態度は、学問的誠実さの表れであるとも評価できよう。

以上のように、上記の欠点は本論文の価値を大きく損なうものではない。本論文はその課題を十分に達成しており、履行請求権をめぐる学説の論争に貴重な視点を加えるだけでなく、履行期前の履行拒絶という、従来日本法上、必ずしも十分意識化されていなかった態様の不履行について、今後意識的に議論が展開される契機となる研究といえる。本論文は、自立した研究者としての著者の高度の研究能力を示すものであることはもとより、債権法における最重要課題のひとつである履行請求権をめぐる議論に、新たな角度からの比較法的知見を加えるものであり、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であると認められる。したがって、本論文は博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと評価する。

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