学位論文要旨



No 120783
著者(漢字) 宮澤,真史
著者(英字)
著者(カナ) ミヤザワ,マサシ
標題(和) 二次元翼周りの乱流境界層から発生する広帯域空力音の数値解析
標題(洋)
報告番号 120783
報告番号 甲20783
学位授与日 2005.10.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6164号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,千幸
 東京大学 教授 笠木,伸英
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 荒川,忠一
 東京大学 教授 大島,まり
内容要旨 要旨を表示する

本研究では,基礎的な流線形物体である二次元翼周りの流れを対象に,翼周りの乱流境界層から発生する広帯域の空力音の数値解析を行い,低騒音風洞で計測された実験データを用いて,解析精度を検証した.また,解析結果から乱流境界層における広帯域空力音の音源構造を明らかにした.

本論文は,本論6章と付録4章(A〜D)からなる.第1章では,翼周り乱流境界層から発生する広帯域空力音に関する本研究の意義を明らかにするために,研究の背景と目的,および,本研究の位置づけについて述べた.第2章では,本研究で用いた数値解析手法およびその基礎となる空力音響理論をまとめた.第3章では,数値解析で用いた解析メッシュおよび解析条件を示すとともに,解析精度の検証に用いた空力音響実験の概要を示した.第4章および第5章では,翼周りの乱流境界層から発生する空力音の数値解析結果を,流れ解析結果(第4章)と音響解析結果(第5章)に分けて述べた.そして,以上の議論から得た本研究の結論を第6章にまとめた.また,付録AおよびBでは,第2章の空力音響理論の補足としてCurleの式とHoweの式についてそれぞれまとめた.付録Cでは,第3章において概要を述べた空力音響実験データの内,数値解析精度の検証データとして用いなかった条件の実験データを示した.付録Dでは,第4章に結果を示した,流れの数値解析における計算パラメータの詳細をまとめた.

本研究の研究対象である流線形物体周りの乱流境界層から発生する空力音は,送風や冷却に用いられるファンなどの流体機械や,新幹線や自動車など高速で走行する車両の車体や外装部品の周りの流れ,あるいは,HDDなどの高速回転体から発生する空力騒音を構成する主要な成分の一つとなっている.近年,機器の高速化や固体振動に起因する音の低減が進んだことなどに伴って,こうした分野では空力騒音の低減が重要な開発課題の一つとなっており,騒音レベルへの寄与が大きい大規模な剥離や層流の渦放出,流体機械の動静翼干渉などに起因するピーク性の音に関しては,理論的・実験的な手法や比較的小規模の数値解析に基づいて低騒音化が進められている.それに対して,物体周りに付着した乱流境界層から発生する広帯域空力音は,乱流境界層中で生成される様々なスケールの乱流渦の変動によって生成される音であり,従来の騒音予測や低騒音化の手法を適用することが困難な対象の一つである.本研究では,Lighthillの音響学的類推に基づく分離解法を用いて,流れと音の解析を独立に行う.流れの数値解析はサブグリッドスケール(SGS)モデルにDynamic Smagorinskyモデル(DSM)を用いた有限要素法非圧縮LES解析によって行い,音響解析には,Powell-HoweのVortex Sound理論に基づくHoweの式を用いる.

本研究で対象とする流れは,断面形状がNACA0012翼型の二次元翼周りの低マッハ数流れであり,翼は揚力を発生している状態(Lifting Condition)にある.解析は,実際の機械における流れを念頭に,剥離遷移を伴う流れと剥離を伴わずに乱流遷移する自然遷移流れの2種類の条件について行った.これら2種類の流れについて,翼弦長と一様流流速を基準として算出したレイノルズ数はそれぞれ,2.0×105と2.5×106である.精度検証用のデータを取得した実験において,これら2種類の条件はそれぞれ,翼弦長0.15m,一様流流速20m/sの条件,および,翼弦長0.75m,一様流流速50m/sの条件に対応する.また,翼の迎角は,2種類の解析条件ともに9度とした.

流れのLES解析に用いたメッシュは,8節点6面体の要素からなるC型メッシュであり,差分法で用いられる構造格子と同様の方法で生成された.解析メッシュの二次元断面図を図1に示した.解析領域のスパン方向には,翼弦長の50%の長さの領域をとり,同領域を約800万要素に分割した.また,解析精度に対するメッシュ解像度の影響を検証するため,プロペラファンなどの小型の流体機械を対象とした実用的な解析で通常用いられるメッシュ解像度を念頭に,スパン方向の解析領域長さが翼弦長の100%の領域を約200万要素に分割した低解像度メッシュも作成した.解析における境界条件は,翼面上にNo-slip条件を設定し,流入条件は迎角9度相当の乱れのない一様流を設定した.

レイノルズ数2.0×105のLES解析結果に関しては,鈴木らにより東京大学生産技術研究所の低騒音風洞において計測された実験値を用いて,翼面静圧および後流流速分布の解析精度を検証した.その結果,800万要素のメッシュを用いた解析により得られた翼面静圧の時間平均値および静圧変動の分布は実験値と一致した.後流流速分布,流速変動分布に関しても解析結果と実験値はほぼ一致した.また,同解析によって,翼負圧面側の境界層の剥離と乱流遷移,再付着に至る現象,すなわち,境界層の剥離と再付着によって生成される剥離泡(Separation Short Bubble)内の乱流遷移をともなう非定常流れを予測することができた.剥離泡内では,剥離により生成された剥離剪断層に,Kelvin-Helmholtzの不安定がスパン方向に非一様に発生するために,剥離により生成されたスパン方向に軸を持つ二次元の渦が三次元的に崩壊し再付着に至る.再付着の際に翼面上では渦の崩壊による強い静圧変動が発生し,再付着点付近で翼面静圧変動は最大値をとる.また,剥離剪断層より内側の剥離域では,剥離剪断層とは逆向きの渦度を持つ二次的な渦が発生し,剥離剪断層の渦との相互作用によって,渦が下流に放出される.境界層の剥離遷移を高精度に解析した結果,下流の乱流境界層の領域においても,翼面静圧変動やスペクトル,境界層プロファイルなどの定量的な予測が可能となる.一方,解像度の低い総要素数約200万のメッシュを用いた解析では,翼面時間平均静圧分布や後流の時間平均流速分布の定量的な予測は行えるものの,変動値やスペクトルレベルは大幅に過大評価され,定量的な予測精度は低い.低解像度のメッシュでは,剥離遷移の現象を格子スケールで十分に解像できないために,渦の崩壊を捉えることができず,再付着後の乱流境界層域においても二次元的な渦構造が残留し,そのことが強い静圧変動を引き起こす原因となっていると考えられる.

レイノルズ数2.5×106の自然遷移流れについては,本研究の一環として(財)鉄道総合技術研究所の大型低騒音風洞において空力音響実験を行い,検証データを取得した.流れのLES解析は,前述の800万要素のメッシュを用いて実施したが,レイノルズ数2.5×106の流れに対しては,メッシュの解像度が大幅に不足しているため,レイノルズ数2.0×105の流れの解析における200万要素のメッシュを用いた解析と同様に,変動値に対する解析精度が十分に得られなかった.しかし,本LES解析により,翼負圧面側境界層の自然遷移を定性的に捉えることができた.図2および図3に示すように,本研究の解析手法および解析メッシュにより,レイノルズ数の変化に伴う境界層の遷移形態の違いを定性的に予測可能である.

以上,二種類のレイノルズ数の流れに関するLES解析と精度検証の結果から,翼周りの乱流境界層のLES解析においては,境界層の乱流遷移過程を高精度に解析することが全体の解析精度を向上させる上で重要であることが分かった.境界層の乱流遷移過程は,DSMなどの一般的なSGSモデルを用いたLES解析では,モデルによって解析精度を改善することが困難であり,現象をグリッドスケールで解像する必要がある.遷移後の乱流境界層部分では,DSMを用いることにより,特にパラメータの調整を行うことなく,層流域や壁面近傍でのSGS粘性の減衰を適切に見積もることができる.本研究の解析結果から,レイノルズ数2.0×105の流れにおいて乱流境界層の高精度な解析を行うためには,剥離泡に対する二次元断面内の要素分割が流れ方向に150分割程度,翼面と垂直な方向に15分割程度必要であることが分かった.また,低解像度の200万要素の解析メッシュでは,剥離泡内において,流れ方向に50分割程度,翼面と垂直な方向に7分割程度の解像度があるが,剥離遷移の解析精度は不十分であった.スパン方向の要素分割に関しては,乱流境界層における壁座標値で表した解像度が50程度になるように分割を行う必要がある.解像度が壁座標値で150程度と低い場合には,境界層プロファイルの定量的な予測精度が得られない.よって,翼周りの乱流境界層を高精度に解析するためには,乱流遷移領域の解像度から二次元断面の要素分割数を決定し,乱流境界層における解像度からスパン方向の要素分割数を決定すべきであると考えられる.

図4は, LES解析結果からPowell音源(渦音源)を計算し, Howeの式に基づく音響解析により,レイノルズ数2.0×105の流れから発生する音を計算した結果である.音響解析の空間積分式において用いる音響場の特性を表すGreen関数を,音波の位相を考慮して境界要素法により数値的に求めることによって,高周波成分を含めた広帯域空力音の定量的な予測を行うことが可能となった.また,音源分布の可視化結果から,レイノルズ数2.0×105の流れから発生する広帯域空力音の主要な音源は,翼前縁近傍の剥離遷移領域と再付着後から翼中央付近の乱流境界層が発達する領域に分布していることが分かった.レイノルズ数2.5×106の場合に関しては,流れ解析の精度が低く,音の予測精度は不十分であった.

本研究では,二次元翼周りの剥離遷移流れおよび自然遷移流れに関して,LES解析およびHoweの式に基づく音響解析を行い,実験データを用いて数値解析精度の検証を行った.そして,レイノルズ数2.0×105の流れから発生する空力音の定量的な予測が可能であること,および,空力音の音源構造を明らかにした.また,解析結果から,翼周りの乱流境界層の解析を高精度に行うための,空間解像度に関する指針を得た.

図1 解析メッシュ

図2 翼面近傍の渦構造の可視化結果

(レイノルズ数2.0´105,迎角9度,▽2p = 2500の等値面)

図3 翼面近傍の渦構造の可視化結果

(レイノルズ数2.5´106,迎角9度,▽2p = 2500の等値面)

図4 音圧レベル

(Measured: 実験値,Low-Frequency Approximation: 低周波近似を用いた予測結果,Prediction: 数値解析による予測結果)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,「二次元翼周りの乱流境界層から発生する広帯域空力音の数値解析」と題し,6章より成っている.

流れから発生する空力音は,音のパワーが流速の増大とともに急激に増大する性質を持っており,流体機械や高速車両の分野では,空力音の低減が重要な開発課題の一つとなっている.空力音の低減に関する研究開発は,従来の理論的・実験的な手法に加えて,近年では,数値解析による空力音の予測に関する研究が行われており,その実用化が期待されている.既に円柱のエオルス音に代表される,ブラフボディ周りの流れから発生する低周波の空力音に関しては,数値解析の解析精度が検証され,一部では実用的な解析に用いることができる水準に達していると考えられる.しかし,流線形物体周りの乱流境界層や後流から発生する高周波成分を含む広帯域の空力音に関しては,現状では数値解析による音の予測は困難であり,解析精度の検証などの基礎的な研究が必要である.

以上の背景から,本論文では,基礎的な流線形物体である二次元翼を対象として,LES法と音波の位相を考慮した音響解析を組み合わせた分離解法によって,翼周りの乱流境界層から発生する広帯域の空力音の数値解析を実施し,別途低騒音風洞において計測された実験結果と数値解析結果の比較によって,解析精度の検証を行っている.また,数値解析結果から翼周りの乱流境界層から発生する広帯域音の音源構造を論じている.

第一章は序論であり,空力音とその数値解析の工学的意義について概説している.また,空力音の数値解析,特に本論文の主な対象である流線形物体周りの乱流境界層から発生する広帯域音に関する従来研究について解析手法と主要な結果についてまとめた上で,空力音の数値解析結果に関して,解析精度の検証を行う必要があると論じている.

第二章では,空力音解析の基礎理論と数値解析手法が述べられている.空力音の数値解析は,Lighthillの音響学的類推の考え方に基づいて,流体解析により音源を計算する第一段階と,音響解析を行う第二段階に分けて解析を実施する分離解法によって行われている.流体解析にはLES法と有限要素法を用い,流れ中の音源を計算する.また,音響解析では,音波の位相を考慮した解析を実施するため,境界要素法を用いてグリーン関数を数値計算により求め,Howeの式により遠方場での音圧を計算することが述べられている.その際,音圧の計算式の被積分項の分布によって,観測点で測定される音の音源分布を可視化することができると述べられている.

第三章では,解析対象である翼周り流れと精度検証データを取得するために行われた実験の概要,および,数値解析の条件と解析メッシュについて述べられている.解析対象は,断面形状がNACA0012翼型の二次元翼であり,翼の迎角が9度,翼弦長と一様流流速に基づくレイノルズ数が2.0×105および2.5×106の二種類の流れを対象としている.レイノルズ数2.0×105の場合ついては鈴木らによる実験データを検証に用い,レイノルズ数2.5×106の場合に関しては,検証データを取得するための実験を実施したこと,および,その実験手法が述べられている.解析メッシュに関しては,解析精度に対するメッシュ解像度の影響を検討するために,総要素数約200万と約800万のメッシュを使用したことが述べられている.

第四章では,二種類の流れについての数値解析結果と精度検証結果が述べられている.精度検証結果から,レイノルズ数が2.0×105の場合に関しては,総要素数約800万のメッシュを用いた解析により,精度検証を行った翼面静圧および後流流速の時間平均値と変動値,乱流境界層の速度プロファイルの定量的な予測が可能であることが示されている.また,レイノルズ数が2.0×105の場合に総要素数約200万のメッシュを用いた場合やレイノルズ数が2.5×106の場合に,総要素数約800万のメッシュを用いて解析を実施した場合には,翼面静圧の時間平均値に関しては定量的な予測が可能であるものの,翼面静圧の変動値や乱流境界層の流速分布の定量的な予測精度はメッシュ解像度の不足により不十分なものとなることが示されている.

第五章では,音響解析結果およびその精度検証結果が示されている.その中では,前述の音波の位相を考慮した解析手法により計算された空力音の音圧レベルは実験結果と一致することが示されており,比較のために示された音波の位相を考慮せずに解析を実施した場合には,解析結果と実験結果は高周波域では一致しないことが示されている.また,レイノルズ数が2.0×105の場合に関して,二次元翼周りの乱流境界層における空力音源の構造が示され,主要な音源は前縁近くから中央付近にかけての乱流境界層が再付着し発達する領域に分布していることが述べられている.

第六章は結論であり,本論文で得られた成果をまとめている.

以上,本論文では,翼周りの乱流境界層から発生する広帯域空力音の数値解析を行い,その精度結果から,本論文で示された手法により広帯域空力音の定量的な予測が可能であることを示している.また,広帯域空力音の音源構造の分布を示し,高精度な解析を実施するための数値解析上の留意点を述べている.

これらの結果は,従来,数値解析による予測が困難であった流線形物体周りの乱流境界層から発生する広帯域音の予測を実現するために必要な基礎的な知見を与えるもので,流体工学をはじめ機械工学の上で寄与するところが大きい.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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