学位論文要旨



No 120785
著者(漢字) 柴田,竜雄
著者(英字)
著者(カナ) シバタ,タツオ
標題(和) 応力制御による酸化チタン超親水化反応の高感度化に関する研究
標題(洋)
報告番号 120785
報告番号 甲20785
学位授与日 2005.10.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6166号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 教授 宮山,勝
 東京大学 教授 山下,晃一
 東京大学 助教授 下山,淳一
 東京大学 助教授 河野,正規
内容要旨 要旨を表示する

緒言

酸化チタンにおける光誘起分解反応は古くから水分解反応や有機物の分解反応等多くの研究が行われてきた。一方、最近になって酸化チタン表面では分解反応の他に光誘起超親水化がおこることが発見された(1)。この現象は学術的に興味がもたれているだけでなく実用的にも重要な現象であり、この二つの光誘起反応を利用することで防曇効果やセルフクリーニング効果等の様々な機能が酸化チタン膜において実用化されている。しかしながら現在の材料ではこの超親水性の発現の為に紫外光強度で数mW/cm2~数十mW/cm2の分~時間オーダーの光照射が必要となっていることから、光誘起超親水化材料の高感度化が望まれている。

光誘起超親水化はこれまでの研究から、正孔によって酸化チタン表面の水酸基の構造変化が引き起こされ、表面エネルギーの高い状態が一時的に形成されることで発現することが明らかとなっている(2)。従ってこの親水化反応は構造変化を伴うため、光誘起分解反応にくらべて構造的な要因の影響を受けやすいことが予想される。

このような背景のもと、本研究では酸化チタンの内部圧力の影響に着目した。結晶中にはしばしば残留応力と呼ばれる異方的な圧力が存在する。その大きさはときにはGPa以上の大きな値となり、酸化チタン膜においてもこのような残留応力が存在することが知られている。このような内部圧力やそれによる結晶の歪みは、酸化チタンの光誘起反応に特に構造変化を伴う光誘起親水化反応に大きな影響を与える可能性があると考えられる。そこで本研究では高感度材料の設計指針を得ることを目的として内部圧力の影響を検討した。最初に知見の限られていた超親水化時の構造変化に関する研究を行い、親水化反応に伴って結晶格子の膨張を伴う構造変化が進行していることを明らかにした。次いで残留応力を導入した酸化チタンにおいて内部圧力の影響を検討し、そのモデル化を試みた。最後に提唱したモデルをもとに親水化反応の高感度化の手法を提案し、さらにこの手法が有効であることを実験的に示した。

光誘起親水化反応に伴う構造変化

親水化反応に伴って構造変化が進行している場合、表面エネルギーの変化以外にも格子の変形による影響が出ることが予測される。特にルチル結晶においては超親水化した表面に親水性ドメイン構造(1)が出現することが観測されており、比較的大きな変化を観測できることが期待される。そこでルチル単結晶表面をモデル試料とし、酸化チタンの表面硬度に注目しその親水化時の変化を検討した。

その結果、光照射によって硬度が増加する現象(Positive Photoplastic Effect)がルチル表面において起こっていることを初めて見出し、更にこの変化と超親水性の発現に相関があることを明らかにした(Figure 1)。

また硬度測定の結果から、光照射によって変化している領域は表面以下数nm程度であることが予測された。この現象は超親水性が発現した場合において確認され、光遮断後は元の値へと回復する可逆な変化であることが観測されている(Figure 2)。

更に硬度変化の解析から超親水化時に表面近傍に圧縮応力が発生していることが明らかとなった。この圧縮応力の発生は光誘起親水化反応による格子の変化を仮定することで説明できる。光照射によって結晶格子が膨張した場合、結晶内では互いの格子同士の反発から変化が抑制されるので、変化の起こっている領域には圧縮応力が発生すると考えられる。酸化チタンの最表層における構造変化は、ドメイン構造の出現や、松重らによる光照射による表面格子膨張(3)の報告にも裏付けられるものである。以上の実験結果は、酸化チタンの光誘起親水化反応に伴って表面数nmの領域で体積膨張を伴う構造変化が進行していることを示唆するものであると考えられる。

光誘起反応に対する残留応力の影響

光誘起反応に対する残留応力の影響を検討するために応力を導入したルチル単結晶を作製した。残留応力が発生する要因の一つとして加工変質層の存在が知られている。単結晶表面の変質層には加工による変形から応力が残存し、その厚みや歪は研磨法に依存する。本研究では歪の少ない表面が作製可能な化学機械研磨(CMP)と、それよりも粗いダイヤモンド粉末による光学研磨をおこなった試料を使用した。

応力測定の結果、ダイヤモンド研磨試料において表面下数十nmの範囲に数GPaの圧縮応力が存在していることが確認された。逆にCMP試料では残留応力の存在は認められなかった。

光誘起分解活性の評価のために2-プロパノールの酸化分解活性を測定した。反応速度の差から表面到達キャリヤー量は、ダイヤモンド研磨試料でCMP試料の2/3〜1/2程度であることが見積もられた。

これに対して光誘起親水化活性においては、分解測定では見られなかった大きな活性の低下が観察された(Figure 3)。親水化速度(2)の低下はダイヤモンド試料でCMP試料の約1/30となり、ダイヤモンド研磨試料表面での親水化反応が著しく阻害されていることが分かった。

親水化反応も分解反応も光生成したキャリヤーによって進行し、また親水化速度と表面到達正孔量との間には比例関係が存在することが明らかとなっている。従ってこれらの結果は残留応力が光誘起親水化反応に対して特別な影響を及ぼしていることを示している。

超親水化表面は光遮断後には徐々に疎水的な状態へと戻ることから、この反応は光による準安定状態への変化であり、正の自由エネルギー変化を伴う(DG>0)と考えられる。また先に示唆されたように親水化反応は表面近傍の体積膨張(DV>0)を伴った構造変化によって発現していると考えられる。体積変化を伴う変化に際して、大きな圧力がかかっている条件下では体積変化に対する圧力の影響が無視できなくなる(PDV)。そこで親水化反応における圧力効果のモデルを提唱した(Figure 4)。このモデルから大きな圧縮応力存在下では親水化反応における自由エネルギー変化はより正の方向に増大し、従って反応の抑制がおこっているものと考えられる。さらにこのモデルから反対方向の圧力である引張応力を導入した場合、逆により親水化反応が進行しやすくなる可能性があることが予測された。

薄膜の残留応力制御による親水化特性の制御

提唱したモデルから親水化活性の向上を期待できる手法が提示されたので、実際に酸化チタン薄膜において残留応力を制御することでその有効性を検討した。基板加熱下にて各種基板上に酸化チタン膜をスパッタリングによって作製し、熱応力を利用して残留応力を制御した。

σ=Ef(αf-αs)ΔT Ef:薄膜のヤング率、af,as:熱膨張係数

またこれ以外の基板の影響を無くすため基板表面にSiO2をバッファー層として作製し表面状態を統一した。

これによって残留応力以外の特性はほぼ等しいアナターゼ薄膜の作製に成功した。Table 1に作製に使用した基板と観測された残留応力の関係を示した。これらの薄膜について分解活性評価を行ったところその活性には殆ど差は認められず、唯一大きな圧縮応力が存在する試料(TiO2/Mica)において若干の活性の低下が認められた程度であった。しかしながら親水化活性においては顕著な差が認められ、予想されたように引張応力存在下(TiO2/NEX-C)では無応力に近いものに対して5倍以上の親水化速度の向上が、またルチル単結晶での結果同様大きな圧縮応力存在下では親水化活性の著しい抑制が確認された(Figure 5)。これらの結果は光誘起親水化反応に対する圧力効果の仮説を支持するものである。

結言

光誘起超親水化反応は酸化チタンの表面水酸基の構造変化に伴って発現するという機構を基に、この反応に対する残留応力の影響を検討した。従来の活性向上の研究は光励起過程に対するアプローチ、例えば吸収帯の制御や電荷分離効率の向上などが主なものであったが、本研究では親水化反応が光励起過程に続き構造変化を起こさなければ発現しない点に注目し内部圧力による影響を検討している。

親水化反応時の体積膨張を示唆する結果及びルチル単結晶表面における残留応力の影響の検討から、過去の光触媒研究において考慮されることの殆ど無かった残留応力による、光誘起親水化反応に対する圧力効果モデルを提唱した。場合によってはGPa程度の大きさとなる内部圧力は親水化反応に対して無視できない影響を与えていると考えられる。更にこのモデルを基に引張応力導入による親水化活性向上の可能性を得た。可能性の検証を残留応力を制御したアナターゼ薄膜系において行うことで、本手法による親水化活性の向上が実現可能であることを示し、将来の高感度親水化薄膜作製における指針を得ることに成功した。

更に本研究におけるこのような構造変化に注目した視点は今後の親水化反応の研究に新たな方向性を与えるのではないかと期待できる。今回の結果は親水化反応においては、最表層のみを構造変化しやすいように改良することで親水化活性の向上を引き起こすことが可能であることを示唆しており、今後の発展が期待される。

Figure 1 Dynamic Hardness of Rutile (100)face

(a) before UV light irradiation(θ=70.6°)

(b) after irradiation(θ=0°),(c)after dark storage(θ=51.0°)

Figure 2 Change ofHardness and water contact angle on Rutile(100)face

Figure 3 Changes of water contact angle on Rutile(100)face

(a) CMP, (b) Diamond polishing (2mW/cm2:BLB)

Figure 4 Schematic imag of Pressure effect on photoinduced hydrophilic conversion

Figure 5 Changes in water contact angle of TlO2 films with various residual stress(0.1mW/cm2,BLB)

R. Wang, K. Hashimoto, A. Fujishima, M. Chikuni, E. Kojima, A. Kitamura, M. Shimohigoshi, T. Watanabe, Nature, 388, 431 (1997)N.Sakai, A.Fujishima, T.Watanabe, K.Hashimoto, J. Phys. Chem. B, 107, 1028 (2003)T.Horiuchi, K. Kaisei, K. Matushige, photocatalyst, 8, 24 (2002)
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、最近光触媒としてその実用化に大きな関心が寄せられている酸化チタンについて、その表面で進行する光誘起反応の一つである光誘起超親水性に注目し、この超親水化反応の高感度化の手法の確立を目指して行われた研究である。本論文は親水化の反応活性にたいする内部圧力の影響を明らかにすることで、新たな高感度親水化材料の設計指針を示し、更に材料作製を行って実際にその効果を実証したことを主内容とするもので、全五章より構成される。

第一章は序論である。酸化チタン光触媒における過去の研究が述べられており、その光誘起親水化現象について、提唱されている発現機構から、この反応が酸化チタン表面の構造変化を伴った反応であることを示している。また光誘起分解反応・光誘起超親水化反応ついての課題と、その課題の克服に向けて過去におこなわれてきた高活性化・高感度化の方法論について述べ、これまでの検討が主に電荷分離過程に対して行われたものであったことを示している。このような背景を示した後に、本研究の目的が発現機構に注目した新たな高感度親水化材料の設計指針を得ることにあることを述べている。

第二章では、最初に高感度化の検討対象である酸化チタン表面での光誘起超親水化現象について、知見の限られていた親水化時における構造変化についての検討を行っている。酸化チタンのルチル単結晶をモデル表面として用い、表面における構造変化の影響を材料硬度という物性値の変化から検討することを試みている。その結果、ルチル単結晶表面近傍において、紫外光照射によって材料硬度が増加するというPositive Photoplastic Effect (PPE)が発現していることを初めて見出し、更にこの硬度変化が時間単位で持続することを報告している。過去に観測されているPPEが光生成キャリヤーの静電的な作用によって発現しているとの報告をもとに、今回の光硬化現象の効果の維持時間について、酸化チタン中でのキャリヤーのダイナミクス、また最近になって報告された紫外光によるルチル最表面の構造変化の報告等を参考にして考察を行い、今回の現象が従来の発現機構とは異なり酸化チタン最表面の構造変化によって発生した圧縮応力の存在によって発現していることを明らかにしている。さらに試料表面の濡れ性の変化と硬度変化に相関があることから、この現象が親水化に伴って、表面数nmの領域において体積膨張を伴う構造変化が進行していることを示唆するものであると考察している。

第三章では構造変化を伴う親水化反応において、その構造変化に影響をおよぼす因子として内部圧力について注目している。結晶中に存在する内部圧力として残留応力を取り上げ、二つの光誘起反応(光誘起分解反応・光誘起超親水化反応)に対する残留応力の影響について検討がなされている。残留応力を変化させたルチル単結晶を用いた二つの光誘起反応活性の測定結果から、圧縮方向の残留応力の存在が特に光誘起超親水化反応活性に大きな抑制効果を示すことを明らかにしている。さらに第二章で示された親水化時の構造変化に伴う体積変化の可能性から、正の活性化体積を導入した光誘起親水化反応に対する圧力効果モデルを提唱し、このモデルによって観測された残留応力の影響の定性的な説明に成功している。更にこの圧力効果モデルから、圧縮応力とは反対方向の圧力である引張応力を系に加えた場合、親水化反応の促進が期待できる可能性があることを述べている。

第四章では実際に光触媒として広く利用されているアナターゼ相の薄膜を用いて内部圧力の効果を検討している。章の前半においては薄膜の残留応力の制御を試み、熱応力を利用した残留応力の制御法を確立させている。章の後半では、この手法によって応力の制御されたアナターゼ薄膜を用い、圧縮応力から引張応力までの残留応力の光誘起反応におよぼす影響について、横断的に検討を行っている。また特に第三章において高感度化の可能性の示された、引張応力導入による親水化活性の変化に注目して検討を行っている。これによって光誘起分解反応活性には内部圧力の依存性がほとんど存在しないことを、また親水化活性においては逆に明確な圧力依存性が存在することを明らかにしている。さらに実際に引張応力を導入したアナターゼ薄膜を用いて親水化活性の向上を実証し、新たな高感度親水化材料の設計指針の提示に成功している。加えてこの一連の検討から得られた親水化速度の内部圧力依存性から、その活性化体積を実験的に見積もることに成功し、これが実際に正の値を持つことを示している。この知見は光誘起超親水化反応が光誘起分解反応とは異なる発現機構を有し、さらにこの超親水性の発現に構造変化が関与していることを示すものとしても重要な意味を持つものである。

第五章は本論文の総括であり、上記の研究成果を要約し、今後の展望について述べている。

以上に述べたように、本論文では光誘起親水化反応の発現機構に注目し、構造変化という新しい観点からの高感度化の設計指針を示すことに成功し、実際に内部圧力効果の検討からこの手法の有効性を実証することに成功している。また本研究では、酸化チタン表面における初のPPEの観測や、酸化物表面における光反応に対する圧力効果の提言、さらには正の活性化体積をもつ反応における圧力効果による反応の促進など多くの興味深い知見を得ており、材料化学をはじめ、それに関連する様々な学際領域の発展に寄与しうるものと認められる。また高感度化の設計指針を示したことは、今後の光触媒の適用範囲の拡大を期待できるものであり、工学的意義も大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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